第383話 重力異常地帯
「じゃ、あそこ目指すけど、大丈夫?」
「ちょっと待って!」
宇宙空間から、目指すべき場所に照準を合わせ、そこにルシファーの機体を向ける。あとは直線で降下すればいい。
目的地のクレーターは、ずっとどの神様も自分の領土にはしていないようで、鉢合わせの心配はない。このまますぐに、向かっていいだろう。
しかし、そこにユキからの待ったが掛かるのだった。
「えーと、ハル君なら当然大丈夫だと思うんだけど、あれは平気なん? なんだっけ、大気圏?」
「ああ、説明してなかったね。大丈夫だよ」
「自分は問題ないから説明を省くのは、ハルの悪い癖ね? 心配になるものよ? 私はもう慣れたけれど」
「いいですねー、理解のある奥様アピールですねールナさんー」
「いえ、そういうんじゃないのだけれど……」
カナリーが茶々を入れるが、ルナの言うことはもっともだ。言わずとも何でも察してくれるルナに、今までは甘えていた部分も大きい。
言わなければ、伝わらないのだ。そこは、心が繋がったとしても大切にしたい。
「断熱圧縮による空力加熱のことだね。それについてはこのルシファーは、そもそも最初から発生しないから安心して」
「ふむふむ」
「飛行の補助として、前方の空間に常に干渉して、“前に引っ張って”もらってるんだけど。その過程で衝突する空気も押しのけてるから、そもそも空気の壁にぶつからないんだ」
「なるほど、わからん」
言っても、伝わらないこともあるのだ。そこは、心が繋がったとしても変わらなかった。
「つまり、ルシファーは凄いのです! 強いのです!」
「そうだねアイリ。その通りだ」
「なるほど! よくわかった! 強ければ解決だ!」
「……ユキは後でお勉強ね?」
「く、空間魔法は苦手でして……」
まあ、それは仕方ない。ハルだってこの航行方式は、マリンブルーの教授を受けて初めて実用化に至った。
水と空気の違いはあれど、彼女の作成したレイドボスの海竜、あれの搭載した前方の空間に引っ張られて進む機能は、非常に応用性が高かった。
その甲斐あって、再突入時の、いわゆる隕石が真っ赤に燃える現象に悩まされる必要は無い。
「わたくし、空間魔法よりも、その隕石が燃えるやつの方が分からないのです! うちゅうから来る物は、たいてい燃えてますよね」
「その辺はまだ分かるなー。ほら、アイリちゃんが音速でぱんちしたとしてさ」
「……すごい例えだわ?」
「しかも出来ちゃうんですよねー。この子ー」
「はい! たあ! ってやります!」
「そのぱんちも、実は炎を纏っているのだ」
「なんと!」
アイリの方は、やはり宇宙関係に疎いようだ。それが何故、隕石は燃えるものだということは知っているかというと、当然だがゲームの知識であった。
ゲームに出てくる魔法で、隕石を呼び出して降らせるものは一般的だ。それが、どれも大抵は燃えていることが気になっていたようである。
そんな心配をすることなく、ルシファーはその速度に対して非常に静かに、目的の地点へと急降下して行くのだった。
*
その地は、まるでゲームの中の世界へと迷い込んだかのような風景だった。
実際にゲームとしての世界が展開されているこの地で、そんなことを言うのは妙であるとハルも自覚している。ここは運営の手の届かぬ地。
しかし、この地の異様はそうとしか言えない。
何か大きな力によって破壊され、巻き上げられた地盤は天へと弧を描いて逆立って、まるで波頭のようにうねりを巻いている。
普通、そんな不安定な状態に岩が削り取られれば、自重によってすぐに崩落してしまうだろう。
しかし、この地の岩はその状態のまま、まるで大波が押し寄せてくるような姿勢のままで、姿を固定しているのだった。
「うっわー。高いね。空から見たときには、もっと小さなクレーターかと」
「宙から確認できる時点で、その大きさは知れようというものよ? ……とはいえ、これは」
「だね。何をどうしたら、こうなるんだか」
そう、問題なのはその大きさ、高さだった。岩に波の彫刻を彫ったとして、人間サイズならまだ保持もできよう。
