第425話 天球儀
「ようこそおいでくださいました!」
扉を開けるや、ハルとアベル王子に元気よく挨拶してきたのは、研究者と言うには如何せん体格のがっしりとした男性であった。
前情報の通り、責任者にしてはずいぶんと若い。しかしながら。
「……アベル、陰気って?」
「……陰気だったんだよ。少なくとも前はよ」
ハルに向け爽やかな笑みを送るその姿は、どう見ても気さくな体育会系。アベルが先ほど言っていたような、陰気な研究者といった雰囲気はまるで感じられなかった。
……いや、よくよく観察してみると、彼のこの態度は空元気であると分かる。
身だしなみも服装もしっかりと整えられているが、それでも普段の習慣は隠しきれない。
髪の毛のセットはよく見れば多少の無理を生じ、ところどころが流れに逆らおうとしている。服も同様、シワを強引に慣らした跡が見受けられる。
靴など、適当なものが無かったのか買いたての新品というアンバランスさだ。
そんな、足元を見るような観察眼を態度に出してはこちらが失礼だろう。ハルは感じ取ったその違和感を一瞬で表情から封印する。
きっと突然の訪問に合わせて、慌てて正装を整えてくれたのだから。
そんな彼が上機嫌に挨拶に来たのは、この国の王子たるアベルではなく、まずハルの方だった。
「お初にお目にかかりますゼファー卿、本日は、どうぞ宜しくお願い致します」
「こちらこそよろしく、所長さん」
ゼファーというのは、この偽装した姿のハルの偽名だ。謎の新興貴族として来たにも関わらず、異様な所長の歓迎ぶりであった。
彼がアベルの言うような陰気な態度ではないのは、どうやらハルの存在あってのことらしい。
何らかの理由でハルを歓迎するあまりそうなったのか、はたまた、逆にアベル一人の場合は、陰気に見えてしまうほど歓迎されていなかったのか。
現に今も、露骨にハルの方ばかり見てアベルと顔を合わせようとしない。
貴族的な礼儀に無頓着なアベルだから良いものの、王城内でこんなあからさまな態度を取っては、場合によっては進退に、酷い時は命に関わるのではないだろうか。
そんなハルの懸念もつゆ知らぬ顔で、所長はひととおりの挨拶口上を終えると、装置の準備をすると退室して行くのだった。
「陰気なんじゃなくて、アベルが嫌われてるだけだったね」
「お前が無駄に好かれてるだけだろ? なにやった、また賄賂か?」
「だから人聞きの悪いことを言うなって。自分を閑職に追いやった王族が嫌いなんじゃないの」
「いいや、誰に対しても態度悪かったぞ所長。……心当たりは?」
「……そうだね。少し怪しくはあるか。僕が使徒だとバレている、とか?」
研究員の話でも、プレイヤーの来訪を察知すると、ふらりと現れるらしい。そういった意味では、彼への疑念は強まったと言っていい。
所長が上機嫌だったのは、プレイヤーが訪れたから。そう考えれば、一応の説明はつく。
「ただ、普通の人間だったんだよなあ彼。神の気配とか、干渉の痕跡とか、一切感じない」
「そりゃあ、今までずっと誰にも知られてないんだ。そう簡単にボロ出さんだろうよ」
確かにアベルの言う通りなのだが、それでも今のハルはこの世界の誰よりも神に慣れ親しんだ人間だと言い切れる自信がある。
加えて、今この瞬間もハルの視界を通して神々がこの現地を観測中だ。
そんな彼らの見立てにおいても、所長の判定は完全に白。単にハルを自分の新たな後ろ盾にしようと、態度を良くしているだけという予測が立っていた。
ハル自身も、その予測は間違っていないように感じる。
しかしそれだと、手掛かりはまだ何も無しということになる。気合を入れていたのに、何だか肩透かしを食ったような気分のハルだった。
「……どうするハル? もしアイツが想像通りの黒幕なら、現状は一方的に先手を取られた状態になるぞ」
「まあ、そうなるね。僕は一つも情報を掴めず、向こうは僕がプレイヤーだと感づいてる。良くない状況だ」
「止めっか?」
「いいや、このまま行こう。向こうが感づいたってのも、ただの僕らの憶測なんだ」
「そうだな。自分の影に怯えてちゃ、武人は務まらん」
