第611話 大規模転移
「仕方ねぇーかぁー。んじゃ、俺は向こうの腹黒雇い主様の悪事をバラして功績にするとしようかねぇ」
「本当、転んでもタダでは起きないね。まあ、それは僕にとってもメリットがあるから協力してもいいけど」
「だろぉ? んじゃ、今回は犠牲なしの平和な話し合いで解決ってことで」
「ちゃっかりしてる」
そうしてハルの誘導する方向に話がまとまろうとしていたその時だ。戦場全体を、大規模なノイズの嵐が襲った。
空間そのものを上から覆い隠すような不吉な映像ノイズの見た目はまるでインクをぶちまけたように真っ黒く、そこから漏れ出る自然音ではありえない、ばち、ぎち、といった音声ノイズは折り重なり大音量の不協和音となっている。
あまりに予兆なく行われたその回避不能の災害には、ハルですら対処が遅れ、あえなく全員がその黒いバグの中へと飲み込まれてしまうのだった。
*
視界が戻ると、やはりハルは別の地点へと転移させられていた。
しかし、今回は今までと異なるところがある。ここバグ空間、いやこのゲームの神域へと誘いこまれたのは、今回はハルとその仲間だけではない。
ハルのクランの仲間たちも同時に巻き込まれ、あまつさえ今まで戦っていたミナミ率いる傭兵部隊までもがこの地へとそのまま移動しているのだ。
彼我の立ち位置、互いの距離感は先ほどまでと同じ。NPC兵の後ろに付いていた彼らは、ハルたちとは少し離れて、そのNPCが居たはずの空間をぽっかりと開けて対峙していた。
そう、ここへ来たのはプレイヤーのみ。NPCは、一人としてこの地の土を踏んでいない。土があるのか、定かではないが。
「おーーーいっ!!」
「……いや、さっきみたいにスキルを拡声器にしなよ。なんで叫んでるのさ」
「いや、なんだ? 不用意にスキル使ったら危険かもと思って?」
「不用意に叫ぶのは危険じゃないのか……」
その、急に大きく距離が開いてしまった気のするミナミから、ハルへと声がかかる。
一度キャンセルされてしまったらしいスキルによる通話を繋ぎなおし、素早く現状確認に務める。その危機対応の能力は流石であろう。
二人の、いや二勢力の間には、水面のような平坦な地面がずっと続いている。
相変わらずシンプルな世界ではあるが、そこは今までのように味気ないデータの世界とはすっかり様変わりしたと言っていい。
光点を数珠つなぎにしただけの簡易な地面は美しい水面に変わり、どこまでも黒く遠く続いていた空は、現実と同じように、青く美しく澄み渡っていた。
その空には相変わらず謎の紋章が敷き詰められているのは今も同じだが、そこはご愛敬。
その紋様が足元の水面へと反射し映し出され、なかなか雰囲気の良い装飾効果になっていた。
その紋様が無ければ、神域へと飛ばされたのか、何処か別の通常フィールドに飛ばされたのか、判別がつかないかも知れない。そのくらいの変化がある。
その水面上を、ミナミがハルの方へと単身、足元に波紋を次々と広がらせながら走ってくる。
彼の様子を見て地面の状況を察した仲間たち、特にスカートの女性陣が、自身の下着が反射で丸見えにならないか慌てて確認する。
そして、自らのスカートの中を目の当たりにして、このゲームではそもそもハラスメント対策で下着は見えないことを思い出し安堵、だが、それはそれとしてそんな中身であっても見られるのは恥ずかしいかも、と微妙な感情に翻弄されていた。
「ちーっす、ども! ここがアレ? アンタの言ってた例のバグ空間?」
「そうだね。そうだと思う。しかし、警戒心ないね。さっきまで戦争してたっていうのに……」
「残念ー! もう終戦しましたー! 今は同じプレイヤー仲間ですぅ! ……ただ、NPCだけあの場に置いてきたのはマズくねぇ?」
この非常時に、争っている場合ではないという判断だろう。判断が早い。それはハルも同意見であり、NPCを気にせず暴れられるからと、ここで力を開放する気はない。
その可能性を恐れて真っ先に駆け寄ってきたのであれば、大したものだ。
「NPCに関しては問題ないよ。クリスタの街の住人は、僕の命は忠実に守る」
「それこそ命に代えても守りそーだな。だが、俺の兵は? 急に敵の戦力が消えて、チャンスとばかりに暴走しないか?」
「んー……、まあ大丈夫だと思うけどね。あの人らさ、話を聞いてみると借金とかで脅されて無理めの徴兵を受けて集められたんだって」
「あの腹黒に?」
「そう、あの腹黒に」
「うへぇ。戦時に湧き出た臨時のNPCまでバックボーンがいちいち設定されんのかよぉ」
ハルが<精霊魔法>で一人一人、彼らと交渉を行った際、そうした内部事情を打ち明けてくる者も居た。
ハルの側に付きたいのはやまやまだが、そうした事情によって逃げるに逃げられないと。
それを解消してやるための、課金による強引な解決であった。
まあ大半は、テレパシーから何故か伝わってしまった恐らくはミントの気配によって、一も二もなく忠誠を誓ってきたのだが。
なんだか、既視感のあるハルだ。この世界においても、自身の身から漏れ出る神気に悩まされないといけないのだろうか?
