第59話 閉じた世界の、彼と彼女
マイルームへと戻ってきたアイリとハル。一旦、屋敷へとひとまず戻り、アイリを休憩させてからまた戻ってきた形になる。
アイリは生身だ。自分の感覚で、そこを忘れないようにしないとならない。プレイヤー用の閉鎖空間にずっと置いてはおけない。飲み物もお手洗いも無いのだ。
──そういえば、ギルドホームでテーマパークを作ったとして、トイレの無いテーマパークになるって事か。片手落ちかもな。
何故だか、そんな事が気にかかるハルだった。断じてお手洗いはアトラクションではない。
「飾りつけしましょう!」
「そうしようか」
そんな馬鹿な事を考えているとアイリから声がかかる。
後で飾りつけしよう、と言って皆と合流したのだった。意外とそれを楽しみにしていたのかもしれない。
「どうすればいいのでしょう?」
「さっきと同じようにだね」
「あれですね! 出ろー出ろー。……出ました!」
「慣れてきたねアイリ」
「えへへへ」
出ろー出ろーと念じる姿がかわいらしい。しかし、そのうちに無意識に出せるようになるだろう。
そうなれば、この姿が楽しめるのも今だけか。そう考えると少し寂しい。
「でも不公平ですよ!」
「どうしたの?」
「ハルさんは、わたくし達の魔法を苦労せずに使ってしまいましたもの」
「そういえばそうか、アイリだけ苦労しちゃってる」
「違います! 苦戦するハルさんの姿をわたくしも楽しみたいですのに!」
「あはは……」
また心を読まれてしまったのか。苦戦するアイリをハルが愛でていると、アイリから不公平感を訴えられてしまった。
ハルとしては十分苦戦しているのだが、どう態度に出したらいいのだろうか。
《私を使うのを控えたら良いのではないでしょうか》
──しかし、手を抜くのもね。
《手抜きではありません。全力でいちゃいちゃするのです》
──目的が手段になってる……。
勉強する目的のはずが、いちゃいちゃにすり替わっている。まあ、古今東西、二人で勉強していてそのまま……、という流れの恋愛ものは多い。そういった雰囲気になってみるのも、たまにはありだろうか?
◇
「ハルさんはどんなお部屋が良いですか?」
「特にこれといって。変な部屋じゃなければ大抵のものには順応するから」
「普段はどうされているのでしょう?」
「まず置きたい物を一つ選んで、周りもそれの雰囲気に合わせて統一していくかな」
「なるほど!」
他のゲームでは、ハルはマイルームをあまり使わない。ルームには殆ど戻らずゲームの攻略をしているか、ルナがマイルームをきっちり飾りつけているので、そっちを使わせてもらっている。
なお、ユキの場合は、大抵マイルームは初期状態だ。ステータスアップ系の置物などあったりすれば、それだけが置いてある。
「これなんか良さそうです!」
「わあ、おっきいね」
アイリが選んだのは、ピンクで、フリフリで、ガーリーな、巨大ベッドだった。
以前入ったアイリの部屋のベッドは、大きさはともかく、雰囲気がまるで違っていた。シックで落ち着いた色、それでいて豪奢だ。気品ある王族の調度品。
こうした女の子らしいものに憧れがあったのだろう。
「この部屋も広げられるみたいだね」
「そうなのですね」
「そのベッド大きいし、部屋も広げようか」
何せ床面積の半分以上をベッドが占めている。これでは他に飾りつけも出来ないだろう。
拡張は課金の他にも、ミニゲームのポイント、ゴールド、HPMPなど様々な方法があるようだ。迷わず課金を選んだルナに感服。
「……とりあえず、今はこのままで!」
「そっか」
ベッドと、部屋と、ハルをきょろきょろと見回して、アイリはそう結論付けた。
部屋を広げるとハルと距離が離れてしまう、と心配しているのだろうか。だがこれは、何か置いたら流石に足の踏み場も無くなりそうだ。
部屋というよりは、自分たちがヴィネットの一部になってしまう。さきほどの町を見て、そういう演出を狙っているのだろうか。
「あとは床とか壁だね。窓も付けられるよ」
「窓を付けたら、外と繋がるのですか?」
「いや、多分繋がらない……、と、思う。外の景色が映し出されるだけ、かな?」
