第460話 誰でも忍者になれる世界
そうしてついに念願のハルとアイリの判定の分離が行われた。
アイリは新たに『藍理』としてエーテルネットに登録され、その初期設定を済ませて、ついにネット内のフルダイブゲームへのログインが可能となった。
戸籍も当然ながらハルとカナリーによって用意がされて、日本で出歩く際も、今までのように道ゆく人の視線を気にして、視界に妨害をかけたりする必要はなくなった。
今までは、ハルとアイリをネットを通して注視すると、“ハルが二人居る”、というあり得ない判定になっていたのだ。
「それにしても、ついにアイリちゃんが日本でも正式に奥さんになってしまったのね?」
「はい! 籍を作りました!」
「籍を入れる、じゃなくて作る、なのがハル君クオリティーだよねぇ。負けちゃったねルナちー?」
「……別に、入籍レースをしていた訳ではないのだけど。そうね、日本においては私が最初に、という意識はあったかも知れないわ?」
「いいんじゃないですかー? 異世界の基準なら、ルナさんが一番なんですしー」
「……やめましょう、この話題は。お昼から」
「ルナさんにしては珍しいですー」
アイリの世界での婚姻というのは、体を重ねるという部分が大きな割合を占める。
おめでたい席での話題にはそぐわないと、流石のルナも思ったのだろう。こういう時にはカナリーの方が容赦がなくなるようだった。
元神様は価値基準が只人とは異なられるのだ。超越しておられるのだ。
そんなカナリーを抑えながら、ハルはまだまだエーテルネットに不慣れなアイリのために、使い方を教授していく。
こういった通信を扱う技術、魔法の世界のアイリにとってはまるで未知のものとなるが、そこはハルたちの『ゲーム』を通して慣れたもの。少し説明をするだけで、ふむふむ、と真剣に吸収していっていた。
これは、ハルと同化して、同じゲームウィンドウでプレイしていたことが功を奏したと言えるだろう。アイリの訓練期間だったと思えば、今までの混線も悪くない。
「さっそくニンスパをやるのです!」
「だいじょび? アイリちゃんがいきなり“あんなの”やっちゃって」
「人のゲームをあんなの呼ばわりしないのユキ。それに平気よ? 操作性それ自体は、いたってシンプルだもの」
「あー確かに。変なボタンとかごちゃごちゃ無いよねニンスパ。完全に直感で出来るようになってる」
「まあ、アイリはゲームゲームした操作でも十分いけると思うけどね」
「はい! たくさん遊んで慣れました!」
ミニゲームとして搭載された、権利の切れた過去の名作たちを大量に予習済みのアイリだ。いわゆる『ゲームの文法』には慣れ親しんでいる。
しかしながら、これからプレイするのはフルダイブ型。それとは違い、自分ではない自分を動かすという経験は初めてとなる。
やはりここは直感的に操作可能に調整してあるニンスパは良い選択なのかも知れない。
逸る気持ちを抑えきれない、とその小さな全身からワクワクが大きく噴き出しているアイリに急かされるようにして、ハルたちは揃ってニンスパにログインするのだった。
*
「到着です! これは、<転移>と似ていますね!」
「まあ、そうだね。ログインするのを、『異世界に転移する』って表現することも少なくない」
詳細には色々と違う部分があるとはいえ、五感を持ったまま全く別の景色の場所へと意識がジャンプするのだ。
脳は、当然そのように、瞬間移動したかのように誤認する。
ただ、やはり元の体とは厳密には違うので、やればやるほど現実の肉体とは違うということがはっきり分かるようになるはずだ。
「おー、これがハルさんとルナさんのゲームなんですねー。これは思ったよりも凄いですねー?」
「お世辞はいいわよカナリー。あなたのゲームに比べれば、大したものではないのは明白だわ?」
「いいえー。それは違いますー。私たちの奴は、『世界』という超高機能なゲームエンジンを使った結果ですものー」
「まあ、その技術だって凄いんだけどね」
この場所、ログインした和室風の待機ルームも当然ながら肉体同様に現実とは異なる。
見えて、触れられる周囲の壁や床も。現実と同様に感じられる重力も。体の周囲の空気さえも。全て現実の物理法則と同じような挙動をするように一から作られた、いわば模造品。
それをシステム的に一切作る必要なく、現実をそのまま使っているから楽だ、とカナリーは言っているのだ。
当然、そんなに楽なことばかりな訳がない。現実とまったく同じだからこそ、苦労した点もあるだろう。用は互いに謙遜し合っているのだった。
「しかし、ハルさんのことだからてっきり、リアルと寸分たがわぬ物理演算をしているのかと思いましたがー。結構アレンジしてるんですねー」
「おや、もう気付いたんだ。流石はカナリーちゃん」
「そうそう。ニンスパってそうなんだよね。むつかしいこと、分からんけど、なんか動きやすい」
「重力の機嫌が良い世界なんだよ」
「機嫌て……」
詳細な説明は一言では難しい。
行ってしまえば、壁や天井を蹴って足場としたり、そこにぴたりと着地したりするには、通常の下向きに1Gが掛かる世界では不都合があるのだ。
素人でも特別な訓練なく、少しのアシストで派手な忍者アクションを可能とするには、重力をはじめとする物理法則には少し大らかになってもらう必要があった。
「ぶっちゃけ壁からも重力が出るし、むしろ空気からも出る」
「すごいせかいですー……」
「もはや意味わからん」
「アクションのアシストには重力も使ってるんですねー」
やはりカナリーの理解は早い。その通りであった。
高速移動時のキャラクターには、進行方向へ向けて重力が働いているし、『壁に着地する』時にも壁が床のように体を引きつけている。
