第52話 降臨
一日ほど間をあけて休日の朝。ほとんど時間のずれは一周し、リアルでも、もう日が差している。少しだけ進んだこちら時間。朝の日差しが、木々の緑を爽やかに照らし、彩りを浮き上がらせている。
場所はセレステの神域。春の陽気が夏の木々を照らす、アンバランスな土地にハルは居た。
アベルとの会談後、ハルはすぐにはこの場所へは向かわずに、休日を待つ事にした。
激戦が予想されるためだ。セレステは本気のハルと戦いたがっている節がある。カナリーと話し合い、その可能性を警戒することにした。
変な話だが、AIらしからぬ“焦り”を感じた気がしたのだ、以前の彼女からは。
ハルの成長を警戒したのか、この先戦う機会が失われる事を知っているのか、それとも、単純にただ何度でもハルと戦いたいだけなのか。
なんにせよ、話をするだけで終わる楽観は持てない。カナリーが連絡するだけで済むかと少し期待したが、やはりハル自身が赴く事を求められた事からも、それが窺える。
ハルは、全ての脳の領域を使用可能に調整して、万全の状態で訪問する事にした。
「居ないね。連絡は行ってるんだよね」
「この奥に東屋じみた場所があります。そこに居るようですね。ご案内しますー」
「じみた?」
「もう屋根も何もないですー」
「そっかー……」
それはもう東屋でもなんでもないとハルは思うのだが、まあ場所は何でもいいだろう。ハルはカナリーを伴って、神殿の背後、森の奥へと踏み込んで行く。
木を寄せ付けず、明るく光が差し込む神殿の周囲から離れると、陽光が葉に遮られ、すぐにしっとりと薄暗くなっていく。
そのまま、女神に導かれるように進んでいけば、またすぐに光の差し込む場所へと出ることが出来た。
そこに、セレステも居る。
「やあ、いらっしゃいハル! また来てくれて嬉しいよ。歓迎しよう」
「おはようセレステ。お邪魔するね」
「私も歓迎してくださいー」
「やあ、おまけのカナリー」
確かにそこは東屋だったようだ。円形に切り揃えられた石の土台から、半ば風化した柱が数本残って立ち並んでいた。在りし日は同じ物がずらりと周囲を囲み、屋根を支えていただろう様子が想像できる。
その中は綺麗に整えられ、以前のものと似た、真新しい丸テーブルが置かれている。
その上品さと、遺跡の趣が融合し、幻想的な神聖さを演出していた。
「セレステ気分出しすぎですー。光源まで追加しちゃってー」
「ははっ、お持て成しの心って奴だよカナリー」
「パーティーじゃないんですからー」
「人が雰囲気に浸ってるところで舞台裏を語らないの」
苦笑し、ハルは席につく。今日はセレステが手ずからお茶を出してくれた。
ハル達が歩いて来るのに合わせて淹れたのだろう、ちょうど良いタイミング。準備のいいことだ。味も非常に美味しかった。
お茶を注ぐ姿も、しゃんと背筋を伸ばしたその振る舞いは絵になっており、武家のお嬢様感のような清廉さがある。
その姿に、ハルは圧倒されていた。
「いや、すごいね」
「ふふっ、どうしたのかな、ハル。私に見とれてしまって」
「見とれてたというよりは気圧されてた」
言葉の通り、心を圧される。彼女の体そのものが圧力を放っているようだ。視覚ではなく、魔力を肌で感じる感覚はこういうものか。ハルは初めての感覚に戸惑っていた。
<精霊眼>で見るまでもない。これが、神の本体だろう。
「セレステ抜け駆けですー。私がその感想貰いたかったですー」
「カナリーは何時も一緒に居るんだから、いいじゃないか」
むーっ、とカナリーがむくれる。かわいいが、構ってあげる余裕が無い。金縛りにあったようにセレステから目が離せなかった。
警戒を解けば、すぐにでも攻撃が飛んできそうな錯覚から、ハルは抜け出せないでいる。
「ハルさん、大丈夫ですよ~。神は宣言無しに人に攻撃を加えられませんー」
カナリーから優しく声がかかり、ようやくハルの緊張が解ける。彼女は嘘をつかない。その安心感が心を落ち着かせた。
「いやいや、すまないね。少しサプライズが過ぎてしまったようだ」
「本当ですよもー、セレステはー」
「驚かせてしまったようだが、今日は何か話があるんだって? 話してみたまえよ」
「ああ、うん。聞いてくれるようでよかったよ」
いきなり御神体でお出迎えされてしまったので、まずは一戦、しかも全力、なのかと警戒してしまった。だが、まずは話を聞いてくれるようだ。