「ここの外はどうなっているのでしょうか?」
「僕にも分からないな。こういうとこは、“外なんて無い”のが普通だから……」
あらためて聞かれると困ってしまう。ゲーム的なお約束としては、この空間に外など無い。
この三メートル四方の閉じた空間。それが世界の全てだ。
言葉にしてみれば恐ろしい話だ。どこにも向かう事の無い閉じた世界。そこに二人きり。
いや、ハルは例外なのだ。アイリが共に居るのは奇跡の産物であり、普通はこの空間に一人きり。閉じた個室へと閉じ込められる。
真っ白で何も無いマイルーム。
「どうかされましたか? ハルさん?」
「……うん、少し不安になっちゃってた」
「壁がいけませんね! 壁もかわいくしましょう!」
ネガティブな妄想をアイリの声が振り払う。
壁は不安を吹き飛ばすかのようにピンクやオレンジの暖色を基調とした模様で埋められ、床にはふかふかのじゅうたん。その上には大きなハートのクッションが多数。
ベッドの隣にはお茶やお菓子(食べられる)が乗った飾り台が堂々と配置され、堕落した空間であることを胸を張って主張していた。
天井にはロウソクの照明が吊るされる。部屋自体が照明なので必要ないが、それを切ってロウソクを点ければ、怪しく淫靡な雰囲気に早変わりだ。ハルの方で元に戻す。
仕上げに、黄色い鳥のぬいぐるみを置いて完成。
「これ作ったの絶対カナリーちゃんだろ……」
「これだけ輝きが違いますねー」
ぬいぐるみは神秘的に輝いていた。なぜだか安心感を感じるのがズルい。
「外に出られなくなってしまいました」
「アイリに閉じ込められちゃったね」
「!!」
とはいえ妙な不安感は消えた。このままベッドの上に座って、アイリとのんびりするのも良いかとハルが考えていると、何やらアイリが思いついたようだった。
ベッドは簡素な物に変更され、じゅうたんやクッションは没収される。
壁も床も暗い雰囲気のものになり、悪趣味なオブジェクトが周囲に配置された。仕上げに玄関は鉄格子だ。
「完成です!」
牢獄だった。
「アイリは、僕を閉じ込めておきたい願望があったのか」
「いいえ! わたくしが、閉じ込められる方です!」
手枷と鎖を差し出してくる。
こんな発想をアイリに与えてしまったセレステ氏には、後日厳重に抗議を行いたい。
それとも、こんなセットを用意している運営そのものに、抗議した方が良いのだろうか?
◇
「好きに試していていいよ」
「はい!」
まだまだ家具は沢山ある。遊び足りなさそうなアイリには、好きに楽しんでもらう。
ハルは邪魔にならないように、空中にあぐらをかくように浮遊して、その様子を愛でていた。
ハルも家具の内容を覗いてみると、中には使用を制限された家具がある。それも使えるように、ルナに習い課金で制限解除していく。
使える物が増えたアイリが嬉しそうな顔をしていた。遠慮せず勝手に解除しても良いのだが。
──ルナの気持ちが少し分かった気がする。この世界においてリアルマネーは価値を持たない。使える所は使った方が資源の節約になる。
どちらかと言えば、それは効率を重視するユキ寄りの意見かもしれない。ルナは単にお金持ちなだけで、そんな事は気にしていなさそうだ。
「お部屋が一気に広がりました!」
「入らない物を置こうとしたからだねー」
巨大な円卓型テーブルだった。何に使うのだろうか、マイルームで。いや、大勢を呼べない事もないのだが。
しばらく部屋を広げたり戻したりして遊んでいたアイリだが、みょーんみょーんと収縮するそれを目で追って酔ってしまった。ふらりとする彼女を支える。
接触と、自分の醜態に顔を赤らめるも、すぐに復帰して飾りつけに戻る。本当に元気が良い。
そんな彼女を見ながらハルは考える。先ほどアイリの言っていた事にも関係する事だ。すなわち、ここは何処なのか。
ゲーム的な閉じた空間なのか、それとも、この世界のどこかに存在する場所に施設を作ったのか。
それが明らかになれば、この世界についても見えてくるものは多い。
──この壁はご丁寧に<精霊眼>では見通せないんだよね。黒曜、太陽の位置はどうだった?
