第629話 この世界にひとりだけの二人
深夜、皆の寝静まった後、ハルは眠れぬ夜を各種情報のチェックをしつつ過ごしていた。
そのままログインしてまたレベル上げにでも勤しんでもいいのだが、今は戦略的にそれを避けている。
なんと言えばいいか、少しの間『ローズの居ない世界』を演出するのもいいだろう。
あの世界はハル一人の力で成り立っているのではない。他のプレイヤーもまたやる気を出してこそである。
それに、今は放送映えするような新たなイベントも起こる気配はない。
「下手に重要そうなイベントが出ても困るしね」
「それにー、向こうではつまらない規制のせいでいちゃいちゃ出来ませんしねー。いまのうちにー、じっくりいちゃいちゃするんですよー?」
「そうだね。というか、この世界にも規制はあるでしょ」
「それはそれですー。ハルさんには関係ないですからー。今の私にもー」
なんとも都合の良い元運営さまだった。隣に寝転ぶセレステが何か言うかと思ったが、彼女も今は特にそれについてもの申す気はないらしい。
だらりと全身の力を抜いてうつぶせになり、のんびりおやつを食べていた。
「……出来るお姉さんの貴重なオフシーンってとこか」
「ん? どうしたんだいハル? また私に欲情してしまったのかな?」
「黙りないさいこのセレステがー。なんですかー、その大きなお尻を盛り上がらせて山にしてるのはわざとですかー? そもそも護衛の役目はどうしたんですかー」
「ははは、この姿で真面目な立ち姿をしても、かえって間抜けなだけだしね」
この場の雰囲気に従って、それに合った姿を演じているだけだという。
まあ、先にも思ったように、どんな服でどんな姿勢をしていようとも、彼女なら一瞬で戦闘態勢に入れるだろう。
本当の意味で、『気を抜く』、という瞬間は彼女には訪れない。ハルもまたそうである。
「で、ハルはそんな貴重なお姉ちゃんのオフショットを肴に何を見ていたのかな?」
「別に肴にしてはいないが……、あと姉でもない」
ハルは目の前に展開したウィンドウパネルを、セレステの方へと流してやる。
彼女はだらりとした姿勢は崩さぬまま、片手間にそれを流し見ていった。
「ふーん。これは、ゲーム内の交流所のログだね。ある程度の高レベルでないと、ここには参加できないという感じか。ボリュームゾーンは110レベルあたりかね」
「実際は120より上のはずだ。最近は非公開が増えてきているから、分かりにくくなってるけどね」
「なるほど? 情報戦を意識してくる者が増えたという訳だね」
「そうなる」
プレイヤー同士が互いにポイントを与えあう作業も重要なため、最初は自身の情報を全公開にし、むしろより目立とうとする者が多かった。
しかし、最近はそのメリットよりも、自身の情報を不特定多数に与えないことを重要視するものが増えてきたようだ。
ハルたちのように、固定メンバーで固まってその中でポイント移動を完結させる環境が出来ているならば、第三者プレイヤーとポイント交換をする必要はもうない。
徐々に、ゲーム全体で自分のあるべき方向性が定まってきた者達が増えていると感じさせる内容になっていた。
「このルームに参加できている以上、80以下はありえないし」
「それなんだけどねハル。この画面は、誰でも見られる訳じゃあないだろう?」
「そうだね。ログインしないと参加できないから、こっちで確認する方法は存在しない」
「ハル以外はか。今も意識の一部はログインさせている訳だ」
「まあ、別に寝っ転がってるだけだしね今」
何をするわけではないとしても、向こうの状況を確認するために分割された思考の一部をだいたい常にログインはさせているハル。
その自身の脳内を通じて、本来持ち出す手段が無いはずの内部情報をこうして勝手に持ち出せているのだった。
「これは対策しようがないんだよねえ。そもそもこんなこと、可能なのは世界にハルただ一人だ。そのためだけにコストを掛けることなんて、私たちも彼女らもしないし」
「君らだって出来るでしょ?」
「神はまた別さ。それに、我々を縛るのは案外容易い」
「ふーん。じゃあ、あとはセフィだけか……」
ハルは、自身と同様の管理者としての出自を持つ白い部屋の彼を思い出す。
