第637話 禁止領域
「貴様、この状況でも自分ならなんとか切り抜けられると、高を括ってはいないかね?」
「それなりに。これ以上の状況など、いくらでも切り抜けてきたからね」
「ハン、やはりか。その自負が貴様の強気の出所か。それを砕いてやるとしよう。……小僧、教えてやれ」
ここで、何故かカドモス公爵は話を一仕事終えて我関せずとしているミナミへと振った。
何か嫌そうな顔をしているミナミが、ここから裏切ってハルに襲い掛かってくるということは無いだろうが。
彼は不承不承といった感じで、仕方なさそうに状況の解説を始める。
「あー、言ってなかったけどさぁ、この爺さんの家って、要所要所に結界が張ってあるんだわなぁ」
「……重要なことだよミナミ。何故言わない」
「へっへっへ、そりゃあもちろん、ローズちゃんがもし負けたら爺さんとヨリを戻すためさ。切り札は、教えらんねぇなぁ?」
《うっざぁ》
《だから信用されないんだぞミナミ》
《そういうとこだぞ》
《この辺が世渡りのコツか》
《爺さんもなんだかんだ甘いしな、対応が》
《口ではああ言いつつも切りきれてない》
それは元より承知のうえだ。こう言ってはなんだが、ハルもミナミのことをその辺り信用しきってはいない。
ただ強者に靡くという彼の性質上、ハルが強者であるうちは役に立つだろう。
「なるほど、ここは名実ともに彼のテリトリーという訳だ」
「手ごわいぜぇ? なんせ! 俺もそれをモロに食らって負けたからな!」
「あれは傑作だったわい。勢い勇んでここまで乗り込んできた小僧が、何のスキルも発動できず狼狽える様はのう」
「やめろやめろぉ! あー、そこ配信してなくてよかったぁ……」
《そこはしとけよ》
《なんのための配信者だ》
《配信魂が聞いて呆れる》
《いつもの芸人魂はどうした》
《でもそのおかげでローズ様と渡り合えた》
《情報封鎖は一定の効果を上げたな》
《本当、バランスが難しそう》
公爵は今、『スキルが使えない』といった。まあ、スキルと堂々と発言するのはゲームだから良いとして、それが彼の余裕の根源なのだろう。
敵の首魁たるハルを目の前にして、これだけ臆することなく主義主張をぶちまけられるのもそのためか。
言葉を返してしまえば、『その自負こそが強気の出所』だ。
「スキルが使えない?」
「その通りよ。使ってみい? この室内は、あらゆるスキルを無効化する結界により覆われている。無論、ワシが許したものは別だがの」
「自分たちだけフルスペックで戦えるわけだ。ずるいねえ」
「ズルいものか! この設備にどれだけの労力が掛かったことか!」
それはそうだろう。そんなインチキじみた効果を実現するには、法外な投資が必要なのは間違いない。
プレイヤーがもし同様の手段を手に入れてしまえば、なかなかのバランス破壊の効果となる。
「この場においては小僧のあの厄介極まりない遠見の力も用を成さん。ここではこ奴もただのひ弱なネズミよ」
「……ああ、なるほど。だからこんなにペラペラと計画を語る訳だ」
「ほんまズッこいよなぁ爺さん」
確かに当初から気になってはいた。
ミナミの力、他者の放送をNPCにも分かる形で『証拠』として提出できる力を持つミナミと対話をしながらも、彼の放送に出演していた時からカドモス公爵は自身の企みを隠す気が無かった。
それは、ミナミのスキルの本質について、生放送というプレイヤー限定の仕様について知らぬためかと思っていたが、この設備があったからのようだ。
道理で当時は油断しきっていた訳だ。対応が今よりずっと俗物だった。
ただ、当のミナミであるが、ハルと視聴者にだけ見えるようにおどけた顔で、ちろり、と舌を出してみせる。
《あっ、こーれ何かあるな》
《絶対悪いこと企んでる》
《これは期待》
《悪徳貴族に一泡吹かせてやりたい》
《女の子の前だからって気取ってるよな》
《金の為って言ってなかったっけ?》
《理想に燃える革命家、化けの皮はがれる》
まあ、今の彼も、決して嘘の姿ではないのだろう。真にこの国の現状を憂いているところも本心ではあるはずだ。
