第392話 食の起源
「ハルさん、これ見てよ」
この日も、次元の狭間にて探査基地の建設にいそしむハルたち。そんな中を、現場ではあまり見なかったマゼンタが声をかけてきた。
「マゼンタ、どうしたの? というか仕事してたんだね」
「いやだなー。ボクもさすがにこの空気の中でサボりはしないさー。……最低限しかしないけど」
「そんなことを言いつつも、手薄になった現地の国のフォローしてくれてんでしょ? 知ってる」
ここの神様は、口ではなんだかんだ言いつつも、裏ではしっかりやってくれる人が多い気がする。ツンデレか。
「それは、ねえ。この時期は、ヴァーミリオンは厳しいからさ。手を貸してやらないとマズい部分もあってねぇ」
「それって食料?」
「ご明察。ヴァーミリオンの巨獣については知ってる?」
「ああ、地球には居ないやつだよね。……いや、実はいたのかな? 絶滅しただけで」
「鋭いねぇ。まっ、今はそこはいいのさ。重要なことじゃない」
「いや重要ってか教えて欲しいんだけど……、まあ、見て欲しいものって何?」
非常に気になる話し方をする。正直、気になって仕方ないハルだった。
カナリーといい、こういう思わせぶりな語りをするのは神様に共通のものなのだろうか?
まあ、知らないことを全部教えてもらっていては時間がいくらあっても足りないのは事実。ハルも我慢して、本題に戻ることとした。
「この神界施設を形作っている神力、つまり重力力場のことだけど、それを魔法を使わず、機械的に再現できないか試してたんだ」
「マゼンタ君は、能力的に神力の扱いが得意だったものね」
「うん。そうそう。そうしたら、なんと!」
「再現できちゃった?」
「んーん? ぜーんぜんだめ」
「おい……」
思わせぶりな発言をするのは、彼に関してはどうやら確信犯のようだった。
見ればその顔を見た目通りの少年らしく、いたずらじみて笑顔にしている。憎めない態度ではあるが、少々苛ついたので軽くはたいてはおく。
「あいてて。……再現は出来なかったんだけどね。面白いことが分かったんだよ。ラインの外側を満たしている謎の物質、これも神力に類するものだとボクは断定する」
「つまりは、重力の影響を与えている?」
「そのとーり! 飛ばした次元船が減速するのは、進行方向から斥力を食らってるんだ! あ、正確には、全周囲からだけど」
「水圧うけてるみたいな感じか……」
「神界だけに」
「深海ってかい?」
扉からこの次元の狭間へと潜り込んだ時に受けたイメージ、水の中にいるようなイメージはそのためだろうか?
とはいえ、水圧のようなものといっても、深海のように強い訳ではない。神界だけに。
……コントはいいとして、これは全体に共有すべき情報だろう。基地を圧壊させるほど強い圧力ではなくとも、無視した設計をしているといずれ不具合が出てしまうだろう。
ハルはマゼンタの調査に礼を言うと、さっそくそのデータを神様たちと共有にかかる。
*
「……よし、こんなもんか。問題の出そうなパーツは、余剰が出来しだい交換で間に合うだろ」
「どっか問題あったー、ハルさーん?」
「致命的なものは無かった。でも、電子機器の一部は順次交換だって、アルベルトが」
「小さいものでも常に圧力かかるもんねー」
「それで、理論値より消費電力が大きい部分があったんだってさ。電子の一部が量子化するとかで」
「電力抜けかー。熱も出るし良いことないねぇ」
分子レベルに小さなパーツに、更に負荷が掛かることで、壊れはしないものの、想定とは違う動作を起こしていた物があったようだ。
致命的ではないので、原因不明なれど放置していたが、マゼンタの活躍により、適切な修正案が加えられることとなった。
更に、セレステもこのデータを見て、その環境下で最適に肉体を動作させるシミュレーションに移ったようである。
「さて、一息ついたし、さっきの話教えてよマゼンタ」
「えー、めんどくさい。そんなに気になってんのハルさん」
「そりゃあね」
一通りの周知と対策が終わり、手の空いたハルは先ほどの話が気になってくる。
マゼンタも一仕事を終えて、今度こそサボろうとしているので丁度いいだろう。ハルは彼をお茶の席に誘うことにした。
「んー、まいっか、ハルさんじきじきに休んで良いって言ってることだし。それに、どのみち強く聞かれればボクら断れないしね」
「そこまで強制力をもって命じることはないよ」
「いーや、強要されたって言うね」
「いうなと……」
