第407話 死でさえふたりを、分かたない
「ハル、結婚するわよ」
「ふおおおおぉぉ!? ルナさん、急に何を言い出しているのです!? 素敵なことですけど!」
「……やっぱそうなるか」
「ですねー。確かに現状、それが打開策となりえますねー?」
「どゆことハル君?」
いま行っている意識拡張。それは僕個人の力のみでは、接続帯域を10%程度の確保をするので精いっぱいだ。
それ以上は脳の負荷が大きく耐えられない。そして、意識がネットに流失して戻ってこれなくなる危険性もまた増す。
それを分散して緩和してくれているのが、黒曜を始めとするサポートAI、そして同化した女の子たちだ。
ひとりがふたりとなることで、その力は一気に増す。
単純に脳への負荷が分散するだけでなく、手を繋いで引き戻すように、ネットに散逸しそうになる意識を呼び戻してくれる。
そこに、ルナも加わろうというのだった。
「しかし、ルナさん……」
「そうですよー? それは結婚式を開くその時まで、取っておくのではなかったのですかー?」
「そうね。でも、私のわがままで、夫となる者の窮地を放置したら、それこそ後悔するもの。そっちの方が、ずっと嫌だわ?」
「窮地なんかじゃないが……」
「あはは、ハル君こんな時でも負けず嫌いだ」
何でもないことのように言っているが、ルナはその日の実現のために、ずっと努力し計画を進めてきた。
それが、こんななし崩し的に同化が成されてしまえば、将来的に禍根が残りはしないだろうか?
「ハル?」
「はい」
「あなたが何を考えているかは分かるわ? どうせ、未来にしこりを残す結果になる、とか思っているのでしょう」
「うん」
「……気遣ってくれるのはありがたいけど、そこまで甘やかさないで欲しいわね。私だって、あなたの願いを叶えたいわ」
別に、僕にとってこの戦いはそこまで重要なものではない。
もちろんエーテルのことは何とかしてやりたいと思うし、負けるのだって心から嫌だ。しかし、もしどうにもならなかったとしても、そんなことよりもルナや、アイリ達の方がずっと重要である。
彼女たちの為ならばいくらでも逃げるし、いくらでも一からやり直す。
そう決めているのだが、今度は逆にルナが、それを許容できないようだった。
「私はね、見たくないの。あなたが負けるところなんて。それも、私が原因なんて死んでも嫌よ?」
「別にルナのせいにはならないが……」
「なるの。私は、そう思ってしまう」
「そうですね。わたくしも、分かる気がします」
「ハル君。ここは、ルナちゃんに悪いと思うんじゃなくってさ」
「ルナさんの願いを叶えると考えましょー。カッコいいところ、見せるってー」
……今まで僕は、自分を基準に戦い方を決めていたように思う。
女の子に格好いいところを見せたいのも自分のため。女の子たちを傷つけるくらいなら逃げる、という退路の確保も、自分のため。
彼女たち本人がどう思うかは、あまり考慮していなかったのではないか。
僕が格好いいところを見せたいと思うのと同じく、ルナは僕の逃げるところなど見たくないという。その意思も、また尊重されなくてはならないのかもしれない。一緒に、なろうというのだから。
「……そうだね、わかったよ。でも、僕らに結婚式を前倒しさせたエーテルには」
「ええ、存分にその報いを受けて貰いましょう?」
本人の感知しないところで、まったくのとばっちりで、エーテルの受難が決定した瞬間であった。
完全なる、八つ当たりである。
◇
「……それで、具体的にはどうするのかしら? 先輩がたにコツを聞きたいわね?」
さて、決心を決めたルナだが、どうすれば良いのかが分かっている訳ではない。少々恥ずかしそうに、既に同化済みの三人の女の子たちにその方法の教授を頼んでいる。
システムメニューを選択して、『はい』を選ぶというような単純な話ではない。言ってしまえば『同意しますか』の確認画面は、己の心の奥底だ。
……実はこれに関しては、僕もあまり詳しくない。本人でありながら。
選択権は常に女の子たちの側にあり、僕の方はいつも気付いたら心が繋がっていた、という状況だ。
「わたくしは、お役に立てないと思います。本当に、いつのまにかそうなっていまして……」
