第367話 小道の先のかくれが
猫に先導されるように、ハルたちは小道をゆく。
自分たちの住んでいる街だというのに、一度も通ったことの無い道ばかりだった。
まるで、違う街に、知らない世界に迷い込んでしまったような錯覚を抱く。
空気中に満ちるナノマシンによって、この街も当然すっぽりと覆いつくされている。
それにより作られる詳細なマップは街の全貌をあまねく映し出し、自分もまるでその全てを知っているかのような気分にさせられる。
しかし、実際はハルが感じてのとおり。道として知っているだけの通りは、まるきり知らぬ異世界だ。
「誰とも会わないねー。私は、いいけどさ、その方が」
「元旦ですもの。それに、メタちゃんが人と会わないように誘導しているのでしょう?」
「なうー」
すれ違ったら肩が触れそうな小道の間を、ハルたちは一列に並んで進む。こんな道だから、それともお正月だからか、ハルたち以外に、この道を通る者は皆無であった。
「まあ、誰かと出会ったら出会ったで、その人が可哀そうだから会わないに越したことはないけどね」
「そうですねー。びっくりしちゃいますねー。こんな狭いところで、振袖の集団とすれ違ったら」
いい迷惑である。そんな、お互いのためにならぬ邂逅は、事前にメタが察知して回避してくれているらしい。
その猫を模したロボットボディに搭載されたセンサーに、エーテルネットをハッキングしての生体感知能力。それによって、まるで世界に自分たちしか居ないかのような不思議な気分を味わうことが出来ていた。
まあ、実際はハルも、その性質上エーテルネットの情報は常時、脳の裏側の方で処理しているので、今も世界はつつがなく進行中なのは丸わかりではあるのだが。
それは、口に出しはすまい。野暮というもの。
「ねこさん、ねこさん。どこへ向かっているのですか? あ、もしかして猫の世界のようなものがあるのでしょうか!」
「ないわよ?」
「ないねー」
「そんなファンタジーなものがあるとしたら、アイリの世界だろうね」
「わたくしの世界こそ、無いのです! えへへ、この日本になら、ありそうと感じたのですが」
互いにとって異世界、そこに不思議なものを期待してしまうが、残念かなその中身はどちらも現実的なものだった。
猫の世界はありはしない。あるとすれば、例の妖精郷にならそんな舞台もあるだろうか。まあ、それはゲームではあるのだけれど。
そんな、猫に導かれる無人の小道。そこをハルたちが進んでいった先は、いったい何が待ち受けているのだろうか。
少々わくわくしつつ、しばらく皆でその冒険を楽しんだ。
*
「ここかい、メタちゃん? 連れて来たかったのは」
「にゃーん♪」
「倉庫? いえ、飾らず言ってしまえば廃材置き場ね? 印象は」
「さびれてるねぇ。普段の私なら、絶対近づかないや」
「私もだけれど。しかしユキはどんなところなら普段近づくのかしら……」
「えと、あのね、大通りに、面したお店。安心感がある」
自然、高級店が多くなるのだとか。そんな、すっかり怖がりに変わってしまった肉体の方のユキの手を引いて、ハルもその寂れた建物に入って行く。
廃墟、とまでは行っていないが、明らかに人が使わなくなったという雰囲気がある。
建物の改修工事が容易になった現代といえど、こうした建造物は各地に点在している。
これは、前時代に建てられたものを補修しつつ、だましだまし使っていた物だろう。ハルはそう推察する。
だがいよいよ古くなったからか、持ち主は使わなくなった。
だがお金をかけて改修するでもなく、取り壊すでもなくと、ずるずるそのまま残ってしまったのだと想像できた。
「ね、ね、ハル君。入っちゃって大丈夫なのかな? ふほーしんにゅーじゃない?」
「そうよね? メタちゃんにとっては良い休憩所なのだとしても、私たちにとっては問題よ?」
「なーう……」
そんな事はさすがに手引きしない、と三毛猫のメタの鳴き声も少々不服そうだ。
「大丈夫だよ。持ち主確認したけど、あのゲームの運営、つまり神様たちだった」
「そうなのね? ……というか、こんなものまで」
ほぼ無意識に、ハルはエーテルネットを通じて登記の確認作業を済ませていた。
何のために使うのかは杳として知れないが、この古倉庫の持ち主は、あの架空の運営会社だった。
そんな建物の中に、ハル達は足を踏み入れてゆく。あまり日の入らない内部は、薄暗く、しんと静まっていた。
「にゃん!」
メタが一声鳴くと、その内部に照明がともる。照明の明るさも控えめで、落ち着いた空間を演出している。
見渡せば、最近運び込んだであろう新しめの資材が積まれ、布を被って安置されているようだ。
「にゃうにゃう」
その脇に設けられた、人間用のスペースへと案内される。
ソファーと、それに対応したテーブルがあり、そこでくつろげるようになっているようだ。そこは、この古めかしい倉庫に似つかわしくなく、新品の設備で、しっかりと埃も清められていた。
見れば、テーブルの上にはお茶とお菓子の準備があり、歓迎の体制は万全だ。
「猫の喫茶店だね。お招きありがとう、メタちゃん」
「にゃんにゃん♪」
「セルフサービスなのが、少し笑えるけど」
「うにゃーん……」
仕方がない、メタの手では、お茶を淹れることは出来ないのだ。
マスコットとして、雰囲気を盛り上げてもらおう。
「じゃ、みんな座ってて、僕が用意するから」
「わ、ハル君のお茶だ」
