第64話 七色の神々
「ハルさんは世界で一番強いのですか?」
神殿への道すがら、アイリがそんな事を聞いてくる。世界最強、いい響きだ、成れるものなら成りたくはある。
だが、現行の強プレイヤーを圧倒したからといって、単純にそう名乗れるとは限らないだろう。
「どうかな。一対一なら、大抵の相手は倒せると思うけど、何も自己主張せずに隠れてる強い人が居ないとも限らないしね」
「それでもハルさんなら、勝ってしまいそうです」
「そうだね。負ける気はないよ」
ハルとて、この世界に限らず、多くのゲームで勝利を重ねて来た身だ。同じ条件で開始して、負ける事はあまり考えられない。
だが絶対ではないし、今は隣にアイリが居る。危機的状況の考慮は、常に頭の隅に入れていた。思考の一部は警戒に割いている。
「でも例えば、ここで急に上から巨大なモンスターが降って来たり、プレイヤー集団が百人、徒党を組んで襲い掛かってきたりしたら」
「逃げるのですね?」
「その通りだね。アイリを抱えて」
「まあ。……ハルさんはお強いのに、常に逃げ切る事を前提に考えていますよね」
「次に勝てばいいからね」
ハルが格好よく勝利する事を望むアイリは、少し不満そうだ。期待には答えてやりたいが、アイリの安全が最優先だった。
ここは神界、敵地とまではいかないが、未だ謎の多い場所だ。
「ハルさん」
「ん、甘え上手になったねアイリ」
そんな彼女が、手を繋いだままもう片方の手を差し出してくる。
アイリを抱えて逃げる、という言葉に反応したのだろう、抱き上げて欲しいとの要求だ。神殿への道中にはまた階段がある。ちょうど良いタイミングだとも言えた。
ふわりと軽いアイリを抱いて、ハルは神殿へと<飛行>していった。
*
丘の上に建つ神殿は、なんだか変わった形をしているようだった。
七つあるそれぞれ別の神殿を、むりやり一つにより合わせたような、ギリギリのバランスで調和を保っている。
振り返ってみれば、一望とまではいかないが、この神界が見下ろせる。
やはり閉じた世界であるようだ。地面は巨大な浮き島のような状態をして、虚空に浮かんでいた。下にも空が映し出されているようで、先の地面などは見当たらない。
「空の上、なのですか?」
「かも知れないし、違うかも。空の上だって、こんなに早く時間が流れたりしないしね」
空はちょうど朝を映し出した所だ。今まで暗かった世界が、急に爽やかな陽光に照らされる。時間の流れが早い、というだけではない。時間帯ごとに空がくっきりと区分けされている。
「確かに、空の上だからっていきなり朝になるのはおかしいですね!」
「神界はこういうもの、って、深く考えない方が良いんだろうけど」
ゲームではよくある事だ、アイリには説明し難いが。
アイリも、神の世界の事だと、それ以上疑問を呈することはしなかった。二人はそのまま神殿の中へと足を踏み入れる。
白く磨かれた内部は、外よりもずっと明るく照らし出されていた。照明などは見当たらないが、恐らくは夜であってもこうなのだろう。
入り口を入り、道なりに中央の道を進むと、すぐに円形の大広間へと出る。この作りは各地の神殿と同じなのだろう。戻って左右の道を行けば、休憩用、相談用の部屋などがあると思われる。
違うのは、広間の大きさだ。かなり巨大なホールになっており、天井も非常に高い。
そして、その先には七本の道が伸びており、そこからは各神性の個別の空間となっているのだろう。
広間の中には、プレイヤーの姿もちらほら見えた。ここに来れば、神との邂逅、更には契約も叶うのだろうか。色々と調べて回っている様子だ。
ハルとしては少し落ち着かない。彼らとの間に距離はあるが、静謐な空間だ。アイリと会話する声は、思った以上に通ってしまいそうであった。
引き返しどこかの部屋に入るか、足早に先へ進むか、ハルが迷っていると、その二人に声をかける存在があった。
「いらっしゃいませ。七色の神殿へようこそ」
「名前……、もう少しなんとか……、いや今更だったか」
「分かりやすくて、良いのではないかと!」
「そうだね……」
今更ここの神様のネーミングセンスに突っ込んでも仕方ない。今は声をかけてきたNPCに集中しよう。
スーツのような黒い服に、一瞬プレイヤーかと思ったが、紛れもないNPC。違和感を覚えるが、『どの色にも染まらない』という事で中立を表現しているのだろうか。
もしくはプレイヤーの初期装備が白い神秘感のある服なので、それと混同しないように系統を分けたのかも知れない。
「こちらは世界を守護する七柱の神々のおわすところ。本日は、どのようなご用件でおいででしょうか」
