第478話 花の名前と神の名前
ガーベラや金魚草、百合やベゴニア、マーガレット。そしてタンポポ。
数々の春の花を携えて、ハルたちはお屋敷に戻ってきた。
天空城の広大な敷地に対してはまだまだ少ない花の量であるが、少しだけ華やかになった周囲の光景にアイリは満足げだ。
ひとしきり花を植え終わったところで、ルナとカナリーが様子を見に庭へと出てきた。
「おかえりなさい。けっこう摘んできたのね?」
「ハルさんおかえりなさいー。……むー、タンポポは雑草ですよー? はびこるんですよー?」
「まあそう言わずに。アイリも気に入ってるんだし」
「いいですけどねー」
タンポポの生命力は高く、ともすれば他の花の栄養を根こそぎ奪っていくことになりかねない。
カナリーはそれを懸念しているが、ここはハルの管理する天空城だ。魔法とエーテル技術により、その辺りの調整はお手の物だった。
「しかし、タンポポもこの世界にあったのね? これもカナリーが?」
「そですよー。最初のうちは生態系が結構ガタガタでしたからー、繁殖力の強さは役に立ちましたー」
「確かに、考えるからに大変そうだ」
「みゃー」
「そうですねー。メタちゃんもお手伝いしてくれたんですよねー」
「にゃう!」
このゲーム世界と外部を隔てるバリア、その外側にある『生体研究所』。そこで遺伝子操作を経て生み出された地球の動植物たち。
今日ハルたちが摘んできた花々も、その一部であるようだ。
機械の神であるメタも、生体研究所の担当でありその偉業の一端を担っていた。得意気にハルを見上げてくるので、首元をくすぐってねぎらってやる。
「ごろ♪ ごろ♪」
「しかしそれなら、わざわざ摘みにいかなくても、日本から花を買ってきてもいいのではなくて?」
「まあ、確かにね」
「だめですよールナさんー。アイリちゃんは、お花探しデートがしたいんですよー?」
「それは失礼?」
「とはいえ、それも考えておいた方がいいかもね。アイリと摘んでくるだけじゃ、この浮遊島の土地を埋めるだけの花は集めきれない」
「何年もかけて、少しずつ増やせばいいんじゃないですかー?」
それも楽しそうだ。毎年少しずつ、広がってゆく花畑を見守る楽しみが出来るというもの。
ハルたちの時間は長い。そういった気長な趣味を持つのも、また悪くはないだろう。
「……年寄りじみていないかしら、ハル?」
「……困ったことに言い返せない。隠居後のささやかな楽しみ感が出てる」
「アイリちゃんも、政治の一線から退いて隠居の身ですからねー。そういえば、そのアイリちゃんはどうしましたー?」
「色々と今日は土に汚れたからね。お風呂の時間だよ」
「それはハルもでしょう? 一緒に入らないの?」
「……僕が一緒に入るとメイドさんの目が怖くて」
好機を得たり、とばかりに、メイドさんたちがこぞって裸のハルに世話を焼きに来るのだ。少し、いやかなり恥ずかしい。
ハル自身は入浴せずとも、体表の汚れはほぼ自動で分解する設定がされている。お風呂はほとんど趣味であった。なので今も不潔ではないことを宣言しておく。
幸いなことにからかわれることなく、お風呂の話はそこで終わった。
ルナの興味は、まだ花に注がれているようだ。ハルたちの運んできた花を上品にその指で撫でて、お嬢様らしく控えめにそれを愛でている。
「今後も下で摘んでくるのかしら?」
「まあ、なんだかんだ良いデートコースではあるから。また行くことになると思うよ? ルナも一緒に行く?」
「どうかしら? 行っても構わないけれど、それほど興味は無いわね」
「ルナさんは深窓のご令嬢ですもんねー」
「……アイリちゃんもそのはずなのだけれど」
高貴な王女さま、というよりは元気な少女の側面が今は強調されているアイリだ。自然の中に遊びに行くのが、とても楽しそうだった。
厳密には違うが、同じ高貴な家の出であるルナにはそういった衝動はあまり無いようである。
「ルナさんは、あまり抑圧された部分は無いんですねー?」
「そうね? 外ではしゃぎたいとは思わないわ? 家の中が、更に言うならベッドの上が好みよ?」
「めっちゃ抑圧されてるっての……、しかも爛れた方向に……」
ハルに向かって艶めかしい視線を送ってくる彼女をやんわりとなだめつつ、ハルは再び今日新しく広がった花畑を見やる。
いずれは、見渡す限り一面の花畑が広がる風景へと変わっていくのだろうか?
