第418話 再びの瑠璃の国
瑠璃の国の国境沿いの街。梔子との境界線のほど近く、少々挑発ぎみに作られたこの土地に、今はハルが一人で来ている。
アイリとユキはお留守番、いや正確に言えば、今もハルの本体と共に休憩中だ。
ここへは、久々にハルがゲームキャラの体、分身にて訪問していた。通常のゲームプレイと同様の状態で訪問するのは本当に久々であった。
認識阻害の魔法の習熟と神々の協力により、ついに神気の威圧感を完全に抑えることが可能になったハルである。
王族であるアイリをおいそれと連れて来れる場所ではない。かといって、首都に赴いた時のように周囲の認識を捻じ曲げる魔法を使っては、アベル王子と会うことが適わない。
仮にも王子、正体不明の人物が急に訪ねていって、会ってもらえる訳がない。あの魔法は結局、周囲の視線を気にせずに街中を散策するためのものだ。
完全に周囲からの認識をはじいてしまえば不法侵入にも使えるが、それはそれ。
「僕が最初に来てから一年弱。あの時より、ずいぶん活気付いたように見える。アベルの手腕か、それとも」
それとも、彼のファンクラブという、大規模なプレイヤー集団が拠点としているためだろうか。
彼女らはアベル以外をないがしろにしている訳ではなく、むしろ街の住人との交流も盛んだ。積極的にこの世界の文化を取り入れ、それを楽しんでいる。
むしろ、最近はそちらのほうが活動の主流であるようだった。
何せ相手は王子、おいそれと会える相手ではなく、行動の詳細も機密のため不明瞭。
自然、ファンとして熱を入れる対象が存在しない時間が多く、その時間は有意義なことに使いたいとプレイヤーとしては思うだろう。
結果、目的を同じとして集まった仲間と、共同で何かをする楽しみを見出して、それに熱中する者たちが多いらしかった。
中でも料理関係には力が入っているようで、積極的にこちらの世界の味を取り入れ、また日本の味をこちらに普及させ、と現地との交流を盛んにしているようである。
その成果は、カナリーのためにギルドホームで祭りを開いた際に、出店として披露してもらい、ハルも良く知るところだ。
「これなんかも、あっちの物じゃないか。異世界エンジョイしてるなあ……」
「お、兄さんも使徒さんかい? そうさ、これはあの子たちが広めたものでね。結構人気なんだぜ?」
ハルがなんとなしに立ち寄った雑貨店で、手に取った美容器具。
それはどう見ても日本のもので、各国の品々が一同に会する梔子の首都であっても見られないものだった。
それを手にひとりごちると、店員らしき男が反応する。
どうやらこれは、やはりファンクラブの活動により広められた商品のようだった。
こうした、日本の文化が進んだ部分を優位性に商売する方法は、商人系プレイヤーが取る手法だと思っていたが、どうやら行動力と数の力は、商人を上回っているようだ。
ハルはせっかくなので、現地民代表の彼から話を聞いてみることにした。
「この街もずいぶん変わりましたね。それも彼女たちの影響で? それとも新しい代官様が優秀なんでしょうか?」
「なんだ兄さんやけに詳しいな。以前のここも知ってんのか」
「ええ。最初の頃……、僕らが来て間もないころに、少し立ち寄ったんですよ。宿を取ってすぐに発ってしまいましたけど」
「はー、まだ俺らがあんたらの存在を知らない頃だ。正解だったかもな。ここは当時はお世辞にも良い町とは言えなかった」
知っている。非常によく知っている。
中央から遠いからと不正や横領が日常的に横行し、治安もあまり良いとは言えなかった。
そういった証拠をハルが超能力スキルを駆使して収集し、全てアベルに渡してやったのだ。
それにより当時の領主はここに構えていた領地を没収され、王家の直轄地となった。
次の領主はその手柄への褒美として、そのままアベル王子に与えられた、という流れである。直轄地を増やしたい王家の思惑と上手く一致した形だ。
「王子サマが領主になってな。最初は隣と戦争かと身構えたもんだが、むしろ中の生活に力を入れてくれて、そんであの子らが来て、とんとん拍子だ」
そのアベルは、ハルとの決闘に負けたことで掛けられた<誓約>によって、梔子との戦争が禁じられている。