きっと、来たプレイヤー皆にこれを言っているのだろう。型に嵌った台詞の印象を受けた。
「そうだね、とりあえずは、カナリーの所に“案内してもらえるかな”」
「かしこまりました」
ひとまずは他プレイヤーが多いこの空間を離れたい。カナリー個別の神殿への道は、ここから見ても一目瞭然なのだが、ハルはあえて先導を頼んだ。
この状態であれば“イベント進行中”だと見られ、話しかけられる事もなくなるだろう。
*
男性NPC、恐らく中身はアルベルト、に連れられ、ハルとアイリは中央の道に入っていく。
その道に通じる扉からは、黄色の光が天井へと向かって立ち昇り、ひと目でカナリーの為の場所である事が察せられた。
道の先は外、のように見える更に広い部屋に繋がっており、暗い地面の上に透明の廊下が浮いている。左右を見渡せば同じような道がそれぞれ六本。
ゆらゆらと漂う幻光が、それぞれの神に対応した色を発して道を照らし出していた。
向かう先には七つの神殿。正面の、カナリーの物からは、また黄色の光が昇っている。左には、勢いは落ちるが青い光。セレステのものだろう。
他の神殿は、まだほとんど光を発していなかった。
「光は神の勢力図かな?」
「左様にございます」
「格差を煽ってるね。競争なのか、協力なのか……」
「カナリー様が一番強いのですね!」
アイリの言うとおり、今はカナリーの黄色が最も強い。
『あなたの信仰する神は今このくらい』、という比較を嫌でも感じさせる道だった。神殿に行くために必ずここを経由させるように作った人は性格が悪いのではないだろうか。
「こちらでございます」
そんなカナリーの神殿の扉を、紳士的な態度で彼は開く。
神殿には似つかわしくない格好だが、黒いスーツ姿が護衛のような印象を出している。最初に入った服屋の執事と少し印象がかぶる。同じタイプのキャラクター設計だろうか。
「ありがとう、アルベルトさん」
「お気になさらず。…………どこでお気づきに?」
「相変わらず認めるのが早い事で。『何の事でしょう』、とか言っておけばいいのに」
案内は終わった、と彼が帰ってしまう前にカマをかけてみると、彼はまたあっさりと白旗を揚げてしまった。
今回はまだハルは確信を得ていなかったので、否定されれば引き下がるしかなかったのだが、随分と素直なことだった。
「言いふらす事ではありませんが、察している方を相手に、ことさら秘密にするような事でもありませんので」
せっかくなので、と彼と共に中に入る。扉を閉めると、内装を確認する間も無く別のエリアへと転送された。
《誰か来ないとも限りませんので、個別のエリアへ飛ばしておきましたー》
──ありがとうカナリーちゃん。気が利くね。
個室へと入り、やっと一息つけたとばかりにハルは息を吐き出す。どうやら思っていた以上に他のプレイヤーの目を警戒していたようだ。
当のアイリはといえば、けろりとしているので、少し恥ずかしくなる。慌てて、だが慌てた様子を見せないように、ハルは息を整える。ルナが居れば確実にからかわれていただろう。ルナの目が無くてよかったとハルはまた安堵する。
人目について気にするのも最近では久々だった。お屋敷の環境に慣れきっていたと言えよう。
「それで、何で気づけたかだけど、これといって確証は無いんだ」
「勘であると?」
カナリーがお屋敷から転送してきたお茶を用意してくれている彼と話す。やはり執事スキルも備わっていた。
「一応、なにか証明できるものは無いかと考えてたけど、確実なものは出なかったな」
「興味深いですね。例えばどんな?」
「ランダム性の一致とか。各キャラごとの癖はバラバラだけど、癖が顔を出すタイミングが似通ってる。小林さんとも、いちおう一致していた」
「なるほど、そこまで見る方が居る可能性は考慮していませんでした」
ごく単純に語るなら、“好みの数”の話だ。人間はランダムが苦手だ。『ランダムに数列を作ってください』、と言われても、必ず偏りが出来る。
ハルの場合は、2と3、8と9を好み、逆に1と5は嫌って少なくなる。
アルベルトはAIなので、完全にランダムにする事が可能だろう。だが、カナリーたちと同様に人間らしい部分があるのか、それとも人間性の演出のためか、癖に偏りが見えた。
同じ人間がキャラメイクしたので、癖が似通った、と言い換える事も出来る。
「僕としては逆に、そんな勘が僕に働いた理由が気になるんだけど」
「推測は可能ですが、私から語る事は出来ませんね」
「だろうね」
