第375話 進め外へ
「それじゃあ、試してみてちょうだいハル様」
「分かった」
マリーに習った通りに、ハルは己の内面に意識を向ける。ログインした意識がこの世界へと、プレイヤーとしての体へ下りてくる前に、もう一つ別のフィルターを通って来るイメージ。
そのフィルターが、<誓約>の役目を果たしている。
ハルが、『手を伸ばしたい』、と思ったとする。すると、その指令がキャラクターの体へ送られる前に、そのフィルターを通る。
そして、もし手を伸ばすという行為が<誓約>により禁じられていたとすれば、その行動はキャンセルされ、キャラクターの体は動かないのだ。
「しかし、僕の本体は、脳から直接信号を流して動く人間の肉体だ。そこは、どうしてるの?」
「どうしているも何も、どうしようもないわ?」
「ふむ……、肉体的な動きは<誓約>では封じようがないってことか」
「でも、それだとNPCの行動は縛れないってことになってしまうの。だから、それとは別にNPC用の誓約があるわ。ハル様に掛かっているのは、主にこっちね」
「意識誘導だね」
暗示、とでも言おうか、肉体の動きではなく意識へとフィルターをかけて、“その行動をしようと思うこと”事態を封じる。
先の話で言えば、手を伸ばす気が起きなくなる、といったところだろう。使い方によっては、非常に恐ろしい魔法だ。
「この地の人間たちは、まるで集合的無意識に接続されているように、意識を神界、いえ、あの妖精郷ね、そこで一元管理されているの」
「そこに、僕も<誓約>スキルで使っている、NPCのリストがある」
「ええ、そうなの。私によって、出生と同時に管理されるわ? そこで称号、役職ね? それに応じて、発言可能な内容がランク分けされるわ」
「……徹底した管理体制なことで。要は、<王>ならば多少は世界の秘密に関することにも突っ込んだ話が出来る、って訳だ」
「その通りよハル様。多少は話が伝えられる人が居なくては、こちらの指令も通らないものね」
この地の住人達、NPCは、神の伝えた文化を受け入れるため、そして、元々の自分たちの文化を伝えないため、神の庇護下に入る際に<誓約>を交わすことを受け入れた。そんな民の末裔だ。
魔力を湯水のように使い、人類全体を危機にさらした文化を捨て去り、神の導きを受け入れる。
だが、それを誓ったとて、語り継ぐことは絶対にやめられない。それは人の性だ。
故に、ルールによって絶対に語り継がないことを強制する仕組みが必要となった。
そうして代を経た今、世代は交代し、当時の状況を知る人間はすっかり居なくなった。
歴史のリセットの、完成である。
「効果には大別して二種類あるの。まず先ほどハル様が言った思考誘導。“そのことを、何となく思い浮かべなくなる”わ」
「暗示だと思ったのもそのためだね。例えば、町の一角の路地をそれの対象にすれば?」
「ええ、ええ。その路地には誰も近づかなくなるの。何となく無人になるのよ?」
きっと、メタの案内で梔子の首都を進んだ際、徐々に周囲から人が消えていったのはこの思考誘導によるものだろう。
何となく、ハルたちの行く先へと移動しようという気が無くなる。街の全員がそれに従った結果、ハルたちの周囲は無人になるのだ。
この仕組みは、詳細な条件を知る前からハルも利用している。
自分の姿を認識できなくしたり、また相手にとって“都合の良い姿”として認識させたり。ハルは認識阻害の結界などと呼んでいたものである。
「ハル様に、いえ、NPC全体に掛かっているのは、二つのうちではこちらの割合が多いわ」
「それはなぜ?」
「明確に、『禁止されている』、と意識させてしまうのは、ストレスがかかるからなの」
「なるほど、反発する者が出るからかと思った」
「反発できるのなんてハル様くらいなの」
子供に、孫に、つい昔話を語りたくなるときはあるだろう。そんな時に、これ見よがしに発言にロックが掛かる。それでは、ストレスにより精神の健康を害す。
