第56話 眠る彼女と、穏やかな午後を
穏やかな昼下がり。アイリとふたりでのんびりする。
のんびり、というより、ぼーっとしていると言った方が正確だろうか。ふたり並んで座り、ただ春の日差しの暖かさを感じる庭を眺めて過ごしていた。
大きく開け放たれた窓からは、澄み渡る空を望むことが出来、たまに流れてくる雲が形を変える様が目を楽しませている。
直接見ると大きすぎて押し潰されそうになる空も、こうして窓越しに見れば雄大さを感じるのだから変な話だ。心の余裕の問題なのかもしれない。
「眠たくなってきてしまいますー」
「寝ちゃってもいいんだよ? 安心してお休み」
「えへへ、でも寝ちゃったら今の時間がもったいない気がしまして」
「なんでもない時間だけどね」
何でもない時間は貴重なのだろうか。ハルには実感がわかない。
日々を忙しく過ごしている者にとってはそうだろう。アイリもそうなのだろうか。あまり、そうは見えない。
そこまで考えて気づいた。忙しくしているのはハルの方である。
ハルはこのゲームを始めてから今まで、常に何かしらの作業を行っていた。そこに特に疑問はなく、ただ単純にゲーマーとしての性だった。
レベルを上げられるから、レベルを上げる。頭痛でもなければ常にハルはそんな感じだ。
一人で居れば、余裕を埋めるためにやっているそれも、二人になれば、余裕を無くす行為になってしまう、そういう事だろうか。
「おかしいですね、一人の時は、こうした時間は暇なだけですのに」
「ちょうど僕も同じような事を考えていたよ」
心を読まれたようなタイミングだった。
ずっと共に居て、アイリがハルの考える事を分かるようになってきたか。あるいは、ハルの思考がアイリに寄っていっているのか。
どちらにせよ、小さな幸せを感じる瞬間だった。
「こうしてのんびり過ごすのもいいものだね」
「はい!」
ふたり、ささやかな幸せをかみ締めて笑いあう。
頭痛が治まった後も、たまにこうして過ごすのも良いだろう。ハルがそう考えると、またそれが伝わったのだろうか、アイリは少し不満そうな顔をする。
この先も現状維持ではなく、もっと進展が欲しい、という反論。
そのためには、ハルはまた忙しくしなければならないかも知れない。ままならないものだった。
言葉無しに通じ合うのも、利点ばかりではないようだ。
◇
しばらくそうしていると、じきにアイリがうつらうつらと船を漕ぎ始めた。
軽く引き寄せてやると、安心したようにハルにしなだれかかり、そのまま、すうすうと寝息をたてる。
ここのところ、こうした接触は控えめな彼女だ。特に今は、ハルに余裕が無いためか抑えてくれている。
ぴったりと寄せられた体から、アイリの体温が伝わってくるのが心地良く感じられる。髪をすいてやると、くすぐったそうに喉を鳴らす様子もかわいい。
「ハルしゃん」
「ん、どうしたの?」
「なんでもないれふー」
「そっかー」
寝言であった。
寝言に言葉を返してはいけない、などと言うが知った事ではない。こんなにかわいいのだ。無視するなど耐えられるものではない。
体重を預けさせてやると、ぐらりと傾くので、そのままゆっくり膝まで頭をおろしてやる。
足の方もメイドさんが丁寧に持ち上げ、用意してあった(相変わらず非常に用意が良い)薄手の布団をかけてやっていた。
そのままアイリの体温と、呼吸の、ゆるやかな圧力を感じながらハルも過ごす。
その後カナリーが来てアイリの頭を慈しむように撫でていったり、ユキが騒がしくやってきて慌てて口を塞ぐ様子がおかしかったり、そんな風にゆっくりとした時間が流れていった。
いつしかハルも目を閉じ、その穏やかさに身を任せる。眠れはしない。だが心地よい雰囲気は感じられる。
そうして、膝の上の彼女を感じる、ただそれだけの時間を過ごすのだった。
◇