何か魔法的な理由があるとしても、彼らからそれを聞き出すのは難しい。気まぐれにポロリと、口に出してしまうのを待つより他ないだろう。
「ごめんねアイリ。置いてきぼりにしちゃって」
「いいえ! 大切なお話なのでしょうから!」
話に付いて行けず、ぽかーんとしているアイリの頭に手をやってぽふぽふする。
大切といっても、アルベルトに今すぐ何か用がある訳でもない。彼(彼女?)の存在が定義できただけで十分だ。
「ところでアルベルト、でいいかな?」
「問題ありません」
NPCとしての個別の名前は別に見えているが、ここはアルベルトで通す事にする。
「この場所の説明をお願い出来る?」
「もちろんでございます。この神殿は、使徒の皆様が各地を守護する色の七柱と交流し、また契約を結ぶための場所となります」
「我らが『黄色』のカナリーちゃんに始まり、『青』のセレステ。他に梔子の国の周りに居るのが、『紫』の魔法神オーキッド。『緑』の商業神ジェード。その更に外に居る『藍』が海の神マリンで『橙』が愛の神マリー。『赤』は、何だっけ?」
「変化を司るマゼンタですね」
「これまた、すごい分かりやすい」
変化だから、インクに使われていたマゼンタを選んだのだろうか。自分の名前さえも適当に付けた疑惑が出てきてしまう。
七人居るから、ゲームとして分かりやすいように色で分けただけで、各々は元々それぞれの色とは何の関係も無かった可能性もある。命名に統一感が見られない。
しかしカナリーなどは、自分の色になにかと愛着を持っていた様子だ。全くのフレーバー要素という訳でもないのだろう。
「アルベルト様。あの光は何だったのでしょうか?」
「どうかアルベルトとお呼びください、アイリ様。……あの光はそれぞれの神の、神威を示すものになっております。ハル様のご活躍により、カナリー神の神威が高まっている事を表しているのです」
「あ、ありがとう、ございます! うぅ、ハルさん、どうしましょうー……」
「アイリのやりやすいように呼べばいいよ」
あくまで来訪者のサポート、立場は下であるという姿勢を崩さないアルベルトに、アイリが困惑する。
彼の神としての本体はどのような立ち位置なのだろうか。そして、何故彼を含めて八柱ではないのか、ハルとしては気になる所だ。
「でもまあひとまず、僕らには関係ない場所か」
「そうですね! ハルさんは既にカナリー様と契約を果たしてますもんね!」
「こうして顔を見せに来るだけでも、神々は喜ぶことでしょう」
祈りを捧げてパワーを増すのだろうか。それとも祭壇へ捧げ物をすれば、キラキラと消えて好感度が上がったりするのだろうか。
「カナリーちゃん喜ぶ?」
「いえ特にはー」
「台無しだね」
「カナリー様! いらっしゃいませ! あ、いえ、おかえりなさいませ?」
カナリーがお菓子を抱えてこちらへ転移してきた。どうやら自分もお茶を飲みたいようだ。
ゲームとしての設定説明をぶち壊す登場に、アルベルトも『やれやれ』と言った顔で苦笑。役ではない、本来の感情が垣間見えた気がした。
「じゃあここに来る必要は無さそうだね」
「そうですねー、ここはほぼ他の神のために作られた施設ですからー」
「赤の国とか全く情報無いもんね」
「出遅れちゃいますからねー」
現在、契約を取れているのはほぼセレステのみ。順当に進んで行ったとしても、次はジェードとオーキッドという順になり、更に外側の国を守護する神は後回しになってしまう。
それを待たずに契約出来るようにするのがこの神殿と、下のレジャー施設なのだろう。
「さて、じゃあ一通り見て回ったし、そろそろ戻ろうか」
「わたくし、お役に立てましたでしょうか」
「もちろんだよ」
アイリが微妙にもじもじし始めたのを察知して、ハルは探索を切り上げる事にした。神界にはお手洗いが無い。生身の彼女にはなんとも不便な場所だ。
今回は様子見で、ほとんどデートのようなものだ。アイリはそこに居るだけで、十全にお役に立っていたと言えよう。
「またのお越しをお待ちしております」
「アイリ、また来たい?」
「はい! とても素敵で、楽しい場所ですから!」
彼女の思い描く神々の世界とは、きっと丸きり異なっていただろう。神聖さは見かけだけの、俗っぽい場所だ。
しかし、色々と遊ぶための施設が揃っているようなので、今度はそれを目当てに遊びに来るのも楽しいはずだ。気に入ってくれたのなら何よりだった。
「ではアルベルト、後は任せましたー」
「それは良いのですが、ティーセットも自分で片付けて下さいねカナリー」
お菓子を抱えた自由な神様に手を引かれて、ハルとアイリは神界を後にしていった。




