第588話 隠す彼女と、隠される彼
「お母さまの様子がおかしい?」
「うん。そうなんだよね」
「……いつものことではなくって?」
「うん。そう……、ではないんだよね」
ルナの実家、彼女の部屋でくつろぐハルたち一行。ハルは先ほどの、ルナの母の初めて見る様子についてを皆に語っていた。
ルナの部屋とはいうが、その広さは相当なものだ。アイリのお屋敷でも、一部屋にここまでの広さはない。彼女がお嬢様だと思い知らされるようだ。
その広さはハルたち全員を悠々と迎え入れ、今は思い思いに皆力を抜いている。
「広いお部屋ですー……」
「そういえば入るのは初めてだったわね? 前までは、客間だったから。確かに、そう言われてみれば今日は変ね?」
「そうなのですかー?」
「それが普通じゃないのルナちゃん? その辺はちょっと、わかんないや」
「分からなくていいわ?」
現代版貴族にはいろいろとあるのだろう、とユキもそれ以上は疑問を投げかけることなく受け入れた。順応が早い。
「しかし、この部屋は広すぎてあまり好きではないの。以前のハルの家くらいがちょうどいいわ?」
「おー、ルナちゃんが通い妻してた、あの」
「はい! はい! わたくしも何度か通いました!」
「アイリちゃんはその時もう実際に妻でしたよねー」
「いや、あそこは狭すぎでしょ……」
今はもう引き払った、かつてのハルの個人宅を皆で思い出す。
ここからは少し遠い学園へと通うためだけの簡素な拠点だったが、いつの間にか異世界攻略の前線基地ともいえる場所になった少し懐かしいハルの城。
カナリーもまた、身体を得て最初に踏んだこの地球の地がそこなので、少々感慨深いようだった。
「今考えると、残しておけば良かったかもしれないですねー」
「へえ、珍しいね。カナリーちゃんがそんな風に言うなんて」
「やっぱり、思い出深いのかしら?」
「いえー、あそこはこの地上で最もハルさんが魔力を放出してた場所なのでー。次住む人に影響が出ないかとー」
「ああ、そういう。しっかりと回収したから、問題はないはずだけどね」
カナリーも、それはよく理解しているはずだ。口では理由をつけつつも、やはり未練が少し残っていたようだった。
とはいえあの家を残しておく理由があまりないので、こればかりは仕方ない。
ハルであれば片手間で管理も容易いが、毎回そうして思い出の地をキープしていては、いつか膨大に膨れあがってしまうだろう。
「……確かに、セーフハウスとして残しておけばよかったかも知れないわね?」
「いやルナまでなに言ってんの。要らないでしょ、セーフハウス」
「そだね? このおうち、安全そだし。それにハル君が居れば、危険なことなんてないもんね?」
「ですねー。よしんばこっちでも問題が起こったとしてー、あっちに<転移>して避難しちゃえばいいんですもんねー」
その通りである。名家として、それこそ要人警護のための隠れ家並みにセキュリティがしっかりしているルナの家だ。避難の必要は無い。
もし必要に迫られても、今の屋敷や、いっそ異世界に渡ってしまえば、追ってこれる者など居ないだろう。それはルナも分かっているはずだ。
つまり、実際に彼女が求めているのはセーフハウスではなく、別の目的があると推測するべきだ。
この話題は、危ない。
「ルナさんは、どうして“せーふはうす”が欲しいのです? こんなに、素敵なおうちですのに!」
危ないのだが、そんなことはお構いなしのアイリだ。ずばずばと聞いてしまう。
まあ、この話題を危険視しているのは実のところハルだけなので、アイリが危ないと思っていないのは当然なのだが。
「素敵かどうかは脇に置くとして、少し広すぎるのよ、ここは。落ち着かないわ?」
「あれ? ルナちゃんそういうタイプだっけ? いつも堂々としてるから、わかんなかったや」
「ですねー。アイリちゃんと同じで、生粋のお嬢様ですからー。実は狭い方が、落ち着いたりしたのですかー?」
「そこは別にそれほどでもないけれどね? でもこう広いと、響くのよ、声が」
「あっ……! 確かに、そうですね! わかります! 少し、恥ずかしいですよね!」
少しも恥ずかしそうではない態度で、アイリがルナの言う内容に気付く。そう、そういう話だ。
遅れて理解したユキも顔を赤くしつつ食いつき、赤裸々な女子トークが始まってしまった。
この広い部屋だというのに、一気に己の居場所を見失うハルである。
なんとか話題の軌道修正をしないと身が持たない。ではなく、重要なルナの母についての話に戻らなければならない。
ハルはどう会話を方向転換させるか、頭を抱えて悩ますのであった。
◇
《ああ、なるほど。つまり、えっちなことする秘密の隠れ家が欲しいんすね! 理解したっす!》
「やめろお前! 明るく明け透けに言えば良いってもんじゃないぞエメ!」
《……おお、ハル様が慌ててる。レアですね! あ、あれじゃないっすか? いっそ天空城にそういう物件建てちゃうのは。土地はいくらでも余ってますし。あ、お城を改造するのがそれっぽいんじゃないすか? 我ながら良い考えです》
「良い訳があるか!!」