しかし楽観視は出来そうにない。この後、戦いたがるのは確実だろう。その時は恐らく、この姿のままの彼女と相対することになる。
「その前に。今ってここには人居るかな? NPC含めて」
「居ないよ。安心してくれていい」
念のため確認しておく。もし戦闘になっても、最悪NPCが居ないなら問題はあるまい。
「そっか。用件はカナリーちゃんから聞いてる?」
「一応ね」
「まあそれで全部なんだけどね。アベルにかけた制限を一部解除して、詳細を変更することは出来る?」
「出来るとも。元々それを見越してかけておいた物だしね」
「ん? 見越してたって」
「ああ」
どういうことだろう。何だかまた雲行きが怪しい。
この条件はハルが、というよりはアイリが決めたものだ。それを遵守する義務がセレステにはあり、そこに不正の入り込む余地は無い。
しかしながら、条件の範囲内であるならば、それを厳しくする事に制限は無いのではなかろうか。
「カナリーちゃん」
「はいー」
「見落としてたね」
「セレステ面倒くさい女ですねー」
「酷いな。カナリーがNPCの行動に興味が無さすぎるのが悪いんだよ」
つまりは、アベルが出国できなくなる事、それによってハルがまたここを訪れる事、それも計算の上だった、ということだろう。つまり、その時からハルと戦いたいが為に、手を打っていたという事だ。
カナリーの言う、面倒くさい女とはその事である。陰謀家、と言うよりも酷い言い方に感じるあたりは流石だった。
「しかし、干渉禁止は解除して戦争禁止にしてしまうのかい? そしてそれを利用して、国境に安全地帯を作ると。今度は甘すぎるのではないかな」
「そうだろうかね。こんな都合の良いユニットはそうそう無いよ。配置しない手は無い」
「そうかも知れないがね。そんな面倒な事をせずとも、ハルが出れば全て蹴散らせるだろう」
「彼にも言われたよ、それは」
またこの問答か、とハルは少し辟易する。
「そこは変える気はないから、平行線だね。それに、プレイヤーが戦争に介入したら、僕の制限解除を問題視されて取り消されちゃうんじゃない?」
「少なくとも私は文句を言わないな。むしろそれを理由に、私の使徒の制限を解除する」
「正直すぎる意見をどうも……」
余計にハルが出る訳にはいかなくなってしまった。
死なない兵士が闊歩する戦場など嫌過ぎる。泥沼などというレベルではない。
「博愛は美徳だが、それだけで世は回らないよ。戦いが神性として機能しているくらいなんだ」
「セレステー、ハルさんの決定に口を挟みすぎですよー」
「いいよ、続けてくれて構わない」
恐らく、ハルは挑発されているのだろう。気の早い事だ。
事務手続きが済めば、戦いには応じるつもりのハルだが、セレステは会話から自然な流れで戦闘に繋げたいらしい。会話を組み立て始めたのを感じる。
順番は前後するが、まあ構わない。付き合おうとハルは思う。
「すまないね。しかしハル、改心しない悪意だってある。それが君のお姫様に振り上げられたらどうする? 殺すしかなかったら」
「その時は容赦しないよ。いや、そうならないように立ち回っているのだけど」
「その決心、本物かい? 口では何とでも言えるだろう」
空気が硬質な熱を帯びてきた。セレステが両手を組んで、笑みを深くする。この緊張感がたまらないのであろうか。
対するハルは、憮然とした表情で目を細める。挑発に乗った事を態度に出した形だ。
非常に不本意だが、戦っても、恐らく勝てまい。だが今回は彼女の好きにやらせてみよう。どうせ分身体がひとつ消えるだけである。
「本物だよ。と口で言っても納得はしないんだよね」
「ああ、人間は数分前の決意でさえ、命惜しさに投げ出す生き物だ。行動で示してもらわねば」
「証明のため誰か殺せと?」
「そんな事に意味は無いさ。キミが、キミのお姫様の為に、どこまで出来るかを見てみたい。……今から私は、彼女を害するため腕を振り上げようと思う。君の決意は、果たして神と敵対するに値するものかな?」
《ハル様。セレステからの宣戦布告のメッセージを受信しました》
「さてハル、キミの返答やいかに」
「ここで死ね」
ハルが宣戦布告を受理すると同時、何の前触れも無くハルの前方、テーブルを中心とした空間、それそのものが火を噴いた。
◇
図らずも、セレステの言葉を証明してしまう結果になってしまった。
