第50話 肉の要塞
「ハルさん? ハルさーん?」
アイリがおずおずといった様子で頬をぷにぷにと突いてくる。ハルがよくやる行為なので、アイリにもうつったようだ。
好きな人の行為を真似る、自身をその人に近づける、というのは最大限の親愛の証である。それだけアイリがハルのことを想っていると言えよう。
と、そう説明しようかとハルは思う。アイリに変な癖をうつすなと、ルナに怒られた時に。
責任の一端はユキにもあるので彼女も巻き込もう。
「ん……、ごめん、戻ってきた」
「わっ! す、すみません。よかったです!」
また変な空間に迷い込んだせいで、体が止まってしまっていた。操作が戻った時には、心配したアイリに覗き込まれていた。
至近距離で見つめ合う形になり、しばし互いの時が止まる。彼女の吐息がこそばゆかった。
このままでいると、いけない雰囲気になってしまいそうだ。ハルもアイリの柔らかいほっぺたを突いて、時を動かしてやる。
きゃー、と頬に手を当てて、アイリは幸せそうに顔を離していった。
「また神界にお呼ばれしていたのでしょうか?」
「その通りだね。神界、神界かあそこ。そう考えるとしっくりくるね」
「?? ……びっくりしちゃいますね!」
「本当にね」
何も停止させなくてもいいと思うのだが。だが、あそこを経由してこの体を操作していると思えば納得がいく。使徒を送り込むための場所、そういう意味で神界だ。
「もう平気なのですか?」
「うん。聞きたい事あったんだけど。すげなく追い返されちゃった」
「神様のお相手は大変ですー……」
「本当にね」
AIは素直だが、時に融通が効かない。人間のように口八丁手八丁で誘導出来ない。ダメなものはダメ。
今回のも、答えてくれる気はなかったという事なのだろう。
「それでは、朝ごはんにしましょう!」
「そうしよう。一緒に行こうか」
「はい!」
いつかの時のことを思い出したのか、そっと手を取ってくる。
そうして互いの気持ちを確認するように、繋ぐ手の感覚を会話の代わりに、ふたり言葉少なく歩いていった。
*
謎の少年神との会話では、得られるものはあまり無かったが、あそこへ行けた事自体が収穫だ。今はそれで良いとして、ハルは別方面から進める事にする。
授業時間が終わると、ハルはこの国の首都へと来ていた。何日か前から、監視衛星(目玉の事である)を飛ばして目星はつけておいた場所があった。
「ここで何があんの? この街って人通りも多いから、ボクあんま長居したくないんだけど」
「都合よく今日に連絡してきた自分を恨んでくれ。お茶とお菓子はおごりだから、もうちょっと待ってね」
「このゲーム物が美味しいからいいけどね。そういう方向で広めよっかな」
「飯テロやめい。広めても皆通貨稼げないぞ」
「ボクが放送やるまでにハルさんがルート開拓しといてよ」
以前に知己を得ていた、マツバ少年も今日は共に居る。外部に向けた動画の持ち出しサービスが動き出すらしく、その連絡の際にハルに捕まった形だ。
目的の人物が動き出すまで、近くの茶屋、のような風情を感じるカフェで男二人で茶菓子を食べている。たまにこの世界、随所で日本風を感じる所があった。
男二人といっても、片方はまた目深にフードをかぶって性別も何も分からない、怪しさ満点の人物なのだが。
マツバは割と遠慮の無い食べっぷりだった。プレイヤーの胃袋には制限が無い。
「リアルもこんくらい美味しければね」
「マツバ君、稼いでるんでしょ。普段から美味しいもの食べてるのかと思った」
「あんまし時間無いし。ハルさんみたいに、嫁の実家が王宮でもないしな」
「嫁……」
意図せずタイムリーな話題を踏まれてしまった。まだ嫁ではない。
「そういえばこの前、リアルでローストビーフ食べてみたんだけど、あんまり美味しく無いのね」
「ああ、ボクも大して好きじゃない。何でわざわざ?」
「こっちで食べたのが感動的に美味だったので」
「へー。何が違うんだろうね。そういえば、食事効果欲しいって言ってるプレイヤー増えてるみたいだよ」
「ああ、見た。空腹度まで欲しいって言ってるのは笑う」
「空腹度は、正直面倒だ」
ローストビーフも、単に同じ名の商品としてではなく、店や食べ方を選ばなければならないのかも知れなかった。
