第610話 説得するのはただである
ハルの新しいスキル、<精霊魔法>。その用途は非常に多岐に渡る。
当然このクラン戦においてもこの新たな力を活用しようと計画を立てていたハルであったが、<精霊魔法>には一つ共通した使用条件があった。
「精霊というのは、単体では一切この世に力を発揮しない存在らしい。なので<精霊魔法>は、必ず何かにエンチャントする形で使用する必要がある」
「それがどーしたってんだぁ? てか新スキルだぁ!? 聞いてないんだが!」
「言ってないからね」
習得方法を秘密にする。それが、このスキルを取得するための条件だ。
……と、いうことになっている。実際は、秘密うんぬんはミントの計画が露呈しないための安全策であり、<精霊魔法>は人集めの餌、単なる副産物だった。
さて、そんなオマケの品ではあるが、ハルにとっては待ち望んだ切り札。どう使おうかと期待に弾んだ心を、『また支援スキルか』、と微妙に喜びきれない形にされたのは言うまでもない。
例えるなら、素晴らしいレア武器ではあるものの、その武器種はもう十分足りている装備を引いた時のような気分だろうか。『嬉しいが剣より杖が欲しい』。
「ただ、応用の幅は広くてね。自分に精霊を憑けて自己強化する。仲間に精霊を憑けて支援する」
「あのー、それよりもですねぇ? この状況について説明が欲しいんですけどぉ……」
流石のミナミも、狐につままれたような困惑の表情でこの現状の説明を求める。
自身の号令により、今まさに突撃を敢行しようと整列していた兵たちが、逆にハルの命令により一斉にその眼前に跪いていた。
勝利を確信した直後だったこともあり、衝撃は倍増。機転が効くであろう彼も、この急展開には対応しきれずに“素”が出てしまいそうになっていた。
「だから、説明してるよ? <精霊魔法>は何かに憑依することで発動するスキル。それはつまり、“敵兵を対象にして発動することも出来る”ということだ」
色々と理由はあれど、ハルが前線に出て戦わなかった一番の理由がここにある。
全ては、敵兵全員に<精霊魔法>を掛けるまでの時間稼ぎ。
じりじりと時間をかけて街に向け前進する様を見せつけ、こちらの戦意を殺ぐのがミナミの作戦だったのだろうが、その裏を突いた形だ。それはハルにとっても好都合、一軍全員は、ハルであっても時間が掛かる。
「ま、まさかこの人数を、全員支配下に置いたとでも言うのかぁ!?」
「いやまさか。<精霊魔法>にそんな力は無いよ。キツめの弱体を掛けたりは、出来るけどね?」
「ぐっ……!? 何のエフェクトも、出なかっただと!?」
「精霊は単体では世界に何の影響力もない存在。つまり効果を表すまで防御不可さ」
「ち、チート乙……」
チートではない。れっきとした正規スキルである。まあ、チート級に強力なのは確かだが、神により与えられたスキルだ。多少は大目に見て欲しい。
「なら、全員に戦闘行動が不能になるデバフを掛けたってことかぁ!? いや、それこそまさか!」
「そうだね。そんな大魔法、確実にコストが間に合わない。特に僕は、プレイヤー同士の戦闘も支援してたからね」
例え一人一人はそこまで強くないNPC兵であれど、人一人を行動不能に追い込むにはそれなりのコスト、つまりHPやMPが必要だ。
ハルのクランメンバーにも、弱体スキルが得意な呪術師系の仲間が居るが、教えてもらった彼らのスキル内容と照らし合わせても、そんな計画、一瞬で不可能と断じていいほど消費が膨大になる。
もし<精霊魔法>がそんなコストの概念を崩壊させる強スキルだったら、ハルの方から運営にバランス調整の打診をするところだ。
「ただ、何もせず『対象を指定する』だけなら、<精霊魔法>はほぼノーコストで行える。まあゼロじゃないから、この人数ともなると骨が折れたけどね」
「……すまん、アンタが何をしたのか、まるで検討がつかん! ここは二段飛ばしで、結論からお願いしたいかなぁ!」
見渡せば、ミナミだけでなく敵も味方も、うんうん、と頷いている。どうやら早く答え合わせが見たいようだ。
まあ、気持ちは分かる。ただ、この状況において少しずつ秘密を公開していくという行為は、非常に心躍るもの。そんな愉快な心もちに、少々酔ってしまっていたハルである。
「しかたない。それじゃあ、答え合わせといくよ」
◇
「……とは言っても、別に特別なことはしていない。彼らを一人一人、説得していっただけだよ」
「説得だぁ……?」
「うん、説得」
そうとしか言いようがない。この世界で直接的な効力を発揮しようとすれば、先ほども言ったように必ずコストが掛かる。
スキルの発動の他、アイテムを消費しての効力の発揮であったり、ゴールドの消費であったり。
それらキャラクターの保有資産を超えての行動は、基本的にとれなくなっている。しかしながら。
「説得はタダだ。口八丁手八丁で、その場を上手く演じて消費無しで切り抜けるのは君の十八番だろ、ミナミ?」
「そ、そうだが……、いやだが全員!? この短時間で!? 馬鹿なっ! 不可能だ! イカサマだろそんなん!」
「例えイカサマだとしても、こうして結果が伴ってるんだよね」
「確かにっ!」
混乱している。自分が何を言っているのか半ば分かっていないようだ。
まあ無理もない。眼前に、見渡す限りに平伏する兵士の数々。この人数を、『一人一人説得しました』などと言われても、信じられる訳がない。