数分前どころか、数秒前の決意さえ反故にしている。負けてもいい、などという思いは彼方へと吹き飛んだ。敗北は許されない。絶対に。
──黒曜、全領域を強制接続。確認シークエンス全てカット、暖気は無しだ。
《御意に。完了しました》
──10%限定で意識拡張。
《御意に。掌握前のネットに接続されます。ご注意ください》
意識がエーテルネットワークに接続される。準備不足のため、安定した未使用の場所を指定していない。たった今この瞬間も、使用中であり情報が飛び交う世界に“僕”は放り出される。
我ながら短気を起こしたものだ。この奔流に流されれば、僕の意識はネットの中に溶けて消え、全ての意味を失うだろう。入出力経路を広げて自身を補強する。反動で脳が焼けるのはエーテルを流し込んで強引に補修した。
──屋敷の方の体任せた。目だけ閉じてればいい。
《御意に》
意識を統合した今の僕は、複数の体の境界を曖昧にしてしまう。視界が混ざって判断力が落ちるのは避けねばならない。
安定した未使用領域の掌握が済み、意識も安定する。何秒経ったろうか。まだセレステからの攻撃は無いようだ。初撃で距離を離したらしい。
先ほどは、前方の魔力を全て指向性を持った破壊力に変換し、それを連鎖爆発させるように射出した。視界の先には、さながらビーム砲のように、円形に森や神殿を削りくり抜いた破壊の痕が続いている。
セレステによる宣戦布告の以前から、僕は彼女との間の空間全てを<魔力操作>のための意識下に置いていた。ここはセレステの領域とはいえ、平時においては中立だ。魔力の所有権とでも言うべき、支配力は設定されていなかった。
だが一度しか使えない技だ。これを通すため、前回も<MP吸収>などでこの神域の魔力を使う事は避け、カナリー側の神域からHPMPを供給していた。
今はもう、周囲の魔力の操作が不能になっている。セレステの支配下だ。つまり、期待はしていなかったが、初手決着とはいかなかったようだ。
爆発により空白地帯となった場所に魔力が戻らないうちに、カナリーの支配下にある魔力をそこへ放出して、安全地帯を作り出す。
《ハル様、<HP吸収>、<HP拡張>、<MP拡張>のスキルが開放されたようです》
──都合が良い。今までの経験が統合で反映されたのか。
神との戦いだ。今の体のままでは一撃死は避けられまい。
肉体を、<魔力操作>で強引に強化していた経験が反映されたと思われるスキルで、HPMPの増強をしていく。
《また、プレイヤーレベルが100になった事が強調して報告されています》
──何か変化は?
《見受けられません》
アイリを対象にされた以上、もはや正々堂々の試合などと言っていられない。外道でも反則でも、使えるものは使わなくては。
僕は拡張された意識で考えを巡らす。100レベルが関係したものは何かあったか。
「カナリー」
「はいはーい」
「力を貸せる?」
「貸せますよー」
<神託>だ。僕のスキルの中で唯一100を越えているもの。
何の変化も無く、アナウンスも無い。だがレベルの上昇で何かあると彼女から示唆されていたもの。
僕の神様に力を借りられるなら、遠慮なくそれに縋ろう。プライドや自力決着など二の次だ。
「いきなりの挨拶だねハル! だがそれがキミの決意か、しかと見せてもらったよ! 次は」
「セレステー、黙ってましょうねー? 地雷踏んじゃったんですよあなたー」
吹き飛ばされたセレステが戻ってきた。だが取り合わない。今は敵だ。
感情が暴走しすぎているのは僕自身も理解している。だがここで中途半端に事を済ませたら、必ずアイリに害が及ぶ。
セレステはAIだ、嘘をつかない。やると宣言した事は必ずやるだろう。
それを忘れ、人間的な彼女に流され、宣言させてしまった僕のミスだ。絶対に、修正しなくてはならない。
「カナリー、それはアイリや君自身に危険が及ぶ?」
「問題ないですー」
「じゃあ全部任せた。やれるだけやっちゃって」
「お任せくださいねー」
カナリーがウィンドウの中に消える。間を置かず、ウィンドウ自体も消失した。
僕の操作ではない。カナリーに任せた事、その影響だろう。程なく黒曜からその内容が知らされた。
《<降臨>のスキルが習得されました。同時に使用許可を求めています》
「許可する」
「ハル! だめ、待って!」
待たない。戦闘中である。
セレステが必死な表情で手を伸ばすのを、拡張された意識で冷静に眺めながら、僕の体を光が包んでいった。




