第537話 認知外巨大存在
6月とは思えないほどに暑さが増していますね。
皆様も、体調には十分にお気をつけください。
ハルはアイリスが視線を向けていた、空木の特殊性について考える。
空木、元はエメが最初に名乗っていた『エーテル』の名を継承したAIだ。その出自は本当に特殊である。
元々、異世界に来て魔力に触れたことで己の意思を持ったAIたちが、奇跡的な特殊事例だ。
それに加え、空木はそのAIの一人であるエメが作成したAI。つまり、一切人の手が加わっていないAIである。
「……その空木に関わることと言えば、思いつく物は多いね。しかし、君らが大々的に動くような目的となると」
「《んだよぅ。推理すんなよぅ。決め顔して推測してるけど、お兄ちゃん今は女の子なんだぜ? しまらねーよぅ》」
「ぐっ……、適当に言ったんだろうけど結構ダメージあるなその煽り……」
第三者的には、美女が真剣な顔をしている見栄えの良い構図のはずだ。問題は無い。
問題は無い、はずなのだが、ふとハル自身がそれを自覚し自らを俯瞰してしまうと、一気に間抜けなイメージに思えてしまうのだった。
「……ハル、綺麗、にゃー」
「ありがとうねメタちゃん。メタちゃんも可愛いよ。でも、一度こう意識してしまうと、なかなか綺麗な自分には戻れなくってね……」
「《ならそのまま帰るのが良いんさ。ここは、プレイヤーが来る場所じゃねーんにょ》」
「んにょ」
「《んにゃー! 噛んだだけさ! ともかく、お帰りくだせー! 後生ですんで!》」
「愉快な子だ」
ぷんぷんと全身で怒りを表現しつつも、まだハルたちをお客様扱いはしてくれるアイリス。
やろうと思えば強制排除も出来るはずなのに、ハルたちが自主的にここを去るのを待っているのはどういうことだろうか?
ハルはプレイヤーとはいえ、特別ゲストとしての参加であるため強硬手段が取れないのか。
それとも、この空間に迷い込むことそれ自体も、『通常のゲームプレイ』、の一部として想定された行為なのか。
それは、あり得るかもしれない。
思えばアイリスがハルたちを咎めに来たのも、この空間に侵入した瞬間ではなく、この空間の構造を改変しようとした時だ。
つまりは、ここに訪れること自体はまだセーフであり、システムを改変する行為がアウトになるようだ。
「考えてみれば、納得か。データの乱れが空間に穴を開けるとなれば、プレイヤーの中にはそれに行きつく者も出てくる。想定されてしかるべき事項だ」
「本当です? マスター以外の人間に、そんなこと可能でしょーか」
「検証好きなプレイヤーってそういうものだからね。モンスターの発生パターンなんか、特に興味あるだろうし」
「《オーケー分かった。出ていく気はねーんな? おめーたち?》」
「どうやら“ここに居てはいけない”ルールは無いみたいだからね」
「《やりづれぇ……、お兄ちゃんやりづれぇよ……》」
本当にここに居させたくないというならば、運営の権限において一瞬で強制退去させられている。
それが起こらないというならば、やはりゲーム的には合法なのだ。
だが、アイリスはハルたちを退去させたがっている。それはこの空間がまだ準備中であるためか。それともハルたち特殊なプレイヤーだけがNGなのか?
そこを考察する事で、何か見えてきそうである。
「《そんじゃー、しゃーがねー! 力づくで、出て行ってもらうしかないんだぜい!》」
「へえ、それは怖い。どうするの?」
「《にゅっふっふーん。余裕ぶっこいてられんのも今のうちだぁ!》」
「いや割と怖いんだけどね本気で」
何せアイリスはゲーム内では全能の存在であるゲームマスターであり、ハルは今はそのゲームのプレイヤーだ。
彼女がその気になれば、どのような不利益がハルに降りかかるか分からない。それは純粋に恐ろしいハルだった。
「《ふほーしんにゅーの賠償金は、溜め込んだそのポイントでお支払いくだせー! 出でよ、ガーディアン!》」
アイリスがハルたちから距離を取るように飛び上がると、直前まで彼女がいた場所に空間の乱れが生じる。
再び、先ほど見たような風景のバグ描写が発生し、視覚と聴覚に激しいノイズが襲い掛かってきた。
それは、ガリガビ、と耳障りな音を立てて、空間そのものを引き裂くようにして現れた。
◇
「《どーだっ! すげーっしょお兄ちゃん! レベルなし、ステータスなし、HPMPなし! 倒せるものなら倒してみやがれー!》」
「うわあ。GM特有の反則モンスターだ」
それはあからさまに、異質な存在としてデザインされている。
金色に輝く単色で体表の全てを彩られた、シルエットのはっきりしない巨体。これは、魚、だろうか?