「アイリちゃんは、ずっと誰にはばかることなくハルを『好き好き』ってしていたものね? そこは、私にも無理ね……」
「改めて言われると! 照れるのです!」
アイリの場合は、特に何の宣言も、行動も起こしていない。
ごく自然に、ふとした瞬間に心が通じているこのに気付いた。最初は錯覚だと思ったくらいだ。
それは彼女と結婚するよりも前からなので、何か劇的な意識が必要という訳ではない。
「私は分かりやすいですねー。人間になった時にー、『ばびゅーん』、ってー」
「カナリーちゃん、ばびゅーん好きだね……」
「私は、『ハル君に勝てなくても良い』、って意識の変化だから、ルナちーと近いかもなー」
「……なるほど、自分の拘りよりも、ハルを優先するという意識ね?」
「分からんけどねー」
「なんだか、私が一番ハルの事を好きではないと言われている気分だわ……」
そんなことは無いはずだ。優劣を競うことに意味などないと思うが、ルナが向けてくれている好意は、非常に強いものだと、自惚れを抜いてもそう思う。
「……多分、ルナが一番常識人だからだね。社会的なしがらみが強い。精神を繋げるなんて、その社会の常識から逸脱することだから」
社会の枠から抜け、その一員ではなくなってしまう。そうした危惧、いや恐怖心か、それが枷になっているように考えられる。
そうでなければルナは、アイリと同じように“いつのまにか”ひとつになっていてもおかしくない付き合いだった。
「なるほどー、関係が変わることと、それに伴う将来への不安感ですかー。確かにまるきり結婚ですねー」
「マリッジブルーってやつだ! ……違ったっけ?」
「カナリーもユキも、茶化さないの」
「いえー、茶化した訳ではー。私なんて、そういう帰属意識って無いですからねー、新鮮ですー」
「私もだ!」
人間になること以外に興味の無かった神様。現実世界に隔絶感を覚えているゲーマー。そして隠居するように国から切り離された王女様。
そんな彼女らが、自らの拠りどころとして僕を求めた。きっと、そういうことなのだろう。
「……何となく、分かった気がするわ? 相変わらず、言語化は出来ないけれど」
たぶん、誰しもそうだろう。単純に言語化することなど適わない。自らと社会の折り合い、そんな中で何を選んで、そしてこれからどう生きて行くかの選択と覚悟。
そんな己の中の『同意書』を、ルナは皆の言葉によって見つけたようだった。
「ハル、行くわよ?」
「ああ、うん。それは良いんだけど、どうするの結婚って言っても?」
「別に、大したことではないわ? 今の私はゲームキャラの体だもの。ゲーム内結婚に大した手順なんか必要ないわ?」
「僕、本体なんだけど?」
「今はゲーム婚も壮大だぜルナちー。出会いがゲームも珍しくない」
「それに私たちのゲームには結婚システム無いですよー?」
「お黙りなさい、あなたたち?」
ルナがコックピット内で自分の席を立って、僕の膝の上へと移動してくる。
抱きつくように向かい合って、気恥ずかしさをごまかすように仲間たちに軽口を返すルナ。その表情は、さすがにいつものクールな表情を保っていられないようだった。
顔の色はほんのり朱に染まり、それを隠すように目つきは不機嫌そうに睨んでくる。だが、まるで不快感は感じない。ルナが可愛くてしかたなかった。
「そうだ! 気分を出すために、衣装を変えましょう! あれを着るのです、なんとかドレス!」
「ウェディングドレスね? ナイスアイディアだわ、アイリちゃん」
「……何で持ってるの?」
今までの恥じらいはどこへやら。膝の上でてきぱきとメニューを操作し装備を変更するルナ。
あっという間に、彼女の姿は純白で豪華なドレス姿へと早変わりした。
普段から多種多様なゲーム装備を作っており、その全容は僕も把握してはいなかったが、こんなものまであるとは、恐れ入るばかりである。
「さすがに外の戦闘も気になってきたわ? 手早く済ませましょう」
「そうだ! 外大丈夫なん!? 私、操縦ほっぽっちゃってたけど……」
「平気。今は羽がほとんどの敵を対処できる状況に持ち込んでるから。僕が裏で操作してるよ」
「さっすがハル君。化け物じみた頭してる」
ルナの真剣な話を聞きつつ戦うのは、話半分のようで申し訳ない気持ちもあるが、今の状況では仕方ない。
