第40話 世界の壁
昨日の話で、ミスによりマツバくんの本名を晒してしまっていました。
投稿後すぐに気付いて直したのですが、その前に読まれた方には変な会話になってしまっていて申し訳ありませんでした。
「マツバ、本名ヒイラギ・タクト。年齢不明。愛称は『坊ちゃん』。何故本名が分かってるのに年齢が不明なのか……」
あるいは、この本名を知った手段が真っ当ではないのかも知れない。
「様々なワードを投げかけて、それに対する微弱な反応を解析された、とか」
彼が嘘発見器をことさらに嫌う理由もそのあたりが関係しているのかも知れない。
屋敷に戻ったハルは、ユキに教えてもらった通りフードの彼、マツバについて調べていた。
誰かとユニットを組んでいるという事は無く、ずっと彼個人で活動しているようだ。
キャラ付けは自信家でちょっと生意気な少年タイプ。トークも歌も、そして何よりゲームが上手い。演出の都合でわざと負けたりせず、常に全力で勝ちに行く。そして負けた時は本気で悔しがる。子供っぽいその姿がうけているらしい。
マツバという名前も渋いのではないかと思ったが、愛称と合わせて『マツバ坊ちゃん』と親しまれているようだ。そう聞くとちょっと高貴に聞こえる。
「ハルさん、どうされました? ……よもや、また頭痛が!?」
夕食後、体をソファーで寛がせ、外の世界に思考を回してこちらは大人しくしていると、アイリがちょこちょこと駆け寄ってきた。そのままぴったりと隣に座る。
ハルは大抵は何かの作業をしているため、何もしていないのは以前のように体調が悪い時だと思われてしまったようだ。
「平気だよ。ごめんね、ぼーっとして」
「よかったです!」
笑顔が眩しい。癒される。
アイリも常に元気だが、体調を崩す事はあるのだろうか。なんだか想像がつかない。
「向こうの世界で調べ物をしていてね。そうだな、黒曜、向こうの動画をこっちのウィンドウに出せる?」
「《少々お待ちください。すぐに、という訳にはいかないでしょう》」
「やっぱり壁は厚いか」
「《一度ハル様が視聴されたものならば、強引にイメージを投影する事も可能ですが。データを直接となると……》」
「一度見たものを見直す意味は無いね。……そうだな、それなら名作映画でもアイリと一緒に見る方がいい」
「《名案です》」
ゲームウィンドウに直結されたAIである黒曜にとっても、難航する課題のようだった。
なかなか世界の断絶は大きいようで、これでは外に向けての放送も難しそうだということが伝わってくる。
「あちらの世界で何かご覧になっているのですか?」
「うん、今日会った使徒の男が有名な人だったみたいだから、その映像をね。分かりやすいようにアイリにも見せられないかと今思ってるんだけど」
「あ、いえ、男の方でしたら、わたくしは遠慮しようかと」
「こっちも徹底している……」
却下されてしまった。
ならば先ほど言ったように、ふたりで映画でも見ようか。そう思い、何が良いか見繕っていると、黒曜は木星に行く映画を勧めてきた。確かに名作だが、前提知識なしでは退屈かもしれない。
結局、無難に現代の恋愛映画にすることにした。アイリは恋愛ものの本が好きなようだし、ハルの住む世界を知ってもらう事も出来るだろう。
◇
「すてきなおはなしでしたねー……」
映画が終わり、アイリがぽーっとしている。
隣に座って見ていたので、映画が盛り上がりを見せると自然にきゅっ、とハルの腕にくっついて来る。ハルとしては映画どころではなくなりそうだった。
モニターが閉じられると今気が付いたように、はにかんで離れる。少し名残惜しそうだ。
後ろにはメイドさんも勢ぞろいだ。貴重な体験ということで、またアイリが呼んできた。優しい。
しかし、前回に引き続き、あまりやりすぎると仕事に支障が出てしまうだろうか。そう思い表情を読むと、彼女たちも満足してくれたようだ。ならば、たまに鑑賞会などやるのも良いかも知れない。
……今度は座って見てもらおう。彼女たちはプロなので、苦にもならないようであるが。
「しかしこれもアイリちゃんにとっては、SFになるんじゃないですかねー」
「主役の二人が恋愛してるってだけ分かればオーケーでしょ」
「はい! ハルさんの世界を見ることが出来て嬉しいです!」
「微妙に本来の映像とは細部が異なりましたねー。なかなか興味深いです」
「僕の記憶だから、つまり僕の主観が入ってるからね。というかカナリーちゃん、元のを見てたのか……」
アイリにとってはSF、というのは面白い意見だ。その通りかもしれない。
