第442話 可逆圧縮
エメを向こうの世界の、日本の一員として登録し、ハルの力であちらへと連れて行く。
そうすることで、この世界からの干渉は行えなくなるだろう。
根本的な解決にはならないが、それは、今後の課題。そしてもう一つの、今用意しているハルの策次第である。
まずは対処療法だ。何としても逃げようとする彼女を、押しとどめないことには話は始まらない。
「あっちの世界を変えたいというなら、社会の一員になって一緒にやっていこうか。神のごとく、上位領域から一方的に干渉するのは、もうおしまいだエメ」
「うぅ……、自分だってこの世界で高みから一方的に干渉してるくせにー……」
「……自覚はあるよ。だから、すこしずつ彼らの手に委ねようとしてる」
理解している。ハル自身だって十分に傲慢だ。
だが、ここは自らの行いから全力で目を逸らす。『確かにそうだ』、と納得してしまっては話が進まない。
「それにー、あちらとこちらでは、事情が違いますよー? 日本はもう、誰かの庇護がなければ立ち行かない世界じゃありませんー。これ以上は、いらぬおせっかいですよー?」
「そうね? 今でも生活は十分に満ち足りている。過渡期の混乱に対処するのは、貴女ではなく私たちなのよ? 正直ごめんだわ?」
カナリーとルナからも、援護射撃が入る。特にルナは現役の住人としてその言葉には説得力があった。
平和にやっている所に、突如新しく魔法という因子が紛れ込めば少なからず社会は荒れる。対処する側は頭が痛いだろう。
そう、結局エメのしている事は、歴史の転換期を作り出す因子の用意だけ。実際に対処するのは自分ではない。
機を読む力は大したものだが、そこが、少し投げやりで無責任ではないだろうか。そのように、ハルは思う。
「だから、君も当事者になって、一緒にやっていこう。僕らも、それなら手伝うよ」
「うん。私の家も、まだお部屋余ってるし、だいじょぶ、だいじょぶ。カナちゃんだって、一緒だよ?」
「まあ、元神の私も問題なくやれてるのは確かですねー。仕方ないから先輩として、レクチャーしてあげてもいいですよー」
「あ、わたくしも、最近は日本の方々とお話しする機会が増えたのです! 皆さま優しいから、不慣れでも平気なのです!」
女の子たちも、エメを日本の屋敷に受け入れることを快く同意してくれる。
そう、なにも日本へ連れて行って、何のサポートもせず放置するとはハルも言っていない。共に、同じ空気を吸って生活しながら、良い方法を探って行けばいいのだ。
……自由を奪っておいての勧誘は、脅迫と同義だが、彼女のために最大限力になりたいという気持ちは、エメになんとか伝わっただろうか?
「……嬉しいっす、そう言ってもらえることは本当に。きっと、夢のような日々が待ってるんだと思います」
「いや、それはどうだろう。保証しかねるけど、不自由はさせない」
「そこは保証しようよハル君……」
そうは言っても現実との乖離はいつだって厳しいものだ。あまり、新生活に期待されすぎて後で文句を言われても困る。
「たはは。大丈夫ですよハル様。そんなのこっちから保証して良いです。それはきっと、素晴らしい日々なんです」
だがそこから、『でも』、とエメは続ける。
分かってはいたが、そう簡単に首を縦に振ってはもらえない。体の機能の大半をロックされているため、不自由そうにエメは首を横に、ふるふる、と否定のサインを主張させた。
「でも出来ません。私は、傲慢な上位存在じゃないとダメなんです。次元の薄膜を隔てた、こころない神じゃないと」
「それは、どうして?」
「皆さまの中で、日本の方々と一緒に、生を共にしてしまったら。必ず、個人個人へ心が傾きます。全体のための無慈悲な調整が、出来なくなります」
時に、大きな視点における発展とは個を無視するものだ。
戦略ゲームのプレイヤーとなって、軍団なり文明なりを導く立場なのに、ユニットの一体一体に心を砕く者など居ない。いや、そうしていては、とうていゲームなど進行しない。
無味乾燥な数字として、時に悲劇を無視して全体のための施策を強行する。そんな傲慢さが求められるのだった。
「そのためには、わたしはこっちに居ないといけないんです。何があっても、対岸の火事でいられるこっち側に」
彼女も目的は、自分が壊してしまったと思い込んでいる日本の文化を、壊れる前よりずっと良い方向へ導くこと。
その大目的のためには、個々の関係性に心を傾けることがあってはならない。
そのために自らを孤独に追い込み、これからも孤独であり続けると、そう彼女は宣言しているのだ。
「……そんなだから、こうして捕まえておかないといけないんだってのに」
「あはっ、愛されてますね、わたし。でも、束縛愛は勘弁ですぜハル様。そんなんじゃモテな……、モテ、てるな……」
「実際そうだから、このネタでハルさんを弄れないんですよねー」
「困るわよね?」
「ルナ、困らないで?」
「あはは……、ともかく! わたしは同意はいたしません! このままじゃ、拘束して無理矢理に監禁し続けるだけになりますよ?」