巨大な体をくねらせて、この空間そのものを水槽に見立てて宙を泳ぐ。
ハルたち人間など意に介していないように、悠々とこちらを睥睨する様には本能的な恐怖を呼び起こされるようだ。
「マジでHPねーです。マスター、あいつ、無敵です? 逃げるしかねーです?」
「これがいわゆる、『敗北イベント』というやつでしょうか、マスター?」
「……困った、にゃー」
その魚のような謎の巨体のデータを見ようとAR表示を透視してみるが、アイリスが言った通り、その敵にはステータスが存在しなかった。
本来レベルやHPなどが表示されるはずの欄は『■■』のように塗りつぶされ、また一部にはノイズが走っている。
果ては名前すらそうして不明瞭であり、明らかに普通ではないことが一目で理解できるようになっていた。
「まあ、とりあえず攻撃してみようか」
「《出たー! 伝説のハルお兄ちゃんの行き当たりばったり手順だ! あたし、見たかったんだぁ。生で見られるとか感激なんさ》」
「……褒められてるのかな、これは?」
何がどう伝説なのか。行き当たりばったりなのに伝説なのか。色々と気になるところだが、喜んでもらえて何よりだろう。たぶん。
確かにそうして現地で対処法を考えることの多いハルだ。しかし、そもそも対処法が一切存在しなければ倒しようがない。
しかし、ハルにはこの敵は倒せる存在であるという確固たる確信があった。
「倒せねー敵ではねーのです?」
「アイリスは、さっき『倒してみやがれ』って言った。つまり、何か攻略法はあるはずだ」
「確かに。空木たち神は嘘をつかない存在ですものねマスター」
「《うー……、そーやってよぉ、細かい発言の裏とか推察しちゃうとモテるけど嫌われるぜーお兄ちゃんさぁ……》」
「モテはするのか……」
何となく心当たりのあるハルだ。あまり、人の心の細かい機微に気付きすぎる人間は敬遠されがちだ。
特にハルのように無意識のサインまで事細かに読み取ってしまうようなレベルだと、嫌われるというよりも気味悪がられる。
だが、構わないだろう。それでもついて来てくれる人達がハルには居る。それで十分だ。
「……いや、今はそれはいい。とりあえず、<神聖魔法>かな」
ハルの発射した無数の光弾が、魚のような巨体に漏らすことなく吸い込まれて行く。
元々、追尾弾性能が付いている上に、あの大きさだ。撃てば当たりが保証されるボーナスステージ。
「だが、ダメージは無し……、なんだろうね、多分あれは……」
「《そだよう。『表示が出てないだけで、撃ってればいつか倒せる』、なーんて甘いことはないよお兄ちゃん》」
「だろうね」
「腹立つですね。マスター、いっそアイツからぶっ飛ばすです。そうすりゃ、この敵もどーせ消えるです」
「《きゃー、こっわいんさー。そうされないように、やっちゃえ魚類ちゃん一号! 轢きつぶせー!》」
「魚類ちゃん……」
棒読みぎみのアイリスの号令に合わせて、謎のモンスターが動きを変える。
その頭と思われる場所をハルへと向けると、そのまま一直線に突っ込んできた。
サイズ感から速度感覚がおかしくなるが、なかなかのスピードのようだ。その迫力に飲まれないよう気合を入れると、ハルはギリギリの所でその突進を回避する。
そして、すれ違いざまにルナから渡された杖で横っ腹を殴りつける。が、手ごたえ無し。
「素手でしかダメージ通らない可能性、ワンチャンス!」
「《うおー! いきなり素手パンチとか思い切りよすぎっしょお兄ちゃん! だが残念! ノーチャンスさね! ……てか、触ったら毒かもしんねーじゃん? もちっと警戒しよーぜぇ》」
「そうだね、気を付けるよ」
「《うっし、んじゃ次いってみよー!》」
とりあえず、触れたら即死のような効果は無いと踏んでいたハルだ。素直そうなアイリスが『轢きつぶせ』と言うのだから、潰すダメージによって倒そうとしてくるはずだ。
だが、真っ当な体という訳でもないようで、殴りつけた左手は、触った部分が溶けるように消し飛んでいた。
そして、今の攻撃の被害はそれだけではない。
「マスター、床が溶けたです。もうそこには踏み込めねーです。ちびっ子、さっさと新しい床を用意するです」
「《するわけねーだろぉ!? ってかお前もちびっ子だろー! ちびっ子ってゆぅーなー!》」
「……こうして足場がどんどん無くなっていくギミックなんですね。いえ、足場を用意してくれたのはむしろ親切なのでしょうか? 空木は少し疑問です、マスター」
「強敵だけど、ある程度フェアな状況を演出してるんだろうね。理不尽なだけだと、ゲームとして面白くない」
「《だから解説すんなー! 嫌いになっちゃうぞー!》」
「いや、すまない。どうか嫌わないで欲しい」
だが、そうした様々な点からはっきりしている事がある。この魚は、“倒されるための敵”だということだ。
無慈悲に、そして理不尽に、ただハルたちにゲームオーバーを与えるための存在ではなく、知恵と勇気によって打倒するための存在。
それ故に、必ず攻略法が存在するはずなのだった。
*
