第451話 あとしまつ
全てが片付いて艦内へと入り、僕らは誰からともなく、ほっ、と息を吐きだす。
もう、意識拡張の必要性もなくなった。総体としての“僕ら”は個々の“僕”と彼女たちに戻ってゆき、僕も一つの主観からそれぞれ別の“ハル”の集まりへと分かれていった。
ここからは、後片付けだ。
ラスボスを倒したら、後は自動進行のイベントを眺めるだけの一人用ゲームと違い、この世界ではその後の対応も自分でやらなければならない。まあ、当たり前のこと。
「さて、どうしようか。正直、何から手を付ければいいやらって気分で、頭が回らない……」
「……以前なら、しっかりなさいと言っていたところだけれど。この精神的ギャップは、確かにそんな気分にもなるわね?」
「うぅ、はっきり見え過ぎてたから、余計に世界に霞が掛かってみえるぅ」
「ユキはちょっと休んだ方が良いね。医務室に行っておいで」
「わたくしが付き添います!」
「ごめんねぇ、みんな」
融合解除の影響で、主観からして全くの別物となっている。
慣れない皆は、ハル以上に戸惑いが大きい者もいた。アイリだけは、以前からハルとの融合に慣れていたためか、はたまた本人のそうした才覚なのか、変わらず元気いっぱいだ。
「でもカナリーちゃんまでダウンとは、予想外だね。さらっと適応してみせるかと思ったよ」
「そうもいきませんよー。人間の体を持つってのはそういうことですー」
「そっか、そうだね。僕が頭痛いんだ、同じタイプの君だってそうか」
「ですよー? これは、糖分が要りますねー。お菓子ですねー?」
「はいはい。食べておいで」
確かに脳を働かせるには糖分だが、頭痛は少し違うだろう。そう思ったが、ハルは特に指摘しない。甘やかしすぎかも知れないが、今日ばかりは良いだろう。
さて、そんなカナリーとの会話で、次の目的についての取っ掛かりを得たハルだ。
やはりまずは、渦中のエーテルについての問題を解決すべきだろう。
「人間の体、君はどうするエーテル? また、エメとしての人生に戻るかい?」
「《形だけ戻すことならば、可能だと思うんですけれど、正確にはもう元のエメには戻れません。繋がりが、切れましたから……》」
「NPCの遠隔操作みたいなものだったんだね。中に君はいたから、変な話にはなるけれど」
「《そういう言い方も、出来るかも知れないですぅ》」
共に連れ帰った艦内で、おどおどと所在なさげなエーテルにハルは話しかける。
まず何から対処すべきかと言えば、やはりこの新たに仲間となった彼女のことだろう。
今は神としての本体で降臨しているエーテルだが、ハルたちとの初邂逅の時点では人間であった。
より正確にあの状態を表すならば、NPCとしての“器”に神が憑依し動かしている状態、といったところか。
その器は人間と全く同じに産まれ、成長し、寿命を迎えるが、その憑依した魂とも言うべき本体は、死亡しても滅びることなく、次のNPCとして新生するのだ。
その輪廻の紐づけが、今は途切れた。
ハルに追い詰められ、肉体を捨てて本体を降臨させた際に、ゲームシステムとのリンクは途切れ、今のエーテルは再びNPCとして転生する輪廻の輪には戻れなくなっている。
「ごめんね。これは、僕が君から奪ったものだと言って間違いないだろう」
「《だ、だいじょぶです! 未練は、特にありませんから。むしろ、やっと解放されたっていうか、えへへへ……》」
いつ終わるか知れない精神の旅路に、心が少しずつ少しずつ、疲弊していたことだろう。
もちろん、人間としての交流もあっただろうし、未練がゼロということは無いだろう。
しかし今は、それよりも解放感の方が強く表れているようだった。それは、喜ばしいことだ。ただ。
「ただ、そんな解放感に浸るエーテルに残念なお知らせがある」
「《ひうっ! な、なにを宣告されてしまうのでしょうかぁ……》」