ある意味、梔子にとって都合の良い傀儡政権を置いた形になっている。
「よかったですね」
「おお、本当にな。何せ軍備なんてまるで無い町だ。戦争になったら準備だけで餓死者が出るわ」
しかしそのことは、この地の住人にもプラスに働いたようである。
国境沿いだから、当然他国との摩擦に備えている、とも限らない。この土地は特殊だ。
何故かといえば、ゲームが開始する寸前まで、梔子の国は不可侵の協定が神により定められていたためである。
内容は、『梔子の国境線は動かすことなかれ』。ここ瑠璃の国は範囲外だが、逆に解釈すれば、あちらから攻めてくる危険もなかった。
なので、そんな危険の低いものに備えるよりは、自分の懐を肥やすことに熱心だったという訳である。
そんな準備が不十分な状態から徴兵、戦費の徴収、兵站の徴収、となれば彼の言うように生活が立ち行かなくなる者も出ただろう。
実は前の領主がそのままならば、欲に駆られてそうしていた可能性もあった。無計画にもほどがある。
「それが今はこうよ! 女の子たちも王子サマのためってんで、街をでっかくしようと躍起だしな。ちと遊び感覚が強すぎてひやひやすっけどな、はは!」
「勢いってのは大事ですからね」
遊び感覚というよりは、完全に遊びだ。ファンクラブにとっては、ゲームのステータスを上げるように街の規模も発展させられる。
そこに躊躇はなく、普通なら二の足を踏むところでも一気に突き進む。その勢いに押されて、かつての暗く閉塞感のあった街は、活気溢れる様変わりを見せたのだろう。
今も、見回せばすぐにプレイヤーの姿を見つけられる。あちらも遠巻きにハルの存在を認め、話しかけるか否か考えているようだ。
これでは、犯罪も犯せまい。プレイヤーに見とがめられれば、即座に神に通報される。
「なんだ、兄さん有名人かい? ニクイねぇ、女子の視線が熱いぜ」
「まあ、それなりに。じゃあ、捕まる前に僕はこれで。お話ありがとうございました。これ、情報料に」
ハルは気さくな店員にそれなりの硬貨を手渡すと、あまりプレイヤーの視線を集めてしまう前にそそくさと雑貨屋を後にするのだった。
*
明るく様変わりした街をハルはゆく。ゲームのクエストの感覚で積極的にプレイヤーのボランティアが入り、その力が存分に奮われた結果、この地は急速な発展を遂げた。
ハルも、かつてのカナリーに、『街づくりゲームが好きならばこの地で実際にやってはどうか』、という内容を何度か言われたものだ。
正直、興味を引かれなかったといえば嘘になるが、きっとハルではこうは行かなかっただろう。
物理的に出来ないという話ではない。規模だけなら、この街の数倍のものをハルは一夜で建造できる。
または領主のように全体の指揮権を得た場合も、徹底的に効率化を図り、ここよりもっと発展した街にできる自信はある。
しかし、ハルは一人だ。彼女たちのように、住人と一体になって、こうして共に発展して行くということは出来ないだろう。
「そこは少し、羨ましくもある」
適当に入った店で買った、こちらの素材で作った日本風のパンをほお張りながら、そんな無いものねだりをするハルだった。
そう、無いものねだりだ。ことさらその立場が欲しいとは思わない。ハルには、彼女たちが居るのだから。
「……そういう意味では、アベルも一人だ。そして、あいつはその道を選ばざるを得ない」
領主として、彼の手腕で発展したとされるこの街だが、アベル王子もまた住民と交わることはない。
ファンクラブの前にも、どうやらあまり顔を出すことはなく、彼女らは熱狂する対象の不在にそのエネルギーを持て余しているようだ。
その結果がこの発展度合いなので、もしそれを狙ってわざと引っ込んでいるなら大した策士だが、そういう事ではあるまい。
粗野な態度を装っているが、彼も王族だ。基本的に、おいそれと人前には出ないものだろう。
「さて、そんなアベルに、どうやって会うかだけど……」
活気づいた街をぶらぶらと見学しながら、彼の居るであろう領主館の前までやってきたハル。
買ったパンを詰め込み終わると、もぐもぐと咀嚼しながらお行儀悪くその庁舎を見上げる。