「面白い言い回しだね」
こちらの世界のことわざだろうか。そのあたりの文化にも最近は興味を感じているハルだった。
言葉といえば、短い時間で挨拶を交わしただけだが、所長の言い回しは特に変な部分はなかった。やや演出過剰のきらいがあったが、それは庶民の出であり貴族の流儀に慣れていないせいだろう。
そういった意味でも、現段階では彼よりも研究員の女性の方が怪しく思える。
彼女は今日も地下に居るのだろうか? もし居れば、今日はもっと注意深く言葉に耳を傾けてみよう。
そう方針を立てて、ハルとアベルも部屋を後にし、城の地下へと向かうのだった。
*
研究室の職員を名乗る数名の案内人に導かれ、ハルとアベルは地下への階段をゆく。
新顔たる彼らもまた、ハルや神様にはただの人間、通常のNPCとしか感じられなかった。こちらは、初対面の王族であるアベルに緊張しっぱなしの、一般的な反応だ。
「そういえば、なんで『研究室』なのに『所長』なんだろう……? 君たちは何か知っているかな」
「そこ重要かぁ? どーだっていいだろハ、ゼファーよぉ」
ハル、と無意識に言いかけたアベルに苦笑いを送り、かちこちに緊張した案内の職員に語りかける。
どうやら、この遺産研究の組織は設立の際に利権がらみでひと悶着あったらしい。名称の決定もその際に、各方面で勝手に決めたり勝手に任命したりで、バラバラになったのだとか。
「わたくし共は、当時を知りませんので、申し訳ないのですがこれくらいしか……」
「更に詳しくお知りになりたければ、エメ先輩にお尋ねください。開設メンバーだと聞いております」
「エメ? 例の栗色の髪をした女性かな」
「おう、確かそんな名前だったな。いつもの奴だ」
アベルに確認するふりをするハルだが、当然事前に名前は知っている。魔女ルックの彼女のことだ。
あの時は互いに自己紹介はせずに分かれたが、ハルたちプレイヤーにはAR表示でNPCのステータスを透視する機能がついている。
どうやらその複雑な利権の絡まった研究室は最終的に、本人たちにもどのような処理をすれば良いのか不明となり、宙に浮いた部署になってしまったそうだ。
その為、人の出入りは非常に流動的で、配置に困った人間を一時的に押し込める場所になったのだとか。彼らは自嘲気味にそう語った。
成果を出したは良いが庶民のため扱いに困る所長をはじめ、色々と理由あってここに流れてくるらしい。
案内の彼らも、それぞれ何かしら事情があるようだ。
「じゃあ、実務的にはその彼女が一手に引き受けてる、ってことか」
「はい。お恥ずかしながら、エメ先輩が居ないと何も出来ないでしょう、我々は」
慌ただしく人の入れ替わる腰掛の部署。その中で一人だけ、それを見守り続けるエメ。
つまりは彼女自身が、その研究室そのものであり、核であると言える。
「どこかで聞いたような話だな」
「どこでだ?」
「いや、こっちの話」
正しくは、『あっちの話』、だろうか。
ハルの居た研究所がゆるやかに解体されてゆき、病院施設に代わっていって、中のスタッフが全て入れ替わっても、ただ一人変わらずそこに残った者が居た。
人の目を避けながら、時にはこちらから干渉してスタッフを長く留まらせないよう入れ替えながら。
ハルはただ一人、あの山中の研究所の、その後を見守り続けた。
そんな、自身の境遇とエメのそれを重ね合わせるハル。そこになんだか、奇妙な共通意識を感じてしまっていると、アベルが無言で視線を送ってきている所だった。
それに頷く。今の話を聞いて、『どう考えてもエメが怪しい』、と感じたのだろう。
確かに、そう聞いてしまうと、彼女以外に該当者は居ないように思えてくる。
しかし前回の邂逅においても、神界の調査においても彼女は完全な白、という前提が邪魔をする。
何にしても、実際に見てみないことには始まらない。
流動性が高い部署ということは、それだけ外からも自然に紛れ込みやすいとも言えるからだ。
ハルは余計な先入観を極力捨てて、その遺産の安置されているという地下室の扉をくぐるのだった。
*