「まいったね、どうも」
その通りなのだ。結局、物理的な要因ではなく、彼女に心から納得してもらう必要性が存在する。
戦闘面での勝利では、この場の勝利条件は達成されないのだ。
「仕方ない。ここで乗ってくれれば楽だったんだけど、次の手に行くしかないね。君に見て欲しいものがある。少し時間をくれるかい?」
「奇遇ですねハル様。わたしも、ハル様に見て欲しいものがあります。なに、こちらはお時間とらせません」
「なんだろう?」
体の動きを内部からがっちりと拘束され、身じろぎするにもやっとなエメの状況。そんな中で出来ることは限られている。
とはいえ、出まかせや時間稼ぎではないようだった。彼女の真剣な様子に、ハルは下手なことをしないか警戒しながらその内容を待つ。
「わたし、この状況からでも終わりに出来るんですよ。それでは、今度こそさようならです、ハル様」
早口に言い切ると、ハルの返す言葉を待つことなく、エメの体は光の粒子となって消えていくのだった。
◇
「…………やられた」
「勝利の余裕見せてるからですよー? まず見せたいものとやらを、雑談の前に見せなきゃー」
「耳が痛いね……、会話の順序が大切だと思ったんだ」
「これは、どうなったのでしょう!? エメさんは、赤ちゃんになってしまったのですか?」
「いや、苦肉の策だろう。変な言い方になるけど、彼女は“正しい手段で死んでいない”」
「ですねー。まだ、そこに居るはずですよー?」
「……確かに、気配を感じる気がするわ?」
「あっ、ルナさんの言うとおりです! 魔力が残っています!」
「ぜんぜん、わからぬ」
カナリーは経験から、ルナとアイリはその鋭敏な直感でそれを察知する。
人間の肉体であるユキには感じ取れず、ハルもそれは大差ない。だがこの世界で培った魔法の知識が、眼前で起こった状況を正しく理解させていた。
「彼女、神に戻ったんだ」
その気配は徐々に濃くなり、ここではない何処からか魔力が供給されているのが分かる。
きっと、最終手段としてこの状況すら想定済み。このための魔力が、どこかに用意周到に保管してあって、こうなった時にその場とリンクするようにあらかじめ設定してあったのだろう。
「戻るって、そんなことできるん? 確かエメちゃんは人間として転生したんだよね?」
「普通は不可逆だと思うけど、目の前でやられたんだ、受け入れるしかない」
「きっと、私の人化とは全くの別物なんでしょーねー。神から人になったんだから、逆に人から神になれるのも当然って思うしかありませんー。可逆圧縮だったんですー」
「圧縮て……」
人としての彼女が居た場所、その彼女が光の粒と消えた場所。そこには見る間に、光が寄り集まり、どんどん輝きを強くして、再び人の姿を形作ってゆく。
それは青白い発光体となり、おぼろげな輪郭ですらりとした手足を伸ばした、精霊をイメージさせる神秘的な姿となって現出した。
「懐かしい姿ですねー。初期の、エーテルです」
「まだカナリーちゃんたちが、造形に不慣れだった頃のか」
「私の当時はお見せしませんよー」
半ばあっけに取られたように、その工程をハルたちは見守る。
そんな誰もが動かぬ場の中で、その光の塊、エーテルは成形を終えると、軽く皆を一瞥すると何も言わずに後ろを振り向いて、高速でこの場を離脱するのだった。
「……っ!」
「ハルさん、追ってくださいー」
「ああ!」
ここで逃がすことまかりならない。短く端的なカナリーの判断に、ハルも迷うことなく従う。
なんとか飛行魔法を発動すると、式に強引に大量の魔力を注ぎ込んで逃げる彼女のスピードを上回った。
その姿を追い越して、進行方向を塞ぐ。
「エメ、いや、エーテル。待つんだ」
「…………」
エーテルは答えず、変わりに周囲に探査の波紋を飛ばす。ソナーのように周囲の地形を把握したのだろうその一瞬の後、ハルの身を避けて左方向へと進路を変えた。
再び、高速で逃げ去ろうとしている。
「……もう、言葉を交わす段階は過ぎたってこと? それは少し、悲しいね」
取り合わずただ逃げるだけのエーテルを、ハルもまた逃がさんと追いすがる。
今の彼女は魔力体だ。もはや先ほどのように、ナノマシンによる拘束は通用しない。
再びその身を追い越して、進行方向を塞ぎにかかるハルだが、今度はエーテルも止まらずに、すぐにその身を翻してハルの姿から遠ざかる。
このままでは、徐々にこのクレーターを脱出する進路を取られ、どこか有利な地点に到達し、身を隠されてしまうかも知れない。
「仕方ない!」
ハルは愛用の武器、『神刀・黒曜』を取り出すと、エーテルに追いつくと同時に、その姿に向けて刀身を振り放った。
あらゆる物を両断するこの極限の薄刃は、神の身であろうと容赦はしない。
このエーテルもいわば神の『本体』ではあろうけれど、それはセレステ達もまた同じこと。十分に通用することが今までの戦いや、仲間になった後の会話で分かっている。
しかしその刃は、エーテルの身を切り裂くことなく、防御に回した彼女の手によって受け止められていたのだった。