ただ、それはそれとして、人よりほんのちょっぴりだけ、お金が大好きなところもまた嘘ではない。
人間というものは、かくも二面性を持つ複雑なものなのである。
「さて、理解したかね? 強大な魔法を操るという伯爵。そして人の弱みを暴くに長ける小僧。貴様らのように力持つ者も、この中では単なるひ弱な餓鬼よ」
「うっわっー、言ってくれちゃってぇ。でもローズちゃん? 気を付けなよ。俺もこいつらに手も足も出ずにボッコボコにされた」
「そうなんだ。見たかったね」
「ぃやぁめてぇっ!?」
ミナミのボコボコはともかく、上級貴族の近衛を務める者たちだ、その能力が高いのは間違いない。
さてこの窮地、いかにして切り抜けるべきだろうか。
◇
「まあ、そもそも言うほど窮地じゃないしね」
ハルはおもむろに腰かけていた豪華な席から立ち上がると、躊躇うことなく、つかつかと近衛兵の一人に向かって歩み寄る。
その堂々たる振る舞いと、この状況で可憐な女性に詰め寄られるという非現実さに兵は戸惑うが、そこはプロ。すぐにその手の武器を振りかぶった。
「そうじゃ! 思い知らせい! 自分たちは非力な小僧と小娘にすぎないと!」
「ふむ? 忠実だね。多少の逡巡はあれど、それでも上位者たるこの僕に剣を向けるか」
「当然よ。そやつらは我が忠実な家臣。貴様の『家紋』程度に臆しはせぬわ!」
この国で騎士の教育を受けた者なら大抵、『真の貴族』であるハルの威光には逆らえないだろう。
その位が高ければ高いほど、家紋の効力も高く出る。
しかし、今ハルが対峙している兵士たちは、どちらかといえば公爵の私兵といった色が強い。
国の正当なしきたりよりも、公爵の思想に染まっていると見て間違いない。
「カドモス爺さん、外の連中は良いのか? 別室に居るローズちゃんの仲間とか」
「構わん。どのみち室内に踏み込めば、彼奴らも羽虫となり下がる」
「でもぉ? もし結界の範囲外からドカドカ魔法撃ち込んできたらぁ?」
「……小僧はなぜそういう小癪な手ばかり思いつくのだ。平気だとは思うが。おい、確かに敵はまだ居る、急げよ?」
公爵が指示を飛ばすと、いよいよ兵士の目に力が入る。
この状況も、待機中の仲間たちも放送で確認している。種が割れた以上、ミナミの言う通り外からの対策法も考えつくはずだ。
「……御覚悟」
その間は与えんと兵が振り降ろす刃がハルに迫る。容赦のない殺す気の一撃だ。
これも通常ありえないことだが、ここはまあゲームであるが故のこと。プレイヤー相手に手心を加えていては、逆にカモとして経験値にされる。
相手が貴人だろうが何だろうが、こういう時NPCは容赦をしない。
そんな、勢いとスキルの乗った一撃が、逆にスキルで防御出来ないハルへと降って来る。
ハルが歩み寄ったその者以外も詰めてくるのが横目で確認でき、このまま囲んでいわばタコ殴りにする気だろう。
喧嘩だろうが戦争だろうが、その状態に持ち込まれたらもはや敗北は明らか。
……だが、これはゲームであった。覆せぬステータス差というものが存在する、残酷な。
「なるほど、なかなか鍛えているね。優秀な戦技スキルだ、基礎ステータスも高い」
「なん……な、何故……」
ハルはその致命の刃を回避も防御もすることなく、ただただその身で受け止めた。
「馬鹿なっ! 無傷だと、ありえん!」
「いや、一応ダメージは受けてるよ? ただ、“ひるみ”に至る程ではなかったってだけさ」
その言葉の通り、何の衝撃も痛痒も感じていないように、ハルはその身に突き刺さる刃に微動だにしない。
文字通り、彼らとはレベルが違う。
圧倒的高レベルの誇るHPと、絶大な人気からくるステータス。それらの要素が、決して弱くはないであろう近衛兵の攻撃を、そよ風のように受け流してしまうのだった。
「えげつねぇ……、これって、俺勝てる目あったんかぁ?」
《無いね》
《ないよ》
《流石はお姉さま、圧倒的》
《この兵士絶対後半の強敵だろ(笑)》
《まるで前半の雑魚扱い》
《レベル1000越えは伊達じゃない》