ハルにとって常識となり、意識していない事であっても、アイリにとっては意味不明な物もあったかもしれない。
「何か分からない事があった?」
「どうでしょうか、そこまで気にしなかったのですが。……そうです! あの地下の丸い筒は何だったのですか?」
「あれは乗り物だね。あれに入ってると遠くの街まですぐ行けるんだ」
「すごいですー……、この世界では何日もかかってしまいますからね」
地下鉄の事だ。確かに乗っている間は風景の移り変わりも無いので、何が何だか分からなかっただろう。
現代の交通機関では主流になっている地下鉄。動力は圧縮空気だ。その関係上、閉鎖空間の方が都合が良い。エーテルが散逸しないという利点もある。
巨大な物を動かすのに向かないと思われていたエーテルだが、実用化から地下鉄への導入まで驚くほど早かった。反面、地上はまだ遅れ気味。
「しかしハルさんは面白い事をしますねー。かなり強引とはいえ、こんなに簡単に向こうのデータを持ち込まれるとは思いませんでしたー」
「ずいぶん警戒してるんだね。そんなに問題あるのかな」
「こちらに無い知識も多いですからねー」
この世界の住人にそれを広められ、パワーバランスや経済が乱れる事を抑制しているのだろう。
それでも、経験により様々な知識を持つ者が来てしまえばどうしようもないかも知れないが。詳細なデータの参照は抑えられる。
今の時代、ネットが参照できないという事が与える影響はそれだけ大きい。
「世界の壁は厚いんだね。じゃあ、やっぱり外に向けて配信は難しいの?」
「どうでしょうかねー。こちらから向こうに一方通行であれば、やれないことは無いかも知れませんけれどー」
「良いんじゃない? 何か問題が?」
「ログインしなければ彼に応援のメッセージ等を届ける事が出来ません。果たして、ファンはそれで満足してくれるでしょうかー」
「へー、色々大変なんだ」
ハルとしては、『ログインすれば良いのでは?』、と思ってしまうが、そういう事ではないのだろう。
きっと彼の放送を見ながら他の事をしたい、などといった思惑もあったりして、“ゲームをすることしか出来ない”この世界に来るのには心理的な抵抗が出ると考えられる。
「とはいえ、人が増えるなら検討はしますよー。どのくらい見込めるか後で聞いてみてくださいねー」
「人が増えなきゃ駄目なんだね」
「新システムの承認には人数が必要ですのでー」
「世知辛いね」
神様の世界も色々大変なようだ。
◇
映画を見ていたりしたら、もう良い時間になってしまった。
さして間をおかずアイリは就寝する。何だかここの所、久々に感じる一人の時間になった。アイリは寝ており、ルナは授業中、ユキは外出中。カナリーだけは、一緒に居ると言えるか。だが口は出してこない。
ハルは黙々とスキルアップに励みながら、このゲームの評価などを調べてみている。
既にプレイした人間からの評価は高い。それを見て、じわじわと人も増えてはいるようだ。だが劇的ではない。
仕方のない事かもしれない。なにせ画像や動画が持ち出せないのだ。何がどう面白いか、伝わり難い。ゲームの進行自体はよくあるものと大差はないのだ。箇条書きにすれば全く新鮮味がないだろう。
画像の持ち出しの件についてはカナリーに任せるとして、ハルから行動を起こすとするなら何がいいだろうか。
まず考えられるのは、今の流れをこのまま進めること。盛り上がりを見せているのは二つ、両方とも瑠璃の国に関わるものだ。
王子アベル、そして武神セレステ。ハル自身もこの両名とは接点があるため自然な展開だろう。
または、それはやる気のある他のユーザーに任せて、ハルは別方面を開拓していくこと。
この国に接している国はあと二つある。東に千草の国、南に藤の国。
おそらくそこにも対応した神様が居るのだろう。新キャラだ。それの登場によって、別方面からの盛り上がりが期待できる。
どちらも一長一短だろう。
今のまま進めるのは、望む展開が無かった場合ぱったりと熱が冷める場合がある。別方面の開拓は、ただでさえ少ない人数をそちらに分散させてしまう危険がある。
「さて、どうしたものやら」
「悩み事かしら?」
内外で情報を集めながらそんな事を考えていると、授業が終わったルナがログインしてきた。
「ルナ、おかえり」
「ただいまハル。アイリちゃんは?」
「寝てるよ。もう一つの体が付いてる」
「そういえば、そうだったわね……」
既にこちらは明け方に近い、まだ寝静まった屋敷の応接間でルナを出迎える。