《お屋敷から見えるものと比較して、数時間の時差がある位置と推測されます》
──例えば、洋上に交流スペースを要塞のように浮かべてるとか。後で端まで見に行きたいところだ。
ユーザー数に対し、広すぎる土地の確保もそのためだろうか。拡張が容易ではない、等の理由で。いや、マイルームやギルドホームは伸縮が効くようだ。天井を高くして遊ぶアイリの姿を眺めてハルは考え直す。
《壁の破壊を試みては?》
──アイリが居る。それは出来ない。
思えば、ここに来る時は必ずアイリと共に来る、というのもその為だろうか。アイリが居れば、ハルは無茶が出来ない。
ハルに対するサービス、だったのではなく、この世界について探らせないためのカウンター、だったという考えだ。
アイリがこの空間に来れる、という事実から考えれば、世界のどこかに用意された閉鎖空間と考えるのが自然だ。
だが決定付けるには、この世界の仕様についてハルは知らなすぎる。
──また夜にでも来てみるか。
《星座など見なくとも位置の推測は可能ですが》
──いや、単にユーザー数が少ない時間に街を歩いてみたい。
《アイリ様がご一緒ですものね》
──うん。あまり質問攻めは避けたい。
後はこの世界を構成する物質についてだ。どれもこれも<精霊眼>では見通せない。アイリもこの世界に何も感じる事は出来ず、それはつまり魔力で出来ていない事を意味している。
魔力で出来ていれば複製が効いて楽だった、という側面もあるが、重要なのは別のところだ。つまり、この場所では魔法を使わずに、魔法じみた現象を起こしている。
「ねぇアイリ」
「なんでしょう!」
家具で遊んでいたアイリが手を止める。何だか、悪いことをしてしまった気分になる。
アイリはこんなに楽しんでいるのに、ハルはつまらない事を考えすぎて共に楽しむ機会を失っているように思えた。
「この家具って何で出来てるんだろう?」
「むむっ、わたくしには良く分かりません。何となくですが、ハルさんたちの体と同じようにも感じますが」
「うーん、なるほど」
「何かお分かりに?」
「いいや、わかんないね?」
「ですよね!」
分からないものは仕方ない。ふたりで笑う。
「ここは夢の世界なのでしょうか?」
「あー、無いとはいえないけど」
つまりは、転移したと見せかけて、別のゲームへとログインしたということだ。それならアイリが一緒に来れる事も説明出来る。アイリもフルダイブしているのだ。
だがそれは否定する要素が一つあった。
「でもこの世界にはカナリーの魔力が持ってこれた。夢じゃないと思うよ」
「そうでした! どこかでカナリー様と繋がっているのですね」
それがあるため、全くの別世界という線は否定できる。少なくとも、元の世界とは何らかの形で地続きだ。
「ここにも持ってくる?」
「ええと、その、……今は、いいです」
アイリはもじもじとそう言うと、部屋を元の小ささまで縮小していった。
最初のファンシーな部屋に戻すと、ハルへとぴったりとくっつく。
これは、『ふたりきりが良い』、だろうか。それとも『あなたを直接感じていたい』、だろうか。どちらにせよ恥ずかしい。小さい部屋が、更に狭くなったように感じた。
疑問はもう一つ、アイリのウィンドウでハルのマイルーム操作が出来た点があったが、それについて言い出したり、考える雰囲気ではなくなってしまった。
どのみち考えても疑問は尽きない。それどころか陰謀論めいた方向へ考えが加速していってしまう。これから一つ一つ、帰無を棄却していくしかないだろう。
「このまま、また眠ってしまいそうです……」
「はしゃぎ疲れたもんね。でも、それはダメかなあ」
「むー」
ふたりで寄り添って腰掛ける。鳥のぬいぐるみを、ぎゅー、っとするアイリがかわいらしい。
パーソナルスペースも何も無い狭い部屋。アイリも“個室”を欲していたのだろうか、部屋は結局、この大きさにするようだ。
エーテルで全ての人が繋がった反動で、個人の個室化が進んでいるなどと語られる昨今だが、それは前時代、いやずっと昔から変わっていないのだろう。
心は拡散する事に向いていない。
ハルとアイリは、しばらくその狭い空間で、言葉のない暖かさを感じてふたり過ごした。




