第552話 まだ物質化を必要としている世界
「つまりは、大元のデータベースで一元管理されてるんではなくて、オブジェクト一つ一つが独立して稼働しているんすね、あのゲームは。だからわたしは、消去も改変もやりたい放題なんすけど、代わりに基幹部分まで辿るのが現状ひじょーに難しいんですよ」
「なるほど」
「ハル様が普通に遊びたいとのことで、チートは抑え気味ですけどね。セクハラに使うくらいっす!」
「セクハラやめて? あと、出来れば抑え気味じゃなくてゼロでお願いしたいけど、そうも言ってられなくなってきたのかなあ……?」
ゲームをログアウトし、天空城のお屋敷に戻ってきたハルたちは、ゲーム内でアイリスから語られたことについて、更に検討を重ねていた。
論点となるのはただ一つ、『何も知らない一般ユーザーの害になるか否か』、それに尽きる。
運営本人にもゲームが完全に制御できていないと聞くと不安になるが、それは言ってしまえば、アイリスたちの問題だ。
ユーザーに害が無ければ、別にどうでも良いことと言える。
極論、彼女たちの望みが叶うか叶わないかは、興味はあれどハルたちの預かり知るところではないからだ。
「まあ、わたしを使って本格的にシステムに介入するよりは、ルナ様やハル様自身の権限において命令した方が丸そうですけどね。こっちのハックは時間も手間もかかる一方、向こうがアクセス禁止にすんのは相変わらず一瞬ですんで」
「まあ、最終手段だよね」
神界ネットに置ける切り札的存在のエメではあるが、ゲーム内からキャラクターを介して介入する以上、どうしても運営の行動に一歩遅れを取ってしまう。
それならば、親会社としての立場から介入した方が手っ取り早く確実だった。
「ふみゃ~?」
「そうだねメタちゃん。考えてても仕方ない。おやつにでもしようか」
「にゃん♪」
ひとまず静観する、と決めたことについて、いつまでも額を突き合わせていても状況は変わらない。
それよりも、今後どう動いていくかが重要になるだろう。
ハルたちは答えの出ない話を切り上げて、休憩の時間に入ることにしたのであった。
*
「おお、だいぶ見た目が変わってきたね、ハル君のお庭。耕して、これから種をまくのかな?」
「それはもう少し先だね。土壌改善の様子を、もう少しの間見たいから、もしかすると緑化は来年になるかも知れない」
「そか、気が長いプロジェクトだ」
「ユキはすぐに緑化が見たいのかな?」
「ううん? 私、草むしりとか、苦手だし、えへへ……」
ゲーム中とはうって変わって、大人しいお嬢様と化してしまったユキ。身体は大きなこちら側だが、活発さは反比例するように薄くなっている。
こちらの世界では、大きな姿で、なおかつ活発なユキをずっと見てきたために少々認識がバグる印象のハルたちだった。
今となっては、小さいユキが『活発なユキ』になっている。
そんなユキと共にのぞき込んでいるのは、ハルとメタが共同で開発を続けているクレーター。かつて、歴史をゆるがす大事故が起こった、二つの世界にとっての爆心地だ。
地盤ごと大きく消失したこの土地は、長年にわたって乾ききり、不毛の大地と化していた。
その乾いた地面を削り取り、メタのプラントによって栄養満点の土へと生まれ変わらせる。
そうして養分と水を多く含む土へと入れ替わったクレーターの大地は、白から黒へと、その見た目を完全に変化させていた。
「これは、何かなハル君? あ、分かった、例のパイプラインだ」
「そうだね。見づらいかな? モニターを少し広げようか」
「ハルのお馬鹿さん。そこは、ユキを抱き寄せて膝の上に乗せて一緒に見なさいな?」
「いや、それやると僕が見えなくなるんだけど……?」
「いいのよ。どうせあなたはその状態からでも見れるんでしょうから。ユキの体に顔でも埋めていなさい?」
そう言いながら自分も反対側からしなだれかかって来る、いつも通りの調子のルナ。
