第61話 総勢一名でお出迎えします
ギルドホームを作ったその日の夜、アイリは早起きした。
少し正確ではないか。アイリは深夜のうちに目を覚ました。つい起きてしまった、ということではない。彼女は一度眠れば朝まで目覚めない。
今までずっと一緒に寝ているが、アイリが途中で目を覚ましたのはこれが初めてだった。
「では、準備をしてまいりますね」
「急がなくていいからね」
「はい!」
そう言いつつも、ぱたぱたと元気に早足で行ってしまった。今日は早くに寝た事もあるが、寝ぼけとは無縁の彼女だ。
「元気だねー。私なんか自然にあそこまでぱっちり目覚めらんないや」
「ユキって寝起き悪いんだ」
「悪くはないけど、目覚ましに頼っちゃう」
「そうだったんだ」
目覚まし、というのはアラームの事だけではない。ナノマシンで血流や体温等を調整して、覚醒へと持っていくシステムの事まで含む。強力なものでは、薬品の投与などもあった。
ハルとしては、あまり体に悪そうな方法を使っていない事を祈るばかりだ。
「あ、ゲームが楽しみな時はすぐ起きれるよ!」
「今度は楽しみすぎて眠れなくなってそうだね」
「今度は強制的に寝てる。そういう時」
「睡眠導入まで使ってるのにすぐ起きれるのか……」
どれだけ楽しみなのだろうか。しかし、今日のアイリも似た状況だ。深夜のハルとのデートが楽しみで、すっきりと目覚めたのだろう。
楽しみで眠れない事も考えられたが、それは夕方にはしゃいだ疲れが出て、すとんと眠りに落ちたようだ。
「先行偵察しておきたいところだけど、僕が行くと自動でアイリも行っちゃうからなあ」
「今行けば、着替え中のアイリちゃんと対面出来そうだよ? にしし」
「にししではない。むしろアイリがそれを望んでるんだよね……」
「ハル君マイルームで押し倒されちゃいそう」
アイリはハルが望まない事はしないが、逆にハルもアイリの望みは叶えてやりたい。もしそういった状況になったら、断れる気がしない。故に避けねばなるまい。
「カナリーちゃん」
「はーい」
カナリーが転移でやってくる。呼べば繋がるのは今までと同じだが、肉体を持っている今、出現方法は転移になった。
「そういえばカナリーちゃん呼ぶ時にも、気を付けないといけないかな」
「お風呂入ってるとき狙って呼びますかー?」
「入らないでしょ君。お庭でちょうちょ追いかけてる時とかね」
「カナりんかわいい」
「追いかけませんよぉー」
いつも何をしているのだろうか。体を与えてしまって暇をさせていないだろうか。
ハルは少し心配になる。気にしすぎかも知れないが、カナリーは顔に出さないので、不満があっても読み取れない。
なのでストレートに聞いてみる。
「カナリーちゃん、体が邪魔になってない? 暇してるとか」
「お気遣いありがとうございます。でも平気ですよー。私たちの感覚は人間とは多少違いますからー」
「そっか」
「そういえば何かご用がおありでー?」
「うん、ちょっと目を貸してもらおうかと」
「お目目どうぞー」
「近いよカナリーちゃん」
目を近づけてくる。別に物理的に目玉を借りるなどと、怖い事は言っていない。カナリーの視界を借りるという事だ。
とたんに、自分の顔が至近で映り、妙な気分になる。これを狙っていたのだろうか。いたずらが成功して満足したのか、ハルの後ろに回り、もたれかかってくる。ハルの髪の毛が弄られる様が見えた。
「体があると直接これが出来ますしねー」
「……楽しそうで良かったよ」
「それで何処を見たいんですかー?」
「うん、ギルドホームにここの魔力を流し込んだんだけど、見れるかなって思って」
「ハルさんだけでは難しいかもですね。私が飛ばしましょうー」
「助かるよ」
そう言うと、ハルの視界がギルドホームへと飛ばされた。
カナリーの視界は、自身が支配している魔力の範囲へと移動出来る。それを使ってギルドホームの偵察が出来れば、と思ったが、問題なく行えるようだ。だが、その位置までは感覚では探る事が出来なかった。
しかし便利なのは確か。交流スペースにも後で魔力を流してしまおうとハルは思う。
「この感覚は覚えておかなきゃね」
「私の胸ですかー?」
「違うよ」
「ハル君の周りの女の子は積極的だねぇ」
「奥手なユキには感謝してる」
