第599話 楽園の終わりはどんな時?
人間は天国で、理想郷で生きるのには向いていない。天国に行っているのに生きているもなにも無いのだが、まあ語ろうとしていることは分かるだろう。
「もちろん最初は、夢のような日々だと思うよ。肉体という檻から解き放たれたいという欲求、持ってる人は多いだろう」
「それでも、ハル様はあたしの計画が失敗すると思ってるんだ?」
「そうだね。もちろん、最初のうちは順調にいくと思う。たださっきも言ったように、人間は退屈に向いていない生き物だ」
「深海魚には成れないね。でも安心! あたしの理想郷では楽しいことがいっぱいだよ!」
「そういう問題でもなくってね」
人間、過度のストレスには非常に弱いのはよく知ってのとおり、今更語るまでもない。
だがその一方で、一切ストレスの無い理想の環境にも、また適していない生き物でもある。
身の危険、競争の必要性、生活の安定。電脳世界に住むという事は、そうした日々生身で生きていれば無意識に襲い掛かるストレス要素から解放されるということだ。
それはまさに夢のような日々。肉体などという手間のかかるものは他者に任せ、老いも死もなく、楽しいことだけがある精神世界で好きに生きる。
もちろん最初は良い。解放感に満ち溢れているだろう。
だが次第に、人はその環境に生を実感しなくなり、ついにはストレスの無いことそのものが不安となって精神に押し寄せてくるのだ。
「お、おどかさないでよ……、語り口がホラーだよぉハル様ぁ……」
「失敬。ただ、実際怖いことでね。もともと、肉体からの刺激が無い生き方なんてものは、人類発生からこのかた経験のないことだ。生物として対応しきれてないんだよ」
「お、社会性の話だ!」
「その通り。流石だね。そもそも文明なんてものを手に入れてからの時間が、人類種全体の歴史に比べればまだまだ短い」
それゆえ人の社会性というものは、まだまだその実情が自分で思うよりずっと動物的だ。
人は、まだ自分自身が文明というものに慣れていないのだ。乗り物酔いのようなものである、脳が付いて行っていない。
特に、エーテルネットを使った電脳世界などここ一二世代のこと。
文化的にもそうだが、肉体的に全然その発展に追いついていなかった。
「むむむむむ! ずいぶんと詳しく語るんだね。まるで見てきたかのように!」
「うん。見てきた。実験があったんだ、これは実際」
「わお! やっぱしだ! 聞きたい聞きたい!」
自らの計画を否定する説得をされているのに、ミントはまるで構うことなく目を輝かせて詰め寄って来る。
これはどうあっても計画に前向きで肯定的であることの表れか、それとも単純な知的好奇心の発露であるのか。
「ハル様が見てきたってことは、その実験ってのは、あれかな? あたしらの研究所が?」
「うん。主導で行ったものだね」
「おー、やっぱりねぇ。ロクな事しないね相変わらず。非人道的だ!」
「……その非人道的なことを目論んでるのはどこのどなただったっけ?」
「あたしは人間じゃないから、いーのっ!」
ひどい理屈だ。納得してしまいそうになる。
それはともかく、電脳世界の、エーテルネットの第一人者といえばかつての研究所なのは間違いない。
今はその存在は各所に分散し、ほぼその痕跡も消えて久しいが、そうした実験や研究の質や量はどこよりも多い。
その中に、今回のような例の研究も当然のように残っていた。
人は、肉体を捨てて電脳世界でのみ生活をし続けたらどうなるのか。
「志願者にはお金も出してね。残った肉体の健康管理も最高のものを約束してそれは行われた」
「どきどき!」
「今も僕らが使ってるあの医療用ポッド。あれもその当時に作られた機材の名残を汲んでいるんだよ?」
「うわ、職権乱用だ!」
「技術の継承の方を喜ぶように。まあ職権乱用には間違いないけど」
ゲームするのに便利なのでそうした過去の伝手を利用してポッドを保有していたハルだ。確実に職権乱用である。
「そんなことよりハル様! 実験は!? 実験の結果はどうなったの!? もう分かってるけど!」
「そうだね。結果は失敗、というより、予想以上に人間は肉体を離れるのに耐えられないと分かった」
「残念!」
「ほぼ全ての被験者がね、お金は要らないからもう止めたいって、楽して大金を稼げるにも関わらずにそう申し出たんだ」
「もったいない! ……あ、でも、『ほぼ』ってことは、中には見込みのある人もいたんじゃない? あたしは、そういう人を探せばいいのかも!」
「残念。その例外は僕ら管理ユニットさ」
「あー、おー……、なるほどぉ……」
当然と言うべきか何と言うべきか、ハルたち管理者は、そうした環境に耐性を持つように調整されていた。
電脳世界に適応した新人類、いや、別人類。そうでなければ、管理者の業務は務まらない。
「だから僕らは、そうした『飽き』や『退屈』とは無縁でね。それ故に、まあこうして長く生きてても精神に不調をきたしてないんだけど」
「さっすがハル様!」
「……褒めるところじゃないよ。ミント、きみ、そんな僕をサンプルケースにしてこの計画を立てたでしょ?」
「うん! ハル様とセフィ様をモデルにしたの! あたし、それしか人のデータ持ってないしね!」
「引きこもりだなあ……」
それでよくこれだけ大人数が集まるゲームの運営など出来たものである。
