第454話 桜
本日より後日談。言うなればエーテルの夢、ファンディスクの開始です!
あ、ちなみに時系列は一直線ですし、叙述トリックがあったりなどはしませんよ?
春。特別に厳しかった今年の冬を越えて、世界はあたたかな季節を迎えた。
自分のプレイヤーネームと同じ音を持つこの季節、名前の由来は違えどハルにとって思い入れの大きな季節だ。
まるで『ハル、ハル』と己の名がそこかしこで連呼されている気分、になるほどさすがに子供ではないが、その響きを耳が感じ取るたび、どうしても反応してしまうというものだ。
これは、冬の名を直接的に由来とするユキは(本名は冬美であった)さらにハルよりも気になるものだろうと尋ねてみたら、彼女は『そゆのは特に気にしない』とのこと。
己の意識をはっきりと切り分けて考えられるユキらしい。
ちょっぴり残念なハルだった。
さて、そんなハルは、今はまさに非常に春らしい行為、すなわちお花見の真っ最中。
桜の花の満開の下、アイリと共にゆったりとした時を過ごしている。
いつもは元気いっぱいのアイリも今日は口数が少なく、ハルに寄り添うようにしてのんびりと舞い散る花びらを目で追っている。
「平和ですね、とても。わたくし、幸せです」
「そうだね。たまにはこうして何もせずに、二人で居るのもいいものだね」
「場所が、少し不満ですが! でもお花に罪はありません、許しちゃいます!」
「あはは。まあ、ここは貸し切りだしさ」
桜の花が咲き誇る、この地は当然ながら日本、ではない。
ここは梔子の国の王宮の庭。つまりは異世界であった。こちらにも、桜が存在する。
「この桜はこの国で、いえこの世界で最も大きいのですよ。た、たぶん……」
「ふむ? ああ、つまりは、この木が“最初の一本”ってことか」
「はい!」
「これをこの地にもたらしたのは」
「その通りです。カナリー様なのです」
いかなる因果のいたずらか、地球人とほぼ同じ人間の繁栄するこの世界。だが、当たり前の話ではあるが、植生まで同じではない。
この地にはもともと桜は存在せず、この国を日本人に馴染み深い文化に育てるため、カナリーが作り出したのが始まりである。
その最初の一本。神から人へと贈られた伝説の体現。
それが、ハルたちの目の前にある大きな桜の木であった。
王宮の奥、小さな中庭。王族とその関係者しか入ることを許されぬこの領域で、ハルとアイリはふたりだけのお花見を楽しんでいた。
「カナリー様も、いらっしゃればよかったですのに」
「あの子には大人しすぎる、というか上品すぎるね。いや、僕は好きだけどね、このお花見も」
「ふふっ、ですね。カナリー様は、『花より団子』、ですものね」
「まったくだ」
お花見、とは言っても日本のものとは、特に庶民的なものとは違うのが今のハルたちのスタイルだ。
まず、ハルとアイリは特別に用意された快適なソファーに腰かけている。
頂く飲み物も日本茶、ではなくこの世界のお茶。お菓子もお団子お饅頭ではなく控えめなケーキ。
そこは、和風には染まりきらずファンタジー世界のスタイルだった。
日本酒、焼酎に何よりビール。持ち寄ったお弁当や各種おつまみの色とりどりの食べ物たくさん。
静かに愛でるよりも仲間たちと笑って過ごす。そんな、庶民的なお花見の方が良いとカナリーは語り、この度の招きを辞退したのだった。
なお、彼女が本当に求めているのはそうした雰囲気ではない。
山とお菓子を積み上げて、手当たり次第にそれを食べ散らかしても苦言を呈されない環境、それこそを、であるのは言うまでもない。
「別に、怒ったりしませんのに、誰も」
「まあ、カナリーちゃんが来るとこうした静かな空間にはならないのは確かだからね。そこに気を遣ったんじゃないかな」
「ふふっ、ならば今は、わたくしがハルさんを独り占めですね。かく言うわたくしも、この雰囲気は嫌いではありません」
お茶を置いて、アイリがハルの肩に身を預けてくる。
ハルも優しく彼女を抱き寄せるようにして密着すると、アイリの長くさらりとした髪の毛に手を通した。
