第439話 彼女たちの送る逆転劇
「たあ!」
「え、なんです!? なんなんですかこの状況! わたしウッキウキで勝利宣言した直後なんですけど!?」
「……基本的に締まらないよね君って」
全ての銃口をハルに向けていたのが仇になった。ハル以外の脅威には対処する余裕が無く、パワードスーツであるドレスを着て暴れまわるアイリの快進撃を止められない。
ハルはその間、忠告どおり一歩も動いておらず、発射条件は満たされない。
警備兵器への設定を入れなおす間もなく、その全ては役割を全うすることなく粉々に粉砕されていくのだった。
「あのー……、どういう状況なんですハル様? チェックメイトしたら盤ごとひっくり返された哀れなわたしに、説明のお慈悲をいただけると幸いなのですが……」
「おっと、そうだったね。アイリ、出てきていいよ」
「はい! わたくしでした!」
ハルの許可を得て、アイリがその姿を現してゆく。といっても、ハルにとっては何も変わらない。見た目に変化が生じているのは、エメの視界だけだろう。
きっと今、虚空から浮き出すようにして、目の前にドレスを纏ったアイリの姿が出現してきているはずだ。
「ご無沙汰しております!」
「えーと、どちらさま、は知ってるんですけどね。王女様で、ハル様の奥さんですよね。んー? あっ、はいはい、分かりました。以前に地下の仕事場に尋ねて来た貴族のお嬢さんでしょ! 小さい方の、お嬢さん」
「その通りなのです。あの時は名乗りもせずに、失礼をいたしました」
「あー、いえいえ、こちらこそ。思い返してみれば自己紹介なんかしてなかったですし、こっちも。いや、一期一会でもう会うことはないと思いましたからねー。しんみりキャンセルってやつです」
位置の都合上エメの近くに出現してしまったアイリは、てこてことハルの方へと寄って来る。
それを特に邪魔することもなく、エメは余裕の表情で待機していた。渾身の待ち伏せの策がご破算になったというのに、ずいぶんと態度にゆとりのあることだ。
「いったい何時から隠れてたんです? あ、もしかして、あの時に変身してイケメン貴族になってた力も、それと同系統ですか? なんとなーく、認識に干渉する魔法に見えますねー。あ、今のハル様がイケメンじゃないとは言ってませんよ?」
「会話の内容は絞ろうよ……」
「ハルさんは、優しいお顔ですよね!」
「ですです。言うなれば、甘いお顔。イケメンというよりは、可愛い?」
「……なんの精神攻撃だ。まあ、君の趣味はともかく、アイリが隠れてたのは最初からだよ。いや、最初というか、戦闘開始直後からだね」
「<転移>をすると、わたくしも一緒に付いてきちゃうのです!」
「なんすかその謎の設定は……」
どうやら、この仕様については初耳のようだ。様々なことに異様に詳しいエメだが、これを知らなかったことから、その情報ルートはある程度絞り込める。
恐らくは、神界ネットを覗き見する形での情報収集であろうとハルは当たりをつけた。
なのでそこにデータを上げていないことについては、知る機会がない。
さて、アイリがこの地へと来たのは、エメが塔の変形を始めた後、その塔内部から離脱するために、外へと転移した時である。
ハルが転移するとアイリが付いてくる紐づけを利用して、不意うち用に潜んでいてもらっていた。
この壮大な仕掛けを施したエメではあるが、その身は一般的なNPC。認識外からの攻撃には対処がし切れない。
「君の言うとおり、君の認識からアイリを完全に消し去った。これは僕やアイリを別人に認識させた魔法と同じだね」
「変だと思ったんですよねえ、あの時も。コアの反応がある気がしたんですが、いくら見ても皆さんは現地の人間で。いやー、私も耄碌したかと、少し心配だったんですが、謎が解けてすっきりしました! あはは」
「コアの気配、か。逆にそれはこちらが見落としてたよ」
「まあ、必然的に気配があればプレイヤーさんですよね。外見で見分けが付かない人も中にはいますが、わたしには一発です」
