第607話 男の殴り合い
そうして始まった大規模な乱戦。敵味方の双方から所かまわず魔法が飛び交い、前衛は一気に混沌の渦中へと叩き落された。
隣の敵を狙ったはずの魔法弾が自分に着弾し、文句を言おうにもそれを撃った味方が誰なのか分からない。
その真実は、後で放送を見返す気力があればそこで明らかとなるだろう。参加者全員の過去放送をチェックする覚悟があればの話だが。
そんな混乱の中では、密かにミナミに支援スキルを掛けていた協力者も自分の身を守るのに精いっぱいで、ミナミの体の動きもまた目に見えて落ちていた。
しかし、それは彼と対峙するアベルとて同じこと。
「アベル、ファンの子たちは今、君の支援どころじゃない。今は個人の戦力だけで現状を切り抜けることを考えるんだ」
「《望むところっ!》」
「《ぴーちくぱーちく! うるっさい小鳥だなぁ!? さえずるな!》」
「おっと」
ただ、その中でも変わらずハルだけはアベルの支援が出来る。小鳥の使い魔を張り付かせ、そこから常に適切なサポートを行っていた。
さすがにファンクラブ全員の強化スキルには届かないまでも、その判断は常に最適であることを自負しているハルだ。
例えば今、使い魔がミナミに倒されたのもまたハルの計画どおり。
「一匹や二匹、倒されたところで問題は無いんだよね」
「《くっっっそ、うざぁっ!!》」
使い魔の数は今や百に達しようという勢いで、例えサポートしていた個体が倒されようと、上空から『補充』がすぐに補充される。
使い魔を狙い支援を断とうとする行動は、逆に目の前に相対している敵に致命的な隙を晒す結果となった。
アベルの剣がミナミを切り裂き、彼のHPゲージを大きく削る。
「《くっそ、こっちもくっっそ! 良い武器使ってんなぁおい! こちとら大枚はたいても、今の武具が限界だってのに!》」
「……ん? ミナミ、君、素手に見えるけど」
「《防具はこれでも良いの使ってんの!》」
どん、と胸を叩いてその身に着けた服を強調する。ミナミの装備は武具というより、高級なおしゃれ着といった雰囲気だ。
貴族としての格調のためと同時に、普段活動している現代風のキャラクターのイメージをあまり崩さぬための選択だろう。
その装備はなんだが見覚えがある。ハルがゲームを初めてまず最初に行った廃課金、課金装備の中に似た系統のデザインがあった。
「課金武具だね。流石は有名配信者、稼いでるね。でも、あれの防御力が通用するのは序盤だけだよ」
「《最近実感してる。でもなぁ、普段は俺ずっとカジュアルなんだ。実はファンタジーはイメージがな》」
「ふーん? 変なところで面倒なんだね。じゃあこのゲームと提携して、コラボグッズでも出せば?」
「《それだ! おおっとぉ!》」
「《戦闘中に余裕だな。ぴーちく五月蠅いのはお前だよ》」
ハルとの会話の隙にもアベルはまた容赦なく切りかかるが、今度はミナミはそれを華麗に回避してしまった。
彼にとって、喋りながら何かするというのは最早ただの日常業務。なんら自身の性能を落とすことではないらしい。
そして体力を大きく削られ、もう一撃を受けてしまえば致命的という中でも臆さず、万全の時と変わらず攻め込んでくる。
軽装備ゆえの身軽な身のこなしで、肉食獣が狩りにおいて見せるようなステップを駆使し的確に打撃を与えていく。
その攻撃は<暗黒武技>の『吸命掌』を発動させる引き金となり、先ほどの傷を見る間に回復していった。
「なるほど、そうやって回復のできる、攻防一体の<暗黒武技>があるからこそのその軽装か。考えてるね」
「《あー、いやー、単純に店売りに趣味の合う防具が無かったからなんだけどなぁ。見栄えの軽視は許されん訳よ。アンタだって分かってるから、そのドレスなんだろ?》」
「いや? 僕のはミスリル銀糸でルナが織ってくれた超ハイエンド品さ。そこらの全身鎧よりも防御力がある」
「《くっそこれだから既得権益は許せんよなぁ!? ナチュラルに精神ダメージを与えてくる! 格差に是正を! 金持ちに罰を!》」
「君も金持ちだろうに」
形の上では激昂しながらも、彼の対応と表情は冷静だ。決して致命打だけは受けぬように立ち回り、慎重に傷を吸収し回復する。
ハルもまた<神聖魔法>などで行動の邪魔をしてやりたいところだが、スキルの発動は他の苦戦している戦場のサポートが最優先だ。この乱戦の支配が、勝敗に直結する。
そのためのスキル発動数は<二重魔法>を持ってしても足りず、ミナミの邪魔をするまでには追いつかずにいた。
ただ、アベルの支援がまるで出来ない訳ではない。何も口先でミナミの気を散らすためだけにアベルの傍に付いている訳ではなかった。
日頃から溜めに溜めた回復アイテムを湯水のように使い、アベルのダメージを即座に無かったことにする。
そのため、戦闘開始からそれなりの時間を打ち合った今も、二人の体力は常に最大値をキープしているという異様な状況だった。
