第645話 免税店
「では、私らはこれにて。本日は大変いいお仕事をさせていただきましたよ!」
「むしろこちらの方が、こんなにして貰っていいんかと……」
「今日一日でどれだけスキルアップ出来たか!」
「いや、いい仕事だった。これで兵たちも寝床に困らずに済むよ。ありがとう皆」
契約時間が終わり、<建築>系の職人NPC達は去って行った。
既にこの場には一大宿場町かと言わんばかりの宿舎の群れが立ち並んでおり、飛空艇で連れてきてしまった兵士たちは野宿の憂き目には合わずに済みそうである。
とはいえ、さすがに慣れた<建築>NPCであっても、全ての兵を収めるだけの宿舎セットを用意しきるには時間が足らず、何割かの兵は入るべき仮設宿舎が無い。
彼らは『自分たちはキャンプでも問題ない』とは言うものの、そこはハルのプライドが許さなかった。
「用意すると言ったんだ。必ず用意する。僕のために」
「用意できなければ、負けなのですね!」
「その通りだねアイリ」
いささかゲーム感覚が過ぎるのが失礼ではあるが、彼らの為にもなることなので容赦してほしい。
ハルは作業が終わりきらなかった空きスペースに、課金時短をフル活用して次々に宿舎セットの<建築>コマンドを実行していった。
「はい。これで終了」
《はっっっっや》
《一瞬の出来事でした》
《あれ? NPC必要だった?》
《教師役として必要》
《……その後は?》
《…………》
《帰った後で良かったな……》
《彼らのプライドがズタズタになるとこだ》
《案外気にしないんじゃない?》
《『流石は貴族様!』で済ませそう》
長年の修行の成果により得た自分たちのスキルを、今日<建築>を覚えたばかりのハルに軽々と上回られた。これに、何も思わないわけがあるまい。
ただ、これはゲームであり彼はNPC。その辺りは特に気にしない可能性はある。
どのみち、プレイヤーというのは短期間でNPCを上回る存在だ。そこにいちいち対抗意識を抱くNPCばかりであれば、ゲームが円滑に回らないだろう。
その場合、彼らにとっての常識設定というものはどうなっているのか、少し気にはなるところであった。
とはいえ、今はハルの気にするところはそこではない。
「寝床は揃ったが、これでは正直キャンプと大差ないよね。もっと労働環境を改善しなくては」
「部下想いじゃんハルちゃん。理想の上司だね。で、本音は?」
「この土地でもっと好き放題して、上の人間をおびき出す」
「部下はそのダシだねハルちゃん。最悪の上司だ」
「彼らの為になってるのは確かだから、問題ない」
労働環境が改善するのは事実なのだ。現場からは不満の声は一切上がっていない。
……と、公には説明するとしよう。ユキも言葉の上ほど気にしている訳ではない。
「んで、実際にはなにすん? 足りないのなんだろ、お風呂かな?」
「発想がユキね? まずは何をおいても、食事でしょうに」
「お手洗いなのです!」
「まあ、どれもあるに越したことはないけど、実はその三つ、あっても無くても別に問題ない」
《なんですた!?》
《ですた!》
《まあ、考えてみればそうだよな》
《NPCだもんなぁ……》
《リアルっぽいけど、人間じゃないもんね》
《でも寝床は居るんだ》
《それは必須っぽい、何故か》
恐らくは、プレイヤーと似たような理屈なのだろう。
いわゆるセーブポイントとなる、宿泊可能な施設がなければ、彼らは己の存在を保てないのだろうか。不思議なことに、住居の登録をまず最優先にする傾向がある。
寝泊りする施設さえ決まれば、あとはそこを起点に、こちらの知らぬ間にその日の活動を繰り返しているのだ。
いつ食べて、いつ飲んで、いつ入浴しているのか、それはプレイヤーの知るところではない。
「とはいえ、そういった生活水準を上げるための施設が有ると、パフォーマンスが向上するのは間違いない。無くてもいい、というのは本当に最低限の話だね」
「そこで、『じゃあ最低限で問題ないや』、とするのがいつものハルちゃん」