「……んで、ぶっちゃけここ、何?」
「そうだね。正直僕も、分かってはいないんだけど。……いきなり後先考えず、強硬手段に出た訳じゃないよな?」
後半はミナミに向けてではなく、小声で今も通じているであろうミントへと語りかける。
電脳人さらいの犯行声明を出しているミントだ。このように戦場ごとの、大規模誘拐に手を染めないとも限らない。
《あたしじゃないってばー! あたし、こんなことしませんよー! ってか、こんな人たち要らないしねぇ。対象者ひとりもなーし》
それはそれで酷かった。どうやら理想の高い女の子のようだ。
《てゆーかシンプルだけど羨ましいデキ。このお空、あたしの世界に欲しいくらい。だからあたしじゃなーいよっ》
なるほど確かに。別にそれを証拠とするような判断はしないが、ミントのあの神社のある森は、木々のカーテンの先の空はまだ未実装だった。
やはり空が存在していないと、どうしても世界の立体感とでもいうべき現実味が薄れる。他はシンプルなれどそれを優先して実装することからは、世界のリアリティという部分を重視した意思を感じるハルだった。
「おーいっ」
「ああ、すまない。恐らくだが、これは僕のせいだね。というよりも、“こいつ”のせいだ」
「ああ、謎の指輪、だったか?」
「そうそれ」
今もハルとミナミは変わらず放送中で、この場の面々もそれを通して現状を固唾を飲んで見守っている。
大半のものは意識が追い付かないだろう。ミナミのようにすぐに切り替えられるのは稀だ。
なにせ、まさに直前までこの場の全員でクラン戦という大規模イベントに臨んでいたのだ。それが終着しようかという時に、予定にない別の大規模イベントが始まった気分だろう。
そんな、一見なんの脈絡もないこの転移現象だが、ハルはその全ては繋がっていると考えている。
状況を冷静に整理してみれば、この状況、過去に類似の例がある。
それは、一か所に大勢を集めて空間に乱れを生じさせたことだろうか? 否、ここはクリスタの街の直近だ。ミナミの言うように、王都にはもっと大勢がひしめいている。街の周辺は空間の強度が高い。
着目すべきは別のところ。大規模な戦いにおいて、NPCが誰一人として死なずに終着を迎えたことだ。
「今回のことで、ほぼ確信した。この指輪、とにかくNPCが死ぬのを嫌うらしい」
「それで、誰も殺さなかったからって、何でいきなりここに飛ばされるんだぁ? これじゃご褒美というより罰ゲームだろ!」
「まあ、見かたによってはね。それをこれから調べたい」
相手は恐らく神様だ。常識的で人間的な思考をしているとは限らない。それはミントの例を出すまでもなく知れたこと。
しかし、それを知らないミナミたち相手に説明するのは少し大変だ。どう語ったものかとハルが考えていると、そこはあまり興味が無いようで、彼の方から話を切り上げてきた。
「んー、ん-? いや、この場所のことはいい! 自由に調べてくれ! 妙な幕切れになったがちょうどいい、クラン戦争はここに終結したことを宣言しまぁすっ! 結果は和平! 引き分け!」
「いやどう見ても僕の勝ちだけど」
「引き分けっ!」
「まあ、いいけどさ……」
ミナミが終了を宣言すると、この空間全体の緊張が弛緩していく気配が伝わってくる。
確かに、全員が転移したからといって、その全員をこの空間に関わる話に巻き込む必要はない。ここはミナミに感謝しなくてはならないだろう。
幸い、メニューを見てみるとログアウトは効くようで、重大な一線は守られていることが分かる。
疲れた者、興味のない者は拠点である街と、飛空艇に帰還することが出来る。
「あー……、だがローズちゃんよぉ? このまま俺らを素直に返していいワケ? アンタここに残るんだろ?」
「そうだね。ようやく掴んだ機会だ」
「俺ら戻ったら、その留守をいいことにまた攻めるかもよ? もちろん俺はしないが、行きたいって奴を止めることもしない」
「別にいいさ。クリスタの街の防衛力はそこまで低くはない」
散発的に来る襲撃程度は、難なく抑えられるだろう。現地にはカナリーとエメも残っている。
そうして、解散の空気となり戻る者は戻って行く。
ハルはこの場に残り、不意に降ってきた神域調査の機会に気合を入れるのだった。
※誤字修正を行いました。(2023/5/22)




