第617話 割合強化
発動した<精霊魔法>による波が、ハルを中心にして周囲のプレイヤーたちに“伝染”していく。
このゲームにおける精霊とは、妖精のような儚く神秘的な存在でも、人の身を兼ね備えた強大な力を持つ者でもない。
どこにでもある、空気のような環境要素のことだった。
そう、あたかもエーテルネットのナノマシンが空中を伝播していくように、徐々にプレイヤーたちの身へと浸透していった。
「なかなか手間取っているのね?」
その『精霊』は場所によって濃い薄いの差が出る存在であり、特にこの空間は非常に薄い。
ハルにしてはスキル発動の遅い様子に、ルナが意外そうに周囲へと目を凝らしていた。しかし、見ようとしてもこの『精霊』はハルにしか認識できないだろう。
「そうだね。ここは相性が悪い。ただでさえ、広範囲は時間が掛かるからね」
「クリスタの街の戦いでも、敵兵全員に掛けるのにかなり時間が掛かっていましたものね!」
「うん。アイリスの国も、基本的に薄いらしい。テレサもそんなこと言ってたし」
「ミントの国で試すとどうなるか興味がありますね!」
確かにアイリの言う通り、その本場であるミントの国で発動した場合についてはハルも興味がある。
かの地には<精霊魔法>の先輩もいることだし、機会があればまた訪ねていろいろと教えを乞いたい所だ。
防御手段の無い<精霊魔法>を、防御する術などもあるのだろうか。
「……さて、お待たせ君たち。これで全員に、<精霊魔法>の対象指定が完了したよ」
「うわっ! いつのまに!」
「ホントだ! 『ステータス効果・精霊魔法』って出てる!」
「いやーん、防御不可こわいー」
「なんの通知も掛かった感覚もありませんでしたね」
「これって掛かったらジエンド?」
なんの実感もなく魔法を掛けられていたことに気付いた仲間たちが戦慄する。今は味方だから良いが、これが敵に掛けられたらと思うと黙ってはいられないだろう。
もし知らずに<精霊魔法>の使い手の射程内に踏み込んでしまったら、ただのそれだけで、その時点で、アウトということになりかねない。
「いや、少なくとも僕には『掛けただけでジエンド』は不可能だね。この魔法には相手を操ったり、殺したりする効果はない。ただ、僕との間に直通のパスを開くだけだ」
ハルは<精霊魔法>の仕組みを、手短に仲間たちに説明していく。
これは、言うなれば精霊が『憑りついた』対象に強制的に経路を開くだけの魔法。ただ、そのスキル発動は防御できないという最強のオマケがある。
空気そのもののエーテルネット接続を拒否できないように、精霊もまた拒否できない。そのあたりも似通っている。
そして、対象となったプレイヤーは、まるでハル本人であるかのように様々な効果を受けるのだ。
これは<存在同調>と割と似ており、相手のステータスを『ハル』で浸食しているようなもの。そこに向けてハルが行う行動は、すなわち自分自身に行うことと等しい。
「まあ、どういうことかと言えば、『自分に使うスキルは全て必中』だよね、って感じだ」
「うわー、納得」
「自分自身が対象なら、スキルの成功判定は省略されるもんね」
「だから防御不可のデバフなのかぁ……」
「あ、なるほど。だからか」
「何が?」
「いや、ローズ様って弱体スキルは得意じゃないじゃん。だから、<精霊魔法>掛けられてもそんなに恐れる必要はないんだな、って」
「なるほど!」
そういうことになる。もし<精霊魔法>を使って対象者を防御不可の即死に追い込むような連続技を行おうと思ったら、まずは自らを即死させるようなスキルを所持していなければならない。
まあ、すると今度は、『ハルがそういったスキルを覚えてしまったら』、『そういった呪術のエキスパートが<精霊魔法>を覚えてしまったら』、という懸念も出てくるが、それは将来の話だ。今は目の前の敵に集中しよう。
「あ、最後にひとつ! 走って遠くまで逃げれば<精霊魔法>から逃れられますか!?」
「それは無理。対象指定された時点で、距離は関係なくなる」
「ぎゃー!」
このあたりは、エーテルネットよりも魔法に近いだろうか。
ハルの色に染められた魔力を体内に取り込んでしまったような形だ。そうするとハルは<神眼>でいつでもその対象を参照できる。
「じゃあ、強化かけるよ」
ハルはその精霊のリンクを通じ、プレイヤーたちに強化スキルを掛けていった。
それは<精霊魔法>のスキルに付属の『精霊強化』だけではなく、<信仰>などのその他ハルのスキルも加わってより強大なものとなる。
圧倒的に高レベルであるハルの身を基準としたその上昇幅は、ハルと比較すると低レベルである仲間たちの力を何倍にも引き上げた。
例えば<魔力>を10%引き上げるスキルがあったとして、『魔力10』の者に掛けるか『魔力100』の者に掛けるかで効果の差は十倍だ。
「おおおおお!」
「これが、トッププレイヤーの見ている世界!」
「エンチャひとつで、こんなに!」
「ローズ様最強じゃぁー!」
「あ、待って? つまり、今私ってローズ様と一つになってるってこと? それか私の中にローズ様が入ってるってこと!?」
「キモイキモイキモイ! 発想がキモイ!」
「除名されたくなきゃ口を慎めぇ!」
それは少し語弊がある。ハルはエーテルネットが接続されているようなもの、と改めて丁寧にご説明申し上げた。ファンの勢いがこわい。
