第613話 空気の重さに関するあれやこれ
このゲーム世界は空気の無い世界という設定でやってきたと思うのですが、もし以前に、つい空気のあるような描写をしてしまっていたら申し訳ありません。
空気がある。何を当たり前のことをと思うかも知れないが、ゲームにおいては当たり前ではない。
もちろん、とことんリアル指向のゲームであれば中にはそういう物もあるにはあるが、大半が環境ソフトのようなゲーム性の無い物。
多くのゲームでは、処理だけ食う余計なものとして実装されていないのが大半だった。
草原の草がなびくのは風が吹いているからではなく、草が自分で揺れているため。花が舞うのも、花が自分で飛んでいる。
無意識に呼吸をするようなモーションをとるプレイヤーは多いが、肺は動かず空気は入ってこない。そもそも肺が実装されていない。
空が青いのだって、青以外の波長が散ってしまうためではなく、『世界の果て』が青く塗られているからだ。
このあたり、最近は本物の異世界を舞台にゲームをしていたハルはつい忘れそうになるが、多くのゲームはそれが当たり前。
今のこのゲームだって、その例に漏れず空気というものが存在しない世界だった。
「ハルちゃんなにやっとるん? あ、空気抵抗か」
ハルは自らの武器である大ぶりで豪華な杖を取り出し、おもむろに大きく振り回してみせる。
少々過多ぎみの装飾が空を掻いて、空気の壁に押し戻される手ごたえがあった。
「んじゃ私も! とう! ……どう?」
「うん。髪の毛が空気に影響されてるね、ふわって」
より自然な動き、とでも言えばいいのだろうか。大きくジャンプするユキの長い髪が、空気を含んでふわりと舞う。
そんなハルたちの様子を見ていた他プレイヤーたちも、各所で真似して同じように色々とアクションをとっていた。
敵だった傭兵プレイヤーが取り出した身長よりも巨大な大剣が、空気に阻まれフルスイングに非常に苦労して頭を抱える様子が周囲の笑いを誘う。
やはりゲーム慣れしているものほど、その“自然すぎることの不自然さ”には敏感なようで、すぐに細かな違いについてさまざまな方面から解説を入れていた。
「大発見だねクラマスちゃん。でもさ、」
「おいレイス、様をつけろよ」
「わりわり。でもさ、ちゃん様」
「……べつにいいけど。で、どうしたのかなレイスさん?」
果たして『ちゃん様』はきちんと敬った呼び名なのか、そもそも様を必須にした覚えはないとか、そこも審議が必要だろうが、それは今ではない。
ハルはクランのまとめ役の一人である女の子の疑問に耳を傾ける。
「空気があるのが分かっても、問題の根本的な解決にはなってないんじゃないかな? どこを探ればいいかの、解決にはならなくない?」
その言葉を聞いて、それまで単純にその環境自体を楽しんでいた面々も、『確かに』、と冷静になる。別に、そのまま楽しんでいていいのだが。
「空気があったとして、広さが無限じゃ話にならないんじゃないかなー? 風で匂いが流れてくるってことも無さそうだし……」
風に匂いが乗って来たとして、その先を振り返ってみても地平までひたすら同じ水面が続いているのみだ。
水面だから、水平線か。まあ、そこもまたどうでも良い。
しかし、その無限という前提が、空気があることで崩れる可能性があることをハルは語るのだった。
「懸念はもっともだね。でも、空気が有ってしまうことにより、その無限の空間という前提が崩れる」
「えっ、なんで!」
「……処理が重いから、ですか?」
「その通り」
冷静な男の方の幹部が、ハルの言葉を補足する。その通りだ。
見渡す限りの超広大な空間を超広大たらしめているのは、その設定の少なさ。ただ『空間』だけがあり、床も傷一つない白一色。
そこに『空気』が設定されると、とたんにその対流情報の全てを常時計算しなくてはならなくなり、自然と世界の広さは限定される。
「ですが、空気を持ちながら大陸一つの広さも完備したゲームもあります、マスター。その前提からは、やはり結論を出すのは難しいのでは……?」
「シルフィード。……んー、あのゲームはね。色々と特殊なので例外にした方がいいと言うか。まあ、言うなれば規模感の問題かな」
「規模、ですか?」
ここで、ファンクラブのリーダーであり、アベル王子率いる部隊の実質のまとめ役、シルフィードが話に入ってくる。
彼女はアベルの住む“あちら”の世界をよく知っており、そこには空気が満ちていることも熟知したプレイヤーだ。
それを肌で知る彼女に向けて、『空気は処理が重いから広い世界は演出できない!』、と言っても実例があるだけに飲み込みにくいだろう。
