第630話 友人宅で鑑賞会を
「セフィについて調べるとは言うが、具体的にはどうするんだいハル?」
「ん……、いやどうしようね……? 正直なところ僕はまだ、彼のことをほぼ知らないに等しいんだよね」
「おいおい、君が知っていなくてどうするんだい? まあ、とはいえ、我々だって彼のことは良く理解していないのだけれどね」
「おいおい、君らこそ長い付き合いだろ?」
この百年以上、ずっと世話になっていたのではないのか。よくそれでやっていけたものだ、と一瞬ハルも思いはしたが、すぐに考えを改める。
ハルだって、自分や、自分たち管理者についての詳細について正確に把握しているとは言い難い。
ましてや、セレステたちはこの世界に転移するにあたって存在が変質している。自分自身のことすら熟知しているとは言えないだろう。
そんな中でも、セフィは『元人間』という例外中の例外。分からないのも無理はなかった。
「彼から何か聞いていないのかい? 知っているよ、たまに遊びに行っているんだろう」
「聞いてないね。世間話しかしないから」
ずっとあの白い部屋に一人きりのセフィの元へ、ハルはよく精神の一部を飛ばして会いにいっている。
一人は退屈だろうと思ってのことだが、セフィ自身はあまり孤独を苦にしている様子は見られない。
かといって、他人が邪魔でハルを邪険にするといったこともなく、訪ねると毎回歓迎してくれるのだが。
「それで、何が知りたいのかなハルは」
「根本的なことだ。彼は、どういう存在なのか。何故、精神だけになって生きていられるのか」
「あの状態を、生きていると言ってもいいのかい?」
「いいさ。……いいに決まってる。そうじゃなければ、君たちだって生きていないことになってしまう」
「それこそどうだって良いのだけどね。生きているとか死んでいるとか、定義がそこまで重要だとは思えない」
確かに、生物の定義、命の定義というものについて明確な基準などハルも未だ持ってはいない。
ただ最近は、便利な指標として『<物質化>と<転移>の判定が分かれる境界』をその定義に当てはめている。
「それだって、誰が決めた基準って訳でもないのにね」
「いいじゃあないか、分かりやすくて。長さの単位だって、お金の単位だって、その由来を理解して使っている者ばかりでもなかろうに」
「……セレステはさっぱりしていて気持ちいいね」
「ふふん。その調子でもっと褒めてくれたまえよ」
確かに、『メートル』も『円』も、その由来をいちいち気にする人間は少ない。
だが、周囲の人間がほとんど共通認識として使っているから、自分もそれに倣って使っている。
そうやって互いが互いに物事の価値を保証し合って、社会は回っているのだ。
「でも今回は、僕は知らないままじゃあ許されない」
「ミントの奴のせいだね。まったく、余計なことをしてくれるものだね?」
「いやまあ、遅かれ早かれ、行き当たる問題だったと思うから、彼女はきっかけにすぎないよ」
「あの子を庇う必要はないのだけれどね。ハルは、本当に私たちに甘い」
「いやまあ」
ミントが直々に語った、彼女の目的。それは素養を持つ人々をゲーム内に引き込み、その中で暮らす存在を生み出すことだ。
そしてゆくゆくは、肉体を捨て、意識のみで活動が可能となる真の電脳世界の住人として生まれ変わらせるのが目的らしい。
あたかも、セフィと同一の存在のような。
これは、実現する可能性の有無はともかく確定事項だ。嘘のつけない神様の特性上、ミントが語った以上それは必ず真実である。困ったことに。
「放っておいてもいいのではないかね? どうせミントも、具体的な方策は持っていないのだろう?」
「そうなんだけど、だから困るって面もある。その方法を探そうと、人体実験でもされたらたまらない」
「逆に、ハルが具体的な方法を見つけてしまったら、それを幸いに行動に移してしまうかも知れないよ?」
「無知こそが最高のセキュリティ、ってかい? まあ、ヤバそうならその時は、また自分で記憶を消すさ」
「ははっ、毎度ながら器用なことだね」
いずれにせよ、もしもの事を考えれば知っておくに越したことはない。
知らないより知っていた方が、取れる選択の幅も増える。それ故ハルは知らないままでいる選択は取らないつもりだ。
「ずいぶんと止めるけど、セレステは何か心当たりが?」
「いや、本当に知らないよ私は。ただ、なんとなく予感がするだけさ。またハルが厄介なものを抱え込むような予感がね」
「神様の勘か、あまりシャレにならないね」
「うむっ。あまり君の大切な者に心配をかけないようにしたまえ」
根拠が『勘』というのも、元々が論理の集合体であるAIらしからぬ発言だが、だからこそ信頼がおける部分もある。
自身と、更にはネットを通じて入ってくる膨大な情報を処理する彼女たちであるからこそ、その集合知を無意識に処理して得られただろう直感は時に予言めいた精度となる。
だからこそ、その見えざる危機は無視することなど出来ないのだが。
「安心してセレステ。君を心配させるような無茶はしないから」
「むっ……、これは、ズルい返し方をするものだ。まあ、君こそ安心するといい。危なくなったら、私が守ってあげるからね!」
「期待してる」
そんな風にセレステに心配されつつも、ハルは再びあの白い空間へとその精神を投じるのだった。
*
「……まあ、とはいえ今回は、ただ友達の家に遊びに行って話をする程度のことなのだけれど」
