第571話 安全で命がけな実地演習
地響きを立ててモンスターの群れが迫りくる。その数は、およそこの危険度の安定した街の付近において発生するには適さぬ量だった。
かつての大規模襲撃を思い起こさせ、街の者たちの表情が引き締まる。
「《大おねーちゃん。お仕事、完了したです。白銀たちは、見事にやってのけたです》」
「《……完璧、にゃ》」
「《完了じゃありませんよ、おねーちゃん、メタちゃん。すぐに次のモンスターが必要になります》」
そのモンスターに先駆けて、三人のちいさなパーティがこちらの陣地に駆け込んでくる。白銀、空木、メタの<隠密>三人衆だ。
その気配を消すスキルと、持ち前の鋭敏な感覚を生かして遠方からモンスターの群れを引き連れてきた。
「よくやったねみんな。……さて、案ずるな。“これは訓練である”! 落ち着いて対処すれば、問題なく撃破が可能だ!」
「《はい!領主さま!》」
「《神の名において! 汝を滅殺する!》」
「《神が勝てると仰せである!》」
「《この戦い、我らの勝利だ!》」
神ではない。既に慣れつつあるハルだが。
なお、訓練に命の危険があることには住民もアベル王子も、ハルの隣にちんまりと控えるアイリも疑問を覚えない。
異世界においては、しごく当たり前のことだった。
アベルのファンクラブの女の子や、放送を見ている視聴者の一部が『訓練……?』と少し首をかしげたのが見えた。
「《少し、やりすぎではありませんか主様。これでは死者が出かねません。当然、全力で守護を行いますが》」
「死者は出ないさ、騎士アベル。僕が出さない。皆が命令に従えばだけれどね?」
「《当然です!》」
「《領主さまのお声は、神の声も同然!》」
神ではない。いや、それはもういいか。
ハルとていたずらに民を死なせたくはない。安全だと確認できるラインにおいて、『増援』を白銀たちに指示している。
ただしこれには落とし穴がある。功を焦った者が突出したり、戦場の空気に圧された者の足がすくんだり、または興奮状態となり指示が聞こえなくなったり、そういう事がままある。
そういった思わぬ事態が安全ラインを割り、指揮官の計算を狂わせるのだ。アベルは経験からそれを心配している。
「《……どうやら要らぬ心配だったようですね》」
だが、この異常ともいえる忠誠心、狂信ともいえる揺るがぬ精神が、その不安を払拭していた。
「《じゃあ、白銀はまた『トレイン』してくるです。MPKです!》」
「キルするな……、まあいい、任せたよ」
「《はいです!》」
「《……いってくる、にゃー》」
「《時間調整は空木にお任せください。見事おねーちゃんを、押さえてみます》」
忍者ルックの三人衆は、モンスターの群れをこちらの陣地に押し付けると、自らは<隠密>で姿を消すとまた遠方へと出発した。
再び各地でモンスターを引き連れて戻ってくるのだ。
このプレイングは古くから、MPK、モンスター・プレイヤー・キルとして迷惑行為とされている。
今回も、アベル側のパーティの了承を取った方が良かったのは間違いないだろう。少しファンクラブの女の子たちを不安にさせてしまっていた。
「君たちもなるべくこの鳥の効果範囲から離れないように!」
「《り、了解マスターさん!》」
自分たちのクランマスターの声で喋りながら、戦場音楽を奏でる謎の鳥の下に集まって、彼女らもまた陣形を組みなおす。
そうして、軍勢同士の衝突が始まった。
◇
この集団の中核を務めるのは、もちろんアベルだ。突出したステータスにより、一人だけここの敵相手にも遅れを取らず無双している。
「騎士アベル。敵の数を減らすことを考えるな。仲間の盾となって、被害を減らすことを優先しろ」
「《敵をいち早く減らせば、それだけ被害は減るのではないでしょうか?》」
「実戦ならね。これは訓練だ。モンスターは資源であり、それを君一人が独占することはまかりならない」
「《お、おう……、いえ、承りました》」
ハルの声から漏れ出る常になく真剣な圧に、気圧されるアベルだった。
実際、アベルに無双されると予定が狂う。サポートなく一人で倒してしまっては、他に経験値が入らないのだ。
「なるべく皆で分散して配分し、そして僕が総取りしたい」
「可能ならある程度、傷を負っていただきたいですね!」
「うん。傷ついてくれないと回復できないからね」
「回復支援で、経験値も更にアップなのです!」
《欲望を隠さないスタイル》
《救う為にはまず傷つけないといけない》
《治安が悪くなければヒーローは要らない》
《俺が活躍するためにもっと乱れろよ、平和》
《そんなヒーローは嫌だぁ!》
《綺麗は汚い》
《きたないはきれい》
「深いね。英雄のジレンマかな。まあ、そんな深い話じゃないんだけど」
別にそんなに深いテーマではない。特に自作自演という訳でもない。
回復して稼ぐために味方同士で互いに攻撃し合うなど、よくあることであった。ユキと一緒に遊ぶときなどに特にお馴染みだ。
単に、効率を重視しましょう、というだけの事である。
「アベルはミカン隊の援護を。一匹は倒して構わん、あとは耐えろ。シルフィー、“アベルはいないもの”としていつも通りに全体を纏めて。君が遠慮しすぎてるせいで足並みが崩れてる」
「《わ、分かりました! ……あの、“向こう”の私をご存じで?》」
「調べた」
勿論、よくよく存じているハルだ。面倒なので、シルフィードには『ローズ』がハルであると明かしておくべきか?