「おくてゆうな」
カナリーの胸が押し付けられる感触を努めて無視しつつ、ギルドホームの様子を俯瞰する。
今はお客さんは居ないようだ。時間が時間である。リアルは今こちらより少し進んでいて、今は深夜の四時くらいだ。
商品には既に結構な買い手がついたようで、特にルナの服が売れていた。今までハルの物ばかりだった所に、突然出てきた新商品だ。当然だろう。
「ギルドの方には、とりあえず人は居ないみたいだね」
「今が狙い目かな?」
「この時間だからね」
ユキが、自分が偵察に行こうかと提案してくれたが、すぐにアイリが戻ってきてしまうだろう。
それに、偵察の結果がどうあれ、行くことには変わりないのだ。せっかくアイリが楽しみにして起きてくれたのに、やっぱり止めますなどと言い出せるハルではなかった。
「お待たせしました!」
そのアイリが、バッチリとおめかしを決めて戻ってくる。よそ行き用なのだろうか、いささか派手すぎる気もするが、プレイヤーも派手が基本だ。そのくらいで丁度良いのかもしれない。
*
準備が出来た三人は、その場で転移し、まずはマイルームへ。
ハルのマイルームにはアイリとふたり。今日はユキも待っている、のんびりとはせずに、手を繋いで外へと踏み出す。
「お、早いねハル君」
「ユキの方が早いじゃないか」
「到着ですね!」
「押し倒されずに済んだようだね」
「まだ言うかコイツは……」
「??」
軽口を叩いて周囲を見回す。人の姿はまばらだ。
時間帯のせい以外にも、開始から時間が経ち、物珍しさや、それぞれの目的が落ち着いたのか。それとも奥の商業施設や、その先の闘技場などの遊戯施設へと用件が移っていったのか。
これならゆっくりと見て回れそうだった。
「時間は夕方なのですね。わたくしの世界とも、ハルさんの世界とも違うのでしょうか」
「そうだね。ここはまた時間の流れが違うのかな」
アイリの言うとおり、どちらの世界とも合致しない、薄暗い空が天蓋から見下ろしている。
これで、単純にこの世界の何処かにこの場所が存在する可能性は下がった。
「映像かもね、上のは」
「うん、ガラス張りじゃなくてスクリーンかもね」
「ほーむのやつと同じですね!」
天候を操作した時の事を思い出したのか、アイリのテンションが上がる。
ついでとばかりにホームへと立ち寄って、商品の補充をしておいた。
そのまま三人で商店街の方へと足を向ける。
薄暗くなった道を、赤や青、緑など色とりどりの蛍火が、ぼうっ、と照らしていた。幻想的な風景だ。魔法の世界の出身であるアイリも、思わずそれに目を奪わているようだ。
灯りはひとところに留まっておらず、ゆらゆらとゆっくり周囲を浮遊している。近づけば、中には妖精でも入っていそうな様子だった。
「いいデートスポットだね。よかったねアイリちゃん」
「はい、素敵ですねー……」
「僕らの所にも、再現出来たらやってみようか」
「はい! 素敵な場所にしましょうね!」
そんな円形道路を抜けると、すぐに商店街に出る。そこは店の明かりが道までを照らし、幻想から活気へと様相を変化させていた。
活気、とは言っても人通りは無く、明るさによる雰囲気、そしてBGMによるものだ。
「音楽が変わりました!」
「あはは、普通は世界に音楽は流れてないもんねぇ」
「アイリの家に居ると忘れそうになるよね」
「すごいですー」
BGM、ゲーム内で音楽がかかっている場所は限られる。ここ神界が出来る前は、ほとんどダンジョンのみだった。
普通のゲームなら町やフィールドにもかかっているものだが、この世界ではそうもいかない。神様製の場所のみだ。
「アイリちゃん、初めてゲームやった子みたいでかわいいー」
「実際そんな状況でしょ」
「は、はしゃいでしまいました……」
「いいんだよ」
“おのぼりさん”状態だ。見るもの全てが珍しく、きょろきょろと辺りを見回しては歓声を上げている。
そんな彼女を見て癒される。ルナにも見せてやりたかったところだ。きっと彼女の姿を愛でるのに忙しく、ショップどころでは無くなっていたことだろう。
「どこか入ってみようか」
「そだねー」
「はい!」
店はさまざまな種類があるようだ。武器屋、防具屋、服屋、雑貨屋、薬屋や魔道具店、食事処に酒場に宿屋。……宿屋?
