第409話 進み始める彼女の時間
「はい<物質化>」
「そんな、心の準備が……」
「大丈夫大丈夫。心の準備が要る時点で答え出てるから」
「そうは言いましてもぉ……」
そうして有無を言わさず、僕はエーテルの体のコピーを、そのすぐ隣に座標指定して<物質化>で作り出そうと試みる。
しかし、本人以外の誰もが予想していたとおりに、その身は分裂すること適わず、<転移>が発動して短距離ワープが起こるだけであった。
「はい、証明完了」
「これ、は……」
あっけに取られたように口を開け放ち、信じられないといったようにエーテルは己のその手や体を確認する。
きょろきょろとあたりを見渡して、自分と同じ格好の者が居ないかを探すも、当然そんな存在はこの場に誰も居なかった。
「……ま、マスターは、私を気遣って最初から<転移>で発動したのかも」
「疑り深いなあ。それじゃあ、自分で自分に<物質化>をかけてごらん? 君だって出来るでしょ、<物質化>」
「ええ、もちろん。しかし、それで結果は出るのですか……?」
「それに関しては保証するよ。なにせ、このことを僕が初めて知ったのは、自分に<物質化>をかけようとした時だからね」
「マスターも、無茶をなさいます」
しばらく緊張からか動きが無かったが、やがてエーテルは意を決し、自分自身を対象に取って<物質化>を敢行した。
当然、結果は同じ。<転移>現象が起こり、その身はまた少し離れた所に飛ぶだけだった。
その少し離れた距離感が、おっかなびっくり、といった感情を表現しているようで微笑ましい。
「本当、です……」
「僕も基本的に嘘はつかないよ」
「騙し討ちはするけどねー」
「ハルさんの騙し討ちは芸術的ですよねー」
「ユキ、カナリーも、いいトコで茶化さないの……」
「大丈夫です! 戦場においては、卑怯も騙し討ちも許されるのです!」
「……誰かしら? アイリちゃんに妙な概念を吹き込んだのは?」
張り詰めた空気が途切れたためか、いつもの僕ら、やかましくも可愛らしい彼女たちの空気が戻ってきた。
その空気に感化されたのか、エーテルの中性的な整った顔も、ほんの少し笑みを浮かべたようで、僕もほっと息をつく。
「これで、納得してくれるかい? 世界のルールで、神が命を生み出せないことをもって証明とするなら、世界のルールで君が複製できない命であることも認めないとね」
「むしろ、何で自分でこれを試さなかったんですかー? たぶん、自分でも思いついてましたよねー?」
「……きっと、怖かったんです。試してみて、もしその結果、“私が増えてしまったら”。だから気付かないふりをして、結果を出すのを避けてきた」
「……分かるけどね。僕だって、本当に自分が生きているのか、たまに疑問に思う」
「マスター、も……?」
「ハルだけではないわ? こういう不安感は、多くの人間が漠然と抱くものよ? 意識や、魂。それらは私たちが考えているほど、不可侵でも、輝かしいものでもないのではないか、って」
何をもって、生きていると定義するのか。自分たちの意識は、本当に神聖不可侵な尊いものなのか。
それが、蓋を開けてみれば、人間の思い描く理想にとって優しい答えとは限らない。
その証明を、人間も常に求め続けながらも、また恐れている。それはエーテルと同じだった。
「だから僕らも、究極的には君の不安を取り除くことはできない。なんたって、僕らも君と同じなんだからね」
「みなさまと、同じ……」
「ただ、単純で陳腐な証明法で、君が自分自身を否定してる状況からは救ってやりたかった。それだけのことだよ」
「ですねー。人間でいえば、脳は電気信号だから人間もプログラムと同じー、って言って自暴自棄になるのと同じですねー」
エーテルの場合、否定してくれる者が傍にいなかった、というのが大きいのではないだろうか。
新たな視点を与えてくれる者がおらず、延々とひとりで、思考の無限ループに陥って、いつしか思考停止していた。
そんな、このエーテルの製作者はいったい何処へ行ったのだろうか?