しかし、この地に刻み込まれた彫刻はビルをも越えるかというもの。見上げれば首がきしむ高さだ。崩れない訳がない。
「いえ、崩れては、いるのですね? でも、その砕けた石片が、降ってこない……?」
「ファンタジー光景だよねー。ふわふわ浮いてる」
「先端の方は、皆砕けて小さくなっているのね? しかし、それが空中に固定されている……」
まるで、波の先のしぶきを表現でもしているかのように、先端に向かうにつれ岩は砕け、細分化されて行っている。
だが、落ちない。
当たり前だが、自然現象ではない。魔法によるものだ。
しかしこの地は、どの神も管理していない場所。であるというのに、百年の昔から、ずっと魔法効果を保ってきているようなのだった。
「これは空間魔法では、ありませんね。そもそもそんな長時間、この規模で維持などしていられませんし」
「おー、そうなんだ。私にはさっぱりだから、また同じかと思っちゃった」
「……重力異常だね。……意味不明なことに、この場ではこれが自然現象と化してる」
「そうなんですよー。だから、魔法を使って直す、ってのも難しくってー」
この星の重力は、地球と同じく1Gだ。だがこの場所においては、その常識が狂っていた。
場所によって重かったり軽かったり。その岩の浮いた位置などでは無重力になっているのだろう。
宇宙の法則が、全力で首をかしげていた。
「カナリー? あなた、この場所で何が起こったのかは、それは詳細に知っているの?」
「いえー、詳細には知りません。ですが起きた当時、既に私たちはこの世界に来ていましたから、どんな事が起こったかはしってますー」
「か、カナリー様、それは、いったいどんな……」
「それはですねー。めっちゃくちゃ大量の魔力を消費してー、なんか凄い威力の魔法が爆発したんですー」
「詳細さゼロね?」
「緊張感ないね。まあ、君にとっては対岸の火事だったかな?」
「ですねー。当時はまだ、体も持ってなかったですからねー。でも、対岸ではないですねー。その事件以降、魔力の総量は目に見えて減ってきましたからー」
「どう考えてもこれが原因ジャン……」
ユキが唇を尖らせる。神々の多くも、同じ見解のようだ。
それも当然か。言うなれば、海の水はいくら汲んでも無くならないから、その総量の一割を素材にしても問題ないよね? といった暴挙であったらしい。
問題しかないに決まっている。
しかし、直接引き金を引いたのはその事件であれど、世界からの魔力の枯渇の原因なのかどうかは、結論が出ないそうだ。
それを、カナリーが注釈する。
「ただ、これが原因かどうかはいまいち証明できないんですよねー。証拠は見てのとおり吹っ飛んでますし、その後も酷かったですしねー」
カナリーたちに関りがあるのは、むしろその後の方だ。
その後の状況は、お決まりのもの。責任の追及、押し付け合い。資源としての魔力の奪い合い、戦争の始まり。目に見えて減っていく魔力に対する危機感、恐慌。
そんな世界に倦んだ人々を、守り導いた先の世界が、今のアイリたちの世界となっている。
「つまり、カナリー? その後で、その事件の後に、世界の人々が争わず協力していれば、魔力の枯渇は起こらなかったということかしら?」
「可能性の話ですー。協力したって、駄目だったかもしれませんー」
「でも! 今のように、こんなに酷くはならなかったはずです!」
「結果論ですよーアイリちゃんー。まあ、これ以下は、あーんまりないですけどねー」
そうしてハルたちは、普段より気持ち神妙に、過去の大事件が刻んだ爪痕のこの地の光景を言葉なく眺めるのだった。
◇
「まあ、しんみりしてたって仕方ない。せっかく来たんだ、調査しよう」
「そだねー。昔のことは、昔のことだ」
気持ちを切り替えるように、ハルが宣言する。自分の世界の失態に、特に沈んでいたアイリも、それでしっかりと顔を上げた。
「それでさ、カナリー。この地の重力異常は、惑星全体に影響を及ぼしてるってことで良いんだよね?」
「ですねー。本来この星は、地球とおんなじサイズ、おんなじ天体運動だったんですよー」
「……そういえば、最初は疑問だったわ? ここが実際の惑星だと知って、何故なのかしらって」