オレンジ色の灯りが、ぼうっと薄暗く照らすのみの静かな空間は、ゆっくりとした時間の流れを感じさせる趣があった。
それがハルと、そしてルナの姿を曖昧に照らし出している。夜であろうと、明かりを点ければ昼と代わらぬ明るさになる事に慣れ親しんだ二人には、新鮮な雰囲気だった。
深夜の書斎、ロウソクの灯りで読書をするような風情はこんな感じであろうか。なんとなく、ロマンチックな空気を感じる。
もっとも、ハルが見ているのは本ではなく、ゲームウィンドウなのであるが。
「相変わらず、ミニゲームをしていなければハルは絵になっていたのに」
「こっちならアイリの寝てるの邪魔しなくて済むからね。代わりにメイドさんの邪魔になっちゃうけど」
「彼女たちも世話を焼く相手が居たほうが、張り合いがあるそうよ」
夜間であっても、常に二人ほどのメイドさんが起きている。交代制だ。
結界で侵入者の警戒をするためである。眠ってしまっても結界に接続している人には魔法のアラートは届くようだが、対応が遅れてしまう。
朝の準備などをしながら、彼女たちは過ごす。寝室に居る時は会うことはなかったが、ハルがこちらに出てきていると何かと世話をしてくれた。
ルナは深夜帯にログインしている時に、彼女たちと話す事があったのだろう。
メイドさんにお世話されるお嬢様のルナも、絵になっていそうだ。
「それで、何を悩んでいたの?」
「悩みは無いよ。他のプレイヤーとしては、どの国に進めていくのが嬉しいのかなって」
「ひとまずは、やれる事からやっていくしか無いのではなくって? セレステには会いに行かなかったのかしら」
「ルナに服を作って貰ってからにしようと思ってね」
「気を使うことなかったのに」
ルナの事を優先した、という理由も無いではないが、行かなかったのはもっと単純な理由だ。
つまり、何をするにしても服があった方がいい。
「いや、もし行った先で何かあって戦闘になったとする。その影響がこちらまで波及しないとは限らない」
「ええ、なるほど?」
「そうしたら僕は、アイリを抱えて逃げなきゃならなくなる。ズボンが落ちないように押さえながら」
「格好悪いわね」
「でしょ?」
「その時は仕方ないわ。メイド服を着て逃げましょう」
「それは平にご容赦を」
それは格好悪いとはまた別のベクトルで、全力で避けたい。
そのために、先にサイズの合った服を作ってもらいたかった。
「目的があるなら自分で作りなさいな……」
「だって折角ルナが作ってくれるんだしさ」
「それはまあ、嬉しいけれど」
少し顔をそむけて口元をゆるめるルナの横顔を、ランプの光がぼんやりと浮かびあがらせていた。
◇
「いつの間にパターン作ったの?」
「昨日のうちよ」
どこからかルナが型紙を取り出す。すぐに作ってくれるようだ。
ハルは<光魔法>で、作業しやすいように部屋を照らす。リアルの照明と変わらぬ明るさになった。
「ありがとう。ランプも雰囲気はよかったのだけれどね」
「やり辛いでしょ」
「そうね。それで、パターンは<防具作成>で引いておいたわ。イメージが薄れないうちに」
「……そんな使い方が。つまりそれは“服”に“模様”が書かれている状態ってことか」
ルナもたいがい器用だった。
<防具作成>で型紙を作り出したようだ。どう見ても着る事は出来ないが、よく出力できたものである。……それとも装備すると、ちゃんと服の形になるギミックでも搭載されているのだろうか。
そしてルナは昨日買っておいた布を持ってくると、型紙に合わせて魔法で裁断していく。
これも手馴れたものを感じた。
「練習してたんだ」
「ええ。ハルを驚かせようと思って色々やっていたわ。新しいスキルは、あまり覚えられなかったけれど」
「じゅうぶん驚いてるよ。次も楽しみにしてる」
「任せなさい?」
姿の見えない時に練習していたらしいが、それだけでここまで熟達するのは流石だった。
ハルやアイリと会話を楽しんでいる時間も多く、さほどの暇は無かったはずだ。リアルの経験が反映されているのだろうか、それとも純粋に彼女の才能によるものか。
瞬く間に布はカットされていく。
「和服?」
「風ね。こっち寄りにアレンジするわ。あなた刀をよく使うみたいだから似合うと思って」
「腰に刀は差せないけどね」
「ふふっ。帯が切れてしまうわね」
鞘が無いのだ。仕方がない。
あったとしても、あれだけの切れ味を誇る刀を納められる鞘など存在するのだろうか。
果たしてどんな服に仕上がるのか。
朝を待ちながら、ルナが服を作り上げていく様子を眺めて過ごした。




