第441話 次なる人生への逃避
ここのところ、平均より短めの話が続いてボリュームを楽しみにしている方には申し訳ないです。
どうしても、締めくくりというのは難しいものなのですね。くじけずやりとげてみせますので、暖かい目で見守っていただければ幸いです!
ハルの転移した先は、見渡す限りの荒野。見上げれば岸壁が重力に逆らって逆巻き、波の形で宙に静止していた。
見覚えのあるこの風景は、かつての都市の跡地。
今は完全に不毛なクレーターとなったこの地に、エーテルの塔を形成する建物たちは、かつて存在していたのだ。
「……もう、追ってきちゃったんですかハル様。必死にお別れ切り出したのに、馬鹿みたいじゃないっすか」
その荒野に佇むように、一歩先に転移したエメの背中が確認できる。
ここに飛ぶことは、あらかじめハルには分かっていた。空木とリンクし、彼女の知識を共有して、ハルはエーテルの塔についての調べを進めていた。
自身は戦力外となり、戦いを神々に任せてまで強行したそれにより、分かったことは多い。
その中の一つが、黒い石は次元の壁を超える触媒となるということだ。
黒い石については、第三者に伝わらないように空木のデータからは完全に削除されていはしたが、推測することは可能。
きれいに抜け落ちているが故に、逆に数学の穴埋め問題のように、不足情報の差分として当てはめればいいのだ。
「君は『縁』とも言っていたしね。あのエーテルの塔は、もともとこの地の建造物だ」
「はいっす。それが分かっていて、石をわたしに持たせたんですか?」
「完全に逃げ道ふさぐと、無茶しかねないと思ったからね」
それに一度はしのいだとは言え、やはりあの場はエメの支配域だ。あの場所からは引き離しておきたかった。
この、元の異世界に戻ってくれば、彼女は単なる人間であり、NPC。ハルたちの有利に事を運べる。
この場には、もはや彼女の操る装置は無いのだ。
「行動が早いんだからーハル様は。ダメですよー、もっと油断しきったタイミングで現れなきゃ。そもそも、どうやってここに飛んできたんですか」
「さっき投げた石に、見えないように僕の眼をくくりつけてた」
「うげぁ! なんてもん持たせるんですかあ!」
初期にやっていた、キャラクターの眼球のコピーを介した転移である。
眼のコピーは、エメには認識できないように設定し隠した。それを持ったままここへ来てしまったエメは、ハルに繋がるリンクをつけたまま逃げているようなものである。
「……だったら、姿を現さなければ良かったですのに。何故わざわざ、そうしてわたしにお姿をお見せに?」
「だって君、死ぬ気だろ? 姿を見せて、それを制止しなきゃ」
「そ、そうなのですか!?」
さらりと言い放つハルのその一言に、アイリが驚愕の表情をあらわにする。
きっと、ここから必死に逃げ延びて、潜伏するイメージを抱いていたのだろう。計画が潰れたくらいで諦めて死ぬタイプにも見えないだろうし、それは仕方ない。
「そっすね、もう、『エメ』に出来ることは何もありません。この体はここでおしまい、わたしはここで死んで、次の誰かに生まれ変わるんです。……ちょうど、ここはわたしの終わりには相応しい地ですしね」
「それが君の?」
「能力っす。失敗しましたねハル様。わたしを捕まえたければ、塔から出すべきじゃなかった。あの空間では、この力は上手く作用しません」
「次元の狭間は、やっぱり特殊な空間ってことか」
転生、生まれ変わり。どういった理屈かは分からないが、これまでもそうやって代を重ね、別人となり、神々の目を欺いてきたのだろう。
今回も、エメの立場で出来ることが無くなったため、次に賭けようという判断だ。
一切の躊躇なくその判断が行えるあたりから、彼女の狂気がかいま見えてくる気がする。
ハルはあえて身を晒し彼女の気を引くことで、すぐに自死に踏み切る判断を思いとどまらせたのだった。
だが、ハルが出てきたところで最終的な決定が変わることはないだろう。ほんの少し決意を先延ばししたに過ぎない。
もう少し、準備に時間が欲しい。ハルがそう思っているところに、すかさずアイリがアシストを入れてくれる。
「あ、あのっ!」
「おや、なんでしょ? んー、何を言われても結論は変わらないので、出来れば見ないでいた方が良いんじゃないかなーって思う次第なわけですが。いえ、王女様ならもちろん、その程度じゃ動じないとは思いますがね?」
「そうではなくて、ですね! 転生ということは、新しく誰かのおなかに宿るのですよね?」
「あ、はい。そうなります。記憶やら知識やらは、引き継ぎですね。細かいことはまあ、企業秘密ってゆーことで」
「そうですか……、では一つだけ、今この場で死ぬと、一番ちかくに居るのはわたくし達なのですが、わたくしたちの、おなかに宿るのでしょうか!?」
「…………」
「…………」
「アイリちゃん、発想がすごいですねー。なんというか大物ですねー?」
「えへへへへ、そ、そうでしょうか!」
完全に予想外の方向からの攻撃に、エメが完全に停止した。
ハルも憶えがあり、気持ちは分かる。この精神攻撃は、なかなかの大ダメージとなるのだ。
呆れ半分のカナリーも、もう半分は純粋に褒めているのだろう。これは、なかなか常人に出来ることではない。
「あっ、はは。確かに、大物ですねえ。そうですかあ、私が、アイリさんやカナリーの子供に生まれ変わるのかあ」
「私を巻き込まないでくださいー! 私はごめんですー!」