「そもそもどうやってだよぉ? アンタはずっと司令室に籠って、俺と煽り合いをしてた。それは配信で確認されてるはずだぜ」
「そこでこの<精霊魔法>だよ」
ハルはミナミを対象に取った<精霊魔法>を通じて、彼に秘密裏に通信を入れる。
その通信のためのウィンドウは、ハルとミナミにしか確認できず、現在も放送中であるその画面にも映らなかった。
「このように、<精霊魔法>で対象に取った相手には、誰にも知られず通信が可能だ。それがNPC相手だと、テレパシーのような音声通話になる。もちろん事前に実験済みさ」
「戦闘しながら裏で念話して交渉……? どういう頭してるんだ……」
ハルお得意の並列思考だ。お察しの通り普通の頭ではない。ただ、これをそこで言う訳にもいかないので、ただ『簡単だったよ』とだけ言っておく。
「いや、まだだ! 仮に、仮に全て言う通りだったとして! この本国の正規兵たちが、どこの馬の骨とも知れぬ地方領主の言葉にほいほいと靡くはずがない」
「酷いなあ。地方領主は事実だけどさ」
「こーれ洗脳です! 我々は、かねてより疑惑のあった『ローズ伯爵の領民洗脳疑惑』の真実を目の当たりにした! 彼女はこうして、領民に魔法をかけて洗脳していたのだっ!」
「彼らが狂信的に慕ってくれているのは、<精霊魔法>を覚える前からだけどね」
「確かにっ! じゃあ何だっ!?」
実際、そこを突かれるとハルも少し痛かったりする。
この『説得』が非常にスムーズに運んだ理由の裏には、そうした信仰心に関わる事情が絡んでいた。
彼らNPC兵の中にも信心深い者は多く、日本人の基準よりもずっと神の存在が心に占める割合は大きい。なにせここは神が実在する世界だ。
そのように信仰に篤い者ほど、テレパシーを通してハルの声を聴いた時点でほぼ説得に成功したようなものだった。なんでも、『ハルの声の背後に神の存在を感じた』、のだとか。
……何を言っているのかわからない。これにはハルも、なんだか自分が彼らを騙して洗脳してしまったような気分になるのだった。
「そこは、僕のスキルや<特性>だろうね多分。知っての通り、僕は<信仰>スキルを非常に高レベルに鍛えている。見るかい?」
「うわ、やっば。え、何この特性! やっば、何処で手に入れたの!?」
「それは秘密。あ、ついでにこれ、うちの領地の帳簿と、疑念のあった神殿の建立許可証」
「あ、どーも、ご丁寧に。……っていつの間にか俺がでっち上げた疑惑の反証を握らされてるぅ!?」
いちいちリアクションの大げさな男である。
この辺りも、<精霊魔法>の有効な活用法だ。指定した相手に対し強引に通信を開かせ、強引にアイテムを手渡せる。
今回、ミナミはハルの反論のための証拠など決して受け取る席になど着かなかっただろうが、意識の混乱したこの隙を突いて、さりげなく受け取らせることに成功してしまった。
「これでもう、戦う理由は無くなった訳だ。兵士は僕に付き、僕への嫌疑もまた晴れた。あとはその証拠を、黒幕の下に持ち帰ってくれたまえ」
これで、ミナミの掲げる大義名分はその大半が効力を失った形になる。
この侵攻は侵略ではないので、疑惑の証拠を全て提出した相手は攻められない。兵に犠牲は出ていないので、その感情論を盾にしても攻められない。
いかにハルの弱点を突くかだけに特化して策を練ったがため、それを克服してきた場合のアドリブが利かなかった。
本気でハルを倒したければ、大義など無視し、そして最初から全力でNPCをけしかけるべきだったのだ。
「ぐっ、ぐぐぐぐっ……! 確かに、確かに、もう無い、のかっ!?」
「うん。君の雇い主に伝えてよ。『やられっぱなしは性に合わない。今度は君の番だ』、ってさ」
「いや殺されますけど俺ぇ!? 中間管理職の世知辛さナメないでくれませんかぁ!」
「あ、うん。大変だね?」
「いや、そーだよ今回の失敗もさぁ! どう説明すんの? 『お借りした兵士は全員、相手の信仰心の高さにひれ伏しました』、ってかぁ!? あのヒト神とかめっちゃ信じてないんで通じないんですけどきっとぉ!?」
「そうなんだ?」
確かに、黒幕貴族が信心深かったらそれもイメージに合わないかも知れない。
しかし、神の実在する世界で神を信じないというのは、それはどんな心境なのだろうか? そこに少し興味が出たハルだ。
「じゃあ、これもあげるよ。今回の領収書」
「領収書? ああ、課金のレシート? って何だこの馬鹿高い額! アンタ限度額とか知らないの!?」
「うん、知らない。多分無いんじゃない?」
今回、なにも神の威光だけでNPCを平伏させた訳ではない。中には、普通に交渉してこちらに付いてもらった人も勿論居る。
その際に、何をハルが提示したかといえば、もちろん資金、いつもの課金だ。お金はどの世界でもだいたいの事を解決する。
「いつもの課金芸、今回は見せられなくて残念だ。思えば、今回は裏に回った作業が多すぎた気がする」
「見せなくて正解だってこれ! この額、ブルジョワ批判待ったなしだから!」
「そうかな?」
そうかも知れない。一人一人は少なくとも、数が数である。
禍根の残らぬようきちんと全員に同額を支払い、敵だけでは反発が怖いので味方にも支払った。
そんな諸々の裏事情まで含めて、ハルはミナミにこのまま帰ってもらうよう、『説得』を行ったのだった。