そんな話をしていると、監視していたターゲットの移動を確認する。
「あ、動いた。マツバくん、行こうか」
「えー……、くっそ、次の注文しようと思ってたのに」
「どんだけ食べるのか……、あ、お勘定お願いします」
和風な雰囲気に、お勘定などと言ってしまう。どうやら普通に通じたようだ。
この辺りは高級住宅地といった感じで、それなりにお高めだ。“プレイヤー食い”で、無限に食べていい店ではない。支払いはなかなかの額となった。
ちなみに、屋敷の方の体の隣には、アイリがお財布を手に待機していた。やる気十分の顔で、支払いが必要になる瞬間を待ち構えているようだ。倉庫経由で街のハルへと渡される。
お金は大切にしていただきたい。助かるが。
ハルも現地での収入を、そろそろ本当にどうにかしないとならない。
*
住宅地から少し外れ、これまた高級な旅館といった佇まいの建物の前に二人は陣取る。ここが目的地。ターゲット、つまり王子の逗留地だ。
意外にも、彼はまだこの国に滞在していた。かれこれ、あれから二週間にはなろうか。
セレステの忠言のとおり、アイリの脅威となる存在を探るための監視衛星(くどいようだが目玉の事である)が、偶然その姿を捉えて知ることになった。
その門を、軽装の戦士といった装いの女性がくぐる所に、ハルは声をかけた。
「やあ、クレアさん」
「っ!?」
優秀なことに、目だった反応は表情を少し動かしたのみに留まる。予想外の接触だったであろうに、肩が跳ねたりはしない。非常に訓練されていた。
ハルがこのゲームを開始した当日、最初の騒動のきっかけとなった、スパイメイドのクレアとの再会だった。今は服装も含めて元、メイドになっている。冒険者、といった雰囲気。こちらの方が性に合っていそうだ。
「よかったら取り次いでもらえる?」
「…………ご案内致します」
往来である。誰に、とは口に出さない。
明確に敵対した存在であるというのに、すんなりと案内してもらえる事になった。騒ぎを恐れただけには見えない。もっと警戒されてしかるべきなのだが、その顔には安堵も見えるようだ。
どうやら、王子はのっぴきならない事情でこの国に留まっているようだった。
*
彼女に案内され、奥まった部屋へ通される。
取り次ぎを待っていると、隣の部屋から『はぁ!?』、という大声が聞こえてきた。気持ちは分かる。
「ボクについては何も聞かれなかったけど、正気かね? 自分で言うのもなんだけど」
「向こうも世を忍ぶ身だし、勝手に勘違いしてくれたんじゃない?」
マツバはフードで顔を隠した怪しさ抜群の格好だ。素性の確認は良いのだろうか、とハルも思う。
よっぽど何かに縋りたいのか、それとも以前、王子を倒したハルが来てしまった以上、詰みだと観念しているのか。
「というかボクの方にも説明しといてよ。大物じゃん。心の準備が必要だっての」
「パフェに夢中なのが悪い」
「ここでは何か食べ物出るかな?」
「マツバ君の方が大物じゃん」
文句を言いつつも、女性人気の高い王子に渡りをつけておけば、色々と展開が考えられると乗り気のようだ。急な展開だというのに、こういう胆力はどこで身につくのだろう。
彼とそうして話していると、入室を促す声が掛かった。
二人で部屋に入ると、以前と変わらぬ自信を装った王子が出迎えた。こちらも、流石。自然体のように見えるが、端々から少し無理が見える。だがそれを悟らせない風格があった。
常に気を張っていなければならないのも、大変なものだとハルは思う。
「少しぶりだな、ハル。どの面下げて……、はお前に言っても仕方ないか」
「久しぶり。自分でもそう思うけど、まあ勘弁してよ。前の事は水には流さないけど、益のある話をしよう」
「何でのっけから険悪なのさ」
「険悪にはしないさ」
まあ、お互いあえて言葉の上では険悪にすることで、それ以上は踏み込まないという確認をしたようなものだ。
「そいつは? 王女か?」
「んなわけないだろ頭わいてんの? 何で会えると思ってんのさ」
「お、おう」
険悪にしないと言った傍から、つい口調が荒くなってしまった。
ここに来てマツバもフードを取った。失礼だから、というよりは、流石に女性に見紛われるのは許容出来なかったのだろう。
幼い、いかにも少年という姿が表れる。艶のある黒い髪は少し長めできっちりセットされ、切れ長の瞳が自信ありげな生意気さを表現している。