大別すれば、武器と防具と雑貨の三種類の店で済むのだが、ここは買い物を楽しむ場所なのだ。利便性を求める人はウィンドウで済ませればいい。
「ここの店作るためなのか、アイテムの種類もぐっとアップデートされたみたいだねぇ」
「それはやる気のある運営な事で」
アイリの手を引いて、手近な服屋へと入る。何となくハル達といえば服、というイメージがついていた。
「いらっしゃいませ。ようこそおいで下さいました」
「こんばんは」
店に入ると、落ち着いた店員NPCが出迎えてくれる。
若い男性で、執事風のスタイルだろうか。ぴっしりと折り目正しい様子が好印象だ。
商品は、なんとなく高級そうな仕立ての物が多い。店の雰囲気に合わせてキャラクターを配置しているのだろうか。
「ご用の際は、なんなりとお申し付けを」
「買わないかも知れないよ。ごめんね」
「どうかお気になさらず」
すっ、と邪魔にならないように去って行く。
神様も商売上手だ。店員が居たほうが、何か買った方が良いような気になってしまう。例えそれがAIと分かっていても。
「人気出そうなキャラだねー。彼目的でリピーター付きそう」
「僕らの店にも店員が欲しいところだ」
「分身したハル君が店員やろう」
「嫌だよ、非効率な。……でも、それしか方法ないんだよね」
「わたくし、通っちゃいますよ!」
「身内じゃーん」
「そしたらアイリは看板娘だね」
人間は人の姿をしたものに弱い。技術の進歩に脳が追いついていないとも言える。錯覚に対しても、義理を感じ、お世辞を使ってしまうのだ。
つまり店員キャラが居ると売り上げが伸びる。
「じゃあ黒曜ちゃんを使おう」
「《私はハル様の脳を間借りしてこちらへ来ています。非効率には変わりありません》」
「ままならないねぇ」
「これなんか、ハルさんに似合いそうですね!」
アイリだけは、店員の様子をまるで気にしていなかった。王女の風格である。
「アイリちゃんそれ買う?」
「いえ、後でルナさんに似たものを作ってもらいましょう!」
ただし、店には優しくなかった。
*
それからハル達は服屋を出て、色々と店を見て回る事にした。
武器屋へ行き。
「らっしゃい!」
「ふむ」
「テンプレ親父タイプ」
防具屋、鎧の専門店に入り。
「いらっしゃいませ」
「メイドさんだ」
「なんでさ?」
薬屋へ行き。
「いらっしゃい、良く来たね」
「ふむ」
「おばあちゃんだ。ありがち」
レストランへと足を運んだ。
「いらっしゃいませ! お席へご案内します!」
「これも、メイド、ですか?」
「給仕さんだね。近い、のかな?」
「もうあんまり近くないかなー」
奥の方の席につくと、それぞれ適当に注文する。
アイリだけはメニューを睨んで、どれにするか決めかねているようだった。そんな初々しい反応にまたハルは頬がゆるむ。
「むむむ……」
「アイリちゃん、悩んでるとこ悪いけど、どれ頼んでもあんまり美味しい物は出ないと思うぞー」
「しかし、食べた事の無いものには変わりないので、えへへ」
「新鮮な味なのは確かかもねえ」
お屋敷でメイドさんが料理してくれる物とは、残念ながら比べるべくもないはずだ。
「全部頼んじゃおっか? これは食べても太らないぞ」
「選ぶ楽しみって物があるよユキ」
「頼んだ後で、選ぶ」
「意味ないなー……」
そういうのは選ぶ楽しみとは言わない気がする。
「何度も選べて楽しみ百倍」
「百倍、ではない。豪遊的な一つの楽しみだそれは」
「そんなに食べ切れません……」
「大丈夫、いくら食べてもおなか一杯にはならないさ」
「どうかな? アイリは初心者だ。すぐ一杯な気分になるかも」
物を食べている感覚をリアルに味わうと、満腹感の錯覚を覚える事がある。誰もが巨大ステーキ五枚を平らげられる訳ではないのだ。
アイリはデータ食に慣れておらず、あまり暴食はオススメ出来ない。体調に影響が出てしまいそうだ。
「ところでハル君、ここの店員って全部神様なの?」
「ああ、多分そう」
「そうなのですか!? わたくし何も感じませんでした」
「遠くから動かしてるんだよ」
「すごいですねー……」
フルダイブだと少し違うが、モニター式のゲームでキャラを操作する感覚が近いだろうか。
「中の神はそれぞれ誰なんだろね。カナりんも居るのかな?」
「いや、居ないと思う。というか全部あれ同じ人が動かしてるかも」
「えっ、マジなん、……ってああ、ハル君みたいな神様が居るのか」
「というか、本来AIの得意分野だよ。不思議な事じゃない」
「大変そうですー……」
食事をしながらそんな事を話す。結局アイリは選択をハルに任せる事にしたので、ハルはハンバーグを選んだ。何となく似合いそうだったので。
アイリは運ばれてきたそれを、不思議そうに食べていた。見た目と味が一致しない感覚は初めてなのだろう。
「どんな神様なんだろうねぇ」
「多分だけど、会った事があると思う。珍しく勘なんだけど」
「リアルで会ったって人? というかハル君いつも勘で動いてないの? 直感で動き読んでると思った」
「割と理論立ててるつもり。……というか、勘で動いてるのはユキでしょ」
「うん、そう」
「わたくしも勘には自身がありますよ!」
アイリの勘は侮れない。最近は特に、心を読まれているのではないかというタイミングが多い気がする。
もう一ヶ月近くずっと一緒に居るのだ。そういう事もあるだろうか。
だがハルは感情の機微は読めても、思考の内容まで読める訳ではない。アイリの感覚には舌を巻くばかりだ。
「このお肉は臭みが無くて味が素直ですね」
「はっきり言ってもいいんだよーアイリ? 『味に深みが無い』ってさ」
「えへへへ」
この表情はハルにも読心出来た。『あまり美味しくないですね!』、だろう。間違いない。