ハルと一つになるための席は、残念ながら既にもう予約済みだ。
「さて、これなら大丈夫だね? 全隊、突撃」
「応っ!」「はっ!」「はーい!」「了解ー」「やったるでぇ!」「いけー」
自身が何倍にも強化されていく万能感を受け、ヘリオスの猛攻を前にした恐怖はすっかり消え去った。
実際は、敵との対比が大きすぎて現状はそこまで好転してはいないのだが、気の持ちようというのは大事だ。
ハルは彼らを『イージス』で守りながら、この地上に落ちた太陽の攻略法を探っていくのだった。
*
「食らえええええぇ! あんま食らってねええええええぇ!」
「休まず攻めろ、数は力だ!」
「塵積、ちりつもー」
「うわ死ぬっ! ……あ、助かったー。流石はローズ様、鉄壁だ」
「ローズ様は壁じゃないよ! お山があるよ!」
「誰もそんなこと言ってねぇ!」
「でも、ダメージ与えられてる気がしない。HPぜんぜん減ってかないよー」
降って沸いたイベントバトル、そのお祭りの高揚感も合わさり、プレイヤーたちは群がるようにして太陽に突進していく。
一切の防御を考えずハルに任せ、その剣を振り、槍を突き込み、拳を叩き入れていた。
……格闘系のスキルの者は、さすがにこのお祭り騒ぎの中でも、微妙に恐怖心が残ってしまったようだ。仕方がないことだ、相手は火の玉である。
そんな狂戦士たちの包囲攻撃を受けて、しかしヘリオスの体力ゲージは遅々として減らない。
元が撃破不能の無敵モンスターだったことを考えれば、これでも天と地ほどの差がある有情仕様なのだが、厳しいものは厳しい。
ハイテンションはステータスに現れぬプレイヤー本体の体力を削り、その持続時間は本人が思うよりも短いだろうことが予測された。
「ハルちゃんどーする? 私は何時間でもこのパフォーマンス維持できるけど、慣れてない人はそうはいかないよ?」
既に『イージス』の守りすら必要としなくなったユキが、ハルの方へと顔だけ向けてそう聞いてくる。
多種多様なゲームで場数を踏み、一般的なプレイヤーの連続ログイン可能時間についても熟知しているユキだ。
その経験則と照らし合わせて、現在のダメージ状況ではその時間内に敵のHPを削りきるには至らないと、確定の予測が付いてしまったのだろう。
「良くて半分かなぁ? そこでタイムアップ。もちろん、私たちならその後もずっと殴ってられるだろうけど」
「やっぱり、数の力は大きいね。そうなると、ダメージ効率はかなり落ちる」
「うん、ぶっちゃけ、グダるね」
息つく暇もない槍の連続突きをくり出し、無駄のないステップで髪を振り乱しながらレーザーを華麗に回避するユキは、そのあまり好ましくない展望を予言する。
この場には、一度ログアウトすると再びは戻って来れないというのも痛い。
長丁場の試合では、交代制で休憩を取るという戦法も通常ならとれる。少し休むだけでも、パフォーマンスの改善は段違いだ。
特に彼らは、ここに来る前にもクラン戦でひと暴れした後。その疲労度の蓄積は実はかなりのものだ。
「くそっ! ミナミが逃げてなけりゃ!」
「負けたのに勝ち逃げっぽくて腹立つ」
「アイツのデバフがあればな……、もう少し違ったかも」
「いや、変わらん変わらん! だって、太陽に暴露する失敗なんかないもん」
「はははは! そりゃそうだ」
「まあ、強プレイヤーとしては確実に役立つけど」
「それもローズ様の恩寵の中では誤差よ、変わらん変わらん」
「そんなことよりも一発でも多く敵をたたけー!」
ヘリオスに猛攻を加え続けている仲間プレイヤーたちの間にも、『もしかして無理なんじゃ』、という空気が少しずつ浸透してきた。
体力的、時間的に己の限界を悟っている者、この数分間で減った敵HPの割合を計算してしまって気落ちしてしまった者、更には、既に体調への警告を示す警報が表示されてしまった者も居る。
そんな気分の沈みは攻撃速度にも影響し、ダメージ効率までも微妙に下がっていくのだった。
「このコンテンツはまだ、現時点では早かったのかなぁ……」
「発生条件さえ確定してれば、また挑めるんだけど」
「条件ってなんだろう? 戦争起こすの?」
「うーん意味わからん」
既に、内心攻略を諦めてしまったのか、『次』を口にする者も出てきた。
通常のゲームならそれが常道だろう。別に、何が何でも初見で攻略しなければならないなんて決まりはない。
むしろハイレベルな相手は、初戦は情報を集めて二回目三回目、という流れが基本だ。
だが、恐らくこの戦いに『次』はない。
これは本来起こり得ない特殊な事象。指輪が何らかの意図をもってイベント仕立てにした一回きりの逃せぬ機会だ。
ハルのプライドとしても、ローズのキャラクター性を維持するためにも、その機を逃さず勝ち切りたい。
「……さて、とはいえ僕らに残された時間はもうさほどない。その中で、どう突破口を見出すか」
絶対に無理とは思わない。この程度、異世界の攻略に比べればピンチのうちにも入らない。
ただ、その代わり今のハルには縛りがある。『ローズ』として、ハルの全力を出すことが適わない。ここでハルであることがバレてしまえば、それこそ本末転倒だ。
そうしてハルが思考に沈んでいると、不意に後ろで<音楽>に集中していたアイリから声が掛かった。
「なら逆転の発想をするのです! 私たち全員で、今度はお姉さまを強化するのです!」