この世界に来て神として変質を遂げたAIを別にすれば、ハルの『同期』はもう彼一人だ。
そんなセフィであれば当然、ハルと同様の力を持っているだろう。
当然のようにそうハルは考えていたが、それを聞いたセレステは意外にも微妙に渋い顔をしていた。
「セフィ、か。いやどうだろうね? 彼は彼で、もう既に肉体が消滅してしまっている。どちらかといえば、君よりもむしろ我々に近いように私は思うよ」
「まあ、確かにそうかも……」
元はれっきとした人間だが、意識のみがこちらの世界に流れ、そのままセフィは日本へは未帰還となった。
彼の肉体は当然だが既に朽ちており、セレステの言うように在り方としては神様たちに近い。
そういう意味では、ハルは最後の同期とも既に死に別れていることになる。
「……そういえば、君の他には、もう管理者の方々は残っていないのかな?」
「うん。僕が、全員を看取ったよ。……いや、そんな顔するなよセレステ。当時はまあ、僕も情緒が薄かったからね。申し訳ないけど、特に何も感じなかったよ」
「そう、かい?」
「ん、そうだね」
ハルが、今のハルになったのはルナや彼女の母と出会って以降だろう。
ある意味で、そこで初めて『ハル』が生まれ直したのだとも言える。彼女らには感謝してもしきれない。
それ故に、管理者ユニットたちの数々の死を見届けてきても、当時は特に心が動かなかった。
心が動く状況だ、とすら認識していなかっただろう。
「……しかしまあ、今考えてみれば、それは少し、寂しいね」
「それは、そうだろう。……おや?」
「どうしたのセレステ。……おっと」
見れば、傍で幸せそうに眠っていたアイリの目から、涙が一滴流れ落ちていくのが見えた。ハルはそれを、優しく拭い去る。
今のはきっと、ハルの感情を敏感に察知して、同化したその魂を通じて共有してしまったに違いない。
「あまり、郷愁に浸るのも良くないね。彼女らに伝わっちゃう」
「そのようだね。難儀なことだ」
「そうですよー、アイリちゃんを不安がらせちゃいけませんー。それにですねー、今は私が居ますものー」
「そこは『私たち』、だろうカナリー? 自分だけ特別枠にしようとするのは止めたまえよ」
「ふっふふー。『私』で合ってるんですよー? 何故なら今は! 私の体もハルさんと同等ですからねー。世界で唯一、ハルさんと同じことが出来るんですよー。まいったかー」
確かに、その通りだった。消えていった者のことばかり考えていたが、カナリーはその構造上、つい最近新たに生まれた最新の管理ユニットである。
ハルをこの世界に一人きりにしないために、その存在の全てを賭して生まれ変わってくれたハルの守護神だ。
ただ、そのカナリーの渾身の決め顔に、セレステの反応は淡泊であった。
「ああすまない、そういえばそうだったね。無意識に除外していたよ。いや、あまりに頼りなさすぎて」
「むー! 嫉妬ですかー、嫉妬ですねー! ハルさんと同じになれた私が羨ましいんですねー!?」
「ははは、何を嫉妬することがある。その体では、ハルを守ることなど到底できないじゃあないか!」
「なにおうー! その体じゃ日本に行けないくせにー!」
「……きみたち、夜は静かにね」
そうして、眠ることなく昼夜問わず元気な人外三人は、しばらくそうして賑やかに過ごすのだった。
後に、目を醒ましたルナに怒られたことは言うまでもない。
*
「さて、昨夜は遅くまで騒がしくしていたみたいだけれど、今後の方針は決まったのかしら?」
「とっても楽しそうだったのです! わたくしもつられて、楽しい夢を見ちゃいました! ……途中、ちょっぴり寂しいところもあったのですが」
「そうなんだ。私、ぐっすりだったよ」
「よくあの中で熟睡していられるわね二人とも……」
カナリーとセレステの騒がしさに起きだしてしまったのはルナだけで、アイリとユキの二人はそんな中でもぐっすりと朝まで熟睡であった。
そういえば、アイリは出会った時からとても寝つきが良い。ルナには羨ましいばかりのようだ。
「ルナちゃんは、少し神経質すぎるんじゃないかな。あ、そだ。ハル君に頼んで、気持ちよく眠らせてもらえば良いんじゃないかな?」
