第408話 その証明方法は
天秤の傾きは劇的だった。
今まではじわじわと押され、せっかく浸食した魔力も、切り裂いた空間に流し込んだ魔力も、逆に相手に奪い取られていた。
しかし、ルナと精神が融合し、エーテルネットとの意識接続を100%完全に果たせるようになった瞬間から、趨勢は逆転し、こちらが侵攻をかける戦況へと変わっていった。
「ありえない計算力だ。自分でも何をしてるか分からない。今なら世界中のあらゆる問題を、力押しで解ける気がするよ」
「力押しなんだ……」
「知性が向上はしないからね、残念ながら」
例えるなら複雑な数式の問題を、有り余る計算力をもって足し算だけで解くようなものか。
紙とペンでやろうとすれば人生かけても終わらないその計算も、今の僕なら強引に終わらせられる。それゆえの力押しだ。
「仕方がないですねー。ならそこは、私たちが補いましょうかー」
「そうね? ハル、そこのところ、もっと効率化できるわよ」
「あれだねカナちゃん! 三人寄れば!」
「姦しい知恵なのです!」
「……何か違うよね?」
そんな風にコックピットの中は姦しく、しかし着実に問題は解かれていった。
精神の融合により完全に問題意識の共有化が成された僕らは、僕の処理している浸食の計算を女の子たちも同時に意識することが出来る。
彼女たちはそこで何を行っているか理解はしていないのだが、僕がどのように考えて処理を重ねているかは共有が適う。
そのため、問題そのものではなくそれを解く僕が、どう視点を変えれば効率化できるか、そこに介入して手伝ってくれているのだ。
「自分では上手くやってるつもりでも、見えていないものだね」
「そんなものよ?」
当たり前のことだと、ルナが語る。だから人は支え合い、助け合うのだと。彼女の想いが伝わってくるようだった。
しかし、僕らの間だけでもこれだけの効率化だ。これがもし、あの煌めく星々に手を伸ばし、人類すべてと接続を果たしたのなら。
あらゆる人間の視点をもって同時に、一つの問題と向き合ったらなら。それはもはや既存のヒトの知性の限界を超えた、新たな知性体が生まれるとも言えるのではないだろうか?
……いや、これを考えるのは止そう。僕は、彼女ら以外を同化するつもりはない。
「……しかし、ずいぶんとあっさり順応しちゃったけど、負担は大丈夫? 視点の共有なんて、今まではアイリくらいしかやってなかったのに」
「私は初めてだから良くわからないわ。けど、なんの抵抗も無いわね? その、100%が影響しているのではなくって?」
その問題の共有だが、今までは意識拡張した時であってもあまり行ってこなかった。
やろうと思っても難しいようで、しかも相手にも負担がある。なのでこれまでは、アイリの第六感、魔力的な感覚を共有するときくらいしか使っていなかったのだ。
それが抵抗なく出来るようになったのも、僕らの新たな境地だろうか。
その力でもって、エーテルの塔を制圧して行く。
もはや、武力面においても、浸食においても、勝負の結果は明らかとなっていた。
*
「なっ、急に押され始めて……、何かしましたね、マスター!」
「《そりゃあね。切り札の一枚を切らせてもらった。高くつくよエーテル。君が抵抗するからだ》」
「理不尽にも程があります……、こちらだって、マスターがたが攻めて来なければ、こんな予定外の出費をせずに済んだのですよ?」
「《……確かに。じゃあお互いさまってことで》」
エーテルにとってはとんだとばっちりと言ったところか。
一瞬、戦争のためのリソース確保だろう、と思ってしまったが、エーテルが魔力を貯めていたのは日本人に還元するためだ。少し自分基準で考えすぎてしまったか。
そんなエーテルにとっては、大切な備蓄を予期せぬ戦いにすり減らしていることになる。
そこは、少し同情したい。
「《だが改める気はない。このまま、全てを僕の支配下に置かせてもらう!》」
「お考え直しくださいマスター。こうして互いに傷を広げなくとも、計画に賛同いただければ魔力は全てお渡しします」
「《ずいぶんと気前がいい話だ。だがそれは、計画のために使うからであって僕のものにはならないだろう?》」
「余剰は多少なりとも生まれるはずです。そこを、自由にお使いください」
天秤が不利に傾いてきたからか、交渉にはいってきた。
……なんだか、僕が魔力欲しさに強奪している強欲な奴に思えてきた。遺憾である。
「《悪いが断る! というか魔力そのものは目的じゃあないんだ。この戦いのそもそもの理由、忘れてるんじゃない?》」
「忘れてはいません。私の命を、証明する」
「《その通り》」
「ですが、それは不可能です。そんな夢物語に興じておらず、現実的な部分で手打ちにすべきでは? 私の魔力、まだまだ底ではありませんよ」
「《確かに、骨が折れそうだ》」
一見、見苦しいようにも思えるが、こちらが何か無茶をしており、共倒れになる可能性からの提案だろう。
実際、ルナとの融合前の僕であれば、エーテルの保有する膨大過ぎる魔力を浸食するのに、脳の負荷が許容値以上に膨れあがっていた、なんて可能性もありえた。
