第414話 猫はなんでもお見通し
雪の降る瑠璃の国の首都、道ゆく人は誰もがせわしなく、はたまた誰もが寒そうに軒下に縮こまって、道にはハルたちの様にのんびりと歩くような人は多くない。
初めて来た場所ではあるけれど、この様子はきっと普段と違うのだろうな、という空気が伝わってくる。
風に煽られた雪の粒が鼻の頭にくっついて、気温以上にハルの体温を、しんっ、と冷やす。
その様子に気づいたアイリが、ぱっと顔をほころばせたと思うと、にこにこ笑顔でその雪を払ってくれた。
そんな拍子に傘が傾いて、アイリ自身の美しい銀髪も雪でいっそう白く染まってしまう。
ハルは彼女を引き寄せると、自分の傘の中に入れ、丁寧にアイリの髪に付いた雪を払っていくのだった。
「そーしてると、恋人ってより親子みたいだなぁ」
「何を言うのですかユキさん! 恋人でも親子でもありません、夫婦なのです!」
「アイリちゃんちっちゃいしねー」
「あ! それなら良いこと考えました! ユキさんが、お母さんですね。大きいですから!」
「うげ、こっちに飛んできた」
「ユキ、『うげ』はめっ! 淑女!」
「ハル君がルナちーのよーなことをゆう……」
今はハルたちは三人で、アイリとユキと、傘をさして雪の道をゆく。正体を隠すため、今日も認識阻害は発動中。
例の三人のプレイヤーは、皆この青の首都を拠点としていたという共通点がある。その足跡を追うことで、見えてくるものがあるだろう。
しかし、初めて訪れる場所だ。まずはハルとアイリは、観光気分にひたるのだった。
「ユキは来てるんだよね。どう、この街は」
「んー、食べ物はうちの首都に完敗だねー。見る観光名所みたいな? そういうのが多い街かも」
「物流に関しては仕方ありません。我が国は、立地の面で秀でていますから」
「新鮮で美味しいものも、多く入ってくるからね」
大国三つを中継する、このゲームの中央国、梔子。
ハルたちの本拠地でもあるそこは、物流拠点として各国の名産品が集まり、自然、それを使った料理もまた発達していった。
ゆえにレストランや屋台といった文化においては、他の国よりも抜きんでている。比べるのは酷であろう。
ただ当然、この国もまずいものを売っている訳ではない。
西は海産が自慢の群青と接し、東は肉が特産の千草と並ぶ。そんな千草牛を使った肉まんを屋台で買い求めると、ハルたちは冷えた体にそれをほおばるのだった。
「うん、あったかくておいしい」
「ですね! あつあつです! この醍醐味は、歩きながらの特権ですね!」
「ルナちーに怒られるぞー? 淑女ーって」
「平気だよ。ルナだって僕と学園の帰り道に買い食いしてる。そして奥様に怒られる」
「因果は巡るんだねぇ……」
熱すぎて、ふうふう、と冷ましながら食べるアイリのかわいらしい姿に心まで温まりながら、ハルも肉まんを詰め込むように食べる。
温度もそうだが、肉汁がまだ浸み込みきらずに口の中に溢れるこのジューシーさも、買いたての特権だろう。
もぐもぐと、強くなり過ぎた脂っぽさを口の中の生地で、ぬぐい取るように中和する。
「あったまりますけど、水に焼け石ですね!」
「アイリちゃん、それ逆じゃない?」
「水が多すぎて鎮火されちゃうイメージだよきっと。アイリ、無理せず装置をオンにしていいからね」
「はい! お言葉に甘えさせていただきます!」
「あー、そういえば装置切ってたよね。じゃないと鼻の頭に雪なんて積もらんし」
「よく観察してる。うん、僕もカナリーにならって、肌で感じてみようと思ってね」
周囲がどんな気候であろうと、常に快適な行動を約束してくれる『環境固定装置』。
しかし逆に言えば、装置を起動している時は、体の周囲に固定された大気しか感じられないということだ。
どこに些細なヒントが転がっているか分からない。ハルは周囲を探るセンサーとして触覚をも活用するため、今はあえて装置を切っていた。おかげでさむい。
「まあ、カナリーが言うのはエーテルネットに直に接続することで、本人はきっちり暖かくしてぬくぬくなんだけど」
「あはは、カナちゃんらしいや」
「それで、その些細な違和感は感じられましたでしょうか!」
「いいや、残念ながらね。ひとまずは……」
