第614話 空を見通す百の瞳
空気があることによって、解析で得られる情報は多い。
先ほどの空気遠近、つまり遠くの景色の霞みかたによって、その対象とのおおよその距離を算出することも出来る。
もちろん、疑似的に遠景をぼかして見せる処理などもどのゲームでも行ってはいるので、そうした視覚効果も含めて二重に判定してしまわないように注意は必要だ。
ちなみにその処理は各自の内部で、キャラクターの目に搭載されたレンズ機能で処理されている。
《情報解析を行います。設定は、どのようになさいますか?》
──設定はフラット。この空間では、ピント処理は働いていないはずだ。だから宇宙のように、どこまでも世界が続いて見えた。
《御意に》
──それと、どうせだしこの大量の“視点”の数々を活用しろ。この場で放送を行っている者、まあほぼ全員だな。その全ての視点から差分を参照するように。
《御意。とはいえ距離がまだ近すぎますね。もう少し離れてくれれば、有効なデータが取れそうなのですが》
──確かに。
「……レイスさん」
「ほい!」
「よければちょっと、『目』になってきてくれる? 角度を変えた視点が欲しい」
「お? おー! 差分を埋める『受信アンテナ』になるってことねー。とりあえず十キロくらいでいいかな?」
「いや……、何かあった時にすぐ戻れるように、まずは一キロくらいで」
「了解」
なんとなくカマかけもかねて、陽気な女性幹部に依頼を出してみる。
すると予想以上に、説明する前からすんなりとハルの考えを理解して承諾してくれた。
彼女の言う『アンテナ』とは、恐らく宇宙からの電波受信用のアンテナのことだろう。または、さらに現状に即した深宇宙観測用の望遠鏡群のことかも知れない。
超遠距離からの情報受信は欠損が多く、それを補い合うために距離を離して数多くの受信機により同一データをキャッチする。
それらの差分から欠損を互いに埋め合わせあい、完全なデータとして結合するのだ。
この時代においてそんな知識がすぐに出てくるというのは、ずいぶんと専門的な勉強をしている。
なんだかそんな人物にハルは覚えがあった。もしや魔道具の開発が得意だったりしないだろうか?
「んじゃいてきまー!」
「気を付けて」
そんな疑惑の視線など気にすることなく、彼女は元気に出発して行く。ゲームキャラの体力だ、そこは非常に速い。
そんな彼女に対抗して、クランのメンバーや傭兵たちも我先にと逆方向へと走って行く様子が何だか面白い。理由は知らねど、ハルの役に立つチャンスだと察したのだろう。
そうして、奇妙なことに自然に誰も示し合わすことなく、ハルを中心とした半径一キロの円陣が組み上がるのだった。
「本当に、まるでアンテナだ。同期は、さすがに無理か」
「それは無理でしょう……、生きた人間が操作しているのよ?」
ルナが呆れた声でハルを諭す。いつもの半目が可愛らしい。
どういうことかといえば、全く同一のタイミングで、同じ方向を観測することによって正確なデータを取るのである。
当たり前だが人間では難しい。いや不可能だ。特に今のメンバーは、さっきまでの敵味方が入り交じった寄せ集め。出来る方がおかしい。
ちなみに余談となるが、ハルたちであれば出来るのは言うまでもない。精神が融合しているため、やろうと思えば完璧にタイミングを合致させられる。
「掛け声を元気に、掛けるのです! いち、にっ!」
「それよかさアイリちゃん。アイリちゃんの<音楽>でリズムを取ろう」
「いい考えなのですユキさん!」
「いや、別に今回は無理に望遠鏡をやる必要はない。というかもう終わったよ」
「はやい! のです!」
アイリとユキが、可愛らしい案を提出してくれるが、今回においてはそこまで精密なデータを必要としてのことではない。
それぞれがバラバラの方向を見ている内容でも、十分なデータであった。
《おおよその解析、終了しました。結論から言いますと、空気の存在している領域は、半径約十キロ程度に収まると思われます》
「十キロか、案外小さいな」
「《えー! じゃあ、最初の予定で走って行ってたら突き抜けてたかも!》」
「そうなるね、危ない危ない」
元気な女性幹部、レイスから突っ込みの通信が入る。もしそうしていれば、その時点で検証終了か、もしくは何か事故が起こっていたか。
──ちなみに根拠は?