《スキルなんて要らんかったんや!》
《貴族に必要なのは、そう、筋肉》
《ローズお姉さまに筋肉とか言うな》
「何故じゃ! なぜそのような化け物じみた力を貴様は持っている!」
「真なる貴族とはこういうことだ。神が認めているんだよ? それは、強いに決まっている」
「いやその理屈はおかしいから。爺さんがそんなで納得するはず……」
「おのれ神めぇ! どこまでもワシの邪魔をするか!」
「……しちゃったよ。仕上がってるねぇ爺さん」
彼にとって、この結界に誘いこんでおきながら倒せぬ相手という存在など考えもしなかったのだろう。
己の勝利を100%確信していたからこそ、安心して企みを素直に吐き出すことが出来たのだ。
良いストレス解消になったに違いない。腹のうちに企みをしまい続けるのは案外疲れるものである。
だがそんな目論みもご破算。今はそのことから来る更なるストレスを、普段は否定している神へとぶつけているようだった。
「真の貴族は強い、だと? そんなはずはない! 何度も奴らを葬ったのだ!」
「あ、いよいよテンパってきたなぁ。スクープいただきぃ」
「……分かったぞ! 神め、ワシを恐れるがあまり、肝いりの使徒を作り出して遣いよったか!」
「《いや、ないないー。あたし達こいつらのことなんか微塵も興味ないよー》」
そんな妄想たくましい公爵の発言に、ハルとリンクしている神様であるミントもついツッコミを入れてしまう。
幸か不幸か彼にはその声は届かなかったようだが、その謎の声を聞きとがめてしまった近衛兵たちは、ぎょっ、と身を固める。
どう考えてもこの場に居ない者の声だからか。それとも、『家紋』と同様にその声だけでNPCは何かを感じてしまうのか。
《あ、妖精さんだ》
《この声って誰なん?》
《たまに聞こえる》
《神様》
《ははっまさか》
《<精霊魔法>と同時期からだね》
《精霊さん》
《<精霊魔法>の中の人》
……ハルと遊びたいのは構わないのだが、その正体が神であるために出て来られると下手すればイベントのルートが変わってしまう。
その時は、運営に責任を追及しても良いのだろうか?
まあ、今は兵たちの包囲に隙が出来たのはありがたい。四方から押し込まれては、身動きが取れなかった。
その合間を縫うようにしてハルは包囲を突破すると、彼らを牽制しつつ部屋を後にする。
「ほら、帰るよミナミ」
「お、おぅ。ってか帰れんの? 敵の本拠地よここ?」
「問題ないさ。この結界内でのみ万能を演じられる彼らは、逆に言えば結界の外までは追ってこれない」
「なるほどぉ確かに!」
納得したのかミナミも、ひょこひょこと一目散に出口の扉へ駆ける。そういうところ、ちゃっかりしているのは筋金入りだ。
「待て小僧! 本気で伯爵につくか! もう冗談でなく戻れぬぞ!?」
「わりわり、でも俺、強者につくって決めてるんで! 爺さんが盛り返したら、そんときゃまたお世話になりまぁーす」
「すぐに後悔させてやろうぞ……」
怒りを通り越し、喉の奥から絞り出すような怨嗟の声になってくるが、そんなカドモス公爵にもミナミは動じず飄々とした態度を崩さない。
こういうところ、大物であるとハルも感じる。そのくらい公爵の顔には迫力があった。近衛も少し引いている。
「伯爵、貴様もだ。ワシに与しなかったこと、後悔させてやろうぞ……」
「いい加減、裏で動かれるのにも飽きた。そうやってまた君が何か企む前に、幕とさせてもらうよ。首を洗って待っているように」
「次は法廷で会おうっ! 爺さん!」
「さっさと帰らんかっ!」
ミナミの煽りに、再び顔を真っ赤にして怒鳴りつける公爵。
しかしその顔色の裏には、安堵により幾分か気を取り直した冷静さがハルには観察できた。
法廷での闘争というのは、きっと暗躍を得意とする彼の領分。武力でこのまま取り押さえられることこそ、恐れていたのだろう。
そんな、武力の及ばぬ領域での戦いを、ハルはどのように泳ぎ切るべきなのだろうか。
※誤字修正を行いました。(2023/5/23)




