第372話 再びの
ハルの放った火球は、廊下をその道に沿って進むと、次第に魔力を消費して燃え尽き、後にはその残滓、魔力の残りかすを、尾を引くように残して消えた。
「校内で、こんな誰がどう見ても魔法ですという物を使って大丈夫なのかしら?」
「火災報知器や、監視カメラの類は全て沈黙してるよ、問題ない。この学園、エーテルを排除してるからって、それで安心し切っちゃってるんだよね」
ナノマシンが一切ない環境なので、エーテルネット経由で制御を奪われることがありえない。その理屈において、防犯設備は最低限で回っていた。
ハルからすると、いささか防犯意識に欠ける、と言わざるを得ない。
「まあ、仕方のないことではあるのよね? ハルのような存在を、想定しろという方が無理だわ?」
「想定しなくちゃいけないんだよ。まあ、そのおかげで僕は助かってるけど」
「そうね。“何らかの手段”を見つけた犯行グループが居たとしたら、中に入られたら検知できなくなってしまうものね」
とはいえ、ルナの言うように学園側が慢心するのも分かる。
今の時代、守る側だけでなく攻める側、犯罪者側であっても、エーテルネットが無ければ何も出来ない者がほとんどだ。
そしてこの学園は、防犯設備には今はほぼ使われなくなった機械製品を用いている。
機械式のセンサー類や、レンズ式のカメラ。そういった、エーテルネットが全てを代用するようになり、あまり使われなくなっていった物を現代に再生し、利用している。
この時代、それらの対処には高い専門知識が必要であり、ある意味で最高級のセキュリティと言うこともできた。
「今回の犯人さんは、厄介なことに機械にも高い知識を持っているのだけれどね?」
「……研究所時代は、施設の機械的セキュリティも管理してたからねえ。それに比べれば、再現品のこれらはオモチャだよ」
「反則ね。こんなエキスパートを内部に飼ってるなんて、学園側も思わないでしょうに……」
「逆に、僕が身内でよかったってことで」
勝手な言い分なのは重々承知だが、魔法を使っているところを万一にも見られる訳にはいかない。
そうでなくとも、用の無い施設へ足を運んでいるのだ。見とがめられ、要件を聞かれてもやっかいだ。
「それで、成果はあって?」
「ちょっと待ってね」
何故、そんな風に無茶をしてまでここで魔法を使ったかといえば、その残滓が向かう先、それを調べるためだった。
魔力、特に無色のそれは、いわゆる色付きの魔力に向かって引き寄せられる性質を持つ。
大気を大量の魔力が常に占めているアイリの世界では判断が付かないが、魔力など一切ないこの日本では、容易に判別できる。
今、その引力を持つ物は数えるほど。
ハルの家や、転移先にと便利なので配置した数か所。そして、ハル自身の体内だ。研究所の山中の岩は、遠いことと微弱にすぎることから、今回は誤差として除外する。
「ハルへと向かってきているわね。あなたの引力が強すぎるのでなくって?」
「なるべく抑えてるんだけど。そうだね、やっぱり近すぎるかな」
さりとて、遠く離れすぎても今度はハルが観測できなくなる。さてどうしたものか、と考えていると、ハルの方へと引き寄られてくる魔力の残滓、その軌道が、少しおかしいように思えた。
明らかにおかしい、と言い切れるほどの差はない。しかし、ハルから遠い方の魔力ほど、こちらに寄ってくる前に、別方向へとブレる気がするのだ。
「黒曜」
《はっ、軌道計算ですねハル様》
「話が早くて助かる。あの魔力の残滓がブレていたとするなら、そのブレの方向には何かあるはずだ」
《御意に。計算には、どのプログラムを用いますか?》