ハルの作った仕立ての良い衣装が育ちの良さの演出に一役買っているが、幼さは抑えきれていない。これはリアルの姿のままであるという話だ。その堂々とした振る舞いからは考えられないが、小学生か、よくて中学生といったところだろう。
「そうそう、ボクを女扱いしてイジりたかったら口じゃなくて金で語ってよね」
「えっ」
「えっ」
訂正。どうやら、女性扱いも慣れているようだった。
◇
「じゃあアベル、この国から出られないんだ? うける」
「うけるな! お前のせいだぞ!?」
「元はといえばアベルさんのせいなんでしょ? ボクも見たよ」
「アレ見られてたのかよ……、情けねぇ」
互いの紹介が済み、向かい合って座る。ここで初めて王子は自らの名を語った。
どうやらアベル王子は、好んでこの国に滞在している訳ではないようだ。
試合での敗北によって課せられた枷。この国への政治干渉の禁止が響いているらしい。拡大解釈というか、融通がきかないというか、国相手の交渉の全てがマトモに出来なくなってしまったようだ。
その事を察知されたのか、出国を留め置かれていた。
「詳細はバレて無いが、時間の問題だな。絞れるだけ絞る気だろうよ。こっちからお前にコンタクト取ろうとしてたんだ、来てくれて助かったぜ」
「へー。じゃあそれを待てば交渉レートつり上げられたね。待ってれば良かった」
「ハルさん黒いよ。また『男相手だと強気ー』って言われるよ」
言われそうだ。ユキに。
ハルにとって男三人での会話というのは新鮮だ。なにせ屋敷には女の子しか居ない。多少はしゃぐのは、許してもらいたい所だ。
「コンタクトって、クレアを使って?」
「ああ、アイツだけは所属がこの国だからか、影響を受けなかった」
わざわざ王の紹介で潜り込んだ甲斐があったのだろう。備えはしておくものだ。アイリが対象でなければ、ハルも手放しで褒めている。
「ハルは何か要求が有るのか?」
「アベルの聖剣、今じゃなくていいからじっくり見せて欲しい。可能なら貸して欲しい」
「貸すのは……、ちと厳しいな」
そう言って、傍らの剣をすっと持ち上げる。生命線だろう。貸せないのは当然だ。
そんな中、ハルは剣に視線を走らせる。運がよければ、ここで目的は終わりになるのだが。
──黒曜、いける?
《不可能です、ハル様。“これは物質”です》
──だよね。見えるのは魔力の残滓のみ。コピー出来るものじゃなさそうだ。
ハルがコピー出来るのは魔力のみ。この世界の物質で出来ていてはお手上げだった。どういう理屈で動いているのかも全く読み取れない。
そうしてしばらく聖剣を見つめていると、アベルから声がかかる。無下に却下はせず、交渉は進めてくれるようだ。
「少し早いが、飯でも食ってくか? 食いながら話そうや」
「やったね、接待だよハルさん。また美味しい物食べられそうだ」
「お前も場慣れしてんな……、そんな年齢で」
「ボクはこれでも十八なんだけど」
「マジかよ!」
「嘘だろ!?」
「あ、これ使徒の連中にはナイショね」
正直ここ一番驚いた。
◇
アベルの従者により食事、いや食材が運ばれてくる。肉だ。それも巨大な。
それを大胆にもまた大きく切り分け、鉄板で豪勢に焼き上げていく。
「おー、たまらない匂いだね。流石は王子様、いいもの食べてる」
「客用だ。普段からこんなの食って無いって」
「太るしね」
「ここじゃ、体も動かせないからな……」
しみじみ語る。
肉体派王子であるところのアベルには、半ばこの街に拘束されている現状は結構なストレスになっていそうだ。
まさかそれで根を上げるのを期待されているのだろうか。
「ハルも王女の屋敷じゃ、こんな野蛮な物食え無いだろ。今のうちに食っとけよ」
「確かに上品な物ばかり食べてそうだなハルさん。美味しいんだろうけど、息が詰まりそう」
「いや、アイリは僕に合わせて割と庶民的なもの食べさせてくれるよ。この間も庭で焼肉やった」
「嫁自慢やめろ」
「ぶっとばすぞ」
「なんでさ……」
聞いてきたのはあちらだというのに、理不尽な話もあったものである。
そうこうワイワイしていると肉が焼け、運ばれてくる。それはもはや焼肉と語るにはぶ厚すぎる。ステーキと言って良いのかも分からない。
起立する塊。肉の要塞だった。
