第580話 臨死体験にようこそ
その瞬間、不意にハルの視界が歪んだ。
体力ゲージがゼロになり、ゲームオーバーの演出が再生されたから、“ではない”。
ハルの使用した回復薬アイテムは、きっちりと実行されて吹き飛んだハルのHPとMPを最大値まで復元させた。
「おお、ヤバいねその薬。今のは死んだと思ったよハルちゃん。紙一重で、間に合ったんだねぇ」
「すごいですー!」
「……いや、今のは実際ヤバかった。下手したら死んでたね。それより、みんな見た?」
「またあなたは危ない橋を渡って……」
「見たってなにをですかー? 三途の川でも見えましたかー?」
「それはヤバいですね。臨死体験っすね! して、話を総合するに、ハル様は一時的にHPMP共にゼロになったと考えてよろしいので? ヤバいですね。つまるところ、このゲームは体力が無くなってもその瞬間に終わりではなく、回復受け付けの間があると。ヤバい悪用できそうですね」
「ヤバいヤバいやかましい」
そう、一瞬ではあるが、確かにハルの体力は双方ともにゼロになった。
アイテムコマンドの入力はほぼ同時、いや一瞬だけハルの使用が早かったのだが、その効果処理が発現する前に残念ながらHPバーが消し飛んだ。
しかし、先行入力を果たしていた為か、それとも元々このゲームのシステムに『回復受付の猶予時間』があるのか、ハルはなんとか九死に一生を得たという訳だ。
《なにげに新発見じゃない?》
《ローズ様がまた新要素を見つけておられるぞ》
《神がかり的なコマンド入力》
《新発見何度目だ(笑)》
《やってんねー!》
《でもそれなら他の人は?》
《確かに、こんだけプレイヤー居ればな》
《そういったタイミング何度もありそうではある》
「その通りだね。エメ、今まで“死んだ人”のデータにその兆候はあった?」
「いえ、無いっすハル様! 確かにギリギリでポーション投げてたサンプルはいくつか見当たりますけど、そのどれもが不発に終わってます。たぶん通常の方法では、仮死状態からの蘇生は不可能なんだと思われるっす」
「だとすれば、やはりハルの薬の強力さ故ね? 普通のアイテムでは、ゼロゼロから持ち直すには不十分であったと」
仮死状態、言いえて妙である。エメのその例えに、ハルも自らに“新しく生まれたスキル”を見て納得する。
先ほどの体験を経て発現したもののようだ。謎の視覚効果についても気になるが、こちらもこちらで気にかかる。今は、こちらを優先することにした。
「……エメの言う通りみたいだね。さっきので新しいスキルが出てる。<復活者>、だって」
「おお! すごいぞ、わたし! いやー、やっぱ持ってるんすねえ。当てちゃうんですねえ」
「すごいですー!」
「あ、いや、そう直球に褒められてしまうと……」
弄ってもらえないとペースが崩れてしまうエメであった。
「<復活者>ですかー。なーんか響きに宗教感がありますねー? それ、どっからツリーが伸びたんですー?」
「お察しの通りだよカナリー。<信仰>から派生してる。<信仰>は便利だね、かなりのスキルの素になる」
「効果はー?」
「回復アイテムの再生スピード上昇、および、“蘇生受付時間”の延長」
「蘇生、なのです!」
「おー、来たじゃんハルちゃん。これって蘇生薬の実在を示唆してるのかな? それとも?」
「そうね? エメの言う『仮死状態』の持続時間が伸びるだけ、という線もあり得るわ?」
現状を見ると、ルナの言が正しい可能性が濃厚か。
恐らくHPMPが共にゼロになっても、この身体が消滅する前に処置が間に合えば死なずに済む。
死者蘇生の奇跡ではなく、現実的な意味での『蘇生』だろう。心肺蘇生法、といった方向のものだ。
とはいえ、別にこれは残念なことではない。これはこれで、非常に使い道がある。
視聴者も、これにはかなり興奮気味だった。
《これって狙って取れるんじゃない?》
《取っておけば、かなり有利そう》
《ワンチャン死ぬけどね(笑)》
《勇気を出した者だけが先に進める》
《やりたいけど<信仰>持ってねー……》
《スキルの派生元は複数あるぞ》
《そうそう、別に<信仰>だけとは限らない》
《じゃあ何なんだよ!》
《それはお前が調べるんだよ!》
《死にたくねぇ……》
「こうやって誰もが二の足を踏むから、『最初の一人』は偉大なんだよね。ああ、僕のは偶然」
「偉大ですよー? ただ、しばらくはデマが飛び交うでしょうねー。その間は、『最初の一人』も埋もれてしまうでしょうねー」
これで出来た、いや無理だった、そうやって真偽が入り交じりあやふやになる。
どの情報を信じればいいのか誰もが分からなくなるとき、支持されるのは決まって多数派だ。
その情報の成否は問わない。多数が支持しているからという理由で、支持される。
これも先に出た共通認識の話に混ぜて考えても良いかも知れない。間違った情報なのに、いつのまにか真実としてまかり通る。
カナリーはデマと語ったが、誰もデマを広めようと悪意は持っていないのだ。皆が、『真実』を広めているつもりである。
余談であった。ゲーム攻略の情報共有では、しばしばこうしたやっかいな事が起こり得る。ことゲームに限った話ではないだろう。注意が必要だ。