「……いやそんなマジに怖がらないでよ。言ってる僕の方が不安になる。まあ、そう変な話じゃないよ」
「《お、お手柔らかに……》」
その内容というのは、別に難しい事ではない。ハルとエーテルが戦う前の状況、今の、この展開へと至る前には何が起こっていたのか、それを確認するだけだ。
「なんだ、その、僕らは今、瑠璃の王城から転移ゲートで消えて、行方不明の状態にある」
「《あー……、あー、そういえば……》」
「言ってもまだそう時間が経った訳じゃないが、大勢の人間に目撃された状態でね」
「《あー……、ぶっちゃけ、後のことは考えてなかったですねぇー、もう戻らない可能性、高いと踏んでましたし》」
「考えよう?」
あの場に居たアベル王子を始めとする、研究室の面々は、ハルが<誓約>によって口外しないことを強制してあるので騒ぎにはなっていないだろうが、当人たちの困惑とストレスは大きいはずだ。
あれから半日ほど。そろそろ、戻ってやらねばならないだろう。
戻ること自体は今すぐに出来るハルだが、そこで問題になるのはエメの存在だ。
ハル一人で戻って、『うちの研究員はどうしたのか』、となるのは必至であった。
「なのでまあ、君には出来ればエメに戻ってもらいたいのだけどね?」
「《な、なるほど……、しかしですね、ハル様? 先ほども言いました通り、わたしはもう、“あのエメ”には戻れませんよ、正確には》」
「え、いいよ別にガワだけで。もう騙すべき神様も全員味方なんだから」
「《そんな適当な……》」
ハルは今後もNPCたちと交流を続ける気でいる。
いや、全ての憂いが無くなった今、より交流の手を拡大していっても良いと思っている。
その為にも、『研究員を助けられなかった』、という結果は避けたいハルだった。彼女は見てのとおり無事ではあるが、それを現地の者たちが知る術はない。
「《で、でもその、今更あっちの人間関係に戻れって言われても困ると言いますか、もう終わった気でいたと言いますか、今後はハル様のお世話になる気まんまんだったと言いますか》」
「うるさい聞き分けろ。別に、すぐに城を出ればいいでしょ。今回の件が怖かったとか何とか理由つけてさ」
「《エメはそんなキャラじゃないんですよぉ。その程度で折れる心持ってないと言いますかぁ》」
「いや知らないよ……、ともかく、引き継ぎはちゃんとしようね……」
あの遺産装置自体は、まだ稼働中だ。
装置を起動させた研究室とアベル王子の発言力は上昇し、今後は仕事も活性化して行くかも知れない。
そんな中、実質全ての業務を取り仕切っていたエメが欠けては組織が成り立たない。いや、自業自得ではあるのだが。
何にせよ、彼女の陰謀のために作られた組織だ、その行く末の責任は、きちんと果たしてもらいたいとハルは思う。
今後もずっとそこで仕事をしろとは言わないが、せめて引き継ぎはきちんとすべきだろう。
「散々僕らのことひっかき回してくれたんだ。それが僕から君に与える、せめてもの罰だよ」
「《わかりましたよぅ。すぐに終わらせて、お城に向かいますから!》」
「いや罰だって言ってんだろ。まあ、歓迎はするけどね」
それが天空城ではなく神界であっても、同じく神々は歓迎するだろう。口先での嫌味は多かろうが、それも仲間であるゆえだ。
どうか、彼女の新たな門出に幸あらんことを、ハルは心から願うのだった。
◇
「どっすかね? 変なとこありませんハル様? あ、どうせなら二割増しにかわいく作っちゃいます? にひっ、まいったな、元から結構かわいいですからねわたし、目立たないだけで。これは戻ったら引く手あまた、モテモテになっちゃいますね!」
「やかましい。エーテルに戻すぞ?」
「ひっどー! ハル様がエメれって言ったんじゃないですかぁー! 横暴ですよ、あれですか、これが管理者権限ってやつですか!? あ、でもこういうの良いかも知れませんね。わたしはご主人様を得たんだーって実感? 自分の所属が明確である喜び」