それよりも、『なんとなく、昔話をする気にはならないな』、と誘導してやった方が健康に良いという判断のようだ。
人間同士で殺し合った日々の事など忘れて、神に守護された平和な今を満喫すれば、幸せだ。そう思わせる。
そのための快適な環境整備は惜しまなかったようである。
それでも、倫理的には問題があるのは間違いない。だが、ハルは神々を非難する気にはならなかった。
それほどの荒療治が必要なくらい、世界全体で詰んでいたのだ、この惑星は。
「逆に、発言禁止を主として掛けられているのが私たちよ」
そのハルの思索に割って入るように、マリーゴールドが話を続けていた。ハルも思考を中断し、我に返り会話に戻る。
「……そうだね。君たちの『言えない』はとっても多かった。なんだか、懐かしい感じだね」
「過去のものにしてはダメよハル様? 今も、言えないことはあるんだから! ハル様には、大抵のことは言えるようになっただけ」
「なるほど?」
思い返すまでもなく、彼女ら神様は、その発言がガッチガチに縛られ固められていた。
運営に関わる機密情報、この世界の成り立ちに関する情報、他の神に関する情報。そういったものをユーザーに絶対に知らせないように。
ハルも、非常に苦労させられたものだ。
「代わりに、思考誘導は私たちにはほぼ掛けられていないわ? 掛けようが無い、とも言えるけど」
「基本的に、人間用なんだね」
それらの詳細な情報、条件づけの仕様などを、マリーからデータとしてまとめて送信してもらう。
今までは感覚的にやってきた部分が多かった<誓約>とその応用だが、こうして仕様が明らかとなれば、更に理解も深まろうというもの。
膨大な量と、その難解さには苦戦を強いられたが、その並列思考をフル回転させて何とかそれに立ち向かってゆく。
その結果、おぼろげながら、自身に掛けられている魔法の、その情報が明らかとなってきた。
「セフィに掛けられたのはこれだね。外と隔てるバリアへの接近の禁止。……割合で言うと、それでも『行動禁止』が四割ほど設定されてる」
「仕方がないと思うわ。ハル様は、誘導されていることを理解しているもの。その上で強く、『近づきたい、近づきたい』と意思を強めれば、行けてしまう可能性は大きいと思うわ」
「まあ、それすら封じるとなると、今度は記憶消去だしね」
「ご自分でなさっているのよね? 普通じゃないの」
「君に言われたくない……」
確かに、自分で自分の不都合な記憶を消去するハルの行動は、普通ではないことは分かっている。
だが、考えても仕方ないことを、いつまでも考えてしまうのが、複数の思考を持つハルの特性だ。それは、時として多大なストレスとなる。
よって、考えても仕方ないことは、時たま記憶から隔離、ないし消去することがある。これも、言ってみれば健康のための意識の誘導だ。
「そういえば、カナリーちゃんにも<誓約>掛けられたことあったっけ。思えば、あの子もけっこう無茶してたよね」
「というより、カナリーが一番危ない橋を渡っているの。ハル様はカナリー贔屓だから許しちゃっているだけよ?」
「確かに」
なにせ当時はハルはこのゲームのことを何も知らない時だった。
その時に、『ログアウトのことを意識しにくくなる』、といった内容の誘導をかけられたことを思えば、カナリーも相当なやりすぎだ。
そんな、カナリーの掛けた<誓約>の内容が今も残っているのを見つけたハルだ。今は無効化されているが、感覚的にはボタン一つでまた有効に戻せるだろう。
術者のカナリーはもうこれに関わることは無いだろうが、何かの拍子にオンになっても嫌なので、ハルは練習がてら、その思い出深い<誓約>を解除していった。
*
「さて本番よハル様。ここから……、あの先に向かって、歩いていきましょう!」
その講習会も終わり、続いては実技演習となった。