「きもちよく……、そうね……」
「ルナ、やめよう」
「何も言っていないわ? ただ、私を決して目覚めないように眠らせて、その間にえっちなことをすると約束するのであれば、受けなくもないわ?」
「言ってるじゃないか!!」
「ルナさんが朝から絶好調なのです!」
彼女の体内には、ハルが操るナノマシンが常に循環しているので、それを使って麻酔薬のような効果で深い眠りにつかせることは可能だ。
そういった危険性もあるので、実際厳しく法で規制されている。
ルナはその点はハルに全幅の信頼を置いてくれてはいるのだが、単純にあまり頼り切りになりたくないようだ。今後も夜中は静かにしよう。
「……それより予定だったね。運営陣の目的を探る、という目的はもちろん継続しつつ、『ローズ』としては次は<侯爵>を狙うよ」
「出世です! ハルさんの覇道がまた一歩進むとなると、今からわくわくしますね!」
「となると、政敵を潰すのね? 黒幕の悪事を意趣返しに暴いて、それをハルの手柄とするのかしら」
「じゃあ、中央へ乗り込みかー。またお城いくん?」
「そのままお城も、武力制圧です!」
「ぶっそうだねアイリ」
もしや、出来なくもない、のだろうか? まさかのクーデターイベントである。
城を攻めるのではなく、堂々と内部に入り込んでから、圧倒的なステータスで制圧する。別に王様に恨みはないが、王の首を取ることも可能かも知れない。
可能でもやらないが。たぶん。
「しかし、会ってくれるでしょうか? 向こうは、ハルさんを警戒しているでしょうし……」
「そうだね。そこは、ミナミを利用しようかな。彼の借りた飛空艇、ちょうどまだクリスタの街の近辺に停泊してるし」
「乗っ取るのですね!」
「……同乗するだけね?」
「アイリちゃんやる気満々だねぇ」
このまま順調に領地を発展させていくだけでも、いずれ評価が溜まって出世はするだろう。
しかし、また邪魔が入らないとは限らないし、何より動きがない。
街づくりゲームをやっているなら、そんな風に少しずつ発展していくのを眺めるのも乙なものだが、放送するにはちと見栄え不足。
今のハルのスタイルには、状況が大きく動くイベント展開が必要不可欠だった。
「まあそんな感じで、貴族をひとつ空席にして、そこに僕が座ろうかなと」
「敵も広い領地を持っているようですから、飛び地の管理が増えてしまいますね……、腕の見せ所なのです!」
「うお、アイリちゃん、土地ごと奪う気でいる。やる気十分だ」
なんだか貴族関係の話になると、過激になりがちなアイリであった。
しかし、展開によってはそれもありだろうとハルも思っている。領地は広くて損はない。
「と、そんな感じで、今日もやっていこうか」
「はい!」
朝礼のように方針会議を終え、ルナたちも早速ポッドへと向かって行く。いつの間にか人数分用意された医療用ポッドによって、長時間のログインにも万全の備えだ。
「にゃう!」
「アレ、あんなにあったっけと思ったら、メタちゃんが用意してくれたんだ。ありがとねメタちゃん」
「にゃんにゃん♪」
「ハルは入らないのかな? 君の分もあるようだが」
「そもそも僕は結構起きてるから。知ってるでしょセレステも」
「あー、私たちが居ない間に、二人でいちゃいちゃしてるんですねー!」
「ははは、カナリーじゃあるまいし」
相変わらず仲良くケンカしつつ、カナリーもまたポッドに収まりログインしていった。
彼女もやろうと思えば起きたままログインは出来るだろうが、面倒なのでとくにする気はないようだ。
そうしてハル以外の全員がゲームに精神を移したところで、セレステが表情を真剣に改めてハルへと問いかけてきた。
「……それで、どうしたんだい? あからさまにこっちに残って、何か気になることでも?」
「いや、昨日の話で少しね」
「セフィのことか。確か、ミントが『ハルたちのため』をお題目にして何か企んでいたのだったね」
「うん。そうみたい」
「まったく、要らぬお節介だろうに。気持ちは、分からなくもないがね?」
精神のみがこの世界に流された、ハルの同僚セフィ。
彼について、少し気になることが出来たハルなのだった。




