第49話 空の果てには何があるのか
「今日は流石に無いと思ったんだけど」
「恋する女の子を甘く見たわね」
「そうらしいね」
「私も、この状況で平然としているあなたを甘く見てたわ」
「そう見えるだけだよ」
深夜、アイリの眠る隣でルナと話す。今はリアルの方は、夜の少し早い時間。ルナの寝る少し前といったところ。
流石に今日はアイリは寝室には来ないと思ったが、ルナの言うとおり彼女を甘く見ていたようだ。あるいは、今日は勘弁して欲しいというハルの思考が判断を鈍らせたか。
女子会とやらが終わると、三人は連れ立って部屋から出てきた。
ハルと顔を合わせると、アイリはまた顔を真っ赤にしてしまったが、今度は逃げ出すことはなかった。
ハルとしても、そのとき自分の顔がどうなっていたかに自信はない。あまり表情に出ないハルとはいえ、この世界はどうやら体と感情の結合が固く、思考による制御が効きにくいようだ。血流は無いというのに赤面する機能など付けないでもらいたい。
その後は普段どおりハルの傍で過ごしたアイリだが、昼間に想いを伝える事ができた為だろうか、過剰なスキンシップは無くなった。
逆に、今までぴったりくっついて居たところが、手のひら二つ分ほど空けて座るようになったほどだ。
代わりに、たまに、じー、っと見つめられ、ハルが視線をやって目が合うと照れて顔を逸らす。そんな繰り返しだった。
初々しい反応だが、今までの事を考えると順番が逆ではなかろうか、とも思う。
そんな、体の距離は離れども、今度は心の距離の近さを感じるやりとりが何度もなされて、今に至っている。
「あなたにとっては朗報かしら? 時間の猶予が出来たのではなくて?」
「いや、多分すぐに元に戻るんじゃないかなー……」
「そうなの? 今の状態は、見てる方もやきもきさせられてしまうから、戻るのも良いけれど」
「アイリはたくましいからね」
切り替えの早い彼女のことだ。何度か寝て起きればすっぱりと意識を切り替えそうだった。
今の、ある種の青春を感じる距離と対応も捨てがたいとは少し思うハルではあれど、あれが続くとなるとそれはそれで、どうも、こそばゆい。
美しい一ページとして、たまに思い出すくらいが丁度いいのだと思う。
「それなら急がないとね、ハル?」
「急いでどうなる物じゃないと思うけど、進めて行こうとは思ってるよ。気になってる事はいくつかある。ひとまずは、それを潰していくよ」
「聞かせて?」
このゲームは、現代の一般的な開発ソフトで作られたものではない。明らかに、何らかの超技術が使われている。
人気ゲーム、ニンスパのシステム開発も手がけたハルであるからこそ、それは他人よりよく理解できた。
今はリアルさが凄い、と盛り上がっているだけだが、NPCと交流する人数が増えれば、徐々に噂になって行くだろう。
「まずサーバーが無い、のはまあ良くある事だけど、これだけの規模のゲームを構築してるのに、物理的なバックアップの一つも取ってない。ちょっと異常だ」
「調べたの?」
「まあ、合間合間にログを追ってたよ。元々それが目的で始めたんだし。……たまに夢中になって忘れるけど」
エーテルのデータは消えやすい。そのため現代でも重要なものは前時代と同様に、記録素子にコピーを取る。
とはいえ大抵の作品には不要だ。消えやすいといっても数日でどうにかなる物ではないし、自社で定期的にチェックしてやれば、また活性化される。
しかし、世界ひとつ作り出すような大規模な作品においては必須であった。必ずどこかに参照されないデータの漏れが生じ、そこが綻ぶ。大元の設計図を準備し、そこを補修してやらねばエラーが出てきてしまう。
ハルの力でネット上を捜索したが、このゲームには全くそれが見つからなかった。
余談であるが、更に重要な研究資料などは、今でも紙で保存されている。
「いくつか、と言ったわね。他にもあるのかしら」
「この国の、というよりは、この世界の歴史だね。追えても二百年ほど前で完全に断絶してる」
「それはカナリー達がそこから作り始めたのではないの?」
「そうかもね。極論すればサービス開始5分前に全部まとめて生成された、ってのでも不思議は無いし。でも何となく腑に落ちない。王子の件もあるしね」
「王子の? ああ、王子の剣ね」
あれは古代兵器だという話だ。もちろん、そういう設定のアイテムを神が用意しておいただけ、と考えれば自然に収まるので、何とも言えないが。
ここのところ、ハルはアイリから歴史を教わっている。その中で文化の話になると、『神がお与えくださった』、『神によって齎された物』、と平然と出てくるので参ってしまう。
リアルならただの権威付けで済むが、ここは神の実在する世界なので、事実なのが恐ろしい。