その未来の光景を幻視しつつ、ハルは美しく揺れる春の花に目を細めた。
*
メイドさんによって即席のテーブルが用意され、今日はこの場でルナたちと午後のお茶会と相成った。本当に気が利くメイドさん達だ。
お屋敷の庭に用意されている正式な花壇の花の鮮やかさには到底及ばぬ野の花だが、アイリ手ずから用意されたもの。それは何にも代えられぬ趣がある。
とはいえ、やはりそれは精神的なもの。数値的な彩度においては、やはり園芸用に改良された品種に軍配が上がるだろう。
「そう考えると、ルナの言うとおりある程度は花屋さんで見繕ってきた方が良いのかもね」
「あまり、気にしないでちょうだいな。鮮やかな花が見たければ、庭の花を愛でるわ? 外はあなたとアイリちゃんの好きにすればよくってよ」
「みんなでつくりましょー、ってハルさんは言ってるんですよねー? アイリちゃんとはお山デートしたから、ルナさんとはお花屋さんデートするんですよねー?」
「お花屋さんデートって……、いえ、嫌ではないのだけれど……」
「ルナの行きつけの花屋さんだと厳格すぎて、デートって感じにはならないか」
「こっちの世界の花屋さんに行くのはどうでしょー。日本には及びませんが、それなりに優秀ですよー」
それは、このお屋敷の庭を見ればよく理解できる。メイドさんによってしっかりと手入れされた色とりどりの花が咲きそろう花壇。それは当然、この世界で用意されたものだ。
品種改良によって鮮やかさを増したその華美なる一輪一輪は、この世界の園芸における知識と技術の高さがよく見て取れた。
その花々を揃えた王都の店に出向けば、きっとルナも満足のいく品揃えが出迎えてくれるだろう。
「まあ、行くならばそっちかしらね? 日本で私が大量に買い込むと、何事かと噂が出回りそうだし」
「じゃあ日本のお店は私といきましょー。今の時代のお花がどうなってるのか、興味がありますー」
「ユキも連れていってあげなさいな。そして、日本のお屋敷の花を揃えてくるのよ?」
「ああ、ユキは家の庭は興味なかったから手付かずだもんね。荒れてはいないけど」
そうしてルナと、どんな花を買って来ようか、この時期は何が綺麗に咲くのかと話し合う。
ルナは花については詳しいようで、すらすらと次々に花の名前をそらんじていた。カナリーも問題なく話についていけるようである。
仕方ないので、ハルもエーテルネットに接続し話に出た花の名前を次々に検索にかけて脳内にその画像を表示していった。
「ああ、いま出た名前はだいたい記憶にあるかな。王都にお花見に行った時とかに、ちらりと横目に映ったのを憶えてるよ」
「相変わらずの記憶力だこと。そこまでの合致を見せているということは、それもきっとカナリーが作ったのでしょうね?」
「私だけじゃないですー。まあ、私も加担はしたんですけどー。花に関しては、実は無意味に地球産の種類が多かったりするんですよねー」
「ふむ?」
「花好きの神が居ましてねー。初期には、協力してたのですよねー」
メタが一枚噛んでいること、外部にあることから分かるように、生体研究所はカナリーたちゲーム内の神々だけの施設ではない。
主な“出資者”はカナリーたちらしいが、独占ではなく、外の神々も必要に応じて利用していたそうだ。
その中に、花好きの神様が居たという話であった。その人たちと協力して様々な地球の品種を作り上げ、その結果、この地の花屋には見覚えのある品種が溢れているらしい。
「あいつらは名前も花のものから取ってますよー。ハルさんも憶えがありませんかー?」
「ああ、『アイリス』さんとかかな? 確かに花ってそのまま色にも結びつくものだしね」
「もしかして、マリーゴールドもそうなのかしら?」
「いえー、マリーの奴は普通にオレンジ色の一種からですー。そこまで馬が合わないらしくってー、よく『一緒にするなー』、ってぼやいてましたねー」
「へー、そうなんだ」
なかなか面白いことを聞いた。ハルもまだまだ、全ての神様の事情を知っている訳ではない。
こうして時たま、カナリーたち運営の神様を通して、断片的に外の神々の事情を学んでいっているところである。
いずれは、全ての神々を統べることは変わらずに目標としているハルだが、目下のところ最大の懸念事項であった『エーテル』の、今のエメの確保が終わったため、今のところは小休止といった感じになっている。
「んー、何時までもダラダラしてても仕方ないし、そのうち外の神様とも連絡をとってみようか」
「ハル? そもそも、ダラダラしている暇はないわ? きちんと私を手伝ってちょうだいな」
「もうすぐこのゲームも一周年ですしねー。晴れてルナさんの会社にも編入されますし、忙しいですよねー?」
「……カナリー? あなたも、きりきり働くのよ? 引退したとはいえ、あなたの作ったゲームなのですから、逃がさないわ?」
「おおっとー、やぶへびでしたー」
もうじき五月、時はゴールデンウィーク。このゲームが、この世界が日本に接続されてより、一年が経とうとしていた。
他のオンラインゲームの例に漏れず、このゲームも一周年のお祝いはイベントとして盛大に開催予定だ。
運営の神々はその準備に追われ、自社でゲームを引き受けることとなったルナも、今は休憩しているが相変わらず忙しい。
そんな、目前に迫った一周年を思いながら、今この時だけは、『夏の花の種を準備しておこうか』と忙しさを忘れ、のんびりと花の話題を楽しむハルたちだった。