「どもども、久しぶりっすねー王子様! あれ? そんなでもない? そういえば、最近会ったんですよねーって話をしたばかりな気がしますね。デジャヴって奴ですかね、これ」
「良く分からんが、確かに先月来たばかりだ」
「おやおやおや、どうしたんですかねぇ。ご自慢の聖剣になんか不具合とか? それだと困っちゃいますねえ。わたしらじゃ逆立ちしても直せませんぜ」
「エメ、隣の方に挨拶が先ですよ。失礼をするな」
部屋に入るや否や、先日の彼女が、先日と同じようにまくしたてて来た。
相変わらずのようだ。数日しか経ってはいないが、変わりないようでなによりである。ハルは何となく、彼女のその調子に安心感を感じるのだった。
とはいえ、それを態度に出すわけにはいかない。今の見た目では初対面なのだ。
今日も同じ魔女風の衣装の彼女、エメも所長に注意され、改めてハルの方を向くと小首をかしげた。
「むむむ? どこかでお会いしましたでしょうか? あ、いやナンパ的な口説き文句じゃないっすよ。なんとなーく、既視感ってやつが」
「……いえ、顔を合わすのは初めてになりますね。ゼファーというものです」
「本日は、この方が魔力資源の提供をしてくださるのだ。失礼をするなと言っているでしょう」
「おー、太っ腹なお大臣はこの方か! 痩せてるけど! 協力に感謝しまっす! あー、だから所長がやけに気合入ってるんですねえ。あわよくば取り入って返り咲きを? あ、それとも今日で実験を成功させてお手柄に?」
「よさないか!」
歯に衣着せぬとはこのこと。皆、薄々分かっていながら口にはしない暗黙の了解を、ずばずばと口に出していくその様は、小気味良く気分の良いところもある。
しかし、そのリズムの良さに聞き入っている場合ではない。彼女の言葉は、やはり冷静に聞いてみれば変だった。あまりにハルの耳に馴染みすぎる。
例えば、『ナンパ』などとこの世界の人間は普通言い出さないだろう。
しかし、相変わらず彼女からも神の関わっている反応は見られない。
もう少し情報を引き出してみようかとハルが思ったところで、所長から中断の横槍が入ってしまった。
タイミングが悪いが、責められはすまい。きっと誰だってそうする。ここで所長を止める方が不自然だ。
「申し訳ございません。すぐに、黙らせて準備をしますので……」
「気にしてないですよ。元気な方ですね」
「いやー、それがですねイケメンのお兄さん。って、んん? 最近イケメン多いな……、ってすんません所長。すぐに起動チェックしまーす」
ばたばたとせわしなく、遺産の方へと駆け寄っていく研究員。
所長がはらはらしているが、特にこんな事で評価を下げはしないハルである。上げもしないが。
その向かう先、部屋の奥に鎮座する物体に掛けられた布を、彼女が一枚ずつ取り払っていく。
中から出てきたのは、人間の胸の高さ程度はある大きめの遺産だった。中央に球体があり、その周りに輪が取り囲んでいる。天球儀、といった形だ。
それに、おっかなびっくり、といった態度でエメが手の先から魔力を発してテストしている。
すぐにそれは内部へ吸い取られ消えてしまう。量がまるで足りない為か、その遺産からは特に何の反応も返ってきていないようだった。
ハルは<神眼>を全開にして、その様子を観察する。
「よーしよし、今日も大飯ぐらいですね。反応は変わりないようですよ! ……で、これホントになんとかなるんですかお兄さん?」
「ああ、今日はそのためにいっぱい持ってきたから」
後ろに控えるアベルの従者に合図を送ると、彼が運んできた荷物を持ってきてくれる。
その中には、ぎっしりと、こちらも球体状のアイテムに詰まった魔力の塊が入っているのだった。なんということはない。モノの戦艦ショップで買える回復薬を詰め変えただけだ。
それを一つ取り出して、ハルは装置へと近づいて行くのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告ありがとうございました。(2023/1/4)
追加の修正を行いました。「さっち」→「察知」。誤字ではないのですが、ある意味誤字以上に間抜けですね。(2023/5/14)