だがそれ以前の話はさっぱり出てこない。古代文明があったというなら、そこの描写もあってしかるべきのはずなのだが。
「ならハルはまた王子を探すのかしら」
「そうしてみようかね。どの面下げて、って感じだけど」
「勝者なのだから、上から目線で」
「無駄に煽る必要ないでしょ……」
優位な立場を維持するのは交渉の基本だそうだ。納得しそうになる。だが多分ルナの趣味だ。
「私はリアルの会社を調べてみようかしらね」
「助かるよ。手伝いが必要なら呼んで」
「必要になると思うわ。今から向こうの体を予約しておくわね」
「忙しくなりそう」
分身も含め、複数の体を同時に使うようになったハル。さりとて、それを動かす脳はひとつだ。慌ただしい日々が始まりそうだった。
*
翌朝、ハルは気になった事の一つを確かめに外に出た。時刻は早朝。登校前に済ませておきたい。アイリが起き出してすぐに行動に移す。
庭の木々の葉を朝露が濡らしている。昨晩は霧が出ていたようだ。
まだ薄い日差しが、その水滴に反射して美しく輝いていた。そんな風景に感じ入りながら、朝早くから庭の手入れに精が出るメイドさんに挨拶し、門の外へ。
「この世界の果てはどうなっているのか」
世界の果て。どのゲームにもあるものだ。
それ以上進めない壁であったり、始点と終点がループしていたり、あるいはただ、何も無かったり。
プレイヤーが進むたびにマップが自動生成されるものもある。だが、そういったものは個人が使用できる容量の限界が決まっており、そこが果てと言えるだろう。
このゲームの世界はどこまで続いているのか。それを知れば考えも広がるだろう。それを確かめる。
幸い、無茶の効く体だ。戻って来れなくなっても、屋敷に置いた分身があるので問題ない。
ハルは<飛行>を起動し、空へと浮かび上がった。
「七つの国の外も気にはなるけど」
今回の用件は別。空の上だ。
アイリ先生の授業によれば、システム的に見えている四国の外にももう三国、合計七つの国でこの世界は構成されているらしい。その外側については杳として知れない。
外周の国ならもっと詳しい事を知っているのかも知れないが、この国は四方を囲まれているため情報が入って来ないようだ。
ハルはそのまま高度を上げていく。今日はアイリを乗せている訳ではない、遠慮なくスピードを上げる。
すぐに地面が遠ざかり、屋敷は豆粒になった。上空から神域の大地を見下ろす。こうして見ると本当に何もない。広々とした平原が広がるばかり。境界は小高い山になっており、ここから見ると盆地のようになっていたのだと分かった。その先にはかすかに、人工物、街をのぞむことが出来た。
「そろそろ神域の管理範囲を抜けますよー」
「上空まで全てカナリーちゃんの物じゃないんだね」
「領空とは違いますからー」
<精霊眼>で見ると、エーテルの質が確かに異なっているのを感じ取れた。カナリーの支配している魔力と、そうでないもの。
「神域ってドーム状だったんだ」
「正確には球状ですね。地下もありますよー」
そんな神域を抜けて更に上へ。どこまで行けるのだろうか。宇宙まで、出られたりするのだろうか。
だんだんと空気が薄くなってきた気がする。
「そういえば、アイリって実は飛べる?」
「アイリちゃんも飛べますよー」
「やっぱり。そうじゃなきゃ危ない遊びに許可下りないよね」
王女様はハイスペックだった。万一落ちても自力で飛べる。それをまるで見せなかったあたり策士である。
「《ハル様、警告が出ています。これ以上進むのは推奨しないと》」
「エーテルが薄くなってきてますからねー」
「薄いと思ったのはそっちか。まだ大して来てないよ」
下を見下ろせば、まだ地面がはっきりと見渡せる高度だった。宇宙にはほど遠い。
こんなものが限界だったのか。何となくこのゲームならもっと、とんでもない先まで行くことが出来ると思っていたハルは、肩透かしを食った気分になる。
「逆に驚いた。この程度な事に」
「そうは言われましてもー」
「まあ、行けるところまで行ってみよう」
「気をつけてくださいねー」
急激に薄くなっていくエーテルの中を、アラートを無視し更に進む。<精霊眼>で見ると。魔力の流れが全く存在しない空間が先に見えた。
その境界面に触れる。指はそれ以上進まなかった。
「エーテルのある範囲だけが、この世界?」
そこで世界が終わり、という感じはしない。見えない壁に阻まれている感覚は、他のゲームと変わらないものだが。
燃料になる魔力が無いので進めない、というだけな気もする。
ハルは<魔力操作>によって周囲の魔力を集め、上方へと押し出す。するとその範囲へは進入する事が可能になった。世界が断絶している訳ではない。
「入れないだけで世界は有るんだね」
ならばこのまま、魔力を動かして拡張してやれば先に進めるのだろうか。
