第476話 花の名前、この気持ちの名前
ハルたちが降り立ったのは、天空城の直下、梔子の首都のほど近くの草原地帯。かつてのカナリーの領域であった、梔子の神域のへと至る道の途中に三人は来ていた。
いや、正確には二人と一匹か。どうしてもメタのことは猫としてよりも人として数えてしまうハルであった。
不可侵の領域である神域へと続く道には人通りはなく、人の営みによる喧騒はない。
この地は天空城と同じような、ただ春の風が吹き抜けるさわやかな音色だけが周囲を彩っていた。
「この空気感、少し懐かしい気がしますね!」
「アイリにとっては最近まで過ごしていた土地だもんね。天空城も、なるべく気候を再現するようにはしてるんだけど」
「お気になさらず。わたくしにとっては、今はあそこが帰るべき家ですから!」
「にゃ~?」
神域時代を知らないメタが、不思議そうに首をかしげて見上げてきた。
過ごした時間はアイリより短いなれども、ハルにとっても神域での生活は最近までずっと過ごした思い出の場所だ。
少しばかり、懐かしくはある。
「せっかくだし、ちょっと寄って行く? 花や植物も当然、あの土地のものが一番土に合うだろうし」
「……そうですね、うーん」
「んーにゃっ」
「にゃ! 止めておきますにゃ!」
「にゃうにゃう!」
「それはまたどうしてかにゃ、アイリ?」
「はい! やっぱり今は、わたくし部外者ですし!」
今、神域はカナリーから引き継いだシャルトによって運営されている。
立場的に彼の上司に当たるハルとその連れは神域への出入りはフリーパスになるのだが、そのような職権乱用をアイリは嫌ったようだ。
神域にはかつてのアイリのお屋敷にあったように、侵入警報を鳴らす魔法が張られている。そしてその魔法を管理する、かつてのアイリやメイドさんのような管理人も。
その後任の彼ら彼女らを、警報を鳴らして煩わせることをアイリは嫌ったようだ。心優しいアイリらしい判断だ。
「さて、じゃあどうしようか。お散歩がてら、咲いてる花を探す?」
「なん、なん♪」
「メタちゃんも、それが良いと言っていますね。わたくしも楽しみです!」
そうして三人でのんびりと歩く。手入れのされていない道は雑草が多く、いわゆる花畑のようなものは見受けられない。
それでも、花が無い訳ではない。草の隙間にひっそりと咲く小さな青い花、草むらから顔を出して主張する、背の高い黄色の花、他の草の生えない場所にたくましく咲く紫の花。
決して多くないそれらを、見つける楽しみを遊びとしてハルたちは進んでいった。
やがては川にさしかかり、水辺に咲く花を楽しむと、一行は文字通り川を飛び越えて更に進む。
野の花、川べりの花、ならば次に目指すのは山の花だと言わんばかりに、ずんずんと山の方へと登ってゆく。
「なにを持って帰るか、悩んじゃいますね!」
「うにゃ!」
「気に入ったのを何でも持って帰ればいいよ? 基本的にこの土地の物なら自然と根付くだろうし、無理そうだったら、天空城の環境を弄ればいい」
「ならば、川のお花もいけるのですね!」
「そうだね。今は浮島に水辺や川は無いけど、作ろうと思えば作れるよアイリ」
「みゅー……」
「えへへ、ねこさんは、お水が嫌いですものね!」
「みゃっ!? みゃうみゃう!」
「そんなことないってさ」
「焦っていて可愛いです!」
当然ながら、メタが水に入ったところでどうと言うことはない。浮けるし泳げるし、猫かきもできる。反応してみせたのはロールプレイの一環だろう。
地面から切り離され、独立した土地である天空城には水の循環が無い。そのため、今のところ川や小さな湖を作る計画は進行していなかった。少々面倒なためだ。
ただ、平坦なだけで退屈な景色を塗り替えるためには、水場というのは非常に有効だろう。
「街のゲームも、水の流れを作ったら一気に雰囲気が変わりましたものね!」
「にゃにゃ?」
「この前、ハルさんたちと街を作って遊んだんですよー猫さん。今度、猫さんも一緒にやりましょうねー」
「にゃうにゃう♪」
「確かにね。水があると情景にハリが出る。今度は僕らの庭を作って遊ぶゲームとしようか」
