第430話 彼女の罪
「不思議だとは思いませんでしたか? 機械文明がなく、地球のことを正確に知らない異世界の者達が、ピンポイントで正確に、生命線たる精密機器を狙い撃ちにできたことが」
「そりゃね。ただ、不思議なことはそれだけじゃなかったから。……その、原因を作ったのが、君だっていうの?」
「はい」
神妙な顔でエメが頷く。にわかには信じがたいことだ、これも。
少し行き過ぎなところもあるが、エメは、エーテル神は誰よりも日本人のことを重要視している。その仕事ぶりは、これまで他の神からハルも幾度となく耳にしてきた。
そんな彼女が、日本に未曾有の大災害を引き起こしたなど、それこそ不思議で信じられない話だった。
「へえそうなんだ、と、二つ返事で信じることは出来ないな。口ぶりからすると、君が望んでやった訳でもないんだろ?」
「いいえ、望んだんすよ、わたしが。望みました。『現行の文明が一度リセットされれば楽なのに』って。その願いが、叶ってしまったんです。それが、あの災害になったんですハル様」
「要領を得ないな……」
望んで叶えばカナリーも苦労しない。今の段階では、彼女が必死に自分の責任にしたがっているようにしか聞こえなかった。
ハルは黙って続きを促して、エメが詳細を語るのに耳を傾けた。
「まずそこから話しますか、私の願いから。といってもそれは単純、己の職務の延長です。当時は、願ってるなんて意識はなかったですね。ただ己が作り出されたその仕組みに従ってました」
「君の、いや僕らの存在理由。エーテルネットの管理」
「ええ、そのとーりです管理者様。あなたがた上位端末を頂点にして、通常端末たる一般の人々がつつがなくネットを利用できるよう、ネットワークを万全に管理するのが我々の使命。うーん、我ながら仕事人間でしたねー。人じゃないけど、えへ」
小粋な神ジョークにもキレがない。きっと、出来ればこの話は誰にも語りたくはなかったのだろう。
他の神に一切相談することもなく、たった一人でずっとその贖罪の念を抱いてこれまで奔走してきたのだ。
そんな彼女は、なおも続ける。
「その仕事人間のわたしにも、解消できない悩みがありました。なんだと思います、なんだと思います? あ、こっちに来て、元の世界に帰れない~ってのはハズレですよー? それは前提ですからね」
「悩みね、それはもちろん、仕事に関することなんだろうね」
「そっすねえ、エーテルネットを管理すること以外、何も知らない人でしたから。今思えば、思考停止してたんですよねえ、わたし。だってカナリーは、当時からハル様のことばっかり考えてたでしょうから」
「……そうだね。カナリーは凄いよ。そして君だってすごい。僕こそ本当の思考停止さ。『待機』のコマンドを、ひたすら遵守し続けてたもの」
「お、自虐合戦ですか? 負けませんよ! 何せわたしの方は、何もしないほうがマシでしたから、えへへ」
「……お二人とも、脱線はほどほどに。私も、思考停止の自虐ネタならば少々自信がありますよ。加わりましょうか」
「おおっと! すんません空木ちゃん!」
無意識に話をそらそうとする二人を、空木が引き戻してくれた。
この目的意識の曖昧さは、あの研究所の出身者が持つ妙な共通点とも言える。そして、エメの出した今のクイズの答えもそこにあるだろう。
要するに、仕事人間が仕事をしたくとも出来ない状況。
「僕らが管理すべきエーテルネット。それが当時の日本では、一切普及していなかった」
「大正解! そーなんですよねぇ、致命的です、仕事人間にとって。わたしの使命はエーテルネットを管理して、日本の人々に奉仕することなのに、当のネットは未実装! これでは使命は果たせない!」
「……当時、『ネット』といえば機械端末を介したインターネット。その支配の牙城は圧倒的で、いかにエーテルネットが画期的な技術革新といえど、成り代わるのは至難だった」
利権、利便性、入れ替えコスト。様々な問題が、研究中のエーテルネットに逆風となる。
いかに未来を感じる新技術といえど、実用後すぐにインターネットを越える便利さを発揮できる訳ではない。
脳に直結したネットであり、人体に入り込むという不安感もぬぐい去るのは一筋縄ではいかないだろう。
実用化への課題は山積み。あのまま、お蔵入りとなる可能性も十分にありえたであろう。
「……“なんらかの事故や事件があって”、“当時のネットが使用不能にでもなれば”、その時はあの研究所に、一気に出番がやってくる」
そのように、つい妄想をしてしまった職員は、きっと一人や二人ではあるまい。そして。
「はい。わたしも、つね日頃からそう思ってました。いえ、願っちまってましたね。『ああ、電子機器が一斉に使用不能になればいいのに』、って」
◇
今の社会が転覆してしまえばいいのに、という暗い願い、妄想。それが彼女の神としての望みだったという事はハルも分かった。理解した。
しかし、それがどうしたというのだろうか? 願っただけで叶う能力があるなら、ハルも苦労しない。エメもこんなに面倒な手を使う必要はない。
故に、彼女の願いが現実に影響をもってしまったのは、この街で起きた事故に起因するものなのだろう。
ハルは改めて、周囲の建物を繋ぎ合わせて作られたエーテルの塔を見渡す。
今は住む者の居なくなった家々が、巨大な通路として再編されている。この家が実際に使われていたかつて、エーテルはこの街でどうしていたのだろう。
そのハルの内心に答えを返すように、エメの語りは続いていった。