ハルとしても、そんな抜け道があるとは思わなかった。五感は完全に騙せているというのに、この世界には六感以降の感覚が多すぎる。
思い返してみれば、エメの喋り方がおかしかったのも、日本人的な喋りを多用していたのも、その違和感にカマをかけられていたのかも知れない。
「……いや、この子のことだ。普段から“こう”に違いない」
「なんかわからんけど勝手に不名誉な納得されたぁ! そして、たぶんそれは合ってます! にしし。あ、あと『この子』はないっすよハル様。わたし、今は見た目上ハル様より年上ですよ? あ、お姉さんより、年下の子が好みって意思表示です? 困ったな……」
「……困らせたのは悪かったけど、残念ながら雑談しに来たんじゃあないんだ、エメ」
ハルが視線を鋭くし、戦闘の意思を伝えても、エメは『んー』と更に困ったように首を捻るだけで普段の態度を崩さない。
まるで、もう戦いを仕掛けたのを忘れてしまったかのようにいつも通り。開始前の彼女の姿となんら変わらぬ態度だ。
しかし、油断はできない。ここから一瞬で豹変し、いや、“豹変する事すらなく”再び戦闘を開始できるのが彼女だ。
その内心を一切悟らせることのない完璧な肉体制御に、翻弄される訳にはいかない。
「えー? ま、ま、そんなこと仰らずに、しましょうよ雑談。わたしたちが争う理由なんて、もう存在しないんですから。あ、時間稼ぎじゃあないですよ? その証拠に、エメちゃん両手を上げてここを動きません!」
「部屋に入るなり攻撃してきた方の言とは思えないのです……」
「どの口だよね。まあ、その運動不足そうな体でどこまで腕を上げてられるか見てやるのも一興だけど」
「そんなー! まいったぜ、そんな落とし穴があったなんて……! でもまーそのくらいの余興はしてもいいっすよ。もう争っても一切わたしにメリット無いのは、嘘偽りない事実ですし」
「じゃあ最初から攻撃するなと……、待て……、『もう』、メリットが無い?」
ここで、ハルも彼女の語る論理に気づく。
先ほどまでは、ハルを妨害する必要があった。今はもう、その必要は存在しない、しなくなった。
それは、彼女の目的、日本への物質転送が、終了したということを意味するのではないだろうか?
「はいです。あ、お察しになりました? 流石はハル様。そうなんですよ。先の時刻をもちまして、アイテムの転送が全て終了しました! ……と、思います、たぶん。んー、ちょっと不安になってきたぞ? ねえハル様、様子確認してきていいっすか?」
それは、つまりは時間切れ。彼女を止めるのが、間に合わなかったことを意味するのだろうか。
*
「君の目的は、全て達成されたと?」
「はいっす! 今回持ち込んだ十六のアイテム、それら全てが、これまでの間に順次日本へと転送されました。ハル様はわたしが要塞を動かしながら転送はできないと踏んでいたみたいですが、甘かったですね! 時すでに遅しでした!」
「……いや、それならば、やはり急いでよかったと言える。僕はギリギリ間に合った訳だ。君が勝ち逃げする前に」
「そんなー。今回はわたしの勝ちってことで、さわやかに見逃してくださいよー。スポーツマンシップの精神ってやつです。次回の対戦のとき、またよろしくお願いします!」
「いや見逃すはずないだろ……」
もし虚言でなく、本当に転送が完了していたとしても、『はいそうですか』と降参する道理は無い。『次は負けませんよ』と素直に見逃す道理も無い。
これは勝利条件を満たせば一場面が終了するゲームではなく、あらゆる要素が連綿と連なる複雑な話だ。
どんな結果であろうと、ここで彼女を捕らえるのは決定事項だ。
単純に、次の目論見をさせないことになるし、今回の目論見だって取り消すことが適うかも知れない。
「転送が完了したっていうなら、余計だよ。何を思って、どのように転送したのか吐いてもらわなきゃ」
「むむむっ、それは困りますね。何処に転送したのか喋らせて、現地でアイテム回収する気ですね? ずるいなーハル様は、チートだなー。自由に日本と行き来できるとか、まじありえん……」