後でルナと相談してみようとハルは思う。
ファンクラブのリーダーはシルフィードであるが、今はアベル本人が共にプレイしているために、彼女は一ファンとして出しゃばることをせずにいた。
アベルもアベルで彼女らに特別に指示を出すことはせずに『旅の仲間』として対等に扱っていたようで、結果、アンバランスが過ぎる集団が生まれてしまった。
だが、このファンクラブの統率を取ることに慣れているのは彼女をおいて他にない。
彼女の号令によって、四人一組程度の集団へとファンクラブは纏まって行く。そこに、ハルも小鳥の使い魔を追加してブロックごとに配置した。
「どれ、君たちも回復してやろう」
「《うわお、お姉さま手際いい!》」
「《これ無料? お姉さまナイスバディ!》」
「《……なにそれ?》」
「《お姉さまに『太っ腹』は失礼かと思って》」
「《胸とお尻が太い! 腹は細い!》」
「《逆に、男の人ならいいの?》」
「中には嫌がる人もいるかもね」
ハルの支援によって常にHPに余裕ができると、たちまち姦しさを発揮する女の子たちだ。
シルフィードも注意しようか迷っていたようだが、ハルも雑談に参加するとその場の流れに任せることにしたようだ。きっといつも狩りの時はこうしたスタイルなのだろう。
その数人ごとのブロックでモンスター一体を相手にして、少しずつ相手の体力を削っていく。
敵の牙が前衛に突き刺さり、大きなダメージを受けるが、そこをすかさずハルが回復する。そうすることで、被害度の差で劣る相手でもじわじわと削り勝つことが出来た。
「頭上を抜かれたね。アベル、ここは無理せずその位置を維持して、僕に任せるように」
「《……お任せします。問題は、ないのですね?》」
「うん。戦力は把握してる」
その戦陣を飛び越えて、羽のあるグリフォンのような獣が民兵の集団内に降り立つ。
人の身を超えるその巨体相手にも、彼らは臆することなく立ち向かい、その周囲をぐるりと包囲していった。
魔獣の正面に位置していた民がその爪の一振りで吹き飛ばされるが、しっかりと防御を固めていたために致命傷には至らない。
その攻撃の隙をついて、残る民兵が寄ってたかるように魔獣を切り刻んだ。
「《臆するなぁ!》」
「《戦え! 戦え! 神は勝てると仰せである!》」
「《我らには神のご加護がある、死ぬことは無い!》」
「《いや、死すら我らは恐れない!》」
「恐れなよ。訓練で死んでどうする」
「《死ぬ訓練となりましょうぞ!》」
「……なるほど。一理あるか」
《ないからぁ!》
《その経験をどこで生かすのか》
《もしかして、死者の蘇生も出来るの?》
《ローズ様の<調合>でいける?》
《しかし、騎士団との温度差が激しいなぁ(笑)》
本当である。方や雑談交じりのいつもの狩り。方や命がけの全身全霊。
とはいえゲームなので、真剣さに度合いに寄らず得られる経験値はどちらも等しい。
となるとファンクラブのように気を抜いた方が良いのだろうが、さりとて民兵はNPCだ。気合の入れすぎによる精神的疲労があるのかも不明だし、そうしたステータスに出ない部分の要素もありそうだ。
そう思いハルは特に止めることなく、彼らは気勢を上げ続けた。決して奇声ではない。少し暑苦しいだけだ。
「前もそうだったけど、この興奮状態はステータス強化が掛かるみたいだね」
「ですね! 皆、強くなっているようです。痛みも感じていないようですが……」
「それは現実でもあり得るけど、なんかヤバい薬使ってるみたいで嫌だなあ」
「お薬ですか? ……なるほど、戦場でそうしたお薬が使われたことがあったのですね」
説明する前に納得されてしまった。また心を読まれてしまったようだ。
「お薬といえば、蘇生薬は実際にあるのでしょうか?」
「分からないね。まだ召喚獣のための蘇生薬しか作れていない。少し、探ってみるか」
ただ、あったとしても、それに任せて無茶な作戦は立てる気はない。
命は大事に。必ず生還できることを前提に、これからも戦いを組み立てていこうと誓うハルだった。
今も民兵たちの防具は破損するたびに新品にきっちり装備変更され、それにより確実に致命打は防がれる。
そうして本来は蹴散らされるだけだったはずの魔獣相手にも、終わってみれば全員が戦闘前と同じ万全の状態で勝ち鬨を上げているのだった。
《相変わらず完璧な采配》
《しかも騎士団の方も同時に支援してる》
《お姉さまは目がいくつあるんだ》
《むしろ頭がいくつあるんだ》
《俺だったら一画面しか無理》
《お姉さま、ストラテの大会出てみない?》
出たことがある。ついでに言うと優勝したこともあるハルだ。
そうした、ハルにとってのいつもの作業を繰り返し、モンスターの群れは危なげなく数を減らし、その掃討が完了した。
ハルとしては、特に語ることのないいつもの完全勝利。だが、そこに何かを感じ取ったのか、あの右手の指輪が光を発したような気がしたのだった。
※誤字修正を行いました。(2023/5/21)