その銀色の髪を手でくすぐる度に、春のやわらかな陽光に反射して青くきらきらと輝きを返してくる。
美しく手入れされたその髪を乱すことに躊躇しつつも、それを乱してもいい自分だけの特権に酔いしれる優越感も相まって、なかなか手が止められないハルだ。
「……わたくし、猫さんになったみたいですー。ごろ、ごろ♪」
「大人気だね、ペットの猫ちゃん枠は。そういえば、メタちゃんも天空城にもっとお昼寝スポットが欲しそうだったね」
「カナリー様も、天空城に桜を植えなかったのは失敗だと仰っていましたね」
「だね。まあ、今からじゃあ遅いかも。また来年の楽しみだね」
「来年のことを考えられるのは、素敵なのです」
ふたりの視線の先。あたたかな日の光を木漏れ日に透かして、優しく陽だまりを作る桜の木の下の地面が映る。
天空城に住む猫の神様、メタがそこに丸まってお昼寝をする光景が、ふたりの脳裏には幻視された。
この冬に上空に作られたハルたちの城は、あまり木々が存在しない。アイリのお屋敷にあったものがほぼ全てだ。
そのため春になると、ここ下界と比べて物足りなさが目立ってくるのだった。
桜の見ごろは短い。その儚げで、また一気に咲き誇る姿に、人々は感じ入りまた圧倒される。
だがそれ故に、今から天空城に植えるとなるとさすがに時期を逃してしまっているだろう。
そこは、これからも続いてゆくであろう平和な未来への、楽しみに取っておくハルたちだった。
「おや、これはまた珍しいものを見たね」
そんな次の春、次の次の春をふたり思い描くハルとアイリに、背後から掛かる声があるのだった。
◇
「まさか妹が、自分の髪を誰かに触らせている姿が見られるとは」
基本、王族しか入れぬこの場に現れる存在は限られる。
その中でも、こうしてハルたちに気軽に話しかける者は一人しか居ない。この国の王位継承者、シンシュ王子その人だった。
「あ、立ち上がらなくていいよハルくん。妹の機嫌を損ねたくはないからね、はっはっは」
「……でしたら手遅れですねお兄様。こうして二人の時間を邪魔された時点で、わたくし機嫌は地の底ですもの」
「ええぇ……、相変わらず気難しい子だなぁ」
「こんにちはシンシュ王子。今日はお招きありがとう。お言葉に甘えて、座ったままで失礼」
「うんうん。立ち上がって体が離れてしまったら。機嫌が地の底どころか異次元だ」
別に本気で嫌がっている訳ではないアイリだが、ハルといちゃいちゃしている所を邪魔された形になり、ルナ直伝のじっとりとした半眼でシンシュ王子を睨み据える。
それでも、この城で過ごしていた時のアイリの凍るような瞳よりはずっと愛嬌があるとかで、すぐに立ち直る彼だった。一言多いのはささやかな仕返しか。
「ハルさんも、なでなでを止めてはいけないのです!」
「まいったね、どうも。王族に板挟みされるのもなかなか無い経験だ」
「いやいや、続けてくれて構わないよ、本当に。先ほども言ったけれど、なかなか見られる光景じゃない」
いつものように、爽やかにシンシュは語る。
今日はハルも神のオーラによる威圧を消しているので、彼も自然体に振舞えているようだ。
外交の場として見るならば、余計な強気の要求を出させないために有効な神のオーラだが、家族として見ると、無意味に壁を作ってしまうだけ。
今回初めて、それをなしに義兄と語らえるハルだった。
「いや、アイリはね、ハルくん? 自分の髪をメイド以外に決して触らせようとしなかったんだよ」
「まあ、そうだよね。それは想像できるよ義兄さん」
「いーや、想像できてない。それはもう苛烈! すごかったんだよぉ。アイリの髪を褒めようとして手に取ろうと伸ばした貴族が居て、」
「お兄様」
「その氷のような視線が一気に五割増しの冷たさとなり、それに射貫かれて文字通り体が凍り付いてしまったように彼は硬直し……」
「お兄様! もう!」
「あはは。王子様は語り部としても優秀だ」
つらつらと、当時の様子を感情をこめて大げさに語るシンシュ王子。おどけて楽しそうな様子は、家族の団らんの気配を感じさせる。
もしかしたら、カナリーが来なかったのはこれを見越してのことかも知れなかった。