一旦言葉を区切って、ハルは少し離れた場所に居る猫を指さす。
「この国にも、きっちりメタちゃんは入り込んでるってことくらいかな」
「なうなう。にゃうん?」
*
「一見、普通の猫としぐさも行動も同じだけれど、メタちゃんは積もった雪の溶け方が違う」
「なうー」
「あ、わかりました! ねこさんは、ただのねこさんよりも体温が冷たいのです!」
「なるなる。だから、雪が溶けきらずに積もっちゃうんだ」
「なるー、なうー?」
「僕が装置をつけっぱなしだと、逆に一切積もらない。そこから気付いた点だね。まあ、それだけなんだけど」
まあ、つまりはどんなに巧妙に周囲に溶け込んでいようとも、そうやって、ふとした所で違和感というものは出てきてしまうということだ。
ハルたちが探すのは、そうした違和感。
指摘されたメタは、湿気の多く、地面に落ちても積もらずにすぐ溶け去ってしまうタイプの雪を、ぶるぶるっ、と体を震わせて振り払った。
今後は、体温も通常の猫を模倣するようアップデートが掛かるに違いない。
「聞き込みでもする?」
「確かに、ずっと住んでいらっしゃる方ならば、そうした違和感にも敏感かも知れません!」
「……んー、どうだろ。人間、逆に慣れちゃうもんだしね。それに」
「にゃう?」
「ここ最近は“違和感まみれ”だろうしねえ……」
「あー……」
何のことかと言えば、使徒のことだ。
神の使徒、つまりプレイヤーたちがこのゲームを開始してこのかた、この地の住人は違和感まみれだろう。
そんな中で、『何か変わったことはありませんでしたか?』、などと聞いたとしても、話題は常に使徒がやってきて変わったことになるに決まっている。
NPCの彼らには、プレイヤーの常識など知る由もない。
そんな人々に聞いたとして、ハルが欲している、ハルにとっての違和感など、得られなさそうであった。
「メタちゃんは何か知ってる? この街の秘密」
「ふみゃー?」
入り組んだ路地の一角。代わる代わる建て増しと取り壊しを繰り返し、複雑にくねった道が多いのが、この瑠璃の首都の特徴だ。
常に新しきを求め、取り入れ、それでいて過去も大切にする。
そんな欲張り都市が、理路整然とした調和のある街になるはずもなく、観光地となる古い建物と、最新の建築様式が同居する混沌な都市となっている。
自然、プレイヤーは安定よりも変化を、のんびりよりも冒険を求める気質の者が拠点としやすく、ユキも一人でプレイしていたならば、この街を拠点にしていたのかもな、とハルは何となくそう思った。
「ふにゃん!」
「お、知ってるってさハル君」
「何でも知ってるなこいつ……」
「流石はねこさんなのです!」
猫は何でもお見通しだ。
野良の動物として各地にまぎれ、不審がられることなく偵察を敢行する。メタにとっては、人間の街における秘密などあってないような物だ。
人間、同じ人の目は警戒するが、それ以外のこととなるとどうしても警戒心は薄くなる。
まして相手は猫。つい口の軽くなる者も中にはいようというものだ。
実際、秘密を一人で抱え込んでいるストレスに耐えられず、誰かに聞いて欲しい人間が、メタに対して独り言のようにそれを打ち明ける、といったことも珍しくないらしい。
「……すごいな、猫」
「わたくしも、ねこさんとはよくお喋りしちゃうのです!」
「あはは、アイリちゃんはメタ助に言葉通じてるの知ってるからでしょ」
「ふみゃっは」
そんな猫のメタに先導されて、ハルたちは曲がりくねった路地をゆく。
いつだって、街の探検に連れて行ってくれるのは、この小さくも頼もしい猫の神様なのだった。
*
「しかし、こっちなんだねー。私てっきり、瑠璃の国ってゆーから、あっちかと思った」
「ん? 何がだいユキ。渦中になった舞台としての話?」
「そーそー。この国のプレイヤー分布に関してはさー、首都のこの街よか、あっちのが上だし」
「……ふむ。そうすると、つまりは。“人の多いところ”を狙ったのではなく、“最初から張っていたここ”に人が入り込んできた、可能性だね」
「いや知らんけど……、私はただ、そー思っただけー」
ユキの言う『あっち』というのは、シルフィード率いるアベル王子のファンクラブがある街のことだ。