おずおずとしつつも、ユキもハルへと身を寄せて来た。こうなるともう逃げられず、ハルも大人しく女の子二人に挟まれるがままになる。
ルナもこちら側ではそれなりに大きい方なので、圧が凄い。
「……これ、地盤を掘り返して遠くへ運んで、そこで加工して再び持ち帰ってきているのでしょう?」
「そうだよ。一大事業なんだよね、メタちゃん?」
「ふにゃ? ……にゃん! がつ♪ がつ♪」
「ありゃ。にゃんこはおやつに夢中だ。しばらく撫ぜらんないね、これじゃ」
「代わりにハルでも撫でてなさいな?」
本当に撫でてこようかと迷い始めたユキの手を丁重に遠慮しつつ、ハルも自分のケーキへと手を伸ばす。
今日のものは、久しぶりにハルがコピーした既製品だ。メイドさん達も今はゲームにログインして頑張ってくれているので、こちらに戻ってすぐに働き過ぎないように、先回りして用意したものである。
メタは構わず美味しそうに食べてくれているし、実際とても美味しい一流の品だが、雰囲気としては一段落ちる。
一切、一分も違わずに、『以前食べた味』の再現だ。<物質化>の数少ない欠点である。
これを物足りないと感じるのは贅沢の求めすぎか、それとも、ハルの情緒が育まれてきた証だろうか。
「……完全に以前のままだったら、栄養スティックをコピーして、『効率的だ』、とか言ってたかもね」
「言いそうね? 確かに」
「あはは。私、今でも言っちゃうかも……」
そうは言いつつも、今は家族の皆と協力して食事を作り、皆で一緒に食べる生活を楽しんでくれているユキだ。
以前は電脳世界の体にしか興味が無かった彼女も、そうして少しづつ変わってきている。
それが、ハルの為に変わってくれているのだと分かるのは、嬉しくもまたくすぐったい思いのハルであった。
「あ、そだ。そいえばさハル君」
「どうしたの?」
「クレーターの土を<物質化>で作らないのも、何か理由があるの? ロマン?」
「まあ、ロマンもあるにはあるけど……」
思考に<物質化>が出てきたために、それを読み取ったユキが疑問を呈してきた。
確かに、地道に少しずつ環境構築を行うという趣味やロマンの面は大きい。効率化だけを優先するなら、<物質化>で土を作り出して被せてしまえばいいのだ。
魔力が足りないのならば元の地盤を<魔力化>して資材と化せばいい。
しかし、あの地については一応、趣味以外の理由もあった。
「好き勝手に僕らの街を作るだけなら、<物質化>で作って終わりにしても良いんだけどね。あそこは、環境の復元も目的になってるから。ね、メタちゃん」
「なう! ……ぺろ♪ ぺろ♪」
メタはお皿のクリームもしっかり残さず舐めとっていた。口元にも付いているのがまた可愛らしい。
そんなメタの代弁として、ハルはメタのプラントで行われている作業を解説していく。
単に採掘した地面の攪拌に留まらず、そこには星中から集められた様々な素材が混ぜ込まれる。
それは要素ごとに区分されて元のクレーターに運び直され、長い目で『合う』、『合わない』の経過を観察する予定であった。
「ほえー。なんか壮大だね? 何が大事なことなんか、よーわからないけど」
「要は、全く同じ物を<物質化>で出していては、ランダム性の担保が出来ないということね?」
「そんな感じ」
何か環境に合わない要素があったとき、完全に同一の物を生成する<物質化>では全滅の恐れがある。
ハルはハルの知る物しか生成できない。
「それでも、機械的に作業を行うのは非効率ではなくって? あの土地には、ハルがナノマシンを散布しているのでしょう?」
「実験的にね。でも、エーテルをあまり万能視するのは良くないよ。特に物質の変換作業なんて、前時代の方が得意だった部分も大きい」
「へー、意外。そーゆー錬金術っぽいことって、エーテル最強かと思った」
「流石、年の功ねハル」
「歳のこと言うのやめい」
分子単位で組み替えを行うエーテル技術。確かに得意中の得意ではあるのだが、いかんせんスピードに難があった。