「まあその辺は、スキルとして存在していると明らかになってるしね」
「そだね。語る時は必ずスキルツリーの画像付きで語るようにすればいいよ。それよりさぁ、ハルちゃん、そのスキル……」
「うん。試したいよね」
「だよね! だと思った! うずうずしてそうだなぁって」
「流石はユキだね、発想が同じだ」
ゲーマー二人で、にやりと笑い合い、その傍らでルナが頭を抱えた。
そう、こんなスキルがあるなら、活用してみないと嘘である。
◇
「入力待ちが保証されてるってことは、もうどれだけマイナスにしても許されるってことだよね」
「そだね。ハルちゃんならコマンドミスもあり得ないし、一気に行っちゃおう!」
「……お待ちなさいな。もう、止めるのは諦めるから、せめて段階を踏んでちょうだいな? 反動の強さによって待ち時間も短くなっていくことは考えられるでしょう?」
「おお、ルナちゃが折れた」
「ここは、ルナの意を汲んであげないとね」
「わたくしも賛成です! きけんが、あぶないのです!」
新たなスキル、<復活者>はその性質上、完全回復薬と非常に相性がいい。
普通は待ち時間が多少あろうと、大きすぎる反動は回復し切れない。しかしどれほど強力な反動であろうとも、その待ち時間に完全回復薬が使えれば、全て無かったことに出来るのだ。
「これ、完全回復薬が市場に出回ることなくなったっすね……」
「そですねー。こんな美味しい仕様を、ハルさんが見逃すはずありませんー。ぜーんぶ、自分の無茶のために使っちゃいますねー」
《そ、そんな……》
《頼む、売ってくれ!》
《レシピは分かってるから……》
《作ろうと思えば誰でも作れるから……》
《なお素材》
《正規素材なにひとつ見たことない》
《これが独占の強みってやつか》
《……独占したとして、やりたいか?》
《薬一本で一回の自殺未遂が出来る(笑)》
《ルピナスちゃん、イチゴちゃん、説得して!》
「なにをですかー? 無茶を止めるのは今更ですしー、ハルさんの物をわざわざ他人に上げる理由もありませんよー」
「こう見えてカナリーは生粋のハル様信者ですからねー。その強度はここのNPC共にも負けてないっすよ! あ、やめて、たたかないで!」
別に信者ではない、とは思う。むしろ多数の信者を抱えるカナリーだ。
ハルへの愛が深い、という意味では方向性は同じと言えるだろうか。
さて、そんな貴重な回復薬だが、手持ちの素材で作れるのはあと三本といったところか。残念ながら、無茶が出来るのは三回までだ。
「じゃあ、最初はMPはさっきと同じマイナス122%、HPは0%でやってみよう」
「いきなり死んでしまっているのです!」
「攻めすぎでなくて? 最初は、50%くらいにしたら……」
「だめだよー。三つしかないんだ。最終的にはHPもマイナス122%までいかなくちゃ!」
「いえ、いかなくていいと思うけれど……」
「それに、HPが存在する場合は“スキル無しの時”でも可能だと保証されてるしね。今更やる意味は薄い」
ルナの心配ももっともだが、どうあれこれは、いずれ試さない訳にはいかない。
最初から双方の体力値をゼロにした時にどういう挙動をするか、それによって今後の明暗を分ける分水嶺だ。50%や25%で妥協することは出来ない。
ハルは先ほどとは違い、いたって気軽な調子で、まるで日常のスキル処理の一環のように、自らの命を全て支払った。
「<錬金>実行、っと。……うん、問題ないね。死ぬ瞬間に、スキルが発動して入力待ちになる。なんと三秒もある」
「余裕すぎだねぇ。その間にもう一度死ねる」
「普通ならー、その間に必死で普通の回復アイテムを連打するんでしょうねー。反動と拮抗するようにー」
「良い子は仲間の口に薬ビン突っ込んじゃダメっすよー」
命を投げ捨てる実験は至って平和に進行した。何を焦ることもなく、余裕をもって回復を行える。
それでもまだ不安そうなルナに、<錬金>された『ミスリル』を渡して安心をアピールするハルだ。
「次はHPもマイナスにいこう。10%でいいかな」
「……そこは、案外慎重になるのね?」
「ゼロの閾値を割った挙動が不明だからね。<錬金>実行と」
だが予想に反して、先ほどよりもコンマ数秒の長い猶予で、楽々とその検証も達成された。
これは、臨死体験によってスキルが起動し、レベルアップしたことによる恩恵のようだ。いい経験値稼ぎを見つけてしまったかも知れない。
「さて、最後の一本。いよいよHPもMPも、最大値まで指定するよ」
「どきどき、ですね!」
「そうだね。僕もさすがに緊張する」
とはいえそれを態度には見せないように、あくまで自然体にハルはスキルコストを指定していく。
体力バーは下限を越えて、実数の二倍以上の支払いを指定。これは、果たしてどこから支払われるのだろうか?
事が魔力であれば、こんな裏技は不可能だ。そこにある分しか使用できない。
そんなことを考えつつ、ハルが意を決しスキルを発動すると、また眼前に先ほどの謎のエフェクトが発生し、今度ははっきりと空間に穴が開くのが確認できたのだった。
※誤字修正を行いました。ルビの振りミスを修正しました。報告ありがとうございます。
追加の修正を行いました。