どのくらいそうしていただろうか。……などと、言ってみたいところだ。だが生憎のところ、ハルにはリアルで活動している体がある。風情の無い事に、正確な時間が分かってしまう。
三時間ほどだ。ちょうど向こうが授業の終わるあたりで、アイリが身じろぎをする。しばらく頭が回らないのかじっとしていたが、そのうち、もそもそと布団をはいで起き上がっていく。
その様子を、ハルは目を閉じて感じていた。
「ハルさん?」
「うん」
「やっぱり起きていました」
「残念ながらね」
一緒に眠れたらもっと雰囲気に浸れたのだろうが、残念ながらハルは眠る事が出来ない。
いや、眠ってしまえば雰囲気を感じる事など出来ないので、これが一番よかったのだろうか。
「うー、悪趣味ですー」
「えっ、そうなの?」
どのあたりがだろう。目を開けず感覚だけでアイリが起き出す様を観察していたあたりだろうか。言われてみれば悪趣味にも聞こえてくる。
それとも、目覚めた時には起きているハルに、『おはよう』、と声を掛けて欲しかった、ということだろうか。
「なんかごめんね? おはよう、アイリ」
「はい! おはようございます、ハルさん!」
寝起きだというのに、もうアイリは元気いっぱいだ。寝覚めが良い、というやつなのだろう。
ルナあたりだと、しばらくの間ぼーっと動かず、反応が鈍くなっている。
メイドさんに連れられ、アイリが身支度を整えに行っているうちに、ルナがログインしてくる。よい子のユキも、夕食前に帰ってきて、全員が揃った。
そのまま、自然な流れで皆で言葉を交わしてゆく。
「アイリちゃんは?」
「さっき起きたよ。身支度してる」
「眠っていたのね? 珍しいわ」
「今日はハル君とお昼寝デートだったんだよ」
「かわいらしいこと」
「かわいかったー」
「ちょっと待って何その概念? お昼寝デートって何」
デートなのか、それは。そもそも家の中だ、一歩も出ていない。成り立つのだろうか。
「細かい事は気にしないのハル君。モテないぞ?」
「モテるわよ」
「そうだった……!」
「とりあえず気にしないでおくよ……」
言いたい事は分かる。心が通じ合えばデートなのだろう。ユキとふたり、延々とモンスターを殴り続けるのもデートだ。
「でもハル君のんびりしてるよね。普段ならもっと焦ってそうなのに」
「レベルの事かな」
「うんそう」
「焦っても仕方ないしね。今は頭痛いし、のんびりやるさ」
「わお、ハル君らしからぬ発言。最大レベル抜かれたなんて、普段なら死ぬほど悔しがりそうなのに」
「死なんわ、そんなことで」
相手が急速に上がって抜かれた、というなら脅威に感じる事もあるかも知れない。それはハルの知らない何かを、その人物が独占している、と言う事だからだ。
今回は違う。ハルの方が勝手に下がったに過ぎない。いささか、下がりすぎではあるが。
レベルをコストにした強力な技は稀にあるが、レベル全ては流石に常識外れだった。
「それでも普段のハルなら、アイリちゃんがお昼寝してる時なら、レベル上げをしていたのではないかしら?」
「確かにね」
「本格的にゲームクリアだね。二周目はまったりプレイに変更か」
「オンラインゲームで二周目……」
「引継ぎニューゲームですねー」
「引継ぎ要素の本人が来たわね」
「カナちゃんこんばんは」
「こんばんはー」
ハルが余裕を見せている要因の一部に、カナリーの存在があるのは間違い無いだろう。
カナリーが契約しているのはハルだけ、というのを除いても、今のカナリーはハルの力といえる。ハルの体を使って<降臨>したカナリーは、今もハルとの繋がりを保っていた。
「カナちゃんがハル君のかわりに戦うの?」
「戦いますよー」
「それダンジョンごと吹き飛びそうなんだけど?」
「召喚士ね、ハル」
「ゴッドテイマー・ハル」
捕獲ではないと思う。