しかし今は、息をするようにネットの海を行き来し、そこには何の負荷も存在していない。二十四時間、休まず継続可能だ。
「《しかし残念ながら却下だ。なぜ優勢になった試合を捨てなければいけないんだい?》」
「くっ、このような無茶な勢いがいつまでも続くとでも……」
「《続くんだ、残念ながらね》」
会話を続けながらも、ルシファーの十二の翼からは次々と神剣の光が溢れ出し、湧き続ける敵機ごと空間を切り開いている。
そこに流し込まれる魔力は、今度はもう押し返されることはなく、流せばながすだけ僕の有利となっている。
もちろんそこから浸食は更に進み、この場の魔力比は徐々にその差が埋まっていった。
いや徐々にではない。加速度的に、ネズミ算式に、一気にこちらへと流れ込んでくる。それはまるで、水槽に次々と穴を開けて、それを下で受けているよう。
「《こうなると、あとはもう浸食に力を入れるまでもない。そっちの唯一のアドバンテージだった、『量』の力までも僕は得た》」
「そんな、あまりに、あっけなさすぎる……」
「《……これでも、結構綱渡りだったんだよ? その厳しい時に、押しきれなかった君の怠慢。君の負け》」
「そんな、簡単な話ではないでしょうに……」
「《そうだね。あえて言ってしまうなら、君が、独りきりだったからかな》」
僕の実力で、僕の戦略の勝利だ、などと言うことは出来ない。言うつもりもない。
今回勝てたのは、完全にルナのおかげ、仲間たちのおかげだ。
いや、今回だけではないだろう。いつも、意識拡張を使っている時は彼女たちに、そして仲間となった神様たちに力を借りている。
意識拡張だけではない。普段の戦力強化だって、仲間の力あってこそのこと。
ここに来るための戦闘艦の作成だって、僕だけでは成しえなかった。多少、やりすぎな気はしたが……。
そんな今までの集大成の“僕らの”力によって浸食はどんどんと進み、エーテルの塔を完全に制圧下に置くことが完了したのだった。
*
塔の魔力、その全てを僕らの色に塗り替えて、先ほどまであれだけ激しく反響していた戦闘音は、今や完全に息を潜めている。
エーテルは攻撃機を生み出す魔力を封鎖され、魔法もまた使えない。
塔の外へと<神眼>を向ければ、そちらも残った敵機の掃討が終了したところであるようだった。
もはや完全に勝敗は決し、この場ではもう戦闘は起こりえない。
それを確認すると、僕らは最初に入ってきた神殿の入口へと戻り、そこでルシファーから降りて身を晒すのだった。
「さて、と。戦闘は僕らの勝利な訳だけど、まだ試合は終わってないんだよね」
《そんな勝利条件など、もうどうでもよいでしょう。マスターはその上の、大枠を制圧支配なさいました。下部構造の取り決めなど、もはや考慮する意味がございません》
「あれ、念話にもどっちゃったの? 声きかせてよ、直接さ」
《それもまた、必要がございません》
確かに、全面戦争にしないためにと取り決めた、下位の勝利条件である部分はあった。
上位の前提条件である、敵リソースの完全制圧が成ってしまった今、それを考慮する意味は無いというのは正論だ。
しかし、自分で提案したルールはきっちりと守りたい。それにこのままだと、騙し討ちで全面戦争を避けて、本陣を制圧してしまった卑劣な将のようだ。
「……それを世間では智将と呼ぶのではないかしら?」
「ルナ、さっそく心読むのによどみがないね……」
「失礼? でも、それならどうしてここまで徹底的に? いえ、そうしなければ結局終わらないのは分かっているけれど」
「終わらないというか、僕の設定した『勝利』を果たすには、これが前提条件なんだよね。まだ作戦は途中だ」
《本末転倒です。それならば、最初から全面戦争を仕掛ける方が楽だったのではないですか?》
「楽かも知れないけど、趣味じゃないよ」
そもそもの目的は、『悪いエーテルをやっつけろ!』、ではないのだ。もちろん放置はできないが、そこまで対立する必要もない。
エーテルだってこの地に生きる神様の仲間、出自を同じくする者だ。本人は否定しているが。
可能ならば平和に、仲良くありたかった。
《しかし、何故こんな大がかりな前提が必要なのです? 私の命を、証明するのでしたよね?》
「ああ、うん。まずは一点。君に逃げられないように。都合悪くなると、どっか行っちゃいそうだったからね」
《そんな、ことは……》
「あはは、即答しないのが答えってね」
本当に正直だ。そして意外に子供っぽいところが感じられるエーテルは、聞きたくない事には耳をふさいで、逃げ出してしまいそうだった。
「二点目。こっちは僕の理由だね。ここの魔力をぜんぶ掌握して、“君が何処にいるのか”理解する必要があった」
《なるほど。それならば、理解できます。私は私の管理する魔力に潜む情報体。その支配権を得なければ、接触できないのは道理》
カナリーたち神様は、AIとして異世界に飛ばされた時に、星の大気に満ちる魔力の中に住む、言うなれば精霊のような存在として生まれ変わったようだ。