僕らがエーテルと呼んで探していた、『エーテル神』は。
「……まあ、今はそれはいいか。今日はひとまず、ここで一件落着としよう」
「賛成よ? さすがに、疲れたわ?」
「私もー。徹夜上等とはいえ、疲れるものは疲れる!」
「エーテル様のお悩みも解決しましたし、お祝いのパーティーを開くのです!」
「いいですねー。疲れた頭には、甘いお菓子ですよー?」
一時はどうなるかと思った過酷で大規模な戦闘が終わり、みな疲れている。休息は必要だろう。
それに、エーテル神、天色と呼ばれていた神様の捜索も、振り出しへと戻ってしまった。
今これから、再びこの次元の狭間を探索するぞ、という気は起こらない。
そんな、ほっと一息つく僕らを、何故かエーテルは悲しそうな瞳で見つめているのだった。
「では、お別れなのですね。……残念です、せっかく、こうして体も頂けたのに」
「はい?」
「あの、不躾な頼みとは承知の上ですが、どうか今しばし、私と共に過ごしていただけないでしょうか?」
「なーに言ってるです、このバカ弟は。あー、妹? です?」
「えっ?」
どうやら、僕らが屋敷に帰るにあたって、自分は再びこの塔に取り残され、再び独りになってしまうと、そう勘違いしているようだ。
その心配は無用だ。当然、連れて帰る。僕らの全員が、最初から当たり前のようにそのつもりだった。
……それはさておき、勝手に出てきてしまった白銀が、妙なことを口走っていた。
「お前はマスターから体を与えられた、つまりはマスターの子供です。一緒に帰るのは、とーぜんです」
「なんと……!」
「おい待てそこの。それは止めろといつも言ってるだろ」
「そして私が子供枠の第一号です。つまりは、おねーちゃんです。おねーちゃんと呼びなさい」
「止めろって言ってるだろ白銀こら」
「新人を巻き込んで外堀を埋めてきたわね……」
「自由な奴ですよねー。ハルさんの反応が楽しいから、いいですけどー」
「はい! 逸材、なのです!」
「他の神様だと、どうしても『配下!』って感じあるもんねぇ」
そうだろうか? 他の神様たちもたいがい自由な気がするが。
まあ、それでも、かつての上下関係を踏襲してか、僕に従って協力してくれるのはありがたい。
この白銀だってそうだ。こうして暴走したりもするが、僕を慕い、無条件で力を貸してくれるのは変わらない。
そんな神様たちにも、今回は本当に世話になった。
今も塔の外で警戒を続けてくれている彼らにも解散の意を伝え、皆でひとまずは体と心を休めるとしよう。
*
そうして、一同はもはや慣れ親しんだ天空城のお屋敷へと無事に帰宅した。
“ハルも”統合していた意識を再び分割し、こうして自身を俯瞰する視点へと戻っている。
意識拡張の完全同調が可能となり、なんの抵抗もなく100%の接続が可能となったハルではあるが、それでも根本的なところでノーリスクとはいかない。
睡眠を取れない体のハルは、意識を分割し、交代制で休めないとならなかった。
「あー、戻るとぼーっとする。通行料が無くなっても、常時走ってられる訳じゃないって奴だね」
「どんな例えよ……、だらけちゃって、お行儀が悪いわ? ハル?」
今はお屋敷の談話室で、いつものように皆でお茶会。肉体へと戻り、その外見年齢の増したルナの視線が、増した年齢ぶん鋭くハルに突き刺さっていた。
「あはは、さっそく奥様による旦那様指導だ」
「……この体では、まだ結婚式を挙げていないから」
「ルナちゃんも意外に往生際がわるかったかー」
同じく肉体に戻ったユキも、ゲームキャラの時よりも大人しくなりつつも、ハルやルナのように疲れは感じさせていない。
自分で言うとおり、徹夜上等、ゲーム慣れした彼女は、あの激戦であっても大した負荷にはなっていないようだった。
肉体のまま戦いに赴いたアイリとカナリーは、メイドさんたちに引っ張られてお風呂に直行だった。
怨嗟の声を上げるように、『お菓子~お菓子~』と主張するカナリーも、この時ばかりは甘やかしてもらえなかったようである。
「ハル君はいいの? おふろ。旦那様特権?」
「入れ替わりで入るよ。てか、なんの特権だ……」
「この子のことがあるから、だそうよ」
そうして視線を向けられて、ぴくり、と緊張を示すのは、あの塔からハルたちと共にお屋敷へと連れ帰ってきたエーテル。
その小さくて、少年か少女か分からない銀髪の子供を、同じ髪の色のこれまた美少女が世話を焼いているところだった。
「ほら、おねーちゃんに『あーん』するです。お菓子、美味しいですよ。肉ほどではねーですが」
「白銀。一人で食べられるので……」
「おねーちゃんです! そして、おひとり様は今日で卒業です」
「いや白銀さ、一人じゃないのと、一人じゃ何も出来ないのは違うから。構い過ぎないように」