「それに、今の僕にはレベルは殆ど意味無いんじゃないかな」
「ハルはこの世界の魔法を使えるものね」
「うん、それに<HP拡張>とか手に入ったんで、レベル上げなくてもHPMPも増やせてしまう」
「やりたい放題ね」
「そりゃアイリちゃんとのいちゃいちゃを優先する訳だ」
拡張スキルはレベルでの上昇のように、恒久的に上がる物ではないようだが、戦闘前にかけ直すだけなら何も苦はない。増やした分の回復も、ハルならすぐに済む。
そもそも、このゲームはレベルにそこまで重きを置いていない感じも受ける。このように、特殊なスキルを習得していくのが醍醐味なのではなかろうか。
レベル上げをするだけで勝てる、というゲームを望む層にとっては、悲報となるのであろうが。
「お待たせしました! ルナさん、ユキさん、おかえりなさいませ」
「ただいま、アイリちゃん」
「ただいまー」
アイリが戻って来る。プレイヤーとしての話はそこでお開きとなり、夕食まで他愛のない話に花を咲かせて過ごしていった。
*
夕食が終わり、皆が寝室に集まってくる。全員が揃うのは結構めずらしい。
アイリはいつも居るのだが、ルナは読書などに、ユキは外出、それぞれ思い思いに過ごしている事が多かった。
ハルの言を受けて、今日は皆のんびりと過ごす事にしたのだろうか。
「またパジャマパーティーでもする?」
「素敵です! 以前はわたくし、眠っていたので、やってみたいです!」
「構わないわよ?」
さっそくルナが、パジャマ(防具)に着替える。興味なさそうな顔をして、ルナはこういう事にノリがいい。
アイリは元々パジャマのようなものなので、他のメンバーも揃って着替えていく。ただ、ハルは別だった。
「ハル君着替えないの?」
「ああ、言ってなかったっけ。装備の判定、カナリーちゃんに持って行かれちゃってるんだ」
「持って行っちゃいましたー」
ハルの代わりにパジャマ姿になった神様が、くるりと回ってお披露目する。
「構わないわ、ハル。見ていてあげるから着替えなさい?」
「のっけから飛ばしてるねルナは。物質のパジャマ無いでしょ」
「うかつだったわ……」
「いやそんな本気で悔しがられても……」
「残念です……」
アイリもしょんぼりしていた。この二人、こういう所で食いつきが良い。ルナの悪い影響でなければいいのだが。
いや、違った場合、アイリの元々の資質という事になる。どちらが良いのだろうか。
「お菓子出そうお菓子」
「あー、駄目ですー。美味しいお菓子を持ってくるんですー」
「そっかそっか。じゃあ両方出そう」
魔力以外の料理も口に出来るようになったカナリーは、ショップで買えるジャンクフードよりも、屋敷の美味しいお菓子を所望していた。
それに構わずユキがショップのお菓子を広げだす。
五人居るのもあって、当然スペースが足りなくなると、ルナが<念動>を使って二つのベッドをくっつけた。豪快だ。
「ルナちー……、そんな布団を引き寄せるように」
「力持ちだねルナ」
階下にお菓子を取りに行っていたカナリーが、メイドさんを引き連れて戻って来る。
そうして夕食後の、ちょっぴり健康に良くないパーティーが開始された。
◇
「皆さんが羨ましくなっちゃいますね!」
「アイリちゃんは、もう少しお肉が付いても大丈夫よ?」
「いけません! 油断しては!」
「胸から脂肪を付ける魔法無いの?」
「カナリー様! ありますか!?」
「ハルさんの許可が出たらですねー。どんな体型が好きですかー?」
「僕に振らないでよカナリー。…………えっ、あるの?」
女の子が多いと、会話はハルには入りづらい。
軌道修正させてもらう事にした。
「そういえば僕はともかく、全体に関係した話はどうなった?」
「神界編がもうすぐスタートしますよー」
「編って」
「ずいぶん早かったのね?」
「まだプレイヤーはそんなに飽きて来てないと思うけどねー」
