第48話 世界の攻略を
屋敷に帰り着くなり、アイリは自分の部屋へと駆け戻ってしまった。
ハル達の方に向かって来るとき以外に駆け足になるのは、初めての事ではないだろうか。アイリにとっても、それだけ恥じらいの強い内容だったのだろう。
帰り道、屋敷の少し手前、川へ向かう道の中ほどに降りたのだが、道中では顔を真っ赤にして一度も目を合わせてもらえなかった。
無理もない。ハルも表情には出ないだけで、似たような気分だ。
「それで、上手くいったのかしら」
「何故、僕に聞くのさ……、そしてやっぱりルナの差し金だったんだ」
玄関先に取り残されたハルに、ルナが話しかけてくる。予想通り黒幕は彼女だったようで、進捗を聞いてきた。
「ハルに陰謀を読まれないコツは、常に何かしら企んでおく事よ」
「仰るとおりで」
これはハルとルナの間で行われている遊びのようなものだった。ルナは、ハルに対して自身の考えをほとんど説明しない。ハルもそれを了承している。
ルナの方もハルの力で表情を読まれるのを了承しており、何を考えているのか当てられたらハルの勝ち。
ハル自身、彼女による突然の仕掛けを楽しんでいる所もあるので、ルナの勝ちが多いのではないだろうか。
「アイリちゃんに相談されたの」
「それに関しては僕も悪いとは思ってるよ」
「誰もがあなたのように、欲求を抑えていられる訳ではないわ」
「なになに、どうしたのー?」
浮ついた空気を感じ取ったのか、ユキも加わる。
玄関先で話すこともないだろう。三人で応接間に移動することにした。
*
誰も訪ねて来ることの無いこの家だ、この部屋はもっぱら、ハルたちの雑談スペースとして使わせてもらっていた。
お茶を運んできてくれたメイドさんによれば、アイリは部屋のベッドにダイブして、ゴロゴロしたり、枕に顔をうずめたり、足をジタバタさせたりしているそうだ。
メイドさんは、にっこりと嬉しそうに教えてくれた。
「かわいい、見たい」
「見るのは良いけど、事を進展させる覚悟をして行きなさい?」
「はい」
この期に及んで、適当な気持ちでアイリを愛でるのは許してくれなかった。
「それで、どうなったのかしら」
「うん、求婚されたよ」
「うお、アイリちゃん大胆! ハル君結婚するんだ?」
「少し正しくないわね。言葉に出されていなかっただけで、ハルはずっと求婚されていたでしょう?」
「そうだね、言葉になっていないから、このままでも良いのかと思っていたけれど」
「そうだったんだ。私はハル君がお兄ちゃん役で、妹みたいに甘えているのかと思っていたよ……」
「文化の違いね」
一言で片付けてしまうとそうなる。
向こうの世界よりもずっと厳しい世界だ。家庭を持つ事の意味合いが違ってくる。イコール、それは恋愛に対する意識の違いとなるだろう。
「特にアイリちゃんはお姫様だもの。恋愛、即ち、結婚よ。むしろ結婚してから恋愛よ」
「極端すぎる……」
「そこに舞い込んできた理想の男の子は逃せないかー」
実際のところ、この世界の恋愛感がどうなっているかはまだ知れないが、ルナの言うことはそれ程間違ってはいないだろう。ルナはお姫様に対して何か強い思い入れがある、という事を差し引いても。
政略結婚など今日び聞かなくなった言葉だが、無くなる事は無いものだ。ルナと一緒に行動しているとそれを実感する。
王族であればなおさら、それは付いて回る。むしろそれが当たり前になっていくだろう。
「アイリちゃんはそういう話、無かったのかな」
「その辺はカナリーが守っているのではなくて?」
「いや、そういう面もあるかも知れないけどね。国としては、あえて結婚させない事で価値を高めていたみたいだよ。そういう戦略なんだって。何日か前に、歴史を教わってる時に聞いた」
「なるほど。どこも変わらないわね」
「どゆことハル君?」
アイリはこの国唯一のカナリーの信徒だ。その点で、単に王女であるという以上の価値を持っていることになる。
当然、結婚したがる者は増える。叶えばこの神域も手に入ると思うからだ(実際にはそうはならないようだが)。
結果どうなるかといえば、アイリへの、正確にはその窓口となる国への貢物が増える。それも競うように。私を優遇してくれ、といった意味での物だ。そして一方では、ライバルとなる存在の蹴落とし合いも勝手にやってくれる。一石二鳥の策である。