流れ出た水はどうするべきか。一応、ごく簡単であと腐れの無い方法としては、始点で<物質化>し水を生み出し、終端で<魔力化>して元の魔力に還元し消し去る、という方法が考えられる。
魔力を雨に見立てた、小規模な循環だ。
問題があるとすれば、まるで風情が無いことだろうか? 日本で例えるならば、水を吐き出すポンプと吸い取る排水溝がむき出しに見えているような感じである。
他にも、魔法である以上は使用者が必要になるということが問題だ。
魔法の規模的には、問題なくハルが行使可能だが、それでもハルのリソースを一部割かれることに変わりない。
小さなものだからと、次々に増やしていけばそのうち無視できない処理の量となってしまう。
「やっぱりそうなると、専用の魔道具を作って稼働させ続けて、たまにメンテする程度が現実的かなあ」
「うにゃ?」
「ハルさんが、難しいことを考えてますねー猫さんー」
「にゃー」
「おっとごめん。今はお散歩を楽しもうか」
「はい!」
「にゃう!」
三人で手を繋いで(メタは器用に二人の手にしがみついている)、のんびりと春の日の散策を楽しむ。
道端に小さな花を見つけてはしゃがみ込み、名も知らぬそれを愛でて過ごした。
野の花は地味ながらたくましく、みな一斉にこの春の訪れを謳歌しているようだ。寒かった時期を乗り越えた喜びを、人がその美しさに感じるのも無理はない。
「なんていう花なんだろう。アイリは知ってる?」
「いちおう、花の知識はあるのですが、わたくしの知識はどうやら園芸種に偏っているようです。このような野生種は、自信がなく……」
「仕方ないよね。教養なんだから、実践的なものだよ」
「にゃうにゃう」
「ですね! 野の花を贈り物にする貴族は、いませんから、えへへへ」
その光景を想像したのか、おかしそうにアイリは笑う。
そしてその一瞬の後、何か良いことを思い立ったように顔を輝かせ、視界の端にたたずむ小さな野の花の方へと駆けて行った。
それを素早く見分すると、その中から美しいものを選び、アイリは花を摘んで戻ってくる。
その花を、アイリはハルに差し出してくれるのだった。
「どうぞ、お受け取りください、わたくしの愛しい方」
「ありがとうございます、姫。この花を貴女だと思って、毎夜語りかけましょう」
「ふおおおおおおぉ! す、素敵ですー! これは、これはきっと野の花でしか成立しないシチュエーションなのです!」
「にゃうにゃう♪」
何かのお話のワンシーンだろうか。それともアイリの即興か。
適当にキザったらしく合わせたハルだが、どうやらお気に召してくれたようだ。
どうやらそんな即興劇にメタも加わりたかったようで、家の遠く離れた恋人同士に、花を咥えて猫が運び届けるお話が道中で繰り広げられた。
猫は互いに想いをつのらせる恋人たちの気持ちを、花言葉に乗せて相手に届ける。
摘んできた花の花言葉を知らぬハルたちは、野の花に好き勝手なロマンチック花言葉を次々とつけて楽しむのであった。
花を咥えて二人の間を往復するメタも楽しそうだ。
現代日本では、常に誰もがエーテルネットによって接続されている。こういった発想は、ハルにとっては新鮮だった。
花の名前や花言葉だって、今この瞬間もエーテルネットにより検索をかければ、一切のタイムラグも生じさせることなく知れるだろう。
だが調べない。その正確なところを確定させることに、今は意味などないのだから。
そうしてハルとアイリ、そしてメタは、花も恥じらう素敵な即興劇を続けながら、かつての神域から見えた小高い山を進んでゆく。
野の花が山の花へと少しずつ変わっていったり。逆に変わらずどちらにも咲く花が見つけられたり、その小さな美しものたちは、ゆく先々でハルたちの目を楽しませた。
そうして進んで行った先に、一面の黄色が咲き誇る、開けた空間が三人を出迎える。どうやら群生している、タンポポの花畑へと出たようだ。
ようやく発見した野生の花畑。その黄色の世界の中に、ハルたちは足を速めて飛び込んで行くのだった。




