第54話 美しいもの
目を開ければ、ぼんやりとした視界。
明確な“僕”としての意識は不鮮明な“ハル”へと分割されていき、あんなにも鮮明だった視界はあいまいな美しさを取り戻す。
曖昧であるという事は、美しさを伴わない事を意味しないとハルは思う。
見えすぎることは、時に見たくない物まで見る事になる。たまにはこうして、美しいものだけ見ていたい。
「とはいえ、この頭痛は、勘弁願いたいけど……」
世の中ままならないものだ。頭痛でもなければ無意識に思考を増やしてしまう。
「ハルさん! お目覚めになられたんですね!」
「寝てはいないけどねー」
屋敷の体で目を覚ます。ハルは眠らない体なので、寝ていた訳ではないのだが、急の事だったので寝落ち同然の体になってしまっていた。
最低限の姿勢制御と、アイリへの説明は黒曜がしてくれたので問題はないが、また心配させてしまった。
ハルはソファーに横たわり、またアイリが膝枕をしてくれていたようだ。彼女の美しい顔が近い。鮮明であろうと曖昧であろうと、きっとアイリは美しいままだろう。
「アイリは綺麗だね」
「しょ! しょれはプロポーズ、でしゅか!?」
「あー……」
そうだ、とは言えないし、違う、とも出来れば言いたくない。
卑怯なのは分かっているが、どうか今は、ここも曖昧に済まさせてほしい。
◇
さほどの間もなくして、カナリーが転移で帰ってきた。拘束されたセレステを引き連れて。
肉体を得たカナリーとの対面は皆も初めてだ。屋敷をあげて出迎えるらしい。メイドさんずらり。
カナリーにもその旨を伝えると、面倒がらずに玄関から来てくれるようだった。玄関前に彼女が転移してくると、皆はもうそれを感じるらしく緊張が走っているようだ。神の力を六感で感じるのだろう。
「はいはーい、ただいまですよー。お出迎えありがとうございますねー」
「やあやあ、ただいま。出迎えご苦労。あっ、やめてカナリー叩かないで」
「被告人は調子に乗るんじゃあないですー」
セレステは鎖で手枷をされ、首輪をはめられカナリーに引かれている。屈辱的な格好だが、本人に堪えた様子はなく自然体だ。
まあ、この拘束、実は意味は全く無いのだし仕方がない。本来の拘束はデータ部分で行われており、これは立場を表すためのポーズなのだとか。つまり自前だ。お遊びだ。
「カナリー様! お帰りなさいませ!」
「おかえりカナリーちゃん。……ここにセレステ連れてきちゃって大丈夫?」
「この状態なら、ここに居ようが海の底に居ようが大差ありませんのでー」
「うむ。何も出来ないね。でも海の底は私の気分的に大差あるから止めてくれたまえ」
それでも一応、敵だった者を自らの安全圏に連れてくるのはあまり良い事ではないと思うのだが。それを拘束し屈服させている姿を明らかにして、決着を周知するのが目的かも知れない。
いや、カナリーのことなので、特に何も考えてないだけかも知れないが……。
「女騎士が捕まってるねハル君。これからお楽しみだね」
「お楽しまないよ」
「くっ……、殺さないで!」
「……ずいぶんとノリの良い神様なのね」
ユキやルナはすぐに慣れたようだ。セレステに色々と話しかけている。
普段と違うのは、お出迎えに並んだメイドさんたちだった。可哀そうなくらいガチガチに緊張してしまっている。
頭痛のため深く観察は出来ないが、二柱の存在感にあてられてしまっているのは明白だった。
「カナリーちゃん、オーラ抑えられない? メイドさんたちが驚いちゃってる」
「セレステー。抑えてくださいねー」
「ははっ、私が抑えたところで、皆カナリーにビビってるんだから意味無いさ」
「生意気なこんにゃろーですねー」
何だかカナリーにしては珍しく苦心しているようだったが、次第に二人の存在感が小さくなっていき、メイドさんたちもホッとした様子を見せる。
ハルとしては意外だったのはアイリで、特に目立った反応は見せなかった。信仰する神の降臨に、最も恐縮ないし感激すると思っていたが、存在感がゼロだった立体映像の時と対応が変わらないように感じる。
アイリには元々何か見えていたのだろうか。彼女の見ている世界を、自分も見たいと、ハルはそう考えるのだった。
*
場所を移し、いつもの応接間。今日は珍しく客人を出迎えるために使われている。その客人が手枷を付け、首から鎖をじゃらりと下げている事には目を瞑ろう。