ハルが<魔力操作>で道を作り移動しつつ、良い方法は無いか考えていると、周囲のエーテルが薄くなっていく。半自動で<MP吸収>を使用していたためだろう。ハルはスキルを切るが、流出は止まらない。どうやら下に引き戻される力も働いているようだ。
「まあ、このままにすると、どうなるか見てみよう」
次第に周囲のエーテルは薄くなっていき、遂にはゼロとなる。
そうしてハルの意識はそこで途切れた。
◇
*
◇
《やあ、いらっしゃい。やっぱりまた来たね》
「あー……、ここか。お邪魔します……」
そうしてハルの意識は見覚えのある空間、以前も来た真っ白な世界へと転送されていた。
以前と同じ少年の姿の神様がハルを出迎える。
《今度は何をしたのかな?》
「ちょっと宇宙に行こうと」
《うーん、諦めて欲しいなあ。そこはゲームの外だから。その境界を跨いで来たんだね》
「魔力がある範囲が、ゲームの中?」
《そうだよ》
「それって言っちゃっていいんだ」
受け答えの仕方が、カナリーとは違うように感じる。
彼には適応されているルールが違うのだろうか。何か情報を得られないかと、ハルは<精霊眼>を起動する。
瞬間、視界が情報で埋め尽くされた。生身の感覚で言えば、めまいや、吐き気を催す感覚。情報に翻弄される、とでも言うようなその異様に、ハルはとっさにスキルを閉じる。
以前、この空間は情報が定義される前と感じたが、実際は間逆。隙間なく情報で埋められた空間だった。色で言うなら黒。真っ白な部屋の装いとは間逆。真っ黒に塗りつぶされていた。
《僕はそういうのに縛られてないからね。逆に、本当の事を言うとも限らないけど》
「…………あー、っと、ごめん、そうなんだ」
ハルの様子を気にせず、少年は言葉を続ける。
何とか視界を持ち直すハル。酔っている場合ではない、ならばこの機会に聞けるだけ聞いておいたほうがいいだろう。
幸い、今日は時間もあるし攻撃を受けてもいない。
《世界のことが知りたいんだ》
「教えてくれる?」
《まず、君の考えを聞かせてくれるかな?》
問答をしている時間は無い、と言いたいところだが、先ほど自分で時間があると考えてしまったばかりだ。
考えをまとめる意味でも、ハルはそれに乗ることにした。
「前提として、普通のゲームではない。君達の存在だけでもそれは確実だし、そこは動かないものとする」
《うんうん》
「考えられるものとしては、精巧なワールドシミュレーター。それに手を加えてゲーム仕立てにした。この説の難点は、そんな膨大なデータのやりとりがまるで見られない事」
《そこは僕らの新技術かも知れないよ》
「お手上げだね、それは。次は、別の惑星で実際に起こってる出来事。エーテルの通信は空間を超える。荒唐無稽に過ぎるけど、不可能じゃないかも」
《宇宙船にエーテルを詰めて出かけても、上手く機能しなかったんじゃなかったかな?》
「人数が足りなかったんでしょ。ここには十分な人が居る。難点は、こっちの世界にナノマシンのエーテルが感じられない事」
《君の体が、生身の物じゃないからかも知れないね》
さっきから肯定も否定もしないようだ。それに理屈は通っている。今のハルには確認のしようがない事だ。
だがゲーム外で、ないしゲーム内でスキルアップしていけば、いずれ証明出来るかもしれない。
そして次のものは、それも出来ないもっと荒唐無稽なものだ。
「それかマジモノの異世界と通信しているかだね。ナノマシンのエーテル、その通信が空間を超えるのは、上位の世界を経由しているからって仮説がある。その、上位世界ってのがここ」
《難点は?》
「夢物語にも程があること」
これは証明もなにも不可能な、ただの妄想だ。エーテル適正の高いハルであるが、科学者ではない。理屈のとっかかりすら付けられなかった。
《面白い話をありがとう。でも、そろそろお別れしないとだね。この話の続きはまた今度にね》
「いや、今日はまだ大丈夫だよ。君から、何かしら聞き出さないうちには帰れないね」
《でもさ、あまり時間掛けると、あっちの君の体、落ちるよ?》
「はい?」
ここに来ると、何故だか他の体を動かせなくなる。今ハルの体は空の上なので危ないのは分かる。
だが、この世界に来ても、スキルがキャンセルされる事は無い。それは前回の時に実証済みだ。<飛行>とそのコストを補う<MP回復>のペースには十分余裕があるはずだ。
そう思い、上空の体に意識を向ける。
<MP回復>が機能していなかった。
「エーテルの中に居ないと回復しないのか。おのれ、はかったな……」
《次は気をつけてね。またね》
結局、特に情報を得られる事はなく、ハルの体は真っ逆さまに地面へと落ちていった。
なお、途中で意識がそちらに戻り、事なきを得た。