「しかし、どこの世界でも『お魚さん』は強いね。マリンちゃんのイベントを思い出すよ」
「《んあー? マリンブルーお姉ちゃんは関わってねーぜ? どったのさ、急に》」
「あの子も変な魚いっぱい飼ってたな、って話だよ」
「《べつに、あたしは魚タイプ専門って訳じゃねーのさ。魚っぽいのはこいつだけだよ?》」
つまり、この敵以外にも様々なバリエーションの敵が居るのだろう。良い情報が得られた。
とはいえ、まずはこの目の前の敵をなんとかしない事には始まらない。
この魚は今度は地下から、ハルを狙って浮上してくるようだ。ハルは蒸発するように消し飛んでしまった腕を回復しながら、今度は一切接触しないように突進を避ける。
「どんどん足場が消えていくです! マスター、ここはやはり白銀が新しい足場を作るです!」
「《やめろって言ってんだろー! BANすっぞー!》」
「んー、何かしら攻略法はあるはずなんだけど、試している時間はないか。仕方ない、本命といこう」
「……必殺技、あるにゃ?」
「あるよメタちゃん」
そもそも、正規の攻略法が存在していても、ハルたちがまだそれを所持していない可能性がある。
まだゲームは序盤も序盤で、ハルは特に攻撃系のスキルに乏しい。普通の敵の対処にも苦労するのに、こんな規格外のイベントエネミーを相手にするスキルなど所持していなかった。
「《なんだー? まさか生産系かー? 毒薬でも作って投げ込むのかぁ?》」
「いや、それも効かなそうだよね。毒が効く構造をしてないんだろうし。そもそもHPが無いんだし」
「《分かってんじゃん! さっすがお兄ちゃん。でも、したらどーするん?》」
「こーする。『神罰』」
「《うげぇ!? ま、毎度ご注文、ありがとうございます!!》」
「えっ、何その反応……」
神の使役するモンスターなのだから、同じ神の力なら効くのではないか?
そう考えた結果が『神罰』スキルの使用なのだが、ここで少々予想外の事態が起きた。
なんと奥の方で余裕たっぷりに観戦していたアイリスが、自ら攻撃モーションを取り始めたのだ。
確かに神の力を借りる技らしいが、実際に彼女自身が攻撃していたというのだろうか。
「《えーっと、今回のチャージ金額は……、こんくれーか、よーし、アイリスびーむっ!》」
「金額って言うのやめて? 神様でしょ?」
生々しいにも程がある。もっと神聖で神々しい態度でもって臨んでほしい。まあ、『アイリスびーむ』の時点で台無しではあるが。
そのアイリスの手から放た続けるビームは途中で幾方向へも拡散し、敵を取り囲むように全周囲へと広がってゆく。
そこから、取り囲み追い込むように、魚の巨体の中心へ向けて収束していった。
そうして集まり球体状の力場を形勢するエネルギーは次第に空間を歪ませていき、内側からその身を削り取っていった。
「《うおー……、危なかったー……! 課金が足りてたら自分で自分の手下を倒しちまうとこだったぜぃ!》」
「そっか、なるほど。じゃあ課金」
「《ご利用いただき、ありがとうございまぁす!!》」
ハルが課金により<信仰>力をチャージすると、表情を一変させて再びアイリスは『神罰』を放つ。
……これは課金誘導されたのだろうか? また課金に頼ってしまったハルである。
とはいえ安くないその投資の結果、あれだけ何をしても無反応だった謎のモンスターは非常にあっさりと消えていった。あっけなさすら感じるハルだ。
以前に使用した『神罰』の演出が、空間を歪ませて現れるものだったので、もしやと思っていた。
その効き目は、予想以上だった。支出の量も、予想以上だが。
「《またのご利用を、お待ちしておりまぁす!! ……あー、やられちまったぜぃ。まさか自分の手で、お兄ちゃんの悪事に手を貸してしまうとは。これも、社畜の悲しい性なんよねぇ》」
「エメみたいなこと言い出すのやめよう? 神様らしさ、大事」
「《今さらだぜーお兄ちゃん。……そんで、どーすんの? 倒しちまったけど、ゆっくりしてくんさ?》」
「……いや、今日は帰ろうかな。一区切りついた気分だし、なんとなく、こういう世界って分かったしね」
「《なーんだ。『留まる』ーって言ったら、次の出してまた課金して貰おうかと思ったんになぁ》」
「やめて?」
謎のモンスターが出るたびに、『神罰』のエネルギーを課金させられてはたまらない。今日の所は、大人しく退散するとしよう。
あの謎の存在も、課金による力技以外の対処法が何か存在するのだろう。次に来るときは、それを見つけてからでも遅くないだろう。
少しばかり、小さい子たちの相手で疲れたこともある。とりあえず今日の所はログアウトし、仲間たちとこの空間の情報を共有しよう。ハルは、そう考えるのだった。
※誤字修正を行いました。「天罰」→「神罰」の表記ゆれの修正。その他、細かい言い回しの修正を行いました。大筋に変更はありません。
追加の修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/20)