「失敬な。僕だって効率が上がる状況であれば喜んで娯楽施設を作るよユキ」
「上がらなければ?」
「しない」
無くても問題ないと当人(?)が言うのだ。問題ないのだろう。
ただ、このゲームで今のハルの方針は、なるべくNPCを人間扱いすることだった。その方針は、今も続いている。
「という訳で、お風呂から作ろうか」
「おお、やったね。サービスシーンある?」
「無いと思うよ」
「でも、メニューに露天風呂あるよ? これ作って、女の子NPCぶちこめば、裸見られないん?」
「その辺厳しいからねこのゲーム」
「ぶー。じゃあ何のために露天風呂あるん?」
「眺めて、楽しむためかな?」
もちろん、外から露天風呂を眺めて楽しむのだ。
通常、お湯に浸かりながら外の景色を楽しむのが露天風呂であるというのに、まるで意味不明の逆転である。
そんな露天風呂の<建築>メニューはさておき、ハルはもっと大きな共同入浴施設を宿舎の付近に組み上げてゆく。
これは壁に囲まれた残念仕様で、プレイヤーは入室不可の仕様になっている。
中にNPCが入ると、何をしているのか知らないが『入浴した』という扱いになり、調子が向上して出てくるというものだった。
「次は食堂かしら?」
「おトイレが無くていいのは、楽でいいですね!」
「まー、そーですねー。排泄の設定があるゲームって面倒ですからねー。プレイヤー側なら、制限を与えてゲーム性を出すって意味はありますけどー」
「NPC側にあるのは大変っすよねえ。特にこの規模のゲームだと、おトイレの数だけでも恐ろしいことになりますね。この野営地なんかいったい幾つの仮設トイレが立つと思います? それに、個人宅のサイズもきっと今より拡大するっすよ?」
《考えてみれば、入れる家にトイレ無い》
《突き詰めると下水の設定も必要だしな》
《まあ無駄か》
《リアリティの突き詰めって範囲だな》
《やってるゲームあるん?》
《あるぞ、ここの姉妹ゲー》
《あれは殆どワールドシミュだから》
当然だが、このゲームと提供会社を同じくする姉妹ゲーム、つまりはカナリーたちのゲームにはNPC用のトイレが無数に存在する。
あの世界のNPCは、つまりアイリの同郷の生きた人間であるのだ。必要に決まっている。
そうして比較されることで、徐々にあちらの異常性が浮き彫りになっていっている。
いつかは、あの世界の真実が広く世に広まる日が来るのだろうか?
「……さあ、まだまだ町を広げていこうか」
「『町』って言っちゃいましたねー。これは口が滑っちゃいましたねー、たいへんですねー?」
《いや、もう薄々気付いてたから……》
《わー、たいへんだなー》
《首都のすぐ傍なのになー》
《これはいちだいじだなー》
《一夜城ならぬ一夜街》
《起きたら隣町が出来てた》
《隣町(徒歩一分)》
なんとなく、あちらのゲームについて話題が広がらないよう、少々強引に話題を逸らすハルだった。
ハル一人がそんなことをしても、この流れは止められるものではないだろう。いずれ明るみに出ることになる。
ただ今だけは、その事実から少し逃げていたいハルであった。
*
一夜明け、首都の正門前の様子は様変わりしていた。そのつい一日前とはまるで様子の違う光景に、朝早くから街を出る者達が目を丸くする。
外部の農地へと今日の仕事へ向かう農民たちは不気味そうに、また兵士の多さに若干怯えながら足早にこの場を後にする。
一方の行商の者たちは興味深そうに、逆にこちらへと次々に近寄って来る。
どちらでもない、ただ通行するだけの者は、その中間。遠巻きに様子を見守るに留まっていた。
「ふむ。おおかた予想通りの反応ってとこか。ここに住む人達を怖がらせちゃってるのは、悪いと思うけどね」
「つまり、ハルの狙いは商人たちということね?」
「そうなるよルナ」
彼らが目ざとく商人としての興味を寄せてきたのは、宿場町と化した野営地の最も外側、今や『町の入口』と貸した地点に建てられた各種店舗だった。
