第397話 天之星
「まあ、おやつはあって困るものじゃない。気にせず出航しようか」
「ですよー? 邪魔ならぜんぶ食べちゃいますよー?」
「食べんでよろしい……、もう君の胃袋は神様の時と違って有限なんだから……」
「ここだけが、不便な部分ですねー。人の体はー」
それ以外の、超常の力に一切の未練をもっていないのはカナリーらしいが、どうせならそこの未練も一緒に置いてきて欲しかったところだ。
どうしても当時の感覚で食べたがるので、ぷくぷくと太りそうになってしょうがない。
メイドさんも徹底的に甘やかすので、歯止めがきかなかった。余計なお肉を付けさせない、エーテルによる体調管理には毎日気を使っているハルだ。
ハルも、甘やかしすぎである。
「ハルさん、ハルさん」
「ん? アイリ、どうしたの? 気になることがあったかな」
ハルが未だおやつに気を取られていると、横から、くいくいっ、と袖をひっぱるアイリに現実に引き戻された。
かわいらしく小首をかしげて、何かを聞きたいようだ。
「このお舟の、お名前は何というのでしょう! 出航するならば、号令が必要です!」
「あー確かにねアイリちゃん。『ナントカ号、発進!』、ってねー」
「はい! ユキさんもやりたいですよね!」
「やりたいやりたい」
「……確かに、決めてなかったね」
確かに船には、名前が必要だろう。人間的な感覚だ、見落としていた。
唯一無二の強力な艦であるので、『あの艦』とか、『戦闘艦』とか、そう言って済ませていたハルと神様だ。
基地間を行きかう輸送船たちも、『藍二型・十三番機』、といった通し番号で管理しているので、名前を付ける発想が無かったのだ。
ここ最近は名づけが苦手な神様たちに、ハルも感化された結果である。
「アイリは何か、付けたい名前はあるのかな?」
「はい! 『ハル丸』など良いかと!」
「良くないね? 丸は、ちょっと……」
「そうでしたか。ハルさんのお国の名付けはそのようだったと思いまして」
「んー、『プリンセス・アイリ号』ってのは? その系統で言うと」
「別のにしましょう!」
「ここで満を持して『ハルもにあ一番艦』にしよう!」
「ユキも懐かしいネタ出してきたね……」
少々、名付けが難しそうである。ハルは思わぬ所で頭を悩ませるのだった。
また、適当に神話から格好いい名前を取ってきてもいいのだが、ここで問題になるのが、この艦はルシファーを艦載しているということだ。
別にガブリエルなどとしても支障は無いのだが、そうすると少々ルシファーとは相性が悪いかな、などと考えてしまう。
「ハルもにあ……、ギルドの命名の時だったかしら。あの時は結局、『銀の都』にしたのよね? 今回もそのようにすれば良いのでなくって?」
「《白銀もそれは嬉しいのですが、今回、わたしそんなに貢献してねーです。わたしより、他の奴らから取った方がいーのでは》」
「白銀が大人な意見を言えるようになったのは嬉しいけど、今回はややこしくなるね。色的に」
「そうね? じゃあ黒曜から取りましょうと言うにも、艦体は白や青で統一されて、黒い名前は合わないものね?」
「《私のことなど、どうかお気になさらず》」
エンジンの設計をした黒曜ならば、貢献的にも妥当そうだが、青白い船に黒い名前は、少々違和感が強かった。
これが白銀であればイメージにも合うのだが、ままならないものである。
「じゃー青いからセレステ丸だね」
「止めよう。彼女が泣く」
「マリン丸」
「……ユキ、丸から離れなさいな」
急に名前を付けろ、というのも困ったものだ。ハルは名づけが苦手だという神様たちの気持ちをまた理解した気がする。
しかし、ここで練りに練った名前を、ともたもたしている訳にもいかないだろう。気分はいざ出航、となっているのだ。
「先輩の意見でも聞こうかな。モノちゃんは、戦艦の名前ってどうやって決めたの? あれって、こっちの言葉だよね?」
「《ぼくの意見は、あてにならない、かもよ? あれは、現地の人間の意見を参考に決めただけ、だから。希望とかなんとか、そういう意味、なんだ》」
「……今は日本語以外を喋れる人は残っていないか」
「《だね。ちなみに、あの名前を読み取って宣言したから、ハルはぼくの指揮官になれた、んだ》」
「そんな裏事情が……」
今回同様、艦名を宣言して発進した方が格好良いだろうと、深く考えずに行った行動だったが、それがトリガーとなっていたらしい。