「どっちにしても、お父さんはハル様ですよねぇ? あー、いいかもなぁ、ハル様の子供に生まれられたら。それはきっと、夢のような暮らしなんでしょうね」
「……残念だけど、娘は募集してないよ。でも、仲間として一緒に暮らすなら、歓迎するよ」
「あい。わたしも残念ですけど、アイリちゃんのおなかに宿ることはありません。もっと別の、皆さんが知らない誰かになるでしょう」
本当に楽しそうに、遠くを見る目でハルの子供に生まれることを夢想するエメ。
ハルとしては勘弁して欲しいという気持ちで一杯だが、それしか解決策が無いならば、それもまた一興だろう。
親として彼女を慈しみ、償いに囚われた心を解放する。そんな生活も良いだろう。
しかしハルもエメも、そんな暖かく、甘い空想を、断ち切るように振り捨てて向かい合う。
エメの瞳には、もうその未来に対する未練はどこにも残っていなかった。
「……最後に、素敵な空想ができました。ありがとうアイリさん。次も、その素敵な夢を見ながらなんとかやっていこうと思います」
もしかしたらあり得るかも知れないそんな『次』を振り切って、彼女は現実的な『次』だけを見据える。
もはや、すぐ次の瞬間にでも命を自ら断ってもおかしくない。そんな緊張感が張り詰めるなかで、唐突にその緊張感の無い音声が鳴り響いた。
「《エーテルネットワークへようこそ! まずは、初期設定を行ってください。ガイドに従うだけで、簡単な操作で行えますよ!》」
◇
「…………はっ?」
「《まずはあなたのお名前を教えてくださいね! ここでは、ハンドルネームやプレイヤーネームではなく、必ず本名を登録しましょう!》」
「……えっ? えぇ?」
「ああ、悪いねエメ。それ、基本的に子供向けなんだ。使う使わないはともかく、加入は全国民に義務付けられてるからね」
「大人になっても未加入のまま、って例は想定されてないんですねー」
アイリのおかげで時間稼ぎは十分に達成され、ここにハルの計画は完成した。
この場の大気には、目には見えないが既に多量のナノマシン、『エーテル』が充填されている。
それらは互いに通信網を構築し、この場にいる人間同士を接続し、そして、エーテルネットに接続する。
「もう、出てきてもいいのよね、ハル?」
「うおぉぉ、緊張した。というか出て行くのも、緊張する」
「しゃんとなさいなユキ。その大きな胸を張りなさい」
「胸は関係なくて……」
「にゃんにゃん♪」
そのハルの計画の功労者たるルナとユキ、そして猫のメタが姿を現す。
二人はキャラクターではなく肉体で、そのためユキがおどおどとルナの影に隠れようとしているが、体が大きく隠れ切れていない。
メタはというと、普通に小動物として物陰に潜んでいた。
そう、本来日本のものであるエーテルネットがエメに接続されたのは、彼女らによる影響が大きかった。
「貴女がたは……、い、いえ、多少驚きましたが、いやマジでびっくりしましたが、こんなことをしても、わたしの行動が変わる訳じゃ……」
「いや、そこは悪いけど変えてもらう。強制的にね」
立ち直り、再び行動に移ろうとしたエメを、奇しくも彼女のかつての名と同じ『エーテル』が拘束する。
その体内に入り込んだナノマシンは、内部で増殖を繰り返し、体組織に深く浸透し、彼女の体を制御下に置いた。
いや、本来は制御など不可能であり、許されない。
しかしこの場に存在するのは、ハルとカナリー。現代は存在しないはずの、エーテルネットのあらゆる権限を掌握する、管理ユニットであった。
「体の自由は奪わせてもらいましたー。これで、許可なく動けませんよー? 本来は、犯罪者の拘束用の機能で申し訳ないですけどねー」
「管理者、権限……! いえ、それよりなぜ、わたしに、この世界に、エーテルネットが!?」
「うん、それはもちろん僕があらかじめこの地にバラ撒いておいたから。あ、この子が実行犯です」
「にゃおん!」
「地下室の猫……、って、そいつも神だったので!?」
「にゃうにゃう。ふにゅふふ……」
「神々の目を欺いてきた貴女が逆に欺かれるとは、うっかりしてましたねー」
最終的な着地点がこのクレーターになると計算したハルは、あまねく全世界に存在するメタの特性を生かし、その中の一体にこの仕事を依頼した。
ハルの代わりに、あらかじめこの場にナノマシンを増殖させておいてもらうこと。
あとは会話で時間を稼ぎ、エメの体内にしっかりと浸透するのを待つだけだ。
そうすれば、後はハルやルナ、ユキの体を介しアルベルトの補佐を受け、次元を超えてエーテルネットに接続させられる。
「……やられました。ネットにわたしを繋ぐことで管理者の力が使用可能になって、魔法を使わずとも拘束が適う」
「いや、少し違う。君を拘束するだけなら、ネットを介さなくてもナノマシンが十分な量あれば強引に適う。もちろん、こっちの方が断然やりやすいけどね」
「ならば、なぜですか……?」
「《お名前を教えてくださいね! 苗字だけではなく、きちんとあなたのお名前を入力しましょう!》」
「いやわたし苗字無いんですが……」
催促するように続くアナウンスが、畳みかけるようにエメの混乱に拍車をかける。
一定の年齢に達した時に行われる、エーテルネットの初期登録。その設定が、今のエメにも求められていた。
それはすなわち、彼女を日本人として登録することを意味する。
「僕はこれから君を、日本に迎え入れるよ。決して、死なせなんかしない」




