第581話 賢者の石
強烈な眩暈のような視界の歪みと共に、風景もまた暗転する。
視界の乱れが戻ると、ハルは本拠地の屋敷ではなく、謎の空間に一人、佇んでいるのだった。
「……ふむ? なるほど、ここが、死後の世界か。僕は回復が間に合わず、死んでしまったというわけだ」
《いやいやいや》
《生きとるやろがい!》
《ボケるの止めてもろてええですか》
《でも真面目にどこだ?》
《何が起こったんだろう》
《何かはともかく、何処かは確実》
《例の謎の世界だ》
《これが噂のバグ空間か》
そういうことだろう。眩暈のような視覚効果は、例の空間の乱れのバグのようなエフェクトが、ハルの直近にそれこそゼロ距離で発生したためだろう。
決して、限界を超えて体力をコストにしたせで死んでしまった訳ではない。
現にハルのHPMPは、アイテムの使用が間に合い完全に回復している。
「限界値を指定しても問題なく回復が可能だってのは分かった。これから大いに活用しよう。ただ、今はそれよりこの状況をどうしよう」
ハルがそうボヤいていると、考える間もなくこの場に二人目の闖入者、アイリの姿が現れた。扉となっている空間の乱れに、飛び込んだようである。
続いてルナとユキもこちらへと渡り、初めて彼女らもこちらの世界へと足を踏み入れることとなった。
「ハルお姉さま! 助けにきました!」
「まあ、不要だとは思うけどねー。でも私も、こっち見てみたかったし」
「いいえユキ? 一人にするとまた無茶をするから、必要よ?」
「そりゃそうかー」
「信用無いね。でも助かるよ」
カナリーとエメの神様組は、どうやら屋敷に残るようだ。あちらの監視も確かに必要である。
ただ、キャラクター性能の面で考えれば、むしろあの二人がこちらへ渡った方が戦力になるのだが、まあ仕方ない。
カナリーの<攻撃魔法>とエメの<召喚魔法>で直接戦闘し、アイリたちは向こうに残したハルの使い魔を通じて支援を掛ける、というのがバランスが良いだろう。
だが、この場はこちらの運営の管轄だ。あまり顔を合わせたくないのかも知れない。
「おどろきました! 突然、お姉さまが妙なガビガビに飲み込まれて消えてしまうのですもの!」
「僕も驚いたよ。発生個所は……、どうなってるのかな?」
「《目立った問題はありませんねー。まあ、コレがあるだけで大問題ではあるんですけどー》」
ハルはカナリーが行っている放送の画面を表示し、屋敷の今の様子を確認する。
その執務室の中心付近、ハルが先ほどまで居たちょうどその場所には、今もノイズを飛ばすバグのような空間の乱れが黒々と発生していた。
相変わらず、正常な演出には見えない。
ただ、本当のバグというには整い過ぎている、という見かたも出来る。バグのくせに安定しすぎなのだ。
「今度のは、どしたんだと思うハルちゃん?」
「そうだね。一度に大量の魔力を消費したから。いや、一か所で大量の魔力を使って、アイテムを発生させたから、かな」
そう言ってハルは、手の中の物質、先ほど<錬金>によって生まれたアイテムをユキへと手渡す。 強制転移であやふやになってしまったが、それがなければ“これ”が話題の中心をさらっていただろう。ある意味哀れな物質である。
「うお、『賢者の石』じゃん! 冗談で言ってたけど、ほんとにあったとは……」
「これで『金』が作れるのです! ……おや? 金は、むしろ下位アイテムでした!」
卑金属を貴金属に変換する。それが、錬金術の極意でありその名の示す通りの最終目標。
だが悲しいかなこのゲームでは、金は金属素材の中では下から数えた方が早い低品質アイテムだ。
そんな、金を作るために必要な触媒とされることもある『賢者の石』。この世界では、金の何十倍も価値があるという事になってしまっていた。
《魔力ってMP? MP消費が原因なの》
《むしろどう見てもその石が犯人かと》
《それもそれで謎だけどね》
《何で賢者の石作るとバグるん?》
《バグじゃないんだろ》
《別世界への扉を開ける鍵とか》
《だとすると、他のバグは何で起こってるんだ》
《そういう話になるよなぁ……》
この賢者の石の生成に成功したことで、何か隠しイベントが起こりここへ飛ばされた。そう考えればそれはそれで自然だ。
だが、正規のイベントと言うにはそっけなく、また説明も何もない。
そしてコメントであるように、それ以外にもここへと来る方法は不確定だが存在しており、そちらについてはどう定義するのだ、といった疑問も残る。
それを解決する仮説が、先ほどハルが口に出した説であった。
魔力、いやこちらの世界では『データ量』だったか。それが一か所に大量に発生すると空間が乱れる。簡単に言えばこれがハルたちが今まで推測していた内容だ。
そして今回も、短時間に何度も、莫大なコストを支払って同一の座標に大量のデータを出現させ続けた。
「ただ気になるのは、街のど真ん中ってことなんだよね。今回は何か違う気がする」
《確かに、今までの例は全て街から遠いですね》
《そういうこともあるんじゃない?》
《そうそう。傾向を測るには母数が少ないし》
《でもお姉さまが言うなら正しそうじゃない?》