なかなか渋っているマゼンタだ。何か、言い難い理由が、この世界の秘密に深くかかわる部分があるのだろう。
それを、自分の口からハルに明らかにしてしまうことを嫌がっているようだ。
そこまで責任問題になる内容なのだろうか? いずれにせよ、何かあっても責任はハルが持つつもりだが。
そんなマゼンタを半ば強引に引きつれて、ハルは一時、天空城へと戻り、メイドさんたちにお茶の準備を頼んでゆく。
その際に、<転移>でついてきたアイリと、カナリーにも同席してもらうことにした。
*
「私もですかー? まあ、お菓子でるなら、何でもいいんですけどー」
「カナリーちゃん居た方が、マゼンタ君も話しやすいと思ってさ」
「えっ、それならボク必要? ぜんぶカナリーから聞けばよくない?」
「言い出しっぺが責任持ちなさいー。わたしはおやつ食べてるんでー。口はそっちに使いますー」
「マゼンタ様、よろしくお願いいたします!」
ここにきて、逃げられないと観念したか、それとも責任が分散したことに満足したか。マゼンタはお茶を一杯口に含むと、ぽつりぽつりと語り始めた。
「んじゃ、とりあえずは確認から。ハルさんは、ボクらがこの地に文化を広めた経緯は知ってるんだよね?」
「ああ。<誓約>でこの地の文化を継承することを封じ、代わりに日本風の文化を伝来させた」
「全部が全部、日本なわけでも、全部の文化を封じたわけでもないけどねぇー。例えば、建築とかファッションなんかは、ある程度こっちの様式を引き継いでるよ」
「確かにね。木造建築で、畳に障子になってるよね、全てだったら」
「……ぶっちゃけそこまで完全に用意すんの、ボクらだって御免だ」
「そこは私もですー。サボり癖が無くても、そこまでは御免ですー」
ありとあらゆる文化を一から教えていては、いかに神とて過剰労働。そのため、伝承の禁止はそれが成立した歴史のみに限り、培ってきた手法自体は残す、としたものも多いらしい。
神が苦手とするデザイン関係には、そうした物は多いようだった。
「そんな中でも、完全に日本風、いや、現代日本的になってる部分がある。さぁ、どこか分かるかなハルさん?」
「ふむ? なんだろうなあ……」
完全に、となるとあまり無いように思える。
街並みは、交通の様式こそ日本のそれを取り入れているが、造りは石造りのファンタジー風だ。お城も同じ。日本の城とは似つかない。
ファッションなど論外である。ハルに合う服が無いと、ハルの服はルナが全て一から作ってくれた手製のもの。
「衣食住は全て……、いや、食は、完全に浸食が済んでいる? のか?」
「カレーは無いです!」
「そうだねアイリ。カレーが無ければ、完全とは言えない」
「はい! カレーは、必要です!」
「すっかりお気に入りですねーアイリちゃん。旦那さまの手料理でしたもんねー」
「……なにこの空気。いやさ、カレーはともかく、当たりだよハルさん。複雑なスパイスの再現は、その、勘弁してよね」
それは、以前にもカナリーから聞いている。日本食、というより日本人の普段の食事と、それを構成する食材はほぼ取り入れたが、細かく多種多様なスパイスまでは、再現できなかったと。
それでも、十分に日本の文化の再現が完成していると言えるだろう。
まずこの世界に来てすぐに『トマト』や『コーヒー』を頂けて、更には『牛肉』が存在し、『醤油』まであった。重要だ、『醤油』。
ここ梔子の地域では、土地柄かあまり魚は見かけないが、群青へと繰り出せば、なじみ深い魚料理が出迎えてくれる。
千草の名産の牛など、完全に和牛だろう。まさか、自然に和牛と同じ牛がこの地に育った、などという偶然をハルは許容しない。
「更には街の屋台でソフトクリームが出る始末」
「うちの国なんか、おでんあるよハルさん。おでん」
「まじか……、後で食べにいこうかな」
「食べたいです!」
「うちのカナリー焼きなんてー、正直パクりですから、あまり大手を振りたくはないんですけどねー」
「無理でしょ、正直、カナリーちゃんの引退前より活性化してない? カナリー焼き屋台」
と、そんな感じで、衣食住の『食』に関しては、完全にこの世界の食文化を、日本食が塗りつぶしてしまっているのであった。
「僕は嬉しいけどさ。すんなり食べる物に馴染めて」
「わたくしもです! ハルさんと同じ物を食べて育てたから、結婚できたのです!」
それは、どうなのだろう。いや、案外バカに出来ない事実かもしれない。