「いや、『何処に』はこの際、重要じゃない。君が、何を目指して今回動いたのか知りたくてね」
「おや? 回収しないんですか? ぶっちゃけ今ならわたしも、誰か拾ってくれたかどうか、確認出来てないんで間に合う可能性ありますけど。あ、でもえっちな拷問は、心の準備が……」
なおも軽口を叩くエメだが、逃げようとする気配は微塵も感じられなかった。
確かにこの部屋は袋小路でありハルの足止めも失敗したが、それだけで簡単に諦めるタイプとも思えない。
確実に、彼女には次の計画もあるはずだ。ここで捕らえられてはそれが遂行できなくなる。
しかし、エメは余裕の態度を崩さない。そして、先ほどの宣言の通り、ハルたちとここで雑談して過ごそうというようだった。
もはや、時間稼ぎの必要などないというのに。
ただ本心から雑談が、ハルとの対話がしたいとでも言うように。
「あ、そうですそうです! 世間話の中から、推測してくださいよハル様! ね、ね、王女様! 旦那様ってそういうの、得意なんですよね?」
「ええ、何故か言っていないはずの内容まで、顔色から読んでしまう凄い力の持ち主なのです!」
「そんなにまで雑談がしたいのか……」
最初に地下で出会った時から、彼女は会話することにこだわった。それは、百年の孤独を埋めるための彼女なりの手段なのだろうか?
ここにきて己の全てを知るハルが、何一つ隠し事をせずに済む相手が現れ、その欲は更に加速したのかも知れない。
しかしその必死さがまるで、『別れ際の最後の望み』だというように聞こえて、そういう意味でもそれに乗ってやろうという気は起こらないハルだった。
なんだか会話に満足したら、そこで彼女が消えてしまうような気がしてしまうのだ。
だが、エメの押しの強い喋りは止まらない。このままでは彼女の目論見通り。
それを遮るためにはどう答えたものかとハルが頭を悩ませていると、そこに唐突に、この場に居ないはずの第三者の声がかかる。
「話してやる必要はありませんよーハルさんー。まったく、話したいなら、戦闘なんか仕掛けるんじゃないですよー、もー」
まるで天の助けのようなそのタイミング。もはや翼の無い彼女だが、ハルの目には救いの天使に映るのであった。
◇
「なにやつ! って、カナリーですか、貴女? うわぁ、びっくりしたなぁもう。驚きですねその姿、いえ、見た目は大して変わってな……、いやちょっとふっくらした? ハル様の趣味でしょうか!」
「太ってませんー! そーですよー? ハルさんは、ちょっとぷくぷくした女の子が好きなんですよー?」
「うん、カナリーちゃん、旧友に見栄張って僕に流れ弾飛ばすのやめようね?」
「というかですねー。姿でいうなら、エーテルの方がびっくりなんですがー?」
「そこはほら、自分で自分、見れないですし」
天の救いたるハルの神様は、エメに負けないくらいのマイペースで場をかき乱す。
図らずも、この場には人間へと転じたかつての神が二人揃ったことになる。エメにとっては、久々の同僚との再開でもあった。
「それでカナリーは、どうやって来たんです? ここって、転移してこれる状態に整ってるようには見えないんですが」
「そもそも私はもう魔法自体が使えないので関係ないですねー。ハルさんの居る場所なら、どこでも出て来れるんですー」
その常識外の発言に、『うわ、こっちもチートだった』、と珍しく短くつぶやいてエメですら閉口する。
その自由過ぎるカナリーの登場に、場の空気がエメのペースから傾いた。
彼女がここへ来たということは、こちらも計画の完了を意味する。ここで、一気に勝負をかけるとしよう。
ハルがその意思をカナリーへと伝えると、彼女は首にかけてきた可愛らしい大き目のバッグから、おもむろに中身を取り出していった。
「そうそう、エーテルが日本に送りやがったアイテムってー、これで合ってますかー?」
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2022/7/21)