「ご飯プリーズ」
「用意してやれ」
「はっ!」
マツバがご飯を要求する。気持ちは非常によく分かった。ハルも出してもらう事にする。
「中ボスがここに住んでそう」
「今からボクが攻略する」
ぶつり、とナイフを入れる。要塞が陥落していく。非常に柔らかいが、それでも一苦労。あふれ出す肉汁がもったいない。
「ハルさん、切って。あの剣で」
「流石にそれは無いわー」
「仕方ない。じゃあハルさん醤油ある?」
「あるよ」
「何であるの!? でも貰う」
屋敷の方でメイドさんに用意してもらった。他にも調味料一式を取り出す。
あまりの用意のよさに変な顔をされるが、肉の城の前では些細な事だ。すぐに攻略に戻る。
やはり肉汁の威力は絶大だ。アベルの言うとおり、流石にアイリの所でここまでの物は出ない。ハルに合わせた物でも、最低限は上品にまとまっている。ここまでの豪快さは想定に無いのであろう。
口に入るぎりぎりに切り分け、大胆にほおばる。暴れる肉汁の洪水を贅沢に飲み下す。
品無くご飯の上に乗せ、そのままかきこむ。調味料が溶け、タレとなった汁が絡んだ米もまた絶品だ。
そういえば何で日本米があるのだろうか。この米も神が用意したのか? などという冷静な思考が邪魔であった。
「アベルさん、おかわり」
「おう、ってその体の何処に入るんだよ……」
「ボクらは無限に食べられる。破産を覚悟してよね」
「手加減頼むぜ……」
マツバは既に一切れ、というには大きすぎる一切れを完食していた。カフェでもそうだったが遠慮というものを知らない。大物である。
「……さて、本題忘れないようにしないと。アベルの要求は?」
「一時的でもいい、この国への干渉禁止の制限を解いてくれ。流石に出られんと話にならなくてな」
「切実だねえ。ちょっと待って」
──カナリーちゃん。出来る?
《付けたのはセレステなのでー。私にはどうにも出来ないんですよー》
──げっ、早くも用事が出来ちゃった。こっちでやらなかったのは何で?
《セレステには願ったりでしょうねぇ。魔法かけるにもリソース使いますから、やらせましたー》
ならば仕方ない。と、効率重視のハルは納得してしまう。資源は大事だ。
約束を破る事のないAI相手だ、不正に縛りをゆるくされる心配も無いので、任せる事に問題も出ない。
「すぐには無理みたい。セレステ……、セレステ神に会わないといけないみたい」
「会えんのか?」
「うん。駄賃代わりにひとつ頼まれてくれるかな」
「言ってみな」
「ハルはんセレステ様とも会へるんは。反則しゃね?」
「飲み込んでから喋ろう……」
交渉材料として、用意していた物をテーブルに上げる。聖剣に関しては今回は保留だ。全く目処が立っていない中で借りたとしても、意味が無い。
「君の国の領主。貴族かな? の不正の証拠を握ってる。それを使って失脚ないし押さえを効かせておいて」
「国境か」
「話が早い」
この国の、ひいてはアイリの脅威になる可能性の筆頭は、やはり軍事国家である隣国、瑠璃の王国だ。神殿により開通した、国境付近の街へもハルは探りを入れていた。
無論、目玉である。便利すぎて、最近は目玉の多少の気持ち悪さには目をつぶっている。
「不正の証拠って、ハルさんどうやったの? ボクら無人の家に忍び込むのにも警告が出るのに」
「試したんだマツバ君……、その、なんだ。実は僕は犯罪お咎めナシ」
「実はハルさんは運営なのでは?」
これについてはアベルに感謝しなければならない。
彼に対抗するため解除されたNPCに対する制限は、攻撃禁止に留まらず違法行為の全てであった。分身や使徒の持つスキルもあって、ハルはスパイ行為に手を染めまくっている。スパイゲームでの経験が存分に悪用されていた。
<透視>や<魔力操作>は勿論、新しく習得した<念動>が大活躍だ。あらゆるカギが意味をなさない。
──このゲーム、実は犯罪を想定した作りなのでは?
《そんな意図はありませんよー。力は使う側の問題ですー》
諭されてしまった。神様の言うとおりだ。
国境にアベルの息がかかれば、誓約により脅威は遠ざかる。可能なら、ここでこの条件を通しておきたいハルだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2022/6/8)