「日本語、日本語か。いっそそうしようか。青、天色、いや一色を贔屓するのもな、みんなで作った物だし。……『天之星』、でどうかな。星は、神様」
「満点に輝く綺羅星ですねー。いいですねー」
「はい! それで行きましょう!」
「名前なんて何だっていいわ? ……まあ、良いのでなくて?」
「よし、さっそく宣言しよう!」
安易に『七色』や『虹の船』、とでもしようと思ったハルだが、七色に限定してしまうようでそれは避けたい気分があったのだった。
既に、ハルを取り巻く神様は、国を守護する七色神だけではなくなっている。
全ての輝く星を乗せて運ぶ船にしたい、そんな気持ちがこもっていた。
それに、この七色の世界を抜けて行くのだ。艦の名前はそこに囚われないものが良い。
「じゃあ、決まったところで、アイリ、お願い」
「わ、わたくしゅで良いのれすか、ですか!?」
「いいっていいって! やっちゃえアイリちゃん!」
「で、では……! すー、はー……、天之星、出航です!」
力強いアイリの宣言によって、ついにこの神界の突破作戦が決行されるのだった。
*
色とりどりの鮮やかな景色を置き去りに、星の船は進む。
溶けて混ざった七色の輝きは、次々と後方へ押し流され、艦の外を映すモニターは、さながら宇宙船がワープする際のような、極彩の世界と化していた。
いや、外だけではない。近くにある物は見えにくいが、艦の中も、この場の神界ネットの魔力で満たされている。
ハルたち乗員の周囲にも、高速で流れ去る魔力の奔流が渦巻いていた。
「目がちかちかしますー!」
「そうね……、これは、あまり良い気分のものではないわ?」
「私は結構平気! 鍛えてるから!」
「親和性の高い子ほど辛そうですねー。ハルさん、どうにかなりませんかー?」
「私、馬鹿みたいに言われてる!?」
「……相性の問題だよユキ。気にしない。……そうだね、ちょっと、二人の視界を借りようかな」
彼女らの目に映るこの景色を、脳が“気にしないように”調整する。アイリとルナの体内に入ったナノマシンの制御は、ハルが任されている。それを介して、視覚の処理に調整をかけたのだ。
「ルナは、ログアウトした方がいいかもね。その方が抑制が良く働くと思う」
「いいわ? だいぶ収まったし、我慢できる。再ログインで、戻ってこれる保証は無いもの。肉体では何もできないわ?」
ルナとユキの体は、ポッドと共に艦の医療部屋に居る。
そのためログアウトしても、すぐに合流できるのだが、再びログインで戻れる保証はなかった。
その際プレイヤーキャラでなければ役に立てない、と気にしてしまうルナだった。そこは、ユキも同じ。いや彼女はそれ以上だ。
「私は平気でよかったよ。体に戻ったら、どーにもならぬ」
「そうかな? 最近のユキは、肉体の方でも結構慣れてきたんじゃない?」
「はい! 時には一日中ずっとでも、戻っていられてますし!」
「あれはアイリちゃんが戻らせてくんないから……、楽しかったけど」
最近はアイリによる“リハビリ”で、徐々に肉体に意識を戻したままでの活動も平気になってきたユキだ。
まあ、リハビリと言っても一緒に本を読んだりして遊んでいるだけなのだが。アイリの押しの強さが、良い方向に働いていた。
「《ハル様。ご歓談中申し訳ありません。艦のバリアに、干渉するエネルギーがあります。少しずつ、その力を増している模様》」
「っと、来たか。例の迷いの森機能。……これは、もう『さりげなく』なんてレベルじゃないね。隠す気は無くなったようだ」
「《はい。どうあっても、外には出さないという意思を感じる圧力です》」
徐々にスピードを上げて戦闘艦を進ませて行くと、マリーゴールドの報告にあった、方角を迷わせる力が働いてきたようだ。
今は右舷から押してくるような圧が、展開中のバリアに干渉しているのがデータに出ている。
既に、それはもう誤差などではなく、明確な数字となってハルの睨むモニターに表示されていた。
その方向のバリアの出力を上げて相殺しているが、それを止めれば即座に2°ほどの傾斜が発生するだろう。
「エンジンの出力はどーなってるんハル君?」
「既に対消滅エンジンはフル稼働だね」
「だめじゃーん。あ、でも魔法のエンジンはまだ使ってないから余裕があるか」
「あまりネット上に魔力バラまきたくないからね」
「しかし、そんなことは言っていられないのではなくて? 圧力が上昇しているわ。これは、『出さない』という強い意思がデータに出ているわね?」
ついには、前方からも圧が掛かり始めた。直接速度を殺す気だ。