「……本気で戻そうかな」
「やーめーてー。すみませんってばー!」
再び『エメ』としての体を得た彼女だが、見てのとおり、非常にやかましかった。キャラの切り替わりが極端すぎである。
今の体は人間の肉体ではなく、プレイヤーキャラのように魔力で織られたものであるが、その精度はかなりのものだ。
よくよく観察すれば人間ではないことが分かりはするが、一目見て気付かれるようなことはない。元々、人付き合いの少ないのがエメという人物。問題はないとのことだった。
「まあ、戻るんだからきちんとエメになってないといけないけど。でも変わり身早すぎ。そういうものなの?」
「そーゆーもんですよぉ。ああ、これ、わたしだけじゃなくて、神は大抵がそうですね。カナリーだけは別かな? 基本的にロールプレイってゆーか、体に合わせて大げさに演じてますよ。もちろん、中身の本質は変化しないですけどね!」
「ふむ? つまり君の中のエーテルは、変わらず泣き虫と」
「ななななな泣いてないですよ! いやほんと、泣いたこと無いですからね! 泣く機能付いてないですからね、なんと言っても! ……その、まー本質は変わらないです。ちょっとエメで口にするの恥ずかしいですけど、臆病で引っ込み思案なのが、わたし」
「改めて見てみると、そんなとこあるよね」
神々はそうして、自分のキャラクター性というものを自分で設定している。
そこはやはり人間とは違う存在で、元AIなのだな、と強く感じさせてくる部分だ。これは、ゲームの運営の神様たちも変わらない。
皆それぞれ、自然な人間として見るならば『キャラ』が大げさだった。
そんな、大げさなエメへと戻った彼女ではあるが、それで彼女の性質そのものが切り替わった訳でも、陽気になって全ての悩みを忘れてしまった訳でもない。
そこは、勢いに押されて忘れてしまわないようにせねばならなかった。
「僕から命じておいてなんだが、放りだすことになるのは変わりない。せめてサポートを付けたいところだけど」
「では私が行こうではないかハル! ちょうど、私の国だしね!」
「いや君の国だからこそ君が行ったら大騒ぎだろセレステ……」
「ですねぇ……、特にセレステ様は、放任主義で政治には基本口出ししない方ですからねぇ」
「はっはっは。嫌味のように様をつけて呼ばないでくれたまえエーテル」
「今はエメですぅ」
状況的に『戻れ』と言わざるを得ないハルではあるが、心情としては再び彼女を一人にしたくはない。
せっかく孤独な旅路から、再び仲間の元へと戻ってこれたところだ。そこでまた、というのは気が引ける。
せめて、自然な退陣作業が終わるまでは、傍にいてやる者をつけてやりたいとハルは感じている。
そんなハルの機微を察したのか、空木がこの場へと姿を現した。
「私が行きましょう。なんだか、他人事ではない気もしますし」
「……そうだね。適任かも。ただ、君も現地には慣れてない。何か分からないことがあったら、無理せず連絡すること」
「承知いたしました」
「大丈夫ですよ、根っからの現地人ですからね、わたしの方が! いやー、しかし嬉しいなぁ。空木ちゃんがデレてくれるなんて。あ、そうだ! これを機に、やっぱり製作者のわたしを『お母さん』って呼ぶのは」
「調子に乗るんじゃありません我が製作者。言っておきますが、思う所が多いのは変わっていませんからね? そのあたり、この機に時間をかけて話し合いましょうか」
「げげぇ! やっぱり反抗期!」
「やっぱりやかましいなこの子……」
以前と同じ調子を取り戻し、これなら王子らにバレる心配なども無さそうだが、やはりあまりの変わりように、頭を抱えるハルであった。
まあ、しんみりとしすぎるよりはずっと良いだろう。
そうしてハルたちは、あとしまつの為に元居た地下の研究室へと転移の準備に入るのだった。