その情報体であった彼女らは、じきに形を持った魔力の体を生成し、それを依り代に活動を開始した。
エーテルは、その最初の段階のままずっと過ごしてきたのだと言える。
そんなエーテルが自分の魔力の中に潜んでいると、こちらからは手出しが難しかった。その為、僕の支配する魔力の中に(強引に)移ってもらったという訳だ。
今ならエーテルの存在する位置がはっきりと分かる。僕らのすぐ傍に来てくれているようで、ルシファーから降りた僕らの目と鼻の先に、その力の塊が漂っているのを感じる。
《ですが、どうやって証明を? 私のデータに触れ、それを解析すれば、何か分かるとでもいうのでしょうか? それならば、自分自身で何度も試みたと、先に申しておきます》
「試みたんだ……、いやそれはいいとして、少し違うよ。単刀直入に言おう、君に、体を与えようと思う」
《なん、ですって……?》
エーテルの言うように、いくらそのデータを調べても、決定的な証拠は出てこないだろう。
いや正確に言うならば、僕らが『これが証拠だ』というものを発見しても、エーテル本人が認めない。それでは意味がない。
ならば、エーテルの語る論理に則って、認めざるを得ない状況へと持ち込んでやればいい。
エーテルは他のAIたちは、神様たちは生きた存在だと認めている。つまりは自身も同じ存在へと昇華させてやれば、言い逃れは敵わないという訳だ。
「さっそくやるけど、構わないかな?」
《ご随意に。私の所有権は、既にマスターへと移っております》
「……だからって嫌がることはしないさ」
ここに来ても自分を物扱いするのに少し悲しくなるが、このまま言葉を重ねても平行線だろう。さっさと、前提条件を変化させてしまった方が良い。
僕は魔力の中に見えない手を伸ばすようなイメージで、エーテルの情報体をより集めると、それを収納する体を形作ってゆく。
この作業も、普段ならば非常に難航したのであろうけれど、今の僕らにとってはどうということの無い作業だ。仲間の力を借りて一気に進める。
イメージはやはり子供。声から性別が判別できなかったので、姿は中性的。
美少年、もしくは美少女。どちらとも取れるように。
性別は設定しない。生まれ変わった本人に、好きなように決めてもらおう。僕が最初から在り方を定めてしまうのは余計なことだ。
「髪の毛の色はどうしようか。長さは、まあ男としてはちょっと長めだけど、美少年で通るよね。これくらいで」
「マスター、わたしの色とおんなじで。やっぱりここは、マスター由来の要素を入れるべきかと」
「白銀、まーた勝手に出て来ちゃって。まあ、いいけど。それにお前の髪はアイリ由来でしょ?」
「こまけーことは、いーです」
「まあ、エーテルは“何色でもない”から、仲間が居た方がいいかもね」
「です!」
白銀の妙な自己主張に、少し不穏なものを感じるが、それはエーテルを仲間として受け入れるという意思表示でもある。ここは通しておこう。
そんな風に、小さな体は完成し、その精神もつつがなくその中へと浸透した。
ぴくり、とその体が反応したかと思うと、おずおずとその目を開き、肉体的な視点で周囲を見回している。
手指の感覚があるのが慣れないようで、しきりに自分の体をぺたぺたと触る様は、なんだか本当に子供っぽかった。表情もこころなしか、不安げだ。
「これが、私なのでしょうか?」
「そうだよ。……といっても、一部未設定だから、後は自分の思うように、好きなように調整してね」
「……そう、言われましても。こうなっても、それで生きているとは思えません。ロボットも同じでしょう」
「む、頑固なやつめ……」
まあ、仕方がないか。体を得たとしても、それで論理的に何かが解決した訳ではない。証明はこれからだ。
僕は最後の仕上げとしてエーテルに指をつきつけて宣言した。
「これから君を<転移>させるよ」
「はあ……?」
「分からない? <転移>は、<物質化>の前段階だ。正確に言うと、僕はこれから君のコピーを作り出そうと思う」
「…………」
ごくり、と息を飲む様子が伝わってくる。エーテルにも、僕が何をしようとしているか理解できたようだ。
「……<物質化>は、生き物には適応できない。生き物をコピーしようとすると、エラーを吐いて<転移>になってしまう」
「つまり、私が生きているならば……」
「うん。コピーは生まれない」
エーテルが自身を生きていないと定義づけているのは、神が生き物を生み出せないという、この世界の法則からだ。それを逆手にとる。
この世界の法則に則って、“生き物だから<物質化>できない”と証明されれば、その理屈で認めざるを得なくなる。
エーテルの顔が不安げに歪む。結果をあれこれ想像してしまっているのだろう。
……安心してほしい。その時点で、結果など見えているようなものだ。
僕は有無を言わさず、エーテルの体を対象にして<物質化>を実行した。
※誤字修正を行いました。句点の打ちミスを修正しました。内容の変更はありません。