宇宙船としての使用にも堪えるように、内外の大気は完全に密閉されている事も幸いしたかも知れない。
これで中からも直接体に干渉されると考えたらぞっとしない。
その力はもう一切の隠蔽を止めて、ついには少しずつ航行速度が鈍ってきた。
空間の捻じれもセンサーにより捉えられており、おそらくこのままではこの『七色の海域』の突破は適わないのだろう。
「どうしますーハルさんー? 別に気にすることありませんよー、どーせ多少ネットにノイズが乗るだけですしー」
「私みたいな廃人の神様が居たら、文句言ってくるかも!」
「その時はぶっとばしちゃいましょー」
追加で、魔法の噴射機を吹かすか否か、という提案だ。魔力で出来たこの神界ネットに、何らかの悪影響が出かねないため、使用には慎重になっている。
それに加えて、それを追加したところで果たして足りるのか? という懸念も存在した。そこまで高出力には出来ていない。
「……仕方ない。こんな事もあろうかと、奥の手を用意している」
「おっ、いいねハル君。わくわくしてくるよ」
「どきどきですね!」
「最初からおやりなさい、というのは野暮ね?」
「お約束ですものねー、そういうものですよー」
女の子たちの三者三様の反応に、少し嬉しくなるハルだ。秘密兵器、というものをやってみたかった。
「この艦には通常のジェネレーターに加えて、追加でアタッチメントが装着可能だ。それにより、更なる高出力が発揮できる」
「ほーほー、その追加とは? ハル君自身?」
「うっ、いきなり正解に近いと対応に困る……」
「流石はユキさんなのです! よくご理解されています!」
「伊達に長い付き合いじゃないよー」
得意顔で解説しようとしていたら、いきなり出鼻をくじかれてしまったが、気を取り直してハルは続ける。
この戦闘艦は、多くが機械的な自動化を施されているが、その物理的、魔法的な燃料は艦長であるハル頼みな部分が大きい。
ハルが供給を止めれば、あまり長くは持たない。そういう意味では、最初からハルが動力として接続されているとも言えた。
そこに、更にハルを追加する事は出来ない。そういった意味では、ユキの答えは半分あたりで半分はずれだ。
では、どういった意味であるのか。
「ルシファーを、ジェネレータとして接続する」
「艦載機じゃないのかーい!」
「運ばれていたと思ったら、いつの間にか自分が運ぶ側だったんですねー。悲劇ですねー」
「……いいんだよ、出力めっちゃ上がるんだし」
ハル自身も思うところが無いではないが、効果の高さの前ではその思いもかすむ。
ルシファーが完全に起動した状態では、内部のナノマシンはリミッターを外されて無尽蔵に増殖を続けている状態だ。
つまり、この世で最も、エーテルによる高出力のエネルギー生産に向いている場所と言えるのだ。
そのルシファーを、エンジンである対消滅ドライブに直結させる。
その際の出力は、魔導エンジンとの併用時と比較して実に五倍以上の高出力を誇るのだった。
「という訳で早速だけどアイリ、準備はいい?」
「はい! いつでもどうぞ!」
「オーケー行くよ」
「『無尽増殖!』」「『同調接続!』」
アイリと同化した精神を、より深く同調させて、ルシファーの内部にナノマシンの雲を生み出してゆく。
リミッターを外されて爆発的に増殖を開始するそれは、増えた傍からその身を際限なく使いつぶして、次々とエネルギーを発生させていった。
日本でやれば即座に燃料が枯渇して使い物にならなくなるが、そこは魔法で、<物質化>で次々に補ってゆく。
「対消滅ドライブ、オーバーロード!」
「これは、あれだ! 例の展開!」
「あれですねー? 傍にある何かにつかまれー、ってやつー。ハルさんしか居ませんねー。掴んじゃいますー」
「ユキもカナリーも、お約束が好きね本当に……」
エンジンの出力が爆発的に増加し、艦体は一気に加速する。
その際の衝撃により発生した慣性力に、クルーは吹き飛ばされ、といったお決まりの展開は起こらなかった。内部の安全性は神々により徹底的に高められている。
そんな中でも、皆でハルの体にしがみつく、という少々間抜けな絵面が展開されてはいるが、艦はもはや外からの圧力など物ともせず、一気にこの七色の世界を突破して進むのだった。
※誤字修正を行いました。報告、ありがとうございました。(2022/7/17)
追加の修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/13)