最近はハルとアイリの子供、と主張することは無くなっていたが、弟(妹)分にあたるエーテルが加入したことで、その主張も再燃してしまったようだ。
白銀よりも高身長に作ればよかったか、と半ば本気で考えているハルであった。
「……エーテル。白銀の主張は無視していい。それと、その姿も、自分の好みに変えて構わないからね」
「い、いえ! マスターがお造りくださったのですもの、このままで良いです。このままが、いいです……」
「そっか。でも、性別くらいは決めておきなね。声からどっちか判別できなかったから、どっちつかずにしたけど」
「それなら、性別もこのままで良いのではないでしょうか? マスターがそう造られたのですから、その、ありのままで」
「……本当めんどくさいね、君らって」
神様への対応というのは本当に難しいと、鈍く続く頭痛が増してくるかのような気分に陥るハルだった。
白銀も、お揃いの髪色にすると言った時から家族になってやる気だとは理解していたが、ここまで暴走するとは予想していなかった。
「えと、性別は、考えておきます。ですがそれとは別に、マスターにも考えていただきたいことが」
「うん? なんだろうか。なにか不備があったかな?」
「その、体のことじゃないんです。名前、私の名前です。マスターに、決めてほしいなって」
「……なるほど、『エーテル』ってのは要は」
「はい。私の製作者の、身代わりの名です。マスターたちと新たな道を進むにあたり、相応しくはないかと」
「確かにね。良い名前を考えておこう」
ハルたちが『エーテル神』を探していたように、その名で活動している神が別に存在する。
目下、仮想敵として捜索中ともいえるその者と、同じ名で呼ぶのも確かに忍びないかも知れない。
「しかしいったい何処に行って、何をしているやら……」
その『真エーテル』とでも呼ぶべき、渦中の神様。
結局、その者と、そして例の黒い石に関する情報は、まるで得られなかったと言っていい。
この今この場に居るエーテルと接触できて、仲間にできたことは収穫には違いはないのだが、いまいち、決定的な進展とは言えなかった。
「……私にも、情報は与えられていないのです。特に、マスターが言う『黒い石』については、徹底的に隠されていたものと考えられます」
「知らなければ、話しようがない。嘘がつけない君たちに対する、最大級の対策だね」
「“神の動かし方”を、熟知してるということよね?」
「いつだったか、ミレイユちゃんが言ってたって奴だね」
ユキの言うのは少し違うが、大枠で見れば同じことだろう。ミレイユの言っていたのは、『プレイヤーがNPCを殺す方法』。
そこに殺意が無ければ、いわゆる未必の故意であれば、ルールの裏をかいて目的の人物を暗殺できるかも知れない。
つまりは、“人の動かし方”である。
何でも自分で動いてしまう傾向にあるハルはあまりやらないことだが、もちろん言わんとすることは理解できる。
ハルとて戦略ゲームのプレイヤーだ。自分の行動をあえて晒すことで、それを見た相手を操ることだって何度もやってきた。それと似たようなもの。
つまりは、相手が自分の意思でやっていると思いこませるのが重要だ。
「エーテルは、おっと……、君は、自分の意思で計画を進めていた? それともその神の命令?」
「……今となっては、曖昧です。私は、随分と思考を放棄して、生きてきましたから。いえ、生きてはいなかった、のですね」
「僕もそうだった。分かるよ」
ハルも、研究所が解体されて以降、何を目的とするわけでもなく、ただ流れに従うままに生きてきた。
そこには、目的があったように見えつつも、実際はハルの意思など介在していなかった。自動的だ。
「まぁまぁ。今はさ、ハル君。そんなお堅い話なんて置いておいてさ。お菓子、たべよ?」
「……そうだね。ありがとう、ユキ」
「うん。あとでさ、かんがえよ。それは」
「ついでにあなたも『あーん』しなさい、ユキ」
「ふええ!? どうして急にそうなっちゃうの……」
ついつい、目的を急ぎそうになるハルを、仲間たちが窘めてくれる。
焦りは禁物だ。相手は百年間、自らの意思でもって計画を進めてきた者。ハルも腰をすえてかからねばならないだろう。
明確な証拠は掴めなかったが、今回の件で着実に近づいたのは確かである。
そこから得た断片を繋ぎ合わせ、真相へと至ってみせようとハルは誓う。
「戻りました! これよりわたくしも、参加なのです!」
「やっとお菓子食べられますねー。食べまくりですよー?」
「おかえり二人とも。じゃあ、僕もお風呂に入ってこようかな」
ここは湯船に浸かって、激戦の疲れを癒しつつゆっくり考えようか。そう、この場に集った皆の顔を眺めながら思うハルであった。
今回で12章は終わり、明日からは新しい章へと切り替わります。
きっと、一つの決着がつく章となります。頑張って書きますので、お楽しみいただければ嬉しいです。