「このゲームは、そうした最初から詳細にワールドシミュじみた環境設定を目指したゲームではないよね。手を抜けるところでは、きちんと手を抜いている」
「確かに、NPCも、我らが王子のような自然な存在感がありませんね?」
「いや、それはあの王子様がおかしい!」
「失礼ですが、同意ですね」
当然だ。最初から実在する世界と、生きている人間を使って舞台設計に掛かるコストを『手抜き』したゲームにリアリティで適うはずがない。
ならば、それらを未使用なこちらのゲームはその部分をコストカットせざるを得ず、両立は不可能。この空間を無限に作るリソースがあれば、最初から作品作りに反映させている。
……と、もっともらしく彼女らには説明している。
実際はそうした裏事情を知るが故の逆算だ。この世界はエーテルネットを使った従来のゲームではなく、魔力内にデータを走らせた巨大な疑似コンピュータのような存在だ。
仕組みとしてはモノの戦艦に搭載されていた液体コンピュータに仕様が近く、魔力の『注ぎ足し』により世界の規模と処理能力は拡張し得る。
賞金に釣られた多くの参加者が生む魔力により、その規模は今も拡大中。このハルたちが居る謎の世界も、そうした拡大によって作成可能となったのかも知れない。
だが、その魔力の外部からの観測により、その大部分は未だ『未使用』と予測がつけられていた。
衛星軌道上からハルの戦闘艦にて監視するモノ艦長と、地上を包囲するようにひしめくメタの分身たち。
それらの観測データを、魔力ネットの第一人者であるエメが分析して得られたデータだ。信憑性は高い。大半は表世界の維持に使われていることが確認済みだとか。
そんな裏技的に得られた確信により、ハルはこの世界に限りがあることを前提とした。
後は、そんな世界をどう探索するかである。
*
「……ただ、いくら限りがあるだろうとはいえ、闇雲に歩き回って『果て』に出られる保証はない」
「ですよね。見る限り、視認できる範囲はずっとこの空間が続いているような気がします」
「そもそもクラマスちゃん様? ここから外に出ることが本当に正解なのかな?」
「いや、そこは僕が答え合わせをしたいだけだね」
「ずこーっ!!」
口に出して、『ずこーっ』、と言った。愉快な子だ。何となく、普段から文字ベースで活動していることを思わせる。
見た目や言動はあのミントにも通じるギャルっぽさを感じる彼女だが、時おりその視点の鋭さには知性を感じる。
……いや、ミントにも高い知性は当然あるのだが、それを覆いつくすほど彼女は倫理観の欠如が凄い。
「だからみんなには、それぞれ自由に探索して欲しいかな。それによって、新たな視点も得られるだろうしね」
「了解ですローズ様。その、言うまでもなく既に自由にしてる者ばかり、のようですが……」
「元気でいいよね」
「は、はあ……」
ハルの推測と指示を待たないことに幹部の彼は不満のようだが、もともと各自が自由にやっていいという前提で集まったクランだ。行動的でとても良いとハルは思う。
そんな自由な彼らが着目したのは空気ではなくむしろ水であり、鏡面のように自分たちを映し出し、歩くと波紋を広げるその足場に思い思いのアクションを行っていた。
「この! このっ! 悪い水め!」
「女の子の敵! ミニスカ舐めるな!」
「むしろ戦場でミニスカが舐めてる」
「舐めてない。このミニスカは鎧より防御力ある」
「ボタンちゃの特製ミニスカ」
「センス〇」
「何か間違ってるよね」
「ゲームだからね」
「そしてゲームだから、床は破壊できないぞ女子」
「出来るもん! 女子力があれば!」
「あたしの女子力も上乗せするか」
「いや攻撃力どうこうじゃなく、無敵判定になってる」
そう、この神界とも言うべきバグ世界の構造物は、プレイヤーキャラクターには破壊できない。
以前アイリスがけしかけてきた巨大な魚のように、破壊判定そのものが設定されていないと思われた。物が砕ける判定をするための、HPのようなものが無い。
そのためいくらファンクラブの女の子たちが互いに強化し力を込めて攻撃しても、その水面は優しく波紋を広げるのみだった。
「そんな無敵空間の中で、クラマスちゃんはどーするの? 結局空気は、何か関係あるの?」
「そうだね。空気があるだけで、色々なことが分かる、今からそれを証明してみせよう」
ハルは己の中のAI、黒曜へと呼びかけ、この空間の空を解析し始めるのだった。
※ルビの修正を行いました。(2023/5/22)