夫婦の相性に、食に対する意識の差というものは重要らしい。いわゆる家庭の味が地域で少し違うだけでも、関係がこじれる原因になるとか。ならないとか。
まあ、そこを乗り越えてゆくのもまた夫婦であるだろうから、ここではアイリの発言は特に取り上げないハルだ。
「そうですねー。もちろん、このゲームが日本人用として、すんなり馴染めるようにと用意した部分は存在しますー」
「だけどね、理由はそれだけじゃない。必要に迫られて、やった部分もとっても大きいんだ」
必要に迫られて。つまりは最初の頃、保護したこの世界の人々を養っていくために食料が必要だったということだろう。
戦争から逃れ、土地を追われた人々だ、当然食事の当てなどない。
そこに<誓約>の対価として平和な生活を保証した神々は、不自由の無い『食』の提供をするのは必須であった。
「さあ、また問題。どうしたと思うハルさん?」
「<物質化>」
「早いですねー。即答ですねー。ハルさんも同じようにやりましたもんねー」
「お祭りの時、ですね!」
「正解。得意だもんねぇハルさんは<物質化>」
食材を魔力的にコピーし、物質としてペーストする。<物質化>によって、食糧事情はまさに神の如く解決できるのがこの世界だ。
そこは、非常に大きい。決して食べるのに困らない、という事実は、神々を文字通りに神のように信仰する大きな要因となっただろう。
「その、天から降るようにもたらされた食べ物でー、人々は救われました。めでたしー、めでたしー」
「やはり、神々は偉大ですー……」
「とは、いかなかったのさ。ハルさん、問題、」
「回答。その食料は、神が居なければ生産が適わないものだから」
「早いよ……」
ここまで順序よく並べられればハルにも分かる。この食料提供の問題点が。
それは、完全に神に依存しなければ維持できない生活であるということだ。加えて、完全に魔力に依存している、という旧文明の問題点も解決できていない。
「民衆は、それでも良いって言ったんだけどねぇ」
「ですが、私たちは否定しましたー。特にマゼンタが、否定しましたー」
「ボクの提案じゃないって! みんなで決めたことでしょ!」
「あー、やっぱマゼンタ君って、人間の自立を促してるんだね」
「だからボク主導じゃないっての!」
人が、いつまでも神の庇護下に安寧としている事を良しとしないマゼンタだ。
いつも、『自分はサボりたいから』、と言って仕事を放りだし、必要以上に人間たちに干渉しない。今もこう言っているが、当時からその思想は変わっていないのだろう。
食料は、いち早く自給自足できるよう、彼がその作業を優先したとしても納得できるハルだった。
「んあー、もう。まーそれでね。食材を全部ボクらが<物質化>するんじゃいけない。でも、彼らに自分でやらせるにも、まだ問題が残っていた」
「<物質化>は、生き物を生み出せない」
「……まだ問いを出してないのに」
「なるほど、生き物を出そうとすると、<転移>になってしまうのでしたね……!」
「そうなんですよー?」
生き物は<物質化>で生み出せない。しかし、食材、あえて悪い言い方をすれば死体からでは、それ以上の発展は無い。
なんとか、生きた動植物を用意して、保護したNPCの祖先に世話を任せないとならなかった。
「あれ、<転移>でも良いのではないですか? 日本から、番をお借りして……」
「ノアの箱舟みたいだね。まあ、無理だったってことでしょ?」
「でしたー。次元を超えて<転移>しちゃえるのはー、ハルさんだけなんですー」
「すごいですー!」
「いやほんと凄いよ? 冗談じゃなくて。今はカナリーが大量の魔力を使って強引に転移させられるけど、当時は無理だったしねぇ」
「やれても牛を用意するために次元に穴なんか開けませんー」
しかし、今この地には、日本産の食材が満ちている。
ほとんどは現地の人々が生産に従事し、自給自足がほぼ浸透していた。
つまりは、<物質化>以外の方法でもって、神々は食料問題を解決したのだ。
「ハルさん、ゲーム外に出たんでしょ? 『生体研究所』には行かなかった? ちょうど、ハルさんの出たヴァーミリオンの北にあるんだけど」
「いいや? カナリーちゃんも、教えてくれなかったしね」
「予定を増やしても何でしたからー」
場所的に、そこもマゼンタの管轄の施設なのだろうか。そうかも知れない、彼の神界での担当施設は『幽体研究所』、響きがそっくりだ。
その施設に、今のこの世界の食事事情を形作った、そのルーツがあるようであった。