《マスターマスター。あれ使うといいですよ。惑星の運行計算。というか使います。使いました。白銀が》
「仕事が早いね白銀。よくやった。でも、物理的に影響が出ることは事前に相談すること」
《いえーい》
「……それは、了承の意だと思っていいんだよな白銀?」
「あなたに褒められたいのよ。構ってあげなさいな」
「そうだね。正月はこっちに来っぱなしで、白銀は向こうのお屋敷にお留守番だったし」
最も新しい神として、AIから魔力体に生まれなおしたばかりの白銀。それが年齢の幼さを演出させているのか。
それとも、ハルの体内のエーテルを使って生まれたためにハルに懐いているのか。最近はこうして先回りして評価を得ようとすることが増えてきた気がする。
微笑ましいともいえるが、ただの子供とは違い、彼女の力の及ぶ範囲は遠大だ。あまり独断専行が過ぎて大事にならぬよう、少し見守ってやらねばならないかも知れない。
それはさておき、今回はお手柄だ。先んじて計算を行ってくれた白銀によって、ハル以外にも引力を発生させている可能性のある場所の位置、それが指し示された。
《可能性じゃねーです。これは明らかな事実ですよ。たぶん》
「そうだね。計算結果では、確実に裏付けが取れている。この事実は、そこに何かあると言ってしまっていいだろう。とはいえ……」
「行ってみないとわからない、ということね? どこにありそうなの?」
「方向は、左手100メートル先、その地下みたいだね」
「本当にはっきりとしているのね? しかし地下とは思わなかったわ。というかあったのね、地下?」
「学園の、いや学生の使う施設じゃあないからね」
この学園は学業の他にも、研究機関などの施設がそれなりに多く入っている。空気中にナノマシンが存在しない場所、というのは現代では貴重だ。
例えるなら前時代における真空や、無重力といった環境だろうか。その特殊な環境下でのみ採取できるデータを求め、様々な業種が集うのだ。
「一気にうさんくさくなってきたけれど、大丈夫なのかしら?」
「大丈夫そうだよ。少なくとも、謎の秘密結社が魔法を使った、って可能性は非常に低い。そもそも、人の出入りがほぼ無いしね」
「そうなのね?」
学園の警備システムは全て掌握済みのハルだ。その部屋がなんであるのか、部屋にはどんな人間が立ち入っているのか、その記録も手に取るように閲覧できる。
そこに怪しい部屋や人物の記録は見られない。いや、ルナに語ったように、入出すらほとんど無い。
その場所は、データを記録、保管しておくサーバールーム。現代ではほぼ使われなくなった、機械的な記録による、情報の集積地だった。
*
「寒いわハル? 廊下よりずっと寒いのでなくって?」
「冷やしてあるんだろう。熱は大敵だから」
「難儀なのね?」
その部屋は、記録のとおり何の変哲もないサーバールームだった。いや、『何の変哲もない』、と語るほど、この時代にサーバーの数は存在していない。
情報のやり取りはほぼエーテルネットに一本化されている。
ハルの使っていた医療用ポッド、あれが接続されていた先のような、ごく僅かな場所を残すのみだ。
基本的に冷やすものだ、ということを知らないルナの反応からも、時代が変わったことがよく分かる。
「この部屋は、何を記録しているの?」
「まあ、有り体にいってなんでも。人類の記録ってやつ? 重要そうなものから、どうでもいいものまで、様々だよ」
データ化した文化財や、歴史の記述。そんなものの隣には、どうでもいいような個人サイトの記録があったりと分類が謎だ。
おそらく『当時の日常の記録』とでも言いたいのだろうが、残される方はたまったものではないのではないか。許可は得ているのだろうか?
