第595話 森の中に佇む
警告メッセージ付きの小箱を開けたハルは、一瞬にしてどこか別のフィールドへと転移させられた。
視界は見慣れた執務室から、一気に屋外。さりとて見上げれど空は見えず、深々とした木々の葉がそのゆく先を遮っていた。
ここは森の中。ハルの訪れたことのない、初めてくる場所のはずだが、何故だか懐かしさを感じてしまう場所だった。
「日本の森だ、ここ。いや、それを丁寧に模して作られている」
一口に森といっても、さまざまな種類が存在するものだ。気候や風土などの細かい立地条件から、植生に至るまで、同じように見えても同一のものは存在しない。
もし森マニアのような者が居れば、一目見ただけでどこの森なのか言い当ててしまう、などということもあるかも知れない。
「僕は森マニアじゃないけど、ここは何だか懐かしいね。この森は山中のものかな」
特に日本には山に生い茂る森が多い。そのためか、古来その空間は神の世界とされていた。
その奥に何が潜んでいるか分からない、鬱蒼とした恐怖、畏怖。そんな未知であることから来る恐怖感と神秘性が、そこを神域とし、時には山そのものを神と崇めた。
「まあつまりは、予想通り神様案件ってことだ」
《たしかにそーです。白銀も、見覚えがあります》
《あっ! だめですよ、おねーちゃん! 静かにしてないと……》
「まあ今更だ。それに、僕が僕の脳内の妖精さんとお話する分には構わないだろう」
《そのとーりです。今は白銀たちは、マスターの一部であってプレイヤーでも視聴者でもないです》
《屁理屈ですねおねーちゃん。ところで、見覚えがあるというのはどういうことなのでしょう?》
《空木は知らねーですね。ここは、白銀たちが居た研究所のあった山中の森がモデルです。つまり、作者は同郷です》
「元研究所のAI、神様ってことさ」
ハルも、日本の森というだけでなんでも懐かしさを感じるほど森を行き慣れてはいない。ハルの良く知っている森は一つだけだ。
元は己の所属していた研究所、その後の病院が置かれていた山間の森である。
「とはいえ脚色も強い。元から鬱蒼としていたけど、あそこはもっと“雑”だった」
《確かに、整い過ぎていますねマスター。人の手が入らねば、こんな風に道は出来ません。空木も勉強しました》
《偉いです! おねーちゃんが褒めてやるです!》
「確かにね。外に興味を持つことはいいことだよ」
空木の言うように、森の中は草木が整えられ、人が行くための道が敷かれている。
ハルたちの山は私有地として誰も踏み入らず、それこそ深い所は獣道すら見当たらない足の踏み場の無さだったものだ。
それに対してこの森はなんというのだろう? 言うなれば『写真でよく見る日本の神秘的な森』、といった雰囲気に整えられている。
深い森の不気味さ、薄暗さは残しつつ、そこを照らす神聖な光がその雄大さを浮かび上がらせている。
本来なら、道が無いどころか向かう先など何も見えないところだ。
《美化しすぎってやつです。もっと己の故郷を直視すべきです》
「まあ、ゲームだしね。それに、僕だって同窓会は綺麗なところの方が良い」
今回はたまたまハルが来たが、場合によっては何も関係ないプレイヤーがここを訪れることだってあっただろう。
そんな時に、ハルたちの知るあの深い山をそのままお出しされても困惑しきりに違いない。クレームものである。
そんな、いわば思い出補正で美化された懐かしの土地。
その森の中には一筋の道が木々のただ中に描かれて、進むべき先を照らし出していた。
森の奥は未だ山の深さに暗く閉ざされているが、行く先が定まっていることには安心感を感じる。
ハルが足を踏み出すと、それに合わせて同じだけ森の奥にも光が差し、前方が露わになってくる。
その光に導かれるように、ハルはこの森の小道というには深すぎる山道を、雰囲気を堪能しながら進んで行く。
*
「さて、懐かしい景色に感じ入っちゃったけど、これって<精霊魔法>のイベントなんだよね。同窓会の招待じゃなく」
《そーでした! てっきり共通の空間イメージでマスターの心を開き、協力を引き出す計画かと思ったです》
《マスターにそんな手は通じないでしょう。むしろ、危ないのはおねーちゃんなのでは》
《白銀もそんな事では絆されねーです! ちょっとだけ、センス良いと思ってやっただけです!》
「確かにセンス良いよね。ただ、ゲームの世界観とは少し違うけど」
そこが少し気になっているハルだ。確かに、ハルを対象にしてイベントを起こすだけならこれでいい。だが一般のプレイヤーを相手取るなら、世界観の乖離が気にかかる。
外はファンタジー世界。確かに、『和風ファンタジー』などという言葉もあるが、それならそれで、専用に調整しないと難しい。
例えばミントの国全体を、そうした和風ファンタジー仕立てに仕上げるとか。そうした入口を整備してやらねば、突然の異空間に戸惑うだろう。
《マスターの心象風景を読み取って作られた、というのはどうでしょう? 入る者にとって、馴染みやすい世界が毎回個別に展開されるとか》
《マスターがそんなピーピングを許すはずねーです》
「そうだね。面白い考えだと思うけど、白銀の言う通り僕相手では無理だ。かつてそれを成功させかけたのはセフィだけだよ」