引退したとはいえ、崇拝する彼らの神がこの場に居ては、久々の兄妹の水入らずとはいかないだろう。
「……もう、全く! それで、こちらに来たということは一段落ついたのですか?」
「ああ、適当に挨拶回りの巡礼団は受けてきたよ。いやー参った参った。それこそ立ちっぱなし笑いっぱなしで体も顔も固まりそうだったよ」
「ですから貴族は威圧するくらいがよいのですのに」
「それはそれで器用な立ち回りが要求されるよね。僕もそっちは苦手かな」
「いやいや。ハルくんは“笑顔で威圧する”っていう余計器用なことが出来るじゃないか。ぞっとしないよアレは?」
「流石はハルさんです!」
「流石はアイリの旦那さんだよねぇ」
「なんだかなあ……」
褒められているのか嫌味を言われているのか。
なんにせよ、この気安さはシンシュ王子もハルを家族だと受け入れてくれている証である。そう思うと、ハルも悪い気はしなかった。
もちろん王子である以上政治的な駆け引きは完全に切り離せないのは仕方がない。
だが、今このお花見の席では、それを極力出さないようにしてくれているのが分かる。
彼が先ほど、『異次元』という単語を無意識に口にしていたことから、瑠璃の国で起こったあれこれを本当は聞きたいのだろう。
「……挨拶どうこうってのは、お城のパーティー?」
「ああ、そうだよ。ハルくんは……、出ないよねぇ」
「ダメです! ハルさんは、ここでわたくしとのんびりするのです!」
「はいはい、ゆっくりしていくといいよアイリ。並木状に桜が植えられた美しい庭があってね? そこで立食パーティーのようなものが開かれてるのさ。毎年恒例だね」
「こっち風のお花見かあ」
権謀術数渦巻く貴族の集会に興味はないが、こちらの文化には多少気を引かれるハルだ。
そもそも、ハルにはほとんどお花見の経験自体が無い。
ルナの実家では、日本版の貴族集会といった会合が毎年開かれているが、それはそれで非常に閉じた世界。ハルはお呼びではなかった。
ちなみに、カナリーはそちらに少し興味があるようだ。
そこで出るだろう高級なお菓子に狙いを定めているらしい。あまり量は出ないことを伝えて諦めてもらおう。
「ハルくんの世界では、どのような感じなんだい?」
「だいたい二種類かな。ゆっくり花を愛でたい人と、花を理由に大勢で騒ぎたい人」
「わたくし、知ってます。お団子を、食べるのです!」
「そうだねアイリ」
「付け焼刃の知識では火傷をするよアイリ? という訳でハルくん、そのお団子をいつか見せてくれないかな。はっはっは」
「お兄様はもう……」
「いいですよ」
今後の約束。今後も仲良くしていきましょうというサイン、ということだ。
この辺りは、貴族としての癖が染みついてしまっているのだろう。とはいえ、その気持ちは本物のようなのでハルも純粋に嬉しく思う。
そして、いたずらっぽく笑うシンシュを見て、自分もいたずら心が芽生えてしまったハルだ。
「じゃあいつかと言わずに、今すぐに」
くるり、と思わせぶりに手を開くと、その中に手品のようにお団子を<物質化>するハル。
名店の逸品、そのコピー。それを人数分用意すると、面食らっている王子を横目にアイリとふたりかじりつく。
こうして手品じみた魔法でもって、異世界の人々の目を丸くするのは、ハルがついやってしまう癖だった。
あまり褒められたものではないかも知れないが、止められないハルである。
しばらく硬直していたシンシュも、やれやれと諦めて苦笑しそれを口にする。
串にかぶりつくなど王族の所作ではないかも知れないが、家族水入らずのなか、彼もなかなか楽しそうだった。
「他にも色々種類があるから、今度は違ったのを用意しておくよ義兄さん」
「それは楽しみだ」
その際は、日本茶も用意しておこう。やはりお団子に合わせるならそちらだろう。
とはいうものの、ハルにとってはこのソファーに座って紅茶を頂く風変わりなスタイルこそが、基本のお花見となるのかも知れない。
それはそれで、ハルらしくて良いのだろう。
そんな風に考えながら、また一つ未来の約束を積み重ねるハルであった。