「かぐや姫……、とはちょっと違うか、結婚しますとは絶対言わないから。そんな感じで、勝手に向こうがレートを吊り上げてくれる」
「ハル君詳しいねぇ。そういうの授業でやるの?」
「私がそうだったからよ。ハルもそれを見ていたわ」
「ルナちーも苦労してるんだねぇ……」
授業でやったかどうかは定かではないが、実際にどこかの国の女王がそいった戦略を取っていたはずだ。そんな記憶がある。
「まあ、そんな国の事情なんて知ったことではないのだけれど。ハル自身の問題で、まだ受けてあげられないみたいね」
「アイリちゃんかわいそう。……あれかな? やっぱりハル君には人並みの恋愛感情が理解できないとか」
「失礼な。そんな事は無い。……とは言い切れないけど」
「私たちはそういうトコあるよ。自虐していこう」
「自虐ネタには心引かれるけど、今回はそういう事じゃないよ」
もっと単純な問題だ。現実と見まがうほどリアルな世界なのでつい忘れそうになるが、これはゲームだ。つまり。
「つまり、明日突然にサ終しないとも限らない」
◇
サ終、つまりサービス終了。オンラインサービスでは避けて通れない問題である。
エーテルネットワークの普及以降、物理的なサーバーを保持する必要が無くなったとはいえ、サービスの継続は永遠ではない。主に、金銭的な収支が釣り合わなくなった時に行われる。
データはエーテル上に存在するため、制限なく維持出来るのではないか、更新しなくても良いので続けて欲しい、という声はよく上がる。
しかし実際問題として、そう簡単に済む話ではなかった。
まず問題対応の為に、人員が必ず必要になる。人の意識を預かるフルダイブの場合は特に。意識不明になる事件などは今のところ起きたことは無いが、警戒ゼロは法的にも許されていない。
そしてデータの保持。これは実は、永遠とはほど遠かった。
確かにサーバーを運用する必要はない。エーテルが自動で、どこかに情報を蓄積してくれている。
ただし、それはデータが参照されている間、その時に限る話だった。
エーテル内のデータの劣化は意外と早い。なのでそれを防ぐため、定期的にデータをコピーして強度を増してやらねばならない。
誰にも参照されないデータにはそれが起こらない。その内に、分散し、他のデータと混ざり合い、意味を消失してゆく。
これがエーテル内におけるサービスの寿命だった。経営的には金銭、データ的には人の数が、それぞれ必要だと言えるだろう。
「でもさ、いつサ終するか分からないなら、なおさらすぐに結婚すべきじゃない?」
「ユキみたいに、そう割り切ることは出来なくてね」
「人は明日死ぬかも分からないのと一緒さハル君」
「ユキは、なかなか思い切った考え方をするのね?」
「私も、ちょっと壊れてるからね。ハル君とはまた別な感じで」
そう自虐するユキ。
その享楽的、とも言える考え方は、ユキが現実世界にあまり価値を見出していないためだ。電脳世界における適正はある種ハル以上である彼女は、フルダイブの世界に傾倒する。
ナノマシン操作そのものに対する適正が高いハルとは、微妙に異なる部分であった。
「そういうトコも含めて、このゲームの事をもう少し知らなくっちゃって」
「本格的に攻略に乗り出すんだね。この世界自体の。今度は死神にはなれないねー」
「注意しないとね。……ここの運営に限っては、問題ないと思うけど」
ハルが暴れたゲームでは、やりすぎて、しばしばシステムの見直しがされる。ユキにはそれを死神扱いされていた。
似たようなゲームを好むため、現場に居合わす事も多い。
「ルナの方は何か分かってたりしない?」
「そうね。実態が無いと思ってた会社だったけど、オフィスを持っていたみたい。……いつ出てきたんでしょうね?」
「それは調べてみないとね」
「それよりハル。ゲームの事ならカナリーに聞かないの? 姿が見えないみたいだけど」
「出てると答えられないこと聞かれそうだから、隠れてるんじゃないかな」
恐らく核心に迫る内容は答えてくれない。『攻略に関する情報はお答えできません』、というやつだ。
アイリとのデートの時に気を利かせて引っ込んで貰って以降、姿を見せない。
「隠れてませんー。出てないだけですー」
「来たわね」
呼ばれれば出てくる。
出なくてはならないのだろうか。それも大変だ。
「お察しのとおり、答えられない事は多いですよ私はー」