アベルが直轄地として治めることとなり、自らの拠点もそこに置く、梔子との国境沿い。
何を隠そう、そうなった経緯はハルが原因だ。
血気盛んなこの国が、アイリの居る梔子の国との戦争に踏み切らないように、事情を知るアベルに手柄を取らせて国境を任せた。
国境に彼がいる限り、ひとまずのところ戦争は回避されるのだ。
「人は多いけど、あっちは少し毛色が違うしね」
「確かにねー。ファンタジー世界で好きに遊びたい女の子の集団、ってのだねー」
「でも、お強いのでしたよね?」
「お強いはお強いけどねアイリちゃん。お強さは目的にあらずなのさ」
「今の環境を手に入れるために、維持するための強さだね」
「ハルさんみたいですね!」
「確かに」
なので、ゲームコンテンツの攻略に積極的かというと、そうでもなかったりする。
ファンクラブとして、政治的に王子の利になる内容だったり、皆でわいわい騒げるイベントであれば参加する。
しかし、通常のダンジョン攻略の最前線に居るタイプではない、そんな感じだ。
逆にこの首都には、そういった通常攻略を積極的にプレイするタイプの人間が集まりやすい、とのことだった。
「そういう意味ではさー、この首都も意外だよね」
「どんなのを想像したたんだいユキは。武人の国だからって、住人が全員重武装してるとか?」
「そうそう! 道では日常的に決闘騒ぎがあって、普通のお店なんか存在しないの!」
「地獄か」
「国政の中心ですからねユキさん。武官だけでは、回らないのです!」
軍事国家の首都だからといって、ユキの言うような修羅の世界では決してない。
今日は天気の関係で人もまばらだが、通りに面した店はユキの言った『普通の店』であり、普通の民間人が普通に利用する。
街の治安もよく平和そうで、変な乱闘騒ぎなんて起こる気配は存在しなかった。
「しかし、確かに軍事国家だ、という実感もありますね。自国内だけでは、このような光景は考えもしなかったでしょう?」
「どゆことアイリちゃん?」
「はい。全身鎧の兵士が、そこかしこに警邏しているのが見られるあたりなど」
「梔子だと、基本的に街に出る時は軽装だもんね。鎧でも必ず顔は出してるし」
がしゃりがしゃりと、あえて音を立てるように歩く重装備の見回り兵。
そんな存在が普通に闊歩しているのは、流石はお国柄、といったところか。街のイメージも硬く引き締まるかのようだ。
「あれじゃ、中身がメタ助だったりしても気付かなそうだよねー」
「いや気付くでしょ……、ふむ……、行ける、か?」
「にゃん! にゃおん!」
「ハルさんが、悪い顔を始めてしまったのです!」
「あー、これは明日には、巡回の兵士にハル君が混じってるね」
別にハルも本気でそんなことを考えている訳ではない。兵士同士は互いに識別くらいはしているだろう。たぶん。
しかし、顔が見えないということで、周囲に与える印象もずいぶんと変わるものだ、とハルはしみじみ思う。
そんな悪用じみたことを考えてしまったのも、その為だろう。
ハルにとっても、新鮮な景色なのは変わらないのだ。当然ながら、日本でも顔を隠してパトロールする警察が街中を闊歩したりはしていない。
そんな、つい背筋が伸びるような街の中を、重装備の兵士たちの目を避けてメタはゆく。
いや、これはきっと目を避けているのではなく、通る道が、そして目的地が、彼らの警備する区画とは異なるためだろう。
建て増しに埋もれ、ひっそりと忘れ去られたような小道。背の高い建物に挟まれ、日の当たらぬ小道。
そんな、猫の通り道をハルたちも続く。途中、傘で入るには苦労するような場所も多かった。
そうしてたどり着いた袋小路。メタはこちらを見上げ、『にゃ!』、と得意げに鳴くのだった。
「メタ助、ここが目的地? 行き止まりだよ」
「にゃーにゃ、にゃにゃにゃ」
「……いや、ユキ、この先、道があるね。隠し通路、かな?」
「なんと! 行き止まりにしか、見えないのです」
「<透視>で見るとね、この先にも道が続いてる」
「おお、ゲームっぽいね」
メタに連れられ至った先は、街のただなかにこっそりと存在する、隠し通路の小道なのだった。