この瞬間も、十二枚の『曙光の翼』を遠隔操作して、エーテルの繰り出してくる攻撃機を切り裂いて回っていた。
「手早くって、どうするのルナ? 僕こういうの分からないんだけど」
「キスするわ?」
「ふおおお! 直球ですー!」
「冷静に考えたら狂ってるよねー。人前でキスする儀式とか」
「ユキさんには無理ですねー?」
「む、無理じゃないもん……、いや、無理かも……」
キスという言葉に、途端にきゃいきゃいと姦しくなる女の子たち。
そんな彼女らを尻目に、ルナはじっと僕を見据えてきた。もう、その瞳には迷いはない。
「一応、宣誓くらいはしましょうか。そのくらいは、分かるよね?」
「なんだっけか。『病める時も健やかなる時も、死がふたりを分かつまで』?」
「いいえ? 私たちの場合は、『死でさえふたりを分かてない』、よ?」
言い終わるが早いか、ルナは目を閉じると、その唇でそっと僕の口を塞いでくるのだった。
◇
目を閉じると、彼女の唇の感触を確かめるより前に、別の圧倒的な感覚をもたらす世界が、その暇を僕に与えなかった。
脳裏に広がるは、虚空に煌めく星々の宇宙。
視界いっぱいに埋めつくすその輝きは互いに結びつき、次々とリンクを形作り、多種多様な星座を描き出してゆくのだった。
ここは、エーテルネットの宇宙。
煌めく星々は、その一つ一つが人間の意識だ。
「……すごいわ。あなたの見ているものが、私にも見える」
「あ、わたくしも! わたくしも見ますー!」
「おー? これはエーテルネットの視覚化された概念ですかねー?」
「えっ、えっ、どうやるん? アイリちゃん、カナちゃん、教ーて?」
僕の意識を覗き見てはしゃぐ女の子たちはひとまずカナリーに任せ、その様子の現状確認につとめる。
ルナとの同化は何の抵抗もなく成功し、これはその結果であるのは間違いなかった。
先ほどまで、意識拡張に伴う鈍い頭痛が精神を蝕んでいたが、今はそれも全く存在しない。
無理矢理に接続していたさっきまでと違い、今はこの世界を僕が行き来するのが、自然であり、当然の権利であると肌で感じる。
「……黒曜、接続状況はどうなっている」
「《はっ。現在、100%の接続帯域が開放されております。ハル様は限定領域に留まらず、エーテルネットの全領域を自由に操作可能となっています》」
「それはまた……、管理ユニットの、面目躍如かな……」
「《王の帰還でございますね》」
「冗談でもやめてくれ……」
「《御意に》」
開発段階のエーテルネットにおいて、管理ユニットである僕が有していた機能。
自由なネットワークとなった現代では不要となったその力を再び振るえるという危険性に、身震いがするようだ。
この美しい星々に、手を伸ばすことは許されない。
しかし今は、そのことに心を戒めるより、手に入れた別の力を確認することが優先だ。
敵の持つ膨大な魔力に対抗する力、ルナの覚悟により手に入れたチャンスを、無駄になどしてはならない。
「黒曜、全領域を使えると言ったな。つまり余剰領域だけでも、普段確保しきれてない部分まで確保可能か?」
「《今すぐにでも》」
「やれ」
「《御意に。この黒曜にお任せください》」
「《わたしも、わたしもやるです! 白銀にも、お任せ》」
「任せた」
普段僕は、ナノマシンの大気であるエーテルネットで、現在使われていないナノマシン群を支配下において意識拡張に利用している。
だがそれは、余剰ナノマシンの全てではない。距離が離れていることによるアクセスの弊害、通信頻度が高い場所であることによるアクセスの難度。それらを考慮すると、接続した区域の近場にある、一部領域が現実的となる。
今まではそれで十分だし、そこを十全に使うのでも精一杯だった。
しかし、今は何の負荷も存在せず、距離もなんの妨げにもならない。もともとエーテルネットの売りは、タイムラグの全く存在しないことだ。
「……行くぞエーテル。お前の名を持つ世界の力を借りて、お前を倒すよ」
もはや全能と言ってもいいこの力をもって、僕はエーテルとの戦い、その最終局面に臨むのだった。
※誤字修正を行いました。
追加の修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/13)