《まず、この空間の光源は弱すぎます。その状態で地球と同様の大気があれば、見え方が大きく異なってくるはずです》
なるほど、むしろそこは、ここの空気量に合わせた光源の強さなのかも知れない。
地球とは違う条件下で、しかし地球と同じような見え方を追及するため、光源の方に手を加えた。
今後世界が拡大していくことがあれば、それに従って光もまた強くする処理が入るのだろうか。
──しかし、判定の理由がそれだと、皆に離れて貰った意味は無かったね。
《そうでもありません。それによって、光源の位置が割り出せました》
「光源って、つまり太陽の位置?」
つい口に出してしまった。そんな特定できるほど近くにあるというのか。そもそも普通は、そんな太陽のオブジェクトから直にライトを照らしたりしない。
《あの太陽も、この先約十キロの地点に存在します》
◇
「……いや近すぎでしょ。一気にリアルさが薄れた、この空間の」
凄くリアルな世界だと喜んでいたら、舞台裏は手抜きだった。そんな裏事情を知ってしまったショックのようなものがあるハルだ。
テーマパークでスタッフ用のエリアに入るものではない。
いやむしろ、裏側はそんな状態でありながら、現実と違わぬリアルさを演出して見せた製作者の手腕を褒めるべきか。
「《太陽がどーしたのクラマスちゃん……様!》」
「……もし見えたら、皆の影を見比べてみて」
「《影……? うおお! ほんとだ、太陽ちかっ!》」
やはり理解が早い。円を描くように広がったプレイヤーたちの足元から伸びる影は、円の外側に向けてそれぞれ、放射状に広がっている。
つまりは、今ハルが居る最初の地点、その直上に太陽が位置しているということだ。
現実と同様に太陽が遠ければ、この程度でそこまでの差が生じたりはしない。
こう顕著な影の付き方の差が出ているということが、あからさまに光源の近さを証明しているのであった。
「でもさでもさ。大勢で来てて良かったんじゃない?」
「まあ、ユキの言う通りかもね。僕一人だったら、気付けてたか怪しい」
「《お役に立ててよかったです!》」
「《ローズ様なら気付けてたっしょ》」
「《だね、解析も優秀そうだし。というかどうやってたんですか?》」
「外に連絡を取って、ちょっとね。さて、意外な事実が分かったはいいが、ここからどうしようか」
「《やっぱそこは、太陽に突撃っしょー》」
「《賛成!》」
ほとんど満場一致で、皆がその近すぎる太陽へと向かうことを提案してくる。
ハルとしては、むしろ空気の方を調べたいのだが、そちらは調べる方法が難しいし何より地味だ。やはり、分かりやすい方が放送にも向くだろう。
普通ではない光源で普通に見える以上、空気の方に何か異常がある可能性は大きいのだが。
「じゃあどうやって行くかだけど……、うん、やっぱり僕だよね……」
「あはは、まー、ハルちゃんのカナリアちゃんが、便利すぎるのがいけない」
「わたくしでは、飛べませんし……!」
「それに使い魔なら、太陽に突っ込んでも問題はないわ? 覚悟を決めなさい?」
その太陽に向かう方法をどうするか、という問いにはまた、満場一致で視線が全てハルへと飛んできた。
一キロの距離を離しているとはいえ、全周囲から視線が集中するのは少々怖い。
そもそも、空を飛ぶスキルを所持しているプレイヤー自体が非常に稀で、しかもほとんどが長距離飛行に向かない。
エメの召喚獣が居ればそれに乗って、ということも適ったが、あいにく彼女はこの空間の外だった。プレイヤー本体以外の物は置き去りである。
「仕方ない。それじゃ、飛ばすよ。イカロスになってくる」
そんな皆の期待を背に、カナリアは飛ぶ。その様子は外のカナリーも見守っており、『まるで坑道のカナリア役ですねー』と面白そうにテレパシーが飛んでくる。
自分でそれを言ってしまうのだろうか? そのあたりが、カナリーであった。
徐々にその太陽との距離が近づくにつれ、太陽の見た目も大きくなってくる。やはり、それは近くに存在しているという証拠になる。
そうして、太陽にしては小さすぎるが、人間と比較すれば大きすぎる炎の玉へと使い魔は接近する。
そして、カナリアがあとほんの数百メートルの距離に迫ったあたりで、異変は起こった。
その太陽と、“目が合ってしまった”のだった。
そこで、カナリアの使い魔からの映像は途切れる。