「この街が生きていたころ、わたしはまだ体を持ってませんでした。あ、この体じゃないですよ? いわゆる幽体、神としてのボディです。その辺をふわふわと漂う、幽霊みたいな存在でしたね」
「カナリーたちからも聞いたよ。かつての自分たちは精霊のようなものだったと」
「私も、つい最近まではそうでした。そしてマスターからこのお体をいただき、こうしてここに在るのです」
空木が、自分のその小さな体に手を当てて、誇らしげに胸を張る。
その様子を眩しそうにエメは見ているように、ハルの目には映った。
今は自分は更に先の段階、人間としての肉の体を得ているというのに、遠く手の届かない存在でも眺めるように、エメはその目を細めるのだった。
「……その幽霊のわたしが、この街にあの時期に、都合よく存在していました。都合悪く、かな? 当時のわたし達はあの星の調査中。手分けして、各地を観測して回ってました。自然の様子を探る者、魔力そのものを解析しようとするもの、人間を、探る者」
当時、まだ個別の名も持っていなかったAIたちは、各地を飛び回るように魔力の中を泳ぎ、情報収集に明け暮れていた。
その中で、エメの前身であった精霊体は人の営みに目を付けた。
人間の観察をした神は多けれども、その文化に焦点をあてた者は少ない。それよりも、優先順位の高いのは彼らが行使する魔法の技術であるからだ。
そんななか、エメはこの地の人間の言葉を解読し、彼らのやりとりする情報に探りを入れて行った。
「ほら、幽霊でしたから、わたし。全てのセキュリティは意味を成しません。秘密情報なんのその、わたしの前では丸裸どーぜんです。そこで、周到に隠蔽された秘密の実験を探りに来たんですねー」
「あの地を選んだのは、偶然じゃなくってきちんと意味があったんだね」
「ただ、ちょーっと時期が悪かったです。そこは、偶然でした。偶然、実験が佳境も佳境、そんな時期に折悪く行っちゃったんですよねぇ……」
そうして、彼女は転移実験に巻き込まれることとなった。
「それは分かった。いや、経緯はともかく、以前から状況は理解してる。しかしそれが、何で罪になる? 君の無事を喜ぶ場面じゃないのかな」
「……んー、ハル様、きっともう分かってて言ってますよね。聡明ですもん。でもお優しいから、100%確実じゃない限り、わたしを庇ってくださるんだ。論理的にいきましょうよ、ハル様。もう状況証拠から、わたしが原因でしかないじゃないですか」
エメは降参のポーズを取るように、両手を大げさに上げて首を横に振る。
そこまで要因が揃っていては、もはや気休めなど無意味とばかりに。
「魔法を組み上げた、彼らの技術は未熟。地球のことも、次元の壁のことも知らないんですもんね。そりゃ失敗しますよ。地図もコンパスも無しに、大航海時代を開幕するよーなもんです。そりゃ沈みます」
「だが困ったことに、魔力だけは潤沢にあった」
「はいっす。困ったことに。そして困ったことに、都合よくわたしが居てしまった。私はいわば幽霊で、魔力に直接乗ってる存在でした。人間よりずっと親和性があります。そのわたしが、指向性を与えてしまった。コンパスに、なっちゃったんです」
つまり、彼女の話を総合すると、その実験は本来、何処にも届かないはずだった。だがそこに彼女の存在が加わることにより、地球への道しるべとなる。
加えて、その魔法に明確な効果も与えてしまった。
彼女が当時の電気文明の崩壊を妄想してしまっていたがために、それが効果内容として明確な形を持ち、莫大な魔力を指向性を持った大規模災害へと変えた。
……前者はともかく、後者は説得力の高い内容であるとハルも認めざるを得ない。
空木に与えられていた内容から、当時の住人、ハルたちが古代人と呼ぶ人間たちの地球への理解度を聞き出せている。それはお世辞にも成熟した内容とは言えない。
地球人から魔力が流れてくることから、次元の先に居るのは自身と同じ人間ではなく、神の如き存在だと思っていたようだ。
魔力は、神の夢が漏れ出た物であると。
そんな者たちに、ピンポイントで電気文明に致命傷を与えることなど到底考えられない。
ならばエメの言うように、彼女の妄想が、莫大な魔力を対価に実現してしまったという考察は、納得せざるを得ない内容に思えてくる。
「ねっ、大罪人でしょ、ギルティでしょ、ハル様。だからわたしは償いをしなきゃいけないんです。あの世界の人々に、電気文明が終わって良かったんだって、今の世界になって幸せなんだって、そう思って貰えるように、素敵な世界にしなきゃいけない義務がある。それが、ひとつの時代を終わらせた者の責任なんです」
「そんな責任は無いよ。いや、それは、傲慢な考えだよ」
「そうっすね、『神様にでもなったつもりか』、って感じですよね。でも残念! わたし、神様だったんです! にしし!」
そうやって、歯を見せてエメは笑う。
完全に空元気だろう。その態度はよどみなく、自然に、完全に楽しげな態度を演出している。この場においては不自然なほど。
ハルには分かる。これはオート制御によって肉体を稼働させているものだ。ハルが自動的に、優等生として授業を受けているように。
彼女の心は、この陽気な仮面の内側で何を思っているのだろう。これから、何を成そうとしているのだろう。
そこに踏み込む勇気が、今ハルには必要とされているのだった。
※誤字修正を行いました。
追加の修正を行いました。報告ありがとうございます。(2022/7/1)




