第653話 神前裁判
「ご覧の通り、既に結果は誰の目にも明らかとなっておりますが、改めて審判は行いますかな?」
「馬鹿な! このような結果、ワシは認めぬ、認めぬぞ!?」
結論から言えば、カドモス公爵の策を警戒する必要はまるでなかった。
いや、まだまだ安心するには早いのだが、少なくとも裁判の勝敗に関しては彼が何か企みや暗躍を介在させる余地は存在しなさそうである。
「とはおっしゃいますがね、カドモス公。既に、天秤はローズ侯へと傾いております。もはやこれ以上、人が何を論じようと結論に変更は出ますまい」
「ぐっ、ぐ、ぬぬぬぬぬ……ッ!」
裁判を取り仕切る上級貴族が、カドモス公爵の言い分も聞かずに判決を出そうとするのにはもちろん理由がある。
それは、別に王命によって彼が容疑者のような扱いで出頭させられたから、という訳ではない。ここは神聖な裁判の席、どんな者であっても弁明の意思はきちんと受理される。
では、ハルやミナミが用意したアイテム類が動かぬ証拠として強力すぎた為か? それもまた違う。その証拠を審議に掛けるのは、裁判が進行して以降となる。
まだ、裁判は開始を告げたばかりの段階だ。
では、そんな時分においてなぜもう性急に神官判事は判決を出そうとしているのか? それは、このハルたちの目の前にある巨大な天秤型のアイテムにあった。
「我らが神の意思は、既にローズ侯の主張を支持なされた。そのご意思は、絶対」
「それがおかしいと言っている! まだ、何もしていないではないか!」
まず、この場の状況について詳細に語らねばなるまい。
王によって強制的に開催が決まった『神前裁判』、そこに、ハルとカドモス公爵は召喚された。
お飾りとはいうものの流石は王命であり(これがゲームであるという事情も当然あるだろうが)、恐ろしく手際よくその開催は準備され、今はまだ決定から一日しか経っていなかった。
そんな裁判は『神前』と名の付く通り、一般的な裁判所ではなく、神殿のような荘厳な雰囲気をかもし出す、王城内の特別な施設で行われている。
その神殿内の中央でひときわ存在感を放っているのが、先ほどから話に出ている『天秤』だ。
「……よいですかな? 改めてご説明申し上げるまでもないとは思いますが、公。この天秤はアイリス様のご意思そのもの。神は天秤を通じて、この裁判を見守っておいでです」
神官判事が語るのは、比喩でも誇張でもない事実そのもの。
この巨大な天秤は、複雑な事情が絡み合う難しい裁判を、全知の存在である守護神に代わりに判定してもらう為の神器であった。
当然、その仕様には多くの制限と多大な魔力等が必要とされ、王であるラインの権限と、ハルによる莫大な資金資材の提供により今回の席が実現したのだ。
ちなみに、その制限はおいそれと開催するには大きすぎて、ここ数年は神前裁判は開かれていなかったということ。
アイリスが言うには、『だって毎回私に裁判押し付けられたら面倒だろー?』、とのことだ。
やる気の無いことである。元々はそういった法的な判定もこなすためのAIであったというのに。
「そうだとしても! 弁明すら許さぬとはどういうことか! 判決は、互いの主張を全て出し終えて審議するものではないのかっ!?」
全くその通りである。唾が飛び散るほどに激高する公爵の気持ちもよくわかる。
語るべき反論をしっかりと用意して、時間もない中で根回しもして、賄賂に大金も支払って、いざ裁判所に来てみればその場で有罪を言い渡された。
まあ、どう考えてもおかしい。やっていられないというものだ。
だが、普段は自身が裏工作によって他の貴族にそれを押し付ける立場であっただろう。今回は、それが自分へ返ってきただけと思えば同情もできない。
「神は全てを知っておられます。そのアイリス様が、『反論の余地なし』とご判断なされたのではありませんかな?」
「横暴が過ぎる! 裁判制度の崩壊ではないか!」
「…………それは、主神批判ですかな? 罪状が、重くなりますぞ?」
「ぐっ、そ、そういった訳では……、訳では……」
元々神に対して否定的な立場の公爵だ。その上これでは、神に文句も言いたくもなろう。
ただ、この国において公にそれを語ることは許されない。特にこの席で、神官判事にそれを聞かれるのは賢い判断とは言えないだろう。
確かに、裁判制度として問題があるのは確かだとハルも思うが、ただ『問題の無い裁判』の方も、そちらはそちらでカドモス公爵のような悪徳貴族が牛耳っている。
それを考えれば、完全に正しい裁判など人類には不可能であるのだろう。
──それもこれも、アイリスがこんな性急な判決を下すからだろ? やりすぎ。もっと過程とか流れとか大事にしようよ。
《えー? だってどーせ結果は同じじゃーん! それならよぅ、お兄ちゃんもさっさとこんな辛気臭せー席、終わった方がよくね?》
──いいや? 裁判なんてレアなコンテンツ、なるべく盛り上げて視聴者を楽しませた方がいいだろう?