ハルの<建築>には、もちろん店を建てるコマンドも各種取り揃えられており、それをハルは夜のうちに<建築>しておいた。
内部には既に商品と、店員となる元兵士が準備を完了している。
ここで店員を務めてくれるのも、徴用される前は元々商人系だったという設定を持つNPC兵である。
昨日の<建築>持ちといい、これだけ数が居ると所持スキルも幅が広い。
そんな出張一号店に、勇気と好奇心あるお客さま第一号が到着を果たしたのだった。
「失礼、貴女様が、責任者の方とお見受けしますが」
「そうだよ、よろしく。来たからには、何か買って行ってくれるんだろう?」
「はは、もちろんですとも。ただその前に、この場所への出店許可などは……」
当然、無い。無許可営業である。
本来なら商業ギルドなど組合を通し、国へと許可を取るのが習なのだろう。それを常識として知る商人が、一切聞き覚えのない新規開店の実体を探りに来たということか。
「許可なら“上の者”に取ってある。何かあれば、そちらまで問い合わせてほしいね」
「……!! め、めめ滅相もございません。非礼のほど、平にご容赦……っ!」
ハルが毎度のお約束となった『家紋』を取り出すと、ビシィッ、と音がするような見事な礼と共に恐縮される。
……計画のためとはいえ、何も知らぬ一般NPC相手に毎回毎回これをやるのは少々心苦しくなってきたハルだ。
そのくらい、『家紋』は異常な効果を誇る。
「……これ、隠し効果として、NPCの信心深さを測るアイテムとしても使えるね。測ったところで、どうだって話だけどさ」
《今の商人さんはとても信仰心が高い》
《逆に低いと誰かさんのようになる》
《踏み絵か?》
《でも確かに何に役立つんだろ》
《信仰心が高いとツボを買う》
《それだ!!》
《それじゃないが……》
《ただの詐欺である》
「まあ、僕が『祝福』したアイテムなんかは買ってくれやすいかもね」
「祝福された品があるのですか!!?」
「うわ」
「……し、失礼をっ」
ハルが視聴者相手につぶやいていると、それを耳が捉えたのか店の品を見分していた先ほどの商人が詰め寄ってきた。
高位の貴族相手への礼を失するほどに興奮したその顔を見るに、どうやら需要はばっちり高いようだ。
「今は並んでないよ。欲しいなら都合するけど」
「是非にっ! い、いえ、出来ればで構いません……、して、この店舗の商品は、全て国外の品であるようですね」
「そうだね。僕が領地において輸入した品を運んできたものだ。免税店って奴かな」
「ハル、免税店は少し違うのではなくって?」
「ハルちゃん、免税店ってなにー?」
「わたくしの国が、得意とするお店なのです!」
この時代、輸入品にかかる関税の概念がすっかり薄くなったため空港などにある免税店のイメージが沸かないユキ。
一方のアイリは、国策として梔子の国全体が免税店の役割を果たしているという極端さだ。
要するに、貿易品を売るには国の特別な許可が非常にうるさく、ハルは今それを己の権力によって無視して好き放題に売りさばいているということである。
もうやりたい放題だった。ここまですれば、普通の神経であれば黙っている訳はないだろう。
「……なるほど、であれば、これらの店の看板にも、貴女様の家の『家紋』を掲げておくというのは如何ですかな?」
「なるほど、良い案だ。いちいち平伏させる手間も省ける」
「もし宜しければ、わたくしめが細々とした商売に関して、手の届かぬ所をサポートいたしますが?」
「専門家によるコンサルという奴か、いいかもね」
……なんだか、好き放題やってもあまり咎められる気配がない。
商魂たくましい彼を始め、安全そうだと見た人々が次々とハルの店へとやってきて、すぐに大繁盛の様相を呈してきた。
神の名さえ笠に着れば何でも許してくれるこの国、本当に大丈夫だろうか?
ハルは、敵であるはずのカドモス公爵の気持ちが、少しだけ分かったような気がしたのだった。
※誤字修正を行いました。(2023/5/23)