今回の事業のように、大規模な土地をターゲットとした場合、その実行速度については機械の方に軍配が上がる。
エーテル技術における物質変換は、微細なエーテルによって更に超極薄のフィルターが作成され、そのフィルターに物質を通過させることを基本として行われる。
主に重水素や三重水素などで構成されたそのフィルターは、当然ながら一度に変換できるのはそのごく薄い範囲のみだ。
これをクレーター全体となると、さすがにハルの計算力をもってしても苦労が大きい。
余談だが日本においては、この一回ほんの数ミリグラムの生成作業を、全国民が無意識に計算力を負担し、日本全土で行うことにより、必要とされる生産力を賄っていた。
「そんな感じで、作業にメタちゃんの機械を使うのは非常に理にかなったことなんだよ」
「わかったよハル先生。なんだか、凄いんだね?」
「……そうね? 確かに凄いと思うけれど、でもハル? この長すぎる輸送ラインのことも含めても、メタちゃんのプラントまで一回運んでいくのは、効率的と言えるのかしら?」
「!! ……ぐし♪ ぐし♪」
「……メタちゃん? 今、あからさまに目を逸らして毛づくろいを始めなかったかしら?」
流石に、若くして経営者を務めるルナである。あまりに無駄が過ぎる輸送コストを、易々と誤魔化されてくれる彼女ではなかった。
そう、色々と有用性を語ってきたハルではあるが、効率的なことを考えると、どう考えても<物質化>に勝てはしない。長い長い輸送ラインはハルとメタのただの趣味だ。
そんな、機械好きの男の子と猫の無駄遣いを、ルナはじっとりと目を細めてため息と共に見逃してくれるのだった。
◇
「くあぁ~~」
「お、食べたら眠くなっちゃった? おいでー?」
口の中まで丸見えの大きなあくびをするメタを、ユキが己の膝の上へと招き寄せる。
そこでのんびりと丸くなった猫は、その眠れない瞼を眠そうに閉じて、今日も眠りの練習へと落ちていった。
「そいやさ? <物質化>で思い出したけど、また食料が不足してるんだって、この世界?」
「そうだね。これは僕らと関係なく、恒久的な世界の問題だ」
メタを優しく撫でながら、ユキが話題を転換する。これは恐らく、ハルを助けてくれたのだろう。
ルナから逃げる訳ではないが、ハルもその話題に乗らせてもらう。重要なことなのだ、決してこれ幸いと飛びつく訳ではないのだ。
この異世界では未だに、食料生産量がそれぞれの国を維持できる基準に至っていない。
これは、神々の伝えた文化にまだこの地の彼らが馴染みきっていないこと、国の規模に人口が追い付いていないこと、土地の改善が不十分であることなどが上げられる。
それら全てを、大規模な争いによって数を減らしてしまった異世界の人々のせいと切って捨てるのは簡単だが、今の文化を押し付けた神々にも責任の一端はある。
そのため、『神の恵み』として、全てではないが食料を中心に、<物質化>した資材を神から授ける儀式が行われていた。
ユキは、それを思い出したのだろう。
「これ、しばらく知らなかったよねー。そりゃ、みんなあんなに信心深くなるってもんだね」
「そうだね。非常に分かりやすい『奇跡』だ。ただ、各王宮を通すから、一般人が直接<物質化>で無から物を生み出すのを目にする訳じゃないけどね」
ハルたちはアイリと関りが深い関係上、それについても知ることとなったが、こちらのゲームで普通に遊ぶプレイヤーには知らぬ者も多い。
そんな授けの儀式が、そろそろ行われる時期であるようだった。
「これって、何か条件とかあるの? ただ?」
「もちろん、何かしらの条件は付くみたいだね。基本的には、神の意向に従った法律を作りなさい、とかかな」
「分かりやすいわね?」
「ただ、今回は特殊でね。あのゲーム、『フラワリングドリーム』に参加すること、って感じみたいだよ」
「……なんですと?」
例の、この世界とのコラボというやつだ。
それが、悪い言い方をすれば『食べ物を餌として釣って』、開始されようとしているのであった。