「楽しみですー」
「そんな大層なものじゃないよ。……しかし、ここまでは誰が用意したんだろうね」
「確かにね? お茶を淹れられないのは当然としても、猫の手ではテーブルの上に準備も出来ないわ?」
まさか、ここに並ぶ資材の搬入の際に、業者に頼んだのだろうか? 謎の依頼すぎる。
しかし、経過時間から、それも無さそうだとハルは観察する。この準備は、まさに今朝行われたものだ。きちんと清めてある。
一方で、奥の資材が運び込まれたのは、もう何日も前のようであった。
メタが頑張って、その猫の全身を使って用意したのだろうか。
その答えを告げる声は、奥の方から現れるのであった。
「それは、私が用意させていただきました。申し訳ございません、給仕まで全うせずに」
「アルベルト。……アル、ベルト?」
「はっ! 私でございます、ハル様」
「……ずいぶん様変わりしたね」
奥から現れたのは、灰色の体毛をした猫。それが、アルベルトの声を発している。
当然、これもロボットだ。メタの予備機、またはカラーバリエーションとして、ハルが作って与えたものである。
「そもそも、この建物を買い取ったのは私です。メタではありません」
「ああ、確かに。メタちゃんは運営とは関係ないもんね」
「ですがハル様から下賜されたメタの量産機、置き場がありませぬゆえ、ここを使わせております」
「にゃん!」
確かに、作るだけ作って、保管場所を考えていなかった。
向こうでは、いくら同時操作しても苦にならないらしいメタだが、こちらの、日本への遠隔操作となると、少々骨が折れるようだ。
だからといって、街中で猫の体を停止させておく訳にもいかない。見た目が大変なことになってしまう。
「すまなかったね、僕のミスだ」
「にゃーにゃ」
「気にするな、と言っております。……上から目線ですね。貴方がハル様に人間の言葉で説明すれば済んだ話でしょう?」
「にゃっ! にゃ~~ご……」
本当に必要な時しか、人語は語らないメタだ。なんだか、こだわりがあるのだろう。
そんな、倉庫内に保管されていたメタの体が次々と起動し、ソファーの周囲へ集まってくる。
色もさまざま、周囲が、一気に華やかになった。
「まぁ。可愛いですね! おいで、ねこさん」
「にゃっふん。……うにゃ?」
「外歩いた体でアイリに飛び乗らないの。クリーニングかけるから、大人しくして」
「にゃんにゃん♪」
「過保護ね?」
そうかも知れないが、今日のアイリは晴れ着姿。せっかくのそれが、汚れてしまっては残念だ。
ハルは得意のエーテル技術で、外の埃をしっかり落とすと、改めてアイリの膝にメタを渡した。撫でるアイリは、その毛並みが心地よさそうだ。
一方のメタは、幸せそうな顔をしているものの、天空城の個体のように、その身に感覚は存在しない。そこが、少しばかり残念か。
彼らの意識は、この二つの世界を隔てる壁は渡ってこれないのだ。
「私も久々に猫ちゃんやりたいですねー」
「カナリーちゃん、お行儀わるいよ? それに、今は君飛べないんだから、前みたいに器用に乗って来ようとしてもずり落ちるよ?」
「おーちーませーんー! 重くないですよー! 太ってないですー!」
まあ、彼女の健康にはハルが気を配っているが、しかし普段からあれだけのお菓子をぱくぱく食べている。
当然、太る。
ハルが、カナリーの体内のナノマシン操作で、太らないようには出来るのだが、戒めの意味も込めて、最近は少しだけぷくぷくとさせていた。
そんな、猫と女の子で騒がしい、楽し気な空間に倉庫は早変わりする。
お茶とお菓子で、ここはもう立派な即席の隠れ家だ。
「ねこさんの喫茶店ですね。素敵ですー……」
「みゃう!」
「元は私のスペアボディなどの、こちらで活動するための資材置き場です。ご自由にお使いください」
「まあ、隠れ家というか、たまり場があるのも悪くないか。人の目を気にしないでさ」
「んー、うちで、よくない?」
「ユキを外出させるためにも、たまに来ましょうか。……確かに、同じ家に住む顔ぶれだけれど」
「でも、新鮮なのです! ねこさんも居ますし!」
確かに、家の安心した気分とはまた違い、外出時のほどよい緊張感と、仲間だけのリラックスした空気が調和している。
たまに、こうして遊びに来るのも良いかもしれない。そう、ハルはこの場の落ち着いた空気に顔をほころばせる。
「……いや、それはそれとして、少し寒いか」
「あ、ほんとだ。息、白いね。ハル君のエアコンがチートだから、実感がなかった」
「奥に、古い暖房器具が残っています。お手数ですが、出してきていただければ使えますよ?」
「そうしようかね」
ハルのエーテル操作により、彼女たちの体は常に快適な温度に保たれている。
しかし、外は真冬の一月。人間が暮らすように考えられてはいない倉庫内は、外と変わらぬ寒さに息が白くなっている。
さすがにそれでは、この良い雰囲気も片手落ち。
ハルは倉庫に残っていた、年代物のストーブを引っ張り出してくると、内部を確認し火を入れた。
炎が揺らめく様子が、実際に確認できるタイプだ。これは、雰囲気アイテムとしても悪くない。
周囲が一段階、明るく、暖かくなった様子に、全員で目を細めて空気感にひたる。
猫たちもストーブの周囲に集まって、思い思いに丸くなった。
そんな、帰り道に寄った仲間だけの隠れ家。新年の朝は、そんな一味違った暖かさから始まったのだった。