「……確かに、こういうハルさんを見るのも最近は無かったですよねー。随分と慣れちゃったものでまー。このくらいが、ちょうどいいですねー」
「そうね? まあ、私たちの旦那様として、いつまでもこうでは困るのだけれど、最近の落ち着きは少し寂しかったわ?」
「これも、“のすたるじー”、ですね!」
「アイリちゃん、ちょっと違うと思うなぁ」
確かに、最近は皆にこうしてからかわれる事も減っていた気がする。しばらくはそれどころではなかったからだろうか。
それだけ平和で落ち着いた心境になったといえば良いことなのだろうが、出来ればもっと違う方面で平和さを発揮していただきたい。身が持たないハルである。
そんな平和な話題を不穏に乱すのは心苦しいハルだが、いや、実はぜんぜん心苦しくないが、最初の話題に戻らねばならないだろう。
「まあ、お城の話は後にしましょうか、さすがに」
「あとでもやめて……」
そんなハルの心中を察したのか、やりすぎないあたりでルナが切り上げてくれる。
それに甘えて、ハルもこの話から逃げるようにして本題に戻るのだった。
「……そう、今は奥様のことなんだ。あんな風に、ただ堅いだけの奥様は初めてだったから、少し戸惑ってね」
「確かに、少し意外ね?」
「そだね? ハル君、対戦相手の心も簡単に読んじゃうもん。そのハル君から『読めない』って出るの、意外かも」
「べつに、僕は心が読めてる訳じゃあないよ」
「読めるのはわたくしたちだけ、ですね!」
「そうですよー? 深い絆で、結ばれているんですよー? ……あー、そう言うとお母さんと、絆が無いことになっちゃいますねー」
「気にしないでカナリーちゃん」
そう、そこも気にかかってしまったハルだ。長い付き合いを経て、一見厳しいルナの母の内心もしっかりと理解できるようになったことが嬉しく誇らしいハルだった。
だが今回、その内心が全く読めないことに少なからずショックを受けているというのが、偽らざる今の本心だろう。
独りよがりの考え方だが、急に突き放されたような気分になる。
「しかし、ことお母さまの場合は、心が読めていたと言っても過言ではないと思うわ? ハルほどお母さまに詳しい人間も、この世界にいないもの」
「いや、別に奥様に詳しい訳じゃないけどね。パターン化してるだけ」
「そう? お母さまの黒子が体のどこにあるのか、そこまで知ってるでしょう?」
「ひっかけかいルナ? 美容も完璧な奥様に、ホクロなんてないよ」
「いやー、ハル君、ルナちゃんが言ってるのそういうコトじゃないと思うなぁ……」
理解している。理解した上で押し切っているハルだ。ここでうろたえたり、突っ込んだりしたらまた彼女のペースなのである。
「……やるようになったわねハル。まあ、それはともかく。ハルはお母さまが何か隠していると、そう思うのかしら?」
「いや、どうなんだろう。それすら分からない、恥ずかしいことに。少し、頼り切っていた芯を見失った感じかな」
奥様に聞けばなんでも教えてくれるだろう。仮に隠されても、彼女はハルに対して隠し事は通用するまい。という、思い上がりがあったのは否定できない。
そう思っていたところを隠し切られてしまい、戸惑っているのが正直なところであろう。
「そういったことも、あるのではないかしら? お母さまもあれで、この世界ではやり手よ。本当に、アレで」
「自分のお母さんをアレな人扱いするのは止めなさい……」
「つまりー、ポーカーフェイスのスキルレベルは元々かなり高いんだ、ってことですかー?」
「そうね。商談相手に内心を悟られないようにする、なんてもう日常だったでしょう。だから、そんな時のお母さまなら読めなくてもそれが自然なのではなくて?」
「まあ確かに、完全に仕事として奥様と接することなんてあまりなかったかも」
今まで彼女から仕事を振られることは多々あれど、それは『依頼』というより『お願い』であったという理屈も否定できない。
全てはハルの評価を上げるための彼女の善意で、対等な仕事相手として接するのはこれが初めてだから、というのがルナの考えのようだ。一理ある。
確かにハルだって、ルナの母の考えを全て知っている訳ではない。当然だ。
オンとオフの彼女の差異から、その考えを推し量っているにすぎない。別に彼女のプライベートなデータにハッキングして、その秘密を一から十までつまびらかにした事もない。
だから、単に今回、見知らぬ彼女の一面をかいま見る機会があったといえばそこまでだ。新たな奥様の魅力を知った、と肯定的に捉えることもできるだろう。
しかし、そうは思いつつも何かが引っかかる気がして仕方ないハルであった。
「そんなに気になるなら調べますー? 覗き見は、私とハルさんの得意技ですものー」
「……いや、やめておくよ。さすがに奥様に申し訳ない」
「相変わらず、ハルはお母さまを神格化というか特別視しすぎね? 相手が別なら嬉々としてやるでしょうに」
「いや嬉々とはしないが」
その身を拾い上げ、匿い、人としての常識を身に着けさせてくれた恩義は確かに強く出ているかも知れない。
そのために、ハルは彼女に遠慮し過ぎなのだろうか? 少しばかり、真剣に考える必要があるかも知れなかった。