勢を凝らした豪奢な造りは、前任の領主の趣味だろう。
アベル王子の気質には合わず、渋い顔をしているのだろうな、とハルは笑いをかみ殺す。
そんな館の門前まで、とうとうハルは無策でたどり着いてしまった。
「こんにちは」
「…………」
「はい、こんにちは。ここは領主様、アベル王子殿下のお屋敷になります。本日は、いかなご用件でございましょうか」
門を固める兵士に、自然な態度で挨拶を交わすハル。
あからさまに不審者なハルの来訪に、兵士の一人は表情を渋くする。申し訳ない。確実に彼らにとっては厄介ごとであると断言できる。
そんなハルにも丁寧に対応してくれたもう一人の兵士のためにも、穏便にすませようとハルは肝に銘じておいた。
「そのアベル王子と面会希望なんですが、取り次いでもらえますか?」
「おい貴様、ふざけたことを言うな。相手が誰だと思っている」
「まあまあ、任せろって。……お客様は使徒様ですね? 申し訳ありませんが、いかに使徒様であろうとも、王子にお取次ぎはできかねます。ご理解いただけますでしょうか」
やわらかく、事務的な対応。これは『対・使徒用マニュアル』のようなものだろうか。
もう片方の兵士のように、『ナメた事を言うな平民』、といった威圧はプレイヤーには通じない場合がある。
その際に、日本人である彼らには、そうした事務対応で丁重にお断りした方が効果的なのだろう。
利益の享受も、不利益の排斥も、こうして徐々にこの地に浸透して一部となっている様子に、ハルは言いようのない感嘆の念を抱くのだった。
「まいったね、どうも。顔見知りが居ればよかったんだけど。アポ取るのはめんど、時間が無いしなあ」
「……面倒は重々承知しておりますが、どうかアポイントメントを取得して、後日おいでください。その際は、この門もお客様を歓迎し、快く開門することでしょう」
「あ、そうだ、巫女は居るかな? ヒルデ、じゃあなくても別に良いけど」
「重ね重ね申し訳ありませんが……」
困った客である自覚はしているハルであるが、ここで大人しく帰ってしまうと、次に取る手段が一気に『不法侵入』になってしまう。
そうなると、彼らにも余計に迷惑が掛かることになる、といった自分勝手な理屈で、ハルは踵を返すことなくこの場に居座っていた。
威圧担当の兵士の顔が恐ろし気に歪み、今にも武器を取りそうだ。
事務的な兵士も笑顔が引きつっている。
「いや大変申し訳ない」
「そう思ってくださるのでしたら、後日改めてですね……」
お約束の展開では、ここで、『なんの騒ぎだ』、とばかりに彼らの上官が現れてハルの姿を認め、平伏して無礼を詫びて招き入れてくれるところだが、そういう展開は起こらなかった。
いや、上官は現れたのだ。門前の諍いの気配を察知し、女性の近衛がこちらに近づいてくると、警備の兵の前に立った。
しかし、その顔は歓迎とは程遠く、それどころか疲れた顔をして額に手を当ててしまうほどだった。
「いや、本当に申し訳ない。火急の用でね」
「……思っていますか、本当に? それに火急にしては、ずいぶんとのんびり現れたようにお見受けしましたが」
「おっと見られていたか。久しぶり、クレアさん。元気かな?」
「今まさに三日分は疲労したところです……」
出てきた上官の女性は、ハルともかつて因縁のあった相手、出会った当初はアイリのメイドとしてお屋敷に潜入していたクレアだった。
彼女としては、ハルは非常に顔を合わせたくない相手だろう。だが上司と部下の手前、出てこない訳にはいかない。心中お察しする。
そんな、今すぐにでも逃げ出したいという雰囲気の彼女に、少々嗜虐心が沸いて出てきてしまうハルであったが、こちらも事情を知らない兵士の手前、大人しく構える。
ひとまず身の証、ハルのステータスの証明のため、それを見ることのできる巫女と引き合わせてもらえることに話はまとまったのだった。
※文章を一文追加しました。ハルが発してしまう神のオーラについて、抑えていることを追記しました。
誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2025/4/29)