「《……んー、キリがないかねこりゃあ。いや、アンタのアイテムには“切れ”がある。そこまで粘れば勝ちっしょ! 戦場全体で消費してんだから。……えっ、マジどんだけ持ってんの?》」
「準備期間を何日も与えた君のミスだね」
「《うわぁ。だが、無限ではない! 無限に耐えきれば俺の勝ちだな!》」
「君のスキルは、発動コストとか無いんだ?」
「《神に授けられた力舐めんな! そりゃもう無限よ、無限》」
「ずるいねえ。僕の<神聖魔法>はMP食い虫なのに」
正確には、吸収する相手が居れば、の話だろう。下手にアベルが強く、吸収量が彼のスキルコストを上回ってしまっている為に、そしてハルが常に回復してやっている為に、この噛み合いが発生してしまっていた。
「《だがそろそろのはずなんだがな。無限じゃないものは、もう一個ある》」
「君の集中力かい?」
「《おまっ、ひどっ! そういう集中切れるようなこと言うな! 武器の耐久値だよ! さっきから拳を武器でガードされる度に削ってんの!》」
「アベル?」
「《はい、主様。徐々に、ダメージが落ちてきています》」
「《その剣もブルジョワ品だろぉ? さすがに一点ものだよなぁ?》」
確かに、アベルの装備する剣は、<錬金>において比喩ではなく死ぬほどの極大コストを支払って作り出されたレア鉱石を使って作られたものだ。
そこにスペアは存在せず、次点の強力な武器も軒並みクランメンバーの手に渡っている。
ミナミはそこに目を付け、<暗黒武技>によってアベルの装備する武器自体に弱体化を掛けていっていたのだ。
それにより、いわゆる『ダメージレース』はどんどんアベルの不利となり、ミナミは逆にどんどん無茶な攻めが可能となる。
「《そろそろ閾値を越える! 武器威力が乗らなきゃ、ギリギリ死なねぇ! このままノーガードでボコってフィニッシュよ!》」
ミナミの感覚による計算は正しい。あと一段階でも武器の弱体が進めば、彼我の戦力差はぎりぎりミナミが上回る。
そうすれば防御を考えぬ猛攻により、ひと息に勝負は決まるだろう。
だが、それを見過ごしていたハルではない。そうして無理に攻めてきた時こそ、こちらにとってもチャンスであった。
◇
「《行くぜぁっ!!》」
咆哮と共にミナミが駆けてくる。今まで見せたことのない速度。この瞬間のために、全力は出さずに隠していたのだろう。
アベルの方も、それにはまるで動じることなく表情一つ変えずに対応する。敵が切り札を隠し持っていることくらい、常に想定済みといった場慣れからくる余裕の構えだ。
「《うおらっ!》」
「《ちっ、切っても構わず食らいついてくるとか、気色悪すぎだろ!》」
「《これは、ゲーム! だぜリアル騎士様よぉ!》」
アベルの常識では、互いに攻撃を叩き込み合いながらの一歩も引かぬ殴り合いなどあまり経験がない。
その身を切られれば苦痛によって、それ以上に避けられぬ肉体の反射によって攻撃の手は止まる。
だというのに切られながらも、まるで勢いを落とさぬミナミの連打にアベルはうすら寒い感覚を隠し切れないようだ。
「……まるで、いつかの誰かみたいだねアベル」
「《オレも、ちょうど思い出しちまってたところですよ……!》」
彼にとっては一度目の『ゲーム』との邂逅。ハルとの戦いもまた衝撃だっただろう。
それがアベルの脳裏にもよぎったであろうが、当時と今とでは違う部分がある。自身もまたゲームキャラとなっていること、そのハルが今度は味方に付いていることだ。
「《っっし!! 調整完璧ぃ! ダメージレースはギリ俺の勝ち! このまま殴り込んでフィニーッシュッッ!》」
互いに一歩も後退することなく、拳と剣で削り合う。
ハルもソフィーの祖父と、互いに刀で似たような試合をしたことがあったと思ったが、あれは至近距離でありながら双方一度も切り結ばなかったという異様な内容だ。
こんな熱く男らしい殴り合いとは、また違う。
「熱い青春の一ページって感じだね」
「《そこの女の子ぉ! 男の戦いを適当に評価しないぃ!》」
中身は男の子なハルである。男の子であっても、あまり青春っぽさというものには無縁なハルでもある。なのでこういう反応になってしまう。
そんな血と汗が飛び散る物騒な青春もそろそろ終わりだ。いや、ゲームだからどちらも飛んでいなのだが。
「《トドメの一発ぅ! これでHPは終了ーーー!》」
「だがまだMPが残ってる」
「《時間の問題……はっ、まさか!》」
「うん。はい、『完全回復薬』」
忘れていたのだろうか? だとしたら致命的だ。
ハルが最近作り出すことに成功した超レアアイテム、『完全回復薬』。それはHPがゼロをも下回り、マイナス値となった状態からでも、一気に最大値までの回復を可能とする。
つまり、万全のアベルの目の前には、瀕死のミナミが居る状態であるわけで。
「チェックメイトって訳だね」