そこは流石に元AIか。そうした事務作業は、お手の物なのかも知れない。
だがそんな対人経験の薄さが、今回は如実に、しかも悪い方向に出た結果になったと言えるだろう。
セフィも彼女のデータ対象に入っていたのは驚きだが、それでもハルたち管理者のデータは人間という生き物を測るには微妙に役に立たない。
これは、異世界の者達ではあるが実際にずっと人間と接していた“あちら”の運営ならやらなかったであろうことだ。
いや、それを良く理解していながら、それでもなおハル一人のデータを取り続けたカナリーのような変わり種も居るには居るが。
「ともかく、そういった理由で、君の理想郷はそう長くは持たないよ」
「う~~~ん、思ったよりずっと難しいんだねぇ……」
恐らく、互いの利益が一致するからと、単純な動機で始めたのだろう。
がっかりさせてしまったのは少し心が痛む思いのハルだが、これを機に考え直してくれたら嬉しい。
その為なら、当時の詳細なデータ提供も含めてハルも協力を惜しまないつもりだ。
なんとか説得がうまく行きそうな流れに、ハルは内心で胸をなでおろすのであった。
◇
「でも! それってつまりハル様は理想郷に適応してるってことだよね!」
「……人の話聞いてたか、お前?」
つい言葉が悪くなった。内心で胸を押さえるハルである。
「実験は失敗なんかじゃないよ! ハル様たちみたいになれば、適応できるって成功例を出したんだよ!」
「……素晴らしい発想力だ。なんというか、サイコパス感を感じてるよ今僕は。いっそ感心する思いだ」
「やったー!」
「褒めてないから!」
つい言葉を荒げてしまった。強敵だ。
マイペースな人たちばかりの神様たちだが、ここまで我が道を貫き通すタイプも珍しい。人の話を聞かないのではなく、きちんと聞いたうえでこれなのが厄介だ。
「だってさ、それってつまり進化じゃないかな? エーテルネットに適応した新人類! それは、ルナママの計画にもきっと合致するって!」
「詳細な計画知らないんでしょ? また前向きに考えすぎないの」
「えーー?」
「それに、人間はそうそう簡単に根本的に進化できないよ。さっき言ったように、まだまだサルの時代が長すぎる」
「ハル様は気が長すぎるんだよぉ。そんなんじゃ、人類は時代に置いていかれちゃう! もっと人工的に、積極的に進化しないと!」
「過激なほどに前向きだなあ……」
これもまた、彼女に悪意はなく真剣そのものなのだろう。本気で人間の未来を考えているのは、きっと他の神様と同じ。
しかし人工的にと言うが、ミントはどこまで詳細にこの計画を立てているのだろうか。
そして仮に、そんな新人類がもし本当に生まれたとして、そこにもまた問題が残る。進化の方向性が、尖り過ぎているのだ。
「仮に、この先世界からエーテルネットが消えたら、人間がエーテルネットを必要としなくなったら、その新人類はどうするの? それこそ、時代に置いて行かれちゃう」
「えっ!? 駄目だよそんな! エーテルは、常に人類と共にあり続けないと!」
「それは僕らの理想だけどねえ。この先その選択は成されない可能性だってある」
機械文明の最盛期が前時代で終わったように、エーテルの時代も同様にあっけない終焉を迎える可能性もある。
その際に、それに適応しすぎた人種もまた生きていけない。
それこそ、今度こそ全滅してしまうかも知れない。それを避けるためにも、そうした急激な進化というものは避けなければならなかった。
「やだやだ! だめ! やっぱりそうなる前に、ハル様とセフィ様のお友達を作らなきゃ!」
「……まーた、何を言い出すんだろうね、この子は」
もしや、それがミントの目的の核なのだろうか?
この謎の計画は、彼女の好奇心やいたずらな思いつきではなく、ハルと、そしてセフィのために計画されたことであったのだろうか?
「ねぇハル様? 大丈夫? 大丈夫? 人間は飽きるものだって言うなら、ハル様のカノジョさんたちもハル様に飽きちゃったりしない?」
「本気で心配そうな顔で恐ろしいことを言うな! ……いやまあ、心配はもっともだ、論理的な帰結だね」
「でしょでしょ!?」
人間は飽きる。ハルの隣にいる女の子たちは人間だ。よって彼女らはハルに飽きる。証明終了。
極めて論理的だ。考えていて頭が痛くなってきた。
「……ただまあ、彼女たちに限ってそれはない。これは、僕の盲目的なひいき目って訳じゃなくてね」
「あっ、矛盾が出てきた!」
「大人しく聞きなさい。良い子だから」
「はーいっ!」
「まあ、これ言うのは恥ずかしいんだけど、あの子たちには“僕が感染”してるから、そこは、僕と同じなんだ」
「おおおおーー!」
えらく感動しているが、これを口にするのは言ったとおり非常に恥ずかしいハルだ。
言うなれば、自分に飽きられるのが嫌だから、自分の好きな女の子を自分の一部にしてしまったと言っているようなものだ。
なんて傲慢で、自分勝手なのだろう。こんな人間が(人間ですらないのかもしれない)人類の未来についてなど語っているのだから笑わせる。
そう自嘲気味に沈みそうになったハルを、ミントの元気いっぱいの声が救い上げた。
「じゃあ! ハル様が全人類に『感染』したら解決だよね!」
「それマリーゴールドがやろうとしてもう否定したから!」
元気なのはいいが、その内容は相変わらずまた頭を抱えるものなミントであった。