「そんな感じでね。私達は戦う事になったのだよ」
「わたくしのためにハルさんが……」
「いやお恥ずかしい。我ながら直情的になりすぎた」
「本当よ。また無理をして」
「アイリちゃん愛されてるねぇ」
アイリが、ぽー、っとしている。捕虜の人は、あまり乙女心を刺激するのは止めていただきたい。解放されたエネルギーの向かう先はハルなのだ。
お茶とお菓子が運ばれてくると、セレステから事のあらましが語られていった。何故彼女が、と少し思わないではないが、ハルも自分で語るのは気恥ずかしいので任せる事にした。
なお、カナリーは久々の肉体でお茶を楽しんでいて、それどころではないようだ。
「話を聞くと、ハルは今回無茶をしなくても良かったのではないかしら? カナリーが全てやってしまったのでしょう?」
「言ってあげるなルナちー。ハル君もアイリちゃんのために必死だったんだ。それに始動技が入るかどうかは重要だし」
「うむっ、その通りだね。判断の早さと正確さは何より重要だ。カナリーが間に合ったのも、無茶あってこそだったかも知れないしね」
実際、拡張された意識と、普段のハルの判断力の差は雲泥のものがある。出し惜しみしたままでは、<降臨>に気がつけたかは定かではない。
<神託>について、以前から違和感は抱いていたが、無意識下のそれを形に出来るか否かには決定的な差があった。通常のままで気づけた自信は無かった。
「ところで。ハルは何でこの場に居られるんだい? <降臨>で体を食われただろう」
「最初から二人居たんだ。コストにされたのは片方だけ」
「なるほど。可能性としては考えていたが」
「自分の領域内での会話は聞けるんでしょ。完全に知られてるかと思った」
「カナリーとの会話は聞けなくてね」
使ってから知ったが、<降臨>に使うコストは己の全てだ。馬鹿げているにも程がある。それほどまでに強力、なのは確実なのだが、見合うかどうかは微妙な所だ。
まずハルのような分身が居ない限り、使った時点で操作不能。プレイヤーはHPMPを供給するだけの装置と化す。
そして稼いだ経験値を全て失う。全てだ。レベルも含めて。誰が使うんだろうかこんなもの。
「だから今の僕はレベル0」
「うわ、えっぐ。誰が使うんだろそんなスキル」
「ラスボス用とかかしら?」
「わたくしどもでは、命を落としてしまいそうですね……」
アイリの言うとおりだ。これがプレイヤーで良かった。しかし熱狂的な信者であれば、己の命と引き換えに神を降臨させられると知れば、喜んで使う者も出るだろう。
ルナの言うように、明確な目的があれば使用を考える人も居るだろうか。考えようによっては、命を賭けずに奇跡を起こせる。
「本来なら、カナりんみたいに出しっぱなしには出来ずに、終わったら消すしかないんだね」
「普通は体が二つは無いですからねー」
「反則だよハルは。コストもったいないから消さないかい?」
「セレステの領域がまるまる手に入ったので、コストは問題ないですよー」
「容赦ないわね、カナリー」
「本当だよルナ。いや、まいったね」
今後はこのまま体を出して生活するようだ。何せお菓子が食べられる。
カナリーは美味しそうにお菓子をほおばり、それをお茶で流し込んでいた。
◇
「セレちんの扱いはどうなってるの? 捕虜?」
「この格好はセレステの趣味ですよー」
「趣味じゃないよ?」
あわてて鎖を消すセレステ。無駄にしゃらしゃらと拘束アピールがやかましかったので有難い。
「ハルさん風に言えば属国化ですねー」
「ハルは分かると思うけど、カナリーはやる気が無い。実質、私に対する制限は無いようなものさ」
「リソースは使わせてもらいますけどねー」
それは良く分かる。カナリーは今まで一度もハルに指示を出した事は無い。現状に満足していると言っており、今後そうする気配も無かった。
恐らくはセレステについても同じだろう。<降臨>のコスト等は、さすがに徴収するのであろうが、領土を分割されるよりは安く済む。
変な話だが、完全に軍門に下るのが、最も損失がない。
「しかしカナリーの意には沿わなければいけない訳でしょう?」
「そうですよー。セレステー、おなかを見せて犬のように鳴くんですよー」
「くぅーん」
「カナリー、今は僕、余裕ないから、あんまりいやらしいのは止めてね」