《お兄ちゃんも自分の都合ばっかじゃねーかぁー!》
大変に申し訳ない。その通りである。
半ば結果が見えているとはいえ、普通のプレイではなかなかお目にかかれない『裁判』というコンテンツ。それが開幕と同時に終了では、視聴者にとって肩透かしもいいところだ。
今は公爵の因果応報さと、ある種この場の『出落ち感』に湧いてはいるが、このまま終了すれば今回のハルの生放送は『期待外れ』で終わってしまう。それは良くない。
そうさせない為にも、この裁判とカドモス公爵には、もう少し頑張ってもらわなければならないハルであった。
◇
「判事。形式だけでも、裁判を始めることは出来ないのかな?」
「……実のところ、まるで前例がなく私自身も戸惑ってはいるのですが、それでも天秤が示すは絶対。それを曲げることは許されませぬ」
「ふむ?」
その前例とやらはサービス開始以前に遡らねばならぬので、どういう設定なのかは知る由もないのだが、少なくともこんな極端な結果ではないのだろう。
神官判事も天秤の傾きを最優先にしつつも、ここから進行をどうすればいいのか頭を悩ませているようだ。
当然である。議事録は白紙だ。
「まあ、つまりは天秤の傾きが戻ればいいんだ。せっかちなアイリス様には、もう少し僕らのことを見守っていてもらおう。……“構わないでしょう”?」
「そう申されましても……、お、おおおお!? これは天秤が!!」
ハルが、勝手に自身にリンクして脳内に語りかけてくる迷惑なお子様に対してそう圧を掛けると、渋々アイリスも天秤を水平に戻した。
それにより、ハルの勝訴を示していた絶対の根拠はなくなり、改めて裁判の体制は整った。
……整った、のだが、何故か今度はその事で神殿内が騒がしい。
言うなれば今回の対戦相手であるカドモス公爵だけは反応が薄いが、裁判官である神官判事や、彼の補佐を務めるのだろう者たちの間にどよめきが広がっている。
厳粛な場を司るべき立場の者の反応としては、異質と言って良いだろう。
「判事? なにが……」
「ローズ侯爵!! 今のは、貴女が行ったのですかな!?」
「ああ、いえ、僕というよりは、アイリス様にお願いして、ひとまず戻してもらっただけなのだけれど、」
「やはり! これは、なんとも喜ばしいことですぞ! 我らが神と交信できる、巫女がついに現れた!」
「ええええぇ……」
なんだか、これはこれで裁判どころではなくなってしまった。
むしろ逆に、『何故お前らは交信できないのに神官を名乗っているのか』、と言いたいハルだ。それで良いのかこの国は。
そう感じたのは、どうやらハルだけではないようで、喜色に立場を忘れる判事たちを咎めるように、怒りの声が神殿内に響きわたる。
「イカサマだっ!!」
その声の主は、当然のように公爵である。怒りを覚えるのも仕方がないと言えよう。
裁判なしで有罪を言い渡されそうになったかと思えば、今度は裁判そっちのけで、原告であるハルを褒めたたえて騒いでいる。
これを馬鹿にされたと言わずになんと言おう。おちょくられる為に呼び出されたように感じても仕方がない。
しかし、怒りをぶつけるその内容が少しばかり不味かった。
「……公爵、今なんと?」
「イカサマだと言ったッ! 考えてもみろ、あり得ぬだろう! この小娘の意思で、天秤は動いた! 小娘の勝訴を最初から示していたのも、彼奴のしわざに決まっておる!!」
「……天秤の公正さは、絶対。それを疑うことは許されませぬ。加えて巫女批判など」
「小娘の肩を持つでないわ! 裁判の公正さは何処へ消えた!」
非常に、真っ当な意見だ、敵ながら。現代的な感性で見るならば、カドモス公爵の主張に共感する者が多くなるだろう。
ただ、残念な事にこの国の現状とは絶望的に噛み合っていないのと、彼が自身の行いを棚に上げすぎていることだ。
自分は自分で裏工作にイカサマにとやり放題であるというのに、相手のそれだけを責めても受け入れられはしない。
立場の二重取りは、褒められたものではない。
「そうですな。確かに神聖な裁判の席を預かる者として、我らの態度は良くなかった。それは反省しましょう」
「ふん! 今更遅いわ!」
「……ですが、カドモス公。貴君の神を軽視した数々の発言、判決に際し不利に働くと先に申し上げておきますぞ?」
「……ふん」
そんな、徹頭徹尾においてカドモス公爵に厳しい裁判の席、それがなんとか開催まで漕ぎつけた。
そんな逆境の中、彼はどんな手管で抗ってみせるのか。お手並み拝見というところである。
◇
「ではまず、僕の訴えからだね。今回裁判を開くにあたっての原因からだ」
多少ぐだぐだと騒がしくなってしまう一幕があったものの、なんとか元の荘厳な雰囲気を神殿内は取り繕い、静粛で厳粛な空気を取り戻した。
多少の浮つきが残るかと懸念するハルだったが、そこは修行を重ねた神職の者。そんな態度は一切残さなかった。プロである。
ただ、そんなリセットされた空気の中でも、圧倒的なハルの優位はまだ揺るがない。
こちらの用意した証拠が、あまりに強力すぎた。
「数日前、僕の領地であるクリスタの街が被告であるカドモス公爵の軍により侵攻を受けた。言い掛かりによって。これは明らかな越権行為。ひいては国家に弓引く行為と言えるだろう」
「言い掛かりではない。正当な主張である」
「公爵。直接の反論は控えるように」
なんだか、もう直接の原因が彼方に忘れ去られてしまいそうな状況となっているが、事の始まりはあの侵攻。
後ろでしれっと味方面している、ミナミ率いる公爵軍の侵略だ。
そこから始まった彼との因縁、いや正確には、それよりもずっと前、紫水晶から生まれるモンスターに関わった時から、ひいてはハルが<貴族>となった時から始まっていたとも言えよう。
ハルはそんな公爵の暗躍に幕を下ろすべく、そしてこの裁判にて彼の政治生命を完全に断つべく、攻撃を開始するのだった。
※誤字修正を行いました。(2023/5/23)