ハルとマリーは、ヴァーミリオンの郊外、正しくは国境線の外にある自分の領地へと<転移>してきている。
この先を、マリーの指さす方角へと更に北上してゆけば、真の意味でのゲーム外、“世界の果て”にたどり着く。
「そういえば、ユキ以外に突破者は?」
「居ないの。バリアが開くときは、必ず『邪神』の眷属も一緒になだれ込んでくるから、それを突破できるプレイヤーは居ないわ?」
ゲームの限界点、俗にいう『見えない壁』。そこで世界は終わりかと思ったら、更にその先から飛来する存在があった。
ゲーマーとしては、そこへと、更に先へと進みたいと思う者は多いだろう。
しかし、未だ突破者は居ないらしい。そのため、『演出上のものだけで先は無い』と主張する者と、論戦になっていたりするようだ。
「私たちとしては、ここで終わりと思ってくれると都合が良いのだけれど」
「そうだね。この外は、サービスの適用外だ」
そんな、ゲームの終わりの地。ゆりかごの外枠が、既に視界に入っている。
だがそちらへ進もうと歩を進めて行くと、だんだんとその歩みが遅くなっていくのが自分でも自覚できるハルだった。
「やっかいだ。進もうとは思っていても、体が勝手に止まろうとする」
「そうね。それは、体が勝手に、反射的に動こうとするのを利用して、逆に止めているのよ」
例えば頭をかくとき、食事をするとき、親しい人に挙手し挨拶するときでも、人間はそれら行動をいちいち意識して行っていない。
その、無意識の行動に割り込んで、逆に体の動きを止める方向へ働かせているということか。
「……あれ? じゃあ黒曜。お前が僕の体をフルオートで操作すれば、もしかしてこれって突破できる?」
「《はいハル様。可能性は高いと思われます。現に、そこのマリーゴールドにハル様の精神が隔離された際、私はそうしてお迎えに上がる考慮もしておりました》」
「相変わらず反則が多すぎるの、ハル様は」
「だからどの口が言うのかと。反則には反則だよ」
意識と無意識のせめぎ合いが問題になるなら、最初から全部意識しなければいい。
体を動かすのは黒曜なのだから、自動登校や、自動体育の場合と同じように、オート制御にしてしまえば解決する可能性もあった。
「《実行なさいますか?》」
「いや、それをやっては本末転倒だ。今回、突破することよりも<誓約>の解除が目的なんだし、やめておくよ」
「《御意に》」
そもそも、外へ出たいだけならば手段はいくつかあるのだ。
配下に入った外の神様である、露草に協力してもらう。同様に、猫のメタに協力してもらう。恐らくゲーム外に存在するであろう、神界の端から外へと出る。
そうした手段を取れば、壁を無視して外へと踏み出せる。
しかし、物理的に帰れない状況というのは不安要素が大きい。外で何が起こるか分からない。
そして、<誓約>についても、完全に制御下へ置いておきたかった。これも、そとで<誓約>を掛けられることがあるかも知れないのだ。
「そして何より、最初は正攻法で突破したい」
「ユーザーを出す気はゼロだから、正攻法なんて無いのよ?」
「そこ、余計な茶々を入れない」
だからこそ、ハルはこの先へと向かわなければならない。
歩みを止めそうになる足を叱咤し、また、現在まさに稼働中の魔法の内容を意識に収め、それを徐々に解除していく。
原因が目に見えているのだ。あとは、それを取り払うだけ。
「仕様書が手元にあるのに、出来ませんなんて言うのはプライドが許さないよね」
「その意気よハル様! ……その心理は、理解しかねるのだけど」
かくして、ハルは意識に掛かった薄膜を一枚づつ剥がしてゆくように、己に課せられた誓いの魔法を踏み倒して行く。
騙し討ちのようの勝手な同意など、法的にも無効だ。そんなもの破棄されるが妥当。
そうして少しずつ歩みのスピードを上げ、歩みは走りに変わり、最後には<飛行>の猛スピードでもって、ハルはついに世界の最果て、『見えない壁』へと到達したのだった。