「何のために、と言うのは野暮ね。また、もしもの時のため、というのでしょうね」
「うん。その備えだろう」
かつて、こうしたサーバー群を利用したインターネットは、一夜の間にその機能を停止した。それと同じことが、今度はエーテルネットに起こらないとは言い切れない。
その際に、エーテルに依存しない記録媒体として、ここに人類の情報を保管しているのだろう。
「……でもそれって、普通の場所で管理した方が良いのではなくて? 管理も楽でしょうに」
「まあ、そうだね。でも、最後の砦って奴なんだろう。きっと」
エーテルが、ナノマシンが満ちた地にあっては、このデータも、そのもしもの時にどうなるか分からない。
なので、この学園内というわけだ。
ご苦労なことだ、とハルは思うが、危機管理としては正しいのだろう。
実際、エーテルネットにはまだ分からない部分が多い。分からないけれど、便利だから使っている。人の世の常だ。
ならば、最大限に警戒をする必要は当然だろう。
……ハルからしてみれば、その警戒をもう少し学園の防犯に回した方が良いと思うのだが。
そのあたりが理想ばかりを夢見すぎて、片手落ちである。
「そんな人類の最後の砦に、何があったのかしら?」
「なんだろうね? 三つ棚の先、そこが目的地っぽいよ」
白銀が、ハルの目の中に映し出してくれたARマーカー。それはサーバーを収めた棚の向こう側を指し示している。
はやる気持ちを抑えつつ、また、少し緊張気味のルナの手をとって安心させてやりつつ、ハルはその位置へと向かう。
そこにあったのは、ある意味で非常に見慣れた物だった。
「…………なるほど、これか。確かに、言われてみればそうだよな。これは、そういう物だった」
「黒い石、これ、あの研究所に封じられていたもの、よね?」
「だね。磁力の反応も、同一の鉱物だと示してる」
研究所の地下に、外気と決して触れないように封印されていたあの黒い石。
山中にも同じものが存在し、中に魔力を含んでいたそれ。異世界から転移してきたであろうその石の、いわば最新版だ。
それがこの部屋の床に、唐突に顔を出した。
「そういえば高磁力だったわね。機械に影響は?」
「問題ないはずだよ。元々、言うほど磁石には弱くないし、ここのは事故以降に作られたものだ。EMPや磁力には強く作られてる」
とはいえずっと機械の傍に置いておきたい物ではない。ハルが持ち帰るべきだが、正直、不用意に持ち帰りたくもない。悩ましいところだ。
「いつからここにあったか、分かる?」
「センサーは……、温度感知のみか。使えん。監視カメラは、入口のみ……、重ねて使えん……」
「入口はひとつだけですものね……」
入退出をチェックすれば、十分だったのだろう。やはり人類の未来を守ることを夢見るより、目の前のデータを守ることも重視してほしい。
「とはいえ、保守点検の時には異常の報告が無い。まさか、これを見逃していたとは思えないし、前回の保守の後なのは確かだろう」
「……最近、ここへ転移して来た」
「どう考えても、これに関してはあの世界の神様の仕業だ。今度は犯人は人ではありえない」
なにしろ、あの世界の人類はカナリーたちが守った者たちを除いて存在していない。少なくとも、高度な文明は築いていない。
ならば、今度は神が、この石によって向こうへ渡ってしまったはずのAI自身が犯人であると、考えざるを得ない。
このタイミングで、偶然の自然現象なのです、などという能天気は捨てるべきだろう。
「……誰か、向こうでこの石の出所を見つけた神様が出た? そいつが、再現で送り込んできた。でも、何でこの場所に?」
「ハル? 考察はいいけれども、まずは現状をなんとかしましょう。これ、どうするの?」
「どうしようかねえ……」
明らかに厄ネタ、持ち帰りたくなどない。だがしかし、この場に置いておく訳にはもっといかない。
なので持って帰るしかないのだが、それは何処に?
ハルの家、日本にユキが買った家か、それとも向こうのお屋敷、天空城か。
こちらでは何か魔法的な事故があった際に対処が遅れるし、天空城は重要拠点。本拠地に爆弾を持ち込むようなものだ。
「……いや、正直嫌すぎるけど、天空城に持ち帰るしかないよね。本当、嫌だけど」
「向こうに着いたら、神様たちになんとかしてもらいましょう」
「そうだね。向こうも迷惑だろうけど」
運営の中に犯人が居れば楽なのだが、それはほぼ否定出来る。
この度めでたく(一応めでたい事でいいだろう)、あの地の全ての神はハルの配下となった。その中にこんなお茶目をする者は居ない。
ならば実行者は外の神、邪神と分類される者になるのだが、正直見当がつかない。人物も、目的も。
ハルとルナは、新年早々降ってわいた問題に、二人して頭を抱えるのだった。