「あー、私はアレはもう“そういうもの”って納得しちゃってたからなー。ゲーム気分が抜けないというか」
「何のことなのでしょう!」
地球の常識、1Gの天体であるというなら当然同じように持っていて欲しいその条件。それがこの星には一つ欠けていた。
自然な四季も含め、ある程度は神の力で環境補正できるゲーム内であるが、そこだけはどうしようもなくそのままにせざるを得なかった。
アイリだけが疑問に思わないそれは。
「一日の長さだよアイリ。地球では、一日が二十四時間。こっちでは、二十三時間」
「はっ! そういえばそうでした! 日本では、少し長いのだなー、くらいにしか!」
「ズレるんですよねー、地軸がねー、このコイツのせいでねー。まったくもー……」
いつだか黒曜も計算していた、自転のずれ。その悪影響を及ぼしているのが、この地の重力異常だ。
「しかし、よく言い訳つけたよねカナリーちゃんは。ネットゲームならではだねあれは」
「だねだね。『個人の生活スタイルによってプレイ時刻が固定化されないように』、」
「『一日を二十三時間にして、少しずつ変化する街並みをお楽しみいただけます』、だったかしらね? 違和感なかったわ?」
「苦肉の策ですよー」
あの地方は、それでもきちんと毎日の長さが固定されている安定した環境だそうだ。
位置によっては、日によって、季節によって一日の長さにズレが出る所だってある。
人間の生活に適した位置を、縄張りとして勝ち取ったらしい。そんな、『建国』の裏話をカナリーはいみじみと話してくれた。
「では、わたくしたちの世界も元は!」
「一日が二十四時間だったのですー」
「なんと!」
「カレンダー、不便でしょー?」
「えへへ、どうにかならないのかと、実は不敬な念を抱いたときもありました……」
バツが悪そうにアイリがはにかむ。カナリーはそんなアイリを、『苦労をかけて申し訳ない』、とでもいうように優しく撫でて慈しんでいた。
この世界のカレンダーは、日本のそれに準拠している。それは季節を、一年をきっちり定義するためだ。
そのためひと月は三十日程度ではなく、少し長いことになる。
しかもその長さは年によってまちまち。基準が日本だからだ。正直、めんどくさい。
だがそんな面倒なカレンダーとしたのは、何もゲームとして日本に合わせるためではない。
四季を、一年を。人としての営みを、折り目正しく維持していくための彼女らの苦労の表れのようだった。
「しっかし、どうなってんだろねーここ。うわ、<飛行>してないのに浮くよ」
「星に悪影響が無ければ、ファンタジックで楽しい土地なのでしょうけれど……」
「いいスポットだよね。発生の経緯を考えなければ」
「あ、ごめんねアイリちゃん?」
「お気になさらず! わたくしも、ふわふわするの楽しいのです!」
皆で、試しにその重力異常の現場に足を踏み入れてみる。
岩が列をなして浮かんでいるその地帯に入れば、当然ながら自分たちも浮遊する。
まるで地面を逆さに見上げ、巨大な天井であるかのように反転したその景色は、それだけならルナの言うように観光地として、アトラクションとして非常に面白いものと言えた。
「ハル君、これ何とかなる?」
「ん-、無理。理屈がまだわからん……」
「分かったとしても、単純な法則として、直す魔力が足りないかも知れませんね」
「それは、事故を起こした時の魔力と同等の?」
「はい! おなじだけ、必要になると思われるのです!」
エネルギー保存則のようなものか。科学に対して反則的な万能さを見せつける魔法であるが、こと魔法が相手となると、科学同士の時のようにしっかりと法則に縛られるのだった。
魔法で起こした現象なのだから、その逆をやるにも魔力は同じだけ必要になる。
そんな魔力、今の世界では用意できようはずも無い。
そんな奇妙な地の調査と観光を、やや観光が優勢でハルたちは進めていった。
渦中のエーテル本人は、この地の事をどう思っているのだろう。やはり重要なものと重く捉えているのか。それとも、どうせ異世界のこと、と興味を持っていないのか。
そんな考えを浮かばせながら、ハルはふわりと巨石の下に逆さに座ってみるのであった。