《その信頼はどっから来るんだ》
《実績》
《お前の百倍は信頼できる》
このあたりの詳細は、ハルは外部に公開していないので仕方ない。
空間の乱れは、不安定な場所でこそ起こりやすいという法則がある。まだ人が足を踏み入れて間もない、生まれたばかりのマップにおいて発生しやすいのだ。
しかし、ハルの領主屋敷はというとまさに真逆。
もともと、フィールドと違い最初から確固とした強度のある街マップであり、そしてこの場には多数のプレイヤーが常駐している。
かなりの時間ログインしているハルはもちろんのこと、今はハルのクランメンバーたちが、その本拠地として常時滞在しているのだ。
そんな今までにない『入り口』から訪れたこの世界、そこには、また光の道があった。
心なしか、前回よりもはっきりとした造りのようにも見え、それもまた常ならぬことを証明しているようにもハルは感じる。
「考えてても仕方ない。せっかく道があるし、進んでみようか」
「はい!」
「おー! 誰が用意した道なのか知らぬが、探検だ!」
「また前みたいなイベントがあるのかしら?」
ルナがそっと、ハルの右手の指輪に目を向ける。
この前もこうした道に導かれるようにして、ハルはこの謎のアイテムを手に入れた。今度もまた、そんな展開があるのかも知れない。
ハルたちは並んで、その光の粒子で構成されたような通路を進んで行くのだった。
*
道に沿って進んで行くうちに、その先の景色がはっきりとしてくる。
遠く霞む蜃気楼のようだったものが、徐々にその形を明らかにしていくように、次第に形状を明確にしていった。
ハルたちの周囲にもいつの間にか光の粒子が集まってきて、虚空の荒野をゆくが如くだった一行の道行きは、気が付くと何処か街の中の通りを進んでいるかのようになっていた。
「いつの間にか、賑やかな大通りになっていたのです!」
「賑やか……? 確かに、これは通行人の、なのかしら」
「賑やかし、って意味では、そうかもね!」
三者三様の反応。その原因は、街の通りとなったこの道をハルたちと共に進む、または逆行してどこかへと去って行く、中くらいのサイズの光だった。
粒子というにはもう大きすぎるそれは、輝きの尾を引きながら思い思いに進んで行き、時には建物の中へと入って行く。
それはまるで、この光の街で生活する、光の住人であるようだった。
「……ここまでするなら、もういっそ普通の街を作って普通のNPCを配置すれば良いでしょうに。どうしてこんな風にしているのかしら?」
「きっと魔法の国の、魔法の住人達なのです! わたくし達は、不思議の世界に迷い込んだのです!」
「確かに、こりゃもうバグじゃなくてれっきとしたイベントだねー」
皆の言うように、きちんと世界として整備されたこの空間は、明らかに今までと様子が違った。
これは今回が特別なのか。それともこちらが普通であり、今までが例外的に舞台裏へと迷い込んでしまった形だったのか。
「……何かある空間だってのは、確かだったけどね。今回やっと、当たりを引いたのかな?」
「確かに、以前もお魚さんが出ましたもんね!」
「あの『お魚さん』と今また会うのは、ご勘弁願いたいところだけどねえ……」
確かに、本当に何もない空間であるならば、あのHPすらない無敵のモンスター、『魚類ちゃん一号』を配置しておく必要はない。
あれの存在こそが、この場で何かイベントがあることを示唆しているとも捉えることは出来る。
ただ、それだけでは確証には至らなかった。あれはただの、仕様外空間へ意図せず迷い込んだプレイヤーを排除する、『ガーディアン』なだけかも知れない。
「この通行人役の光ってなんだろね? 羽虫かな?」
「せめて蛍と言いなさいなユキ……」
「妖精さんなのです!」
「ああ、やっぱ羽虫だねそれじゃあ」
「ハルまで……、妖精を羽虫扱いするものではないわ?」
虫っぽい羽が生えていることが多いから、妖精も羽虫呼ばわりである。ゲーマーの悪い癖だ。妖精に扮した衣装を好んで着ることの多い、シルフィードには聞かせられないだろう。
……いや、良く考えれば今まさに聞いていたか。今は彼女もハルのクランのメンバーだ。大変申し訳ないことをした。
「……妖精はともかく、精霊は居るらしいね、このゲーム。テレサが言ってたように」
「あー、こいつら精霊さんか。ありえるね。ハルちゃん、契約するんだ!」
「方法が分からないよ。それに、もうじきそのテレサから荷物が届くし」
彼女から教えてもらう約束である、<精霊魔法>もまた楽しみだ。
そんなハルたちの話には興味を示さず、光の通行人たちは好き好きに自分の行きたい道を行く。
ただその流れも、本流というべき大きなものがあり、ハルたちもなんとなくそれに沿って進んで行った。
それは大通りを直進し、その先の巨大な階段を上り、ひときわ立派な建物へと入って行く。
以前、ハルが指輪を手にした時と状況が似ている気がするが、建物の大きさは桁違いだった。ここは王宮か、大神殿か。
きっと、また何かイベントがあるのだろう。その予感と共に、ハルたち一行はその大扉をくぐるのだった。