更には、そうした派手な動作をする手伝いとして、キャラの手足もさりげなく周囲の空気が引っ張ってくれているのだ。
そうしたファンタジー重力のありえない物理法則により、この世界は成り立っている。
リアルであればあるほど良いとされる大手の流行とは、実は真逆を行く設定なのだった。
「本当ですね! まるで魔法を使ってるかのように、体が軽いです!」
「おー、アイリちゃん凄いですねー。すぐ慣れますねー。私は練習が必要そうですー」
「カナリーは苦手かしら? 確か、ユキも言ってたのよね、『慣れるまで時間かかった』、って」
「そうそう。わかるよカナちゃん。むしろ邪魔されてる感じするんだよね、親切な重力さんにさ」
「まあ、言ってしまえば、慣れた人にも補助輪を付けて走れって言ってるようなものだからね。ありがた迷惑になるのは僕も理解してる」
「その補助輪、取れたら人類卒業よ……?」
ユキやカナリー、そしてハル自身のように、システムによるアシストなどなくとも同様の忍者アクションが出来てしまう人間に特有の現象だ。
普段のぽやぽやした印象とは真逆に、カナリーも今はハルと同じ特殊な体を持つ。性格上あまりやらないだけで、そういった人外の挙動も可能となっていた。
そんな、よくよく見てみればリアルなようでリアルとはまるで違う空間。
初めて体験するその世界に、アイリは既に大はしゃぎであった。
「ふおおおお! 見てくださいハルさん! どうですか、わたくし! かっこよく出来ていますでしょうか!」
「うん、上手だよアイリ。やっぱり才能あるよねアイリは」
「やりました!」
基本の反射アクションを、練習機能のガイドに沿って難なくこなして見せるアイリ。
床を強く蹴って壁へ、次は天井へ、体を反転させてまた壁へ。そうして襖を一枚挟んだ練習用の狭い部屋の中を、ひし形を描くように残像がアイリの後をなぞって行く。
その幾何学模様の綺麗さが、基本を忠実になぞっていることの証明となっていた。
「アイリちゃん、実戦だと丁度いいところに足場があるとは限らないからね。あまり基本を守ろうとしすぎないことも重要だよ」
「そ、そうなのですね!」
「この世界の扉や窓、襖と障子と言うのだけれど、それはとても耐久性が低いの」
「紙で作られてるからね。今は練習用だから壊れないけど」
「た、確かに! わたくしの世界とは、違うのですね!」
しっかりとした木で作られたドアとは違い、高速で跳ねまわる人間を受け止めるには少々こころもとない。
とはいえそこはゲームなので、一回は足場として使えるように作られている。ただし一回だ。
一度足場として蹴り込んでしまえばそこは基本的に破れて壊れ、もう次は足場に使うことは出来ない。
自分が使うために温存するか、逆に敵に使わせないために先んじて壊しておくか。
足場となる襖がある部屋を選んで戦うか。それとも無くても柱だけで戦えるよう専用に練習するか。
そういった戦略要素も、壁が脆いことによって生まれているのだった。
もちろん今の練習部屋のように、決して壊れないようなステージ設定も可能である。
「後は、敵が居ると今のように自由にはできなくなるね」
「当然ですね! 奥が深いです!」
ハルは楽しそうに跳ねまわるアイリの傍に、彼女を狙う設定の敵キャラクターを出現させる。
敵性体が現れると、空気の色が変わる。これは比喩ではなく、物理的に色が付いて見えるのだ。
色付きなのは敵の視界。これは、実際にそのキャラクターが観測可能な範囲である。地面に立って安定している今は、部屋を見渡せるとても広い範囲。はぼ部屋を塗りつぶしだ。
その敵が、アイリ同様に高速移動を開始する。
すると視界は一気に狭まり、狭い円錐状の、サーチライトのような表示に切り替わった。
「アイリ、あの視界から逃れるように、逆に敵を視界へ収めるように立ち回って」
「はい!」
棒立ちの状態では、狭いながらも敵はしっかりアイリをロックオンしてくる。
それから逃れようと再びアイリも高速移動するが、同じようにアイリの視界も狭まってしまう。
これも、実際の人間の視界を正確に再現している訳ではなく、ゲームならではの、あえて不自由にしている部分だ。そこでまた戦略が生まれる。
高速移動で視野狭窄が起こる中、一方的に敵を視界に収めて、背後からばっさりとお命頂戴する。
またはあえて正面に回り、一瞬で相手の注視から外れ姿を消し去る。
驚いた時もまた、極端に視野が狭くなるのだ。
そんな風に死角を侵略しあうことこそ、ニンスパの醍醐味なのであった。
「たあ! ……やりました!」
「すごいわアイリちゃん。初めてとは思えないスマートさね?」
「えへへへ……、伊達に、ハルさんをずっとお傍で見てきていないのです!」
「ハルくんの得意分野だしねー。相手の視界から急に居なくなるの」
「それをゲームに落とし込んだのがニンスパだからね」
敵の視界を限定し、狭め、そこから一気に姿を消す。敵の死角を読み侵略するのは、現実や他の忠実に物理挙動を再現された他のゲームにおいての、ハルの得意技だった。
それを、誰にでも可能としたのがこのニンスパの特殊な視界機能だ。
「今まで意識してなかったけど、そういわれるとこれって、誰でもハル君になれるゲームだったんだねぇ」
「なかなか面白いことを考えますねー。第二のハルさん育成ゲームでしょうかー」
「ゲームをログアウトしたら一切できないよ。そんな思惑はない」
ただ、自分がやって面白いことを他の人にも体験してほしかっただけだ。
そんな自慢のゲーム、次はいよいよ実際に、他のプレイヤーと対戦していこう。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2022/7/21)