その身の内に宿したコア、そこに刻まれた経路を通じて、ハルは白一色の何もない部屋へと意識を飛ばす。
つい先日訪れたガザニアの空間のように、周囲には自身と比較するための対象、物体が一切存在しなかった。
あの場所と異なるのは、ここには空気も存在しないこと。しかし、その代わりに意識を集中してみれば、空気の代わりに恐ろしい量の情報の流れが渦を巻いていることが分かる。
それを、久々に<神眼>を起動してハルは直視してみる。
「……相変わらず視界が真っ黒になる情報量だこと。この落差、目が痛くなったりしないの?」
ハルはこの、誰も居ない空間に向かって声を掛ける。
すると、その真っ黒な情報の濁流を切り裂くように、目線の先の一点からその渦を掻きわけて、セフィの小柄な体が姿を現した。
《目、無いからね僕は。無いものは、痛くならない》
「やあセフィ。お邪魔するよ。開幕から自虐ネタか……」
《やあハル。いらっしゃい。別に事実を言っただけだから、自虐にはならないよ?》
「それはそうだが」
こういったやり取りもいつもの事だ。ただ今回は直前まで、彼の体が既に朽ちてしまっていることを語っていたため、少し胸に来るものがある。
「……今平気だった? 忙しかったら後にするけど」
《平気さ。ハルなら何時でも大歓迎だよ。ただ、不用心だねハル。セキュリティにはもっと気を遣わなきゃ》
「む……? 何か、問題があったかな」
笑顔から一転、セフィがその儚げな少年の顔を渋く歪める。
迫力はないが、これは『怒っています』の主張のポーズだと思われる。
立場上、セキュリティ意識には人一倍敏感なセフィだ。ただ、それはハルも同じ。この場に第三者を連れ込まないように、常に最大限の注意は払っていたはずだ。
もしや、今もログイン中のゲームのリンクを通じて、渦中のミントその人が侵入を試みたのだろうか?
いやそれも考えにくい。中継点となるハル自身の脳は、強力な防壁装置として機能している。そこを突破してミントの意識がここまで届くはずはないのだが。
《君と一緒に暮らしてる、小さな二人がこっそり付いて来ようとしたみたいだね。ハルの事を心配してくれたんだろうけど、申し訳ないが遮断させてもらったよ?》
「白銀と空木か……」
ミントについて様々な可能性とその対応策に考えを巡らせていたハルだが、実際のところはまるで関係なく、身内の犯行であった。
セフィへの申し訳なさと同時に、自身の間抜けさに恥ずかしくなってくる。
「……悪い。躾のなってない家庭ですまない。あとで言って聞かせておくから」
《いやいや、優しくて良い子たちだね。僕の方こそ、未登録のAIだから、ちょっと過敏に反応しちゃってすまない》
同じような顔で、同じような語り口で互いに謝るハルとセフィ。まるで、自分と話しているような錯覚にハルは陥る。
正確には、特に同じ顔という訳ではないのだが、その出自が二人に似通った雰囲気をかもし出させているのだろうか。
今は年齢の差が生じてしまったその姿は、まるで兄弟のように映るのかも知れない。
《あ、そうだ。ちょうど見ていたよ、君の活躍。ドレス姿も似合っているね》
「げ……、なんだろうこの感覚……、身内に女装を見られた、ということになるんだろうか……」
《いいじゃないか、可愛いよ?》
「やめて、可愛いとか言わないで」
セフィはそこでハルにもよく見えるように、現在も精神の一部で並列してプレイ中の“向こう側”を表示してくる。
これは、思った以上に来る物がある気がする。
つい先ほど『弟』と評した存在に、自分が女性キャラクターに成りきってプレイしている姿をまじまじと見せつけられる。
……こういうのを羞恥プレイというのだろうか?
「……しかし、これで明らかになったこともある。ここに僕が訪ねてきても、このゲームのログインには影響が無いってこと」
《へえ、今日はそれを検証しに来たのか。確かに、このプロジェクトは僕抜きでスタートしたものだ。神界ネットは使っていないからね。この世界では、実に珍しいとも言える》
「別に、それだけが目的じゃないけどね」
だが、このことを確かめるのも確かに今回の目的のうちの一つであった。
カナリーたちのゲーム、今のハルたちが暮らす異世界においては、セフィのこの空間に来ると現地のキャラクターボディは停止してしまう。
それはキャラクターが神界ネットを経由して操作を受け付けているために、その操作情報が遮断されてしまうためだ。
その強制停止が起こらないということは、今回の新しいゲームの方は、このセフィの管理する既存のシステムの影響下にない存在だということだ。
その点も、少々ばかりハルの不安を煽る。
彼に甘える訳ではないが、もしもの際にセフィの助けが借りられないというのは心細い。
《なんとなく、感慨深いよね? おこがましい言い方だけど、なんだか親離れしたような感じでさ》
「……セフィは、そう感じるんだね」
一方のセフィは、むしろそれについて好印象を持っているらしい。
自らの管理から離れたことを、『親離れ』と評するのは少し面白い所だ。彼にとって神様たちは、己の庇護すべき『子』としての存在であるのだろうか。
そんなセフィと共に、ハルはもう一方の自分がゲームする姿を鑑賞する。
……これは、いつまで続くのだろうか? 急ぐ要件でもないが、これを続けられるのは少々堪えるのだが。
ハルのその内心をよそに、セフィはそのモニターを消してくれる様子は特に無いようであった。
※句点の追加を行いました。