現地に詳しいユキが語る。
高レベルになり、上がり辛くなっては来たが、まだプレイヤー達はレベル上げやダンジョン攻略の熱を保っているようだ。
戦闘にあまり興味の無い者も、街の観光や、住人との接触を楽しんでいる。現地の金銭の入手法も、だんだんとガイドラインが制定されてきているようだ。
何しろまだ開始から一ヶ月も経っていない。新展開が必要な時期は一般的にもっと先だろう。
「こちらの都合によるところが大きいですねー。何しろ、契約に関しては今はセレステの一人勝ちですからー」
「実質的な事を除いたら、の話よねそれは」
「実質的にはカナリーちゃんの一人勝ちか」
それもあるのだろうか。明日は我が身と恐れた神々が、戦力強化に乗り出したとも考えられる。他の神に話がどの程度伝わっているかは定かではないが。
なお、カナリーとセレステの関係は、一般的なプレイヤーには影響しないようだ。ハルとしては一安心。
「それで神界では、未攻略の地域の神様とも交流や、契約も出来るようになりますよー」
「へー、一気に幅が広がるんだね」
「はいー」
神界編、と言われてもいまいちピンと来ないが、以前の話だとプレイヤー毎に固有の領土を持てるという話だった。
いや、奪い合う訳ではないので領土ではないか。個室、だろうか。
箱庭作り、という区分けされるジャンルのゲーム、またそれを使ったシステムは一定の人気がある。自分の部屋、家、町。そういった物を好きに飾りつけ、発展させていく。
ハルも好きな方だ。人口や収入などのパラメータのあるシミュレーションなら特に。
そういった物なら盛り上がるだろうし、“ユーザー自身に遊び方を作らせる”事もできる。
「あのー」
「はいはーい、アイリちゃん何ですかー」
「わたくしも、そこへ行く事は出来るのでしょうか……?」
アイリがおずおずと聞く。ハルも出来ればアイリと共に楽しみたい。
家では何時も一緒だが、ゲーム的な要素の中ではアイリは常に蚊帳の外になってしまっている。今回もそうでは、少し悲しい。
「うーん……、どうなるでしょう。プレイヤーの為の場所ですからねー」
「そうですかー……」
しょんぼりするアイリに、ハルは見かねて口を挟む。
「出来るでしょ? もうNPCも転送出来るのも、倉庫経由で物の転送が容易に叶うのも割れちゃってるんだ」
「痛いところを突いてきますねー」
全然痛そうな顔をしないカナリー。むしろ笑顔だった。押せば行ける仕様だ、とハルは経験から悟る。
「僕が倉庫に入れて連れて行っちゃうよ? 出来れば安全な方法を用意して欲しいな。アイリには悪いけど、僕の所有物って事にすれば行けないかな?」
「しょゆう! ぶつ!」
なにやら変な所に反応されてしまった。火が付いた、と言えよう。アイリに。
「ハルさん! もう一回言ってください! もう一回!」
「まぁそうなるよねー」
「アイリちゃん好きそうだものね、そういうの」
女性陣も何だか納得顔だった。なるほど、キザな感じのセリフと受け取られてしまったようだ。
「その、アイリが僕の所有物ってやつ?」
「はい! もう一回お願いします!」
「……『アイリ、君は今から僕の所有物だよ?』」
「ふおおおぉぉぉ!」
少しだけ興が乗ってしまい、気取った顔と声音を作って囁いてしまうと、アイリは少し残念な感じになってしまった。
多用は避けよう。これは。
※誤字修正を行いました。「だたいまー」→「ただいまー」。一瞬発言者がユキなので、そういうネタなのかとも思いましたが、たぶん普通に作者のよくやるミスですね。挨拶はきちんとした方がいいですし。誤字報告、ありがとうございました。(2025/6/29)
追加の修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2025/7/3)