服をたくしあげるセレステの姿は何だか扇情的だ。今は思考力が足りないハルだ、抑えるのにも苦労する。カナリーが続いて服従のポーズとか言い出しそうなので、先手を打っておく。
「はいはい! カナリー様はい!」
「生徒アイリちゃん、発言をどうぞー」
「それならわたくしにも出来ます! もっとすごい事も!」
「そうですねー。セレステを支配してる証明には出来ませんかー」
「いやいいってコレで」
伏兵は味方側に居たらしい。今までおとなしく話を聞いていたアイリが、対抗心を燃やしてしまった。
今のアイリがおなかを見せようとすると、服の構造上スカートごとたくし上げる事になる。……想像しただけで何かまずい。絶対に阻止しなくてはならなかった。
「でもセレちん、それ恒久的なものなんでしょ? 詰みじゃん。領土の一部なんかで手を打てば後で取り返せる可能性もあったのに」
ハルが焦っていると、特にそういった空気に気づいていなさそうなユキから助けが入った。ありがたいことに、主題が再開される。
「いや、こう見えて機は読める。もうハルには勝てない。それにある意味これが一番安全だからね」
「弱った獲物は、チャンスを逃さず叩かないとね」
「他の神様が狙ってくるのでしょうか?」
「ハルは好きよね? そういうゲーム」
領土を切り取られ、国力を失ったプレイヤーが辿る道は再起へのそれではない。その機に乗じた他プレイヤーからの袋叩きだ。
他にもまだ神は居る。セレステはそれを避けるため、ある意味で、カナリーの支配と言う名の保護下に入った。
何らかの要因でカナリーが弱れば、その時にこそ再起の道が見えてくるだろう。
「しかし、何で争ってるんだろうね、この人たちは」
彼女たちが、そのつぶやきに答えを返す事はなかった。
◇
「そういえばカナリーちゃん。あの剣は何だったの?」
「神剣ですよー。ハルさんの剣より少しだけ薄くて、少しだけ丈夫ですー」
「絶対少しじゃないよね」
そもそもハルの剣は、それ以上小さく出来ないレベルまで薄くしたものだ。それよりも薄い時点で完全に人の領域の外にある。
それに、振っただけであんなに壮絶な破壊が起こる理由にもなっていない。
「ハル、この子のする事だ。いちいち深く気にしても仕方がないよ」
セレステが、諦めろ、といった風に首を振りながら肩を叩いてくる。
「そうなの?」
「ああ。“運よく”剣を振った先に分子が綺麗に整列していて、“運よく”切ったそれが対消滅を起こし、“運よく”軌跡の遥か先にまでそれが伝播して行ったのだとしても、私は別に驚かないとも」
「あれは魔法ですけどねー」
「物の例えさ」
「幸運で片付けられるレベルを超えてるけど、まあよく分かったよ。よく分からない事が」
あの時は意識が拡張され理解力が上がり、視界もカナリーの物を借りて詳細な情報を参照できた。
それでも理解できなかったのだ。今考えた所で同じだろう。
「ハルさんはその時、頭が良くなっていたのですよね? それでも分からなかったのですね」
「ぜんぜんね」
ちょうど同じタイミングで、アイリからもその言葉がかかる。頭が良くなる、という言い方がかわいらしい。とはいえ実は、知性が向上したりはしないので、肯定はし難かったりするのだが。
「そういえばハルさん、スカートの中は覗かないのですかー?」
「のぞかないよ……、カナリーちゃん、えっちな発言は控えてってば」
今もハルとカナリーの体の間にはリンクが残ったままだ。カナリーの体に入り、視界を借りる事は今でも可能だ。ただ負担が大きいので今は入っていない。
視点をスカートの中に潜り込ませる事も、もちろん可能だった。
「でもカメラを下に回せるゲームでは、回しますよねー」
「うん、まあ、そうだね」
回してしまう。仕方のない事だった。
「アイリちゃん聞きましたー? 今後は下着もかわいいのを穿きましょうねー」
「はい!」
「私もスカートには気を使っているよ。戦闘中でも、どんな角度からも見えないようにね」
「無駄に高度な事をしているのね? 戦力が落ちそうなものだけれど」
「セレちんもズボンにしようよ。私みたいに」
その後も女の子たちの会話が、かしましくも心地よいお茶会が続いていく。
そんな風に賑やかに、セレステを巡る騒動はひとまずの終息を向かえたのだった。