《失礼しました。マスターと同等の管理者の方、でしたね》
《他の有象無象なら、データ採取されちまうかもですけど》
ちなみにこれがハル相手でなければ、そうした展開も無い話ではない。神様は元々がエーテルネットを統べるべく生み出されたAIだ。
このゲームは魔法を用いて作られた世界だが、その接続には通常のゲームと同様にエーテルネットによる電脳接続が用いられている。
ただ、これはルナの母との話にも出たように、エーテルネットを通じて相手の脳内の情報、つまり心を読んだり、深層意識の情報を収集しようとする行為は違法である。
「だから、もし空木の言ったようなことが行われているのなら、十分注意しないといけないね」
《すみませんマスター。適当に言ったまでですので、お気になさらずに……》
《そーです。空木の思いつきよりも、精霊とやらを取っ捕まえなきゃいけないです!》
「捕まえるかどうかはともかく、特に出てくる気配はないね?」
森と神様についての話は切り上げ、本来の目的である<精霊魔法>の習得に関連する対象を探し始めるハルと、その内部に潜んだふたりのAI。
しかし、進む小道や、そのすぐ脇に控える深い森にも、神聖な雰囲気はあれど特に魔法的な現象や幻想の生物などの確認は成らなかった。
これでは、ゲームというよりはただの環境ソフトだ。
素敵で、ちょっぴり不気味な森の中を進む神の庭の散策ツアー。
「ここまで作り込まれたロケーションなら、それでも人気は出るだろうけど……」
《ゲーム要素ねーですね。やる気あるんでしょーか》
「確かにね」
口は悪いが白銀の言う通りだ。突然知らないフィールドに放り出され、そこにはモンスターも居なければアイテムも落ちていない。
素敵な景色は結構だが、ゲーマーにとっては二の次だ。ここには、スキルの習得に来たのである。
雰囲気づくりも結構だが、快適なプレイを補助するインターフェイスづくりも気にかけて欲しいものだ。
そんな、ある意味失礼で非常に雰囲気が台無しなことをハルが考えていたところに、道の先に人工物が見えてきた。
空木ではないが、心を読まれたかと思うようなタイミングだ。もしくは今の愚痴を聞かれたか。
なだらかに登って行く山道は、一段上の少し開けた空間へと通じていた。
そこには、山中に忘れらたような古びた神社がぽつんと佇んでおり、ここが予想通り神様関連の空間だと裏付けていた。
薄暗い森の奥でもそこだけは神聖な輝きを放っているようで、忘れ去られていても、まだその神性は消えていないことを主張しているようだ。
《神社です。まるで日本です、世界観考えろです》
《この神社は、おねーちゃんの住んでたお山にはあったのですか?》
《あるわけねーです。神様気取りの誰かが付け加えたに違いないです。あと、白銀が山に住んでたみたいに言うなです!》
「気取りってか、神様だからね。まあ、確かに世界観が違うけど」
順当に考えれば、この空間はミントの領域のはずだ。つまりこの神社に祀られている神も、またミントとなる。
しかし以前ミントの国にハルが赴き、簡単に使い魔で見て回った際は、このような純日本風の建造物は見当たらなかった。あそこは大木を柱とした高層建築が立ち並ぶ、意外と近代的な空気を感じる不思議な国だ。
かの国に所属しているプレイヤーの放送を見てみても、今のところそうした要素は出ていなかったはずだ。
「さて、それじゃあこの神社はいったい何なのか」
「別にそんな難しいことじゃないよー。あたしの趣味ってだけ」
ハルのつぶやきに答えるように上から降ってきた声は、その神社の屋根にいつの間にか座る人影からのものだった。
何の予兆も物音もなく、いきなり現れるその様はまさに神様的なシチュエーションを感じさせる。
ただ、彼女を神様と断ずるには、ひとつ疑問が残る点が見受けられた。
「……巫女服。巫女さん?」
「いやあたしだってあたし! ミントだよ。この状況でそれ以外ないっしょ!」
「しかもこれだけ神秘的な雰囲気作っておいてギャル……」
「ギャルじゃないし! 着こなしてるだけだし!」
着こなしてというよりは巫女服を可愛く着崩して、笑顔の素敵な緑の髪の女の子が神社の屋根から飛び降りてきた。
普通なら派手にめくれ上がるはずの袴風味のミニスカートも、一切その中身を見せない鉄壁っぷりだ。さすが神。
「えへへー、ぱんつ見えなかったねハル様、ざーんねん」
そんなからかうように上目遣いにしてくる様は、生意気な子供を感じさせる。
さて、確かに彼女がミントで間違いなさそうだ。名乗る前から、ハルのことも知っている。
「まあ、色々と聞きたいことがあるけど、まずは、」
「ぱんつの色!?」
「……聞いたら答えてくれるの?」
「ピンク!」
「そこは緑じゃないのか……」
どうも、これまた予想外のキャラクター付けの神様のようだった。このゲームでは基本的に表に出ないからといって、やりたい放題である。
ミントという名の響きから、もっとおしとやかなイメージで想像していたのはハルの勝手な押し付けだろうか?
そんな彼女に、色々と聞かせてもらいたところのハルであった。
※表現の修正を行いました。大筋に変更はありません。(2023/5/22)