むーっ、とむくれてみせる。かわいらしい顔だが、不満を表に出すことはなかなか無い彼女だ。カナリー自身も、その枷を不満に思っているのだろうか。
ふくれた頬をつついてみても、何かの力場に遮られてぷにぷに感は無かった。
代わりにカナリーの方からハルの頬をつつかれる。そちらは通るのが悔しい。
「じゃあこれだけ、このゲーム、突然終了したりする?」
「終了一ヶ月前には告知しますので、最低でも今後一ヶ月は続くことになりますねー」
「テンプレ対応どーも」
一般的な運営基準として定められているものだ。つまり事務的な事しか答えてくれなかった。ガードが固い。
「ただ」
「うん?」
「我々はあまり金銭的に困窮してはいませんから、普通の企業のように利益低迷で終了する事は考えられませんねー」
「へえ、それは安心だね」
「ルナさんを始め、沢山課金してくださってますから、そこは支援者の皆様にご安心いただく意味でも、ご説明しておきますねー」
「カナリーちゃんも大変だね」
いちいち、何かに理由を付けないと説明も出来ないのは大変だ。
ここでカナリーが言い訳をしている相手が誰なのか分かればいいのだが、そこまでは今のハルでは追えそうにない。
追ったところで、そんな相手は誰も居ないのかも知れない。自らに対しての言い訳、つまり自身を構成するプログラムに対する言い訳、ということも有り得るからだ。
「地球上から全てのエーテルが一瞬で消えでもしない限り、運営を続ける気ですよー」
「運営のひとありがとう」
今の世界でそんな事が起こったら、冗談ではなく人類存亡の危機だろう。ゲームどうこうの話ではなくなる。それほどまでに人はエーテルに依存している。
電磁パルスによる問題が表面化し、一種の電気アレルギーとも呼べる忌避感からエーテルへと急激に移行した文明だが、今度はそれに寄り過ぎていた。ただ単に、警戒する対象が丸ごと移り変わっただけ、とも言える。
「これで解決ではないの、ハル? 婚姻届を用意してきたら?」
「どこに出すっていうのさ……」
「あ、分かった。ルナちーが自分の名前書いて出しちゃうんだね? 策士だね」
「ちゃんとユキの名前も書いておくわ。本人が居なくても承認させるから、安心なさい?」
「ルナちゃんさん!?」
確かに懸念の一つは解消されたとは言える。だがすっきりとしない。問題点を消してやることで、はぐらかされた感は否めない。
この世界に対する疑問が消えた訳ではなかった。一体、どこから攻めるべきなのか。
◇
「女子会をするわ。ハルは入って来るなら女装して来るように」
「聞き耳を立てるなら事前にギルドチャットで宣言するようにね!」
そんな風に言い残して、ルナとユキはアイリの所へと去って行った。
そういう時間も必要だろう。オーバーヒートしてしまったアイリのケアをしてくれると思われる。言い方は、もう少し手加減していただきたいが。
「女装して行きますかー?」
「耳だけ飛ばす事も考えてみようか」
「目だけ飛ばすより気持ち悪いですねー」
「カナリーちゃんを送り込んで、黒曜に中継させる」
「《悪だくみですね。黒曜にお任せください》」
「悪事の片棒を担がされてしまいますー」
残されたハルは、唯一残った女子である所のカナリーと会話を続ける。これ以上の情報を話してはくれないだろうが、彼女との会話も楽しいし、何らかのヒントになるだろう。
「リアルの方の会社を買収すれば、カナリーちゃんの口も軽くなるかな?」
「ハルさんが女の子の心をお金で買おうとしてますー。実弾攻撃ですー」
「でも経済的に困ってないって事は、お金では動かないって事だよねー」
「ですねー。でも買収は困りますね。イベントでも起こして、そっちに掛かりきりにさせてしまいましょうかねー」
「……反撃されてしまった。前みたいにアイリが絡めば、やらざるを得ないからね」
余計な事を考えるのは暇があるからだと言わんばかり。ハルに探らせないためには確かに有効な手段といえる。
といっても、カナリーにはその気は無さそうだが。
「セレステに聞いても答えてはくれないよね」
「ですねー。戦闘をエサにしても無理ですよー。私の方が答えられる事は多いですー」
「頼りにしてる」
「してくださいー」
しかし、今は自分で何とかするしかないようだ。
あまりアイリを待たせるものでもない。ひとまずやれる事からやるしかない、そう考えるハルだった。




